第2話 山を越える

ダム湖を迂回して進み、2時間もしないうちに私たちは最初の障害にぶち当たった。

ふもとの町へ続く谷沿いの道が、山崩れで派手に塞がっている。

イワフジが履帯を駆動させて崩れた土の山を登ろうとするが、柔らかすぎる崩落土砂を削りとって後方へ弾き飛ばすだけだった。



「迂回路はないの」


「ありますが、今のルートの倍の距離をゆくことになります」


「……この土、私なら登れないかな」


「自分の脚の状態を把握してください……安全ピンと一緒に頭のネジも飛んだのですか」


「いや、傾斜自体は緩やかだし、バールとかをピッケル代わりにすれば両腕と左脚だけで行けないかなー、なんて。

 私がワイヤー持って上に着いたら、しっかりした木か何かに引っ掛けるでしょ。

 そしたらイワフジ、後ろに付いてるウインチを巻き取って登れるじゃない。

 いつも山仕事でやってるみたいに」



言いながら私は作業着、腰のカラビナにワイヤーフックとチェーンを掛け、

両手にバールを持ち、這うようにして礫混じりの土砂の山に組み付いた。



――そして己の行いを深く後悔した。

もう暑い。標高約500m、日はまだ高くないにもかかわらず気温は既に35℃を超えている。

ゆうべの気温も30℃を下回らなかった。

つまりは昨日からの太陽熱をほぼ失わずに蓄えた土砂とべったり密着することになる。

全身から汗がドバドバと吹き出す。



「やはり迂回しましょう」


「迂回したって同じように崩れた道があるかもしれないでしょうがー!」



半ばヤケになってバールを土に突き立て、土の山を登り始める。

右脚が利かないことを除けば、仕事でいつもやっていることだ。

いくら仕事が機械化されても、人間ができる仕事を機械にさせることは珍しい。


この時代、人型のロボットは既に量産化されており、人間と同様に働かせることも可能である。

だが、とんでもなく高価だ。具体的には、イワフジの5倍くらい。

私、豊田ミクニと比較したらざっと50倍。

タンパク質よりはるかに高価な鋼、銅、その他レアメタル。

バッテリーにベアリング、人工筋肉、お好みに合わせて耐腐食性プラスチックのスキンをオーダーメイドで。

何よりこの国ではもう作ることのできないような精密な電子部品も、人間に打ち込む安全ピンとは比較にならないほど大量に要求する。

そのくせ耐用年数はだいたい私たちの3分の1、ときている。


結局、機械は人間を超えることはできなかったのだ、コストパフォーマンスという点において。


斜面の傾斜角はだいたい40~45度。高さは40m程度、斜面の長さにすれば、60m弱。

砕いた固形食料のようにボソボソの土砂は、軽くバールを突き立てるだけで根本までめり込む。

這いつくばって土砂の摩擦も合わせれば、体重の軽い私ならなんとか滑落せずにすむ。

基本的に筋力が第一の営林作業で、私のような女性型がいくらか配置されるのはこういう役回りが必要だからだ。


作業着を砂まみれにしながら、這い登る。バールを突き立てる度に砂や小石が額に掛かるが、あいにく安全メガネもヘルメットさえも山小屋に埋まったままだ。


ほどなくして斜面を登りきった。イワフジよ、ざまあみろ。これが人間サマの力だ。

ワイヤーを巻き付ける適切な立木を探そうと立ち上がろうとして――足を滑らせた。

そういや右脚折れてたんだった、私。

そのままイワフジの元へ転げ落ち――なかった。

首根っこが引っ張られている。

振り返ると、作業着の男がいた。慌てた様子で身を乗り出した様子の男が。


 ◇   ◇


「水源林保安員の方は全滅した、と聞いていましたが」



よく日焼けした肌に強化プラスチック製の編笠をかぶった作業員、明和めいわが訊ねた。

転落しかかったミクニをすんでの所で引っ張り上げた男である。



「"安全ピン"が壊れちゃってね、信号がロストしたから死んだってことになったんだと思う」


「それは……災難でしたね」


「ここまで来られたってことは、ふもとまでの道は空いてるってこと?

 私をトラックか何かで町まで送ってもらうことはできる?」


「申し訳ございません、それは……」


「それは、無理というものだろう。彼らがここに来たのも、仕事のためだ。

 明和さん、と言いましたか。この河道閉塞を解消するために来られたのですね?」


「その通りです――あの特装車は?」



斜面の下からもうもうと土埃が立ち上ってくる。

巨木に廻し架けた鎖を頼りに、ワイヤーをウインチで手繰りながらイワフジが登ってきていた。



「どうも。集材車フォワーダーのイワフジです。そこの豊田ミクニと同じく、無線機能に不具合を来しまして」



柔らかな土の山を上り詰めた先には、泥水で濁った小さな湖ができていた。

元々は、思い出した、ここは川だったのだ。

この、散々苦労して登ってきた山がその川をせき止めているのだ。

放っておけば水が溜まりきって崩落を起こす。


せき止められたこの川の下流は……私たち水源林保安員が守ってきたあのダムの川と合流する。

あの川はこの島の人口の2割を潤しているのだ。

もしここから崩れた土砂が合流してしまったら、どんな悪影響を及ぼすか。


明和さんたちは、それを防ぐためにわざわざこの山の中までやってきたのだ。

――とはいえ、こちらにも事情がある。



「――というわけで貯水池周りの山体崩壊で、私達ふたり以外はみんな死んじゃたのよ。

 私も、右脚を折っちゃったし。できればここに来るまでに使った車で、ふもとまで送ってもらえないかなー、と」


「何度も申し訳ありませんが――」



明和さんが頭を下げる。



「重機の作業能力に余裕がないのですか。元々、我々の捜索・救出作業は勘定に入れていなかったのでしょう。

 私達を救助しても加点はなく、作業能率の低下は減点の対象となってしまう、ということですね」


「――そのとおりです」


薄情すぎないか? という言葉が口を突いて出そうになったが、減点されることは誰だって恐ろしい。

それを"安全ピン"から刻みこまれていたことを思い出し、こらえた。



「それでは、我々だけで町に向かうこととします。

 皆さんがトラックで到着しているということは、ふもとまでの道路は既に啓開済みということですね」


「ええ、できれば発災直後にでもここに来たかったのですが、丸一日の時間を掛けてどうにか、です」


「これは現場代理人の許可が必要でしょうが、電力を分けていただくことは可能ですか?」


「あ、代理人は私です。ソーラーパネルの余剰分でしたら」


「ありがとうございます。――というわけでミクニさん」



どうやら、話はまとまったらしい。



「私は余分に電力を消費してしまった。

 日の高い間はここで充電しつつ、気温の下がり出す時間帯でここを発つとしよう。

 恐らくどこかでもう一泊することになるが――」


「構わないよ――一応、大ケガしてるはずのわたしの優先順位が妙に低いのが気になるけど」


「――すまない」



 ◇   ◇



自家発電機を搭載したトラックが3台到着し、それぞれからポンプをせき止められた川の中に投下。

ポンプから斜面に沿って這わされた太いホースを通り、斜面の下、本来の川の下流に向かって泥水が吐き出された。


水がだいたい抜けたら次は土工重機が入り、崩れた土砂を除去して元通りの川にするという。

水が抜けるまで、およそ3日ほど掛かるらしい。

ミクニたちは、塞がれて泥の湖となった川の、上流にいた。


大雨からまる一日が過ぎ、閉塞した巨大な泥だまりに流れこんでくる水は濁りが消えていた。

この水は、土のう積みとポリエチレンの太い管で直接あの斜面の下に流れ出るようにされている。

これも明和さんたちの処置。ポンプで河道閉塞の水を捨てるのに、入り口を開けたままでは意味がない。


ドロドロの作業着を脱ぎ捨て、下着だけで水をかぶるミクニ。



「だぁーっ。暑いわぁーー。これだけ暑いと川の水まで温泉みたいだよ」


「日中の移動は無理ですね。ここで夕暮れまで待機しましょう。

 明和さんのご厚意で、電源も頂けますし」



何だか休んでばかりだ。

手持ち無沙汰のミクニは、ポンプでの汲み出し作業を行う明和たちをぼう、と眺めていた。

泥水の中では、ウェットスーツをまとった作業員がスタンバイしている。



「あの網持った人は?」


「ポンプに吸い寄せられるゴミを除去しているのでしょう」


「何か網の中で魚が跳ねてるけど」


「あの斑点は……アマゴですね。絶滅危惧種です。我々の命より価値の高い魚です。

 分けてもらって食べようとは、考えないほうがいい」


「私の考えを読むな……あれは?」


「コクチバスです、もともと食用として輸入されたのが野生環境で定着したもので、

 特定外来生物として駆除の対象に……待ちなさい! その怪我で!

 わかりましたよ! 分けてもらいに行けば良いんでしょう!!」



 ◇   ◇



生まれて初めて、ミクニは合成モノでない天然由来の食料を口にした。

内臓を抜いて塩を振り、焚き火で焼いただけのコクチバスだったが、

"おいしい"とは、こういうものなのかと理解するのに足りる味だった。

スズキ科に属するコクチバスはの食味は、同じくスズキ科のタイに似る。

口の中で柔らかくほぐれつつも、噛む程に旨味の出る焼きたての魚の白身は、

味覚野を光ファイバーで刺激されて生み出されるのではない、初めての本物の食物の味であり、食事だった。



「……口が痛いし、お腹が苦しい」


「骨が刺さるのも気にせず、10匹も食べるからです

 陽が傾いたら出発しますよ。昼寝をするなら水分補給は忘れずに」



イワフジの言葉を聞いてか聞かずかの間に、ミクニは眠りについていた。


それからの道程は、特に語ることもないほどに順調だった。

当然である。イワフジよりはるかに大型のトラックが通行可能な道が啓かれていたのだから。

山が崩れるほど大雨が降ったのは、あの山小屋の貯水池の周りの、ごく狭い範囲だけだったのだ。


陽が傾き始める頃に出発し、陽が落ちる頃には中間地点だという峠の廃屋にたどり着いた。

草叢にまみれたコンクリート造りの廃屋だ。『■■山青少年の家』という錆びた銘板が打たれている。



「昔は青少年って集めて住むほどいたんだね」


「別にここに青少年を住まわせていた訳ではないでしょう。

 青少年に山林での活動体験を与えるための、一時的な宿泊所として使われていたらしい、です」


「ちょっと想像つかないな、わざわざ人間を育てなきゃいけない時代があったって」



男女の交配によって子を成すという機能を、ミクニたちのような"担い手"は封じられている。

そして、そうでない、自然に出生した人間でも、現代では交配することは珍しい。

この傾向は、結婚と出産が義務でなくなり、自由恋愛による結婚が基本となった20世紀末頃から一貫して強まってきたものである。

容姿の美醜、人間関係の構築能力、経済力、何らかの格差があれば恋愛からあぶれる者は必ず発生し、あぶれた者たちが義務でなくなった結婚を諦め、子を成さなくなった。

そして、恋愛へのハードルは年代が進むごとに上がっていった。


結果、社会の維持に支障を来すほどに、少子化が進展した。

その対策として社会の"担い手"の生産を始めたのは、本邦ではここ30年ほど前からのことである。



 ◆   ◆



記録、再生。

――2080/06/30 04:11:00 UTC+9:00


気象庁より、現在地グリッドの雨量データを取得。

6/30 4:00 時間雨量 0mm。

24時間雨量、633mm。

累計雨量、1559mm。


防災省より、現在地グリッドの土砂災害発生リスクデータを取得。

シグナル――黒。既に発災済みの公算、非常に大。


プロセッサバックホウ、コマツに通信。

『降雨が収まった。至急、ベースキャンプの移動を提案する』


コマツより返信。

『提案を承諾。移動先の調査はイワフジに一任する。この場の知能重機の中で最も小型かつ接地圧が小さい』


『承諾。同行する人員は』


『無し、とする。豪雨の中で連日キャンプの維持作業に追われており、疲弊が激しい』


『承諾。これより稜線に沿って山頂を目指すルートで調査を行う』


『ご安全に』


『ご安全に』



『――ベースキャンプの上方、200mの地点の地面に亀裂を確認。

 傾斜方向と垂直の亀裂、以前の地形情報と照合――亀裂拡大中――』


『緊急通信!! 地すべりの前兆現象だ! さっさと起きて逃げろ! 寝てる奴は殴ってでも起こせ!!

 コマツ! コウベ! 豊田! 槇田! キャンプごと土砂に呑まれるぞ!!』


『緊急通信! 緊急通信! 緊急――!!』




『――車体の異常傾斜を検出。周辺景観画像、直近のものと一致せず。現在時刻――』


2080/06/30 04:32:13 UTC+9:00


『ベースキャンプ、カメラ画像で確認できず』


 プロセッサバックホウ・コマツ、通信不能。19分前にシステム全損のログを確認。

 ハーベスタバックホウ・カワサキ、通信――確立。


『カワサキ、状況を』


『イワフジか。キャンプは小屋ごと山体崩壊に呑まれた。

 俺も、もう助からん――位置情報を送る』


『■■■ダム、貯水池――水中か! 集材システムのウインチで引き上げれば――』


『じゃあまず、生身の連中を助けてやりな、そういう細々した作業を、俺らはできるように作られてない――』


『■■■貯水池水源林保安員、"安全ピン"の回線を通じて安否を確認する――』



鋼――状態:19分前に死亡 死因:心臓挫傷

新宮――状態:16分前に死亡 死因:窒息死

豊田――状態:19分前に死亡 死因:頭部への衝撃による安全ピンの破損

槇田――状態:生存 右下腿部骨折



『生存者がいたぞ、カワサキ! 手当すれば動けそうだ――』


『よかったな。じゃあ、助けてやんな。俺は――無理だ。

 電装部の防水被覆が衝撃でイカれ――』



カワサキ、通信途絶――。



『――。保安員・槇田の救出作業に移行する――』



槇田の座標と状態を再確認――。


槇田――状態:死亡

死因:安全ピンの作動;負傷時の状況と救出・治療のコストから総合的に判断



『――』


『――――』


『――――――基地局に状況を送信。添付メッセージ;くそったれ――――――』


『――送信失敗。遠距離無線通信システムの故障――』



『――――――』


『――――――――』




『――音声スピーカーの音量を最大に設定――』





「■ ■ ■ ダ ム 水 源 林 保 安 員 の 皆 さ ん

 意 識 が あ る 方 は ど う か 合 図 を 送 っ て く だ さ い!!」



 ◇   ◇



記録再生、終了――。


山頂の廃墟のガレージ。

イワフジの傍らでは蚊取り線香の煙がゆらめき、ミクニが静かに寝息を立てている。

南側の山を下った先、20kmほどの距離に人工の光がチラチラと輝いている。

このまま何も問題が発生しなければ、明日にはふもとの街に着く。

だが、ふもとの街に到着したとして――ミクニは治療を受けられるのか。


"担い手"たちは労働力として生み出された存在である。

基地局からつながる中央官庁のサーバーで、社会を担う能力があるか、を常に天秤に掛けられ続けている。

生産コストはおよそ中古乗用車と同程度。

大破したら"修理"より"更新"される方が経済的な場合が多い。


ミクニと、そしてイワフジは本来載せられている天秤の皿から、現在たまたま離れているにすぎない。

街に戻れば、否応なく皿に載せられる。


イワフジ自身はどうでもいい。やれるだけの職務は全うしたつもりだ。

不適切なメッセージを送りつけようとしただけなので、プログラムの再インストールだけで済む。

だが、彼女は――。













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