フダラクへとすすめ
Orville
第1話 産まれる
産みの苦しみ、という言葉がある。
母は子を分娩する時、骨盤の継ぎ目が外れるほどに大きく産道を開かねばならない、という。
子もまた同様に、人類の宿命として大きく育ちすぎた脳を守る頭蓋の継ぎ目を外し、
頭を細くしなければ産まれることができない。
――母と子が苦しみを分かち合ってはじめて、子はこの世に生を享けることができる、ということだ。
そうでない子はどうなのか。
本来二人で分かち合っても骨を軋ませるような痛みと苦しみを、
一人で耐えなければ生まれ落ちることさえ許されない。
私が、そうであったように。
"私"の意識が発生した時にあったのは、ただ"痛み"だった。
真っ暗い意識の中心から下に伸びる骨格、
そして中心骨格から四方に延びる主要な骨格、それぞれが堅いもので固定され、
ギリギリと引き延ばされてゆく痛みがあった。
バチバチと意識の中心で火花がちらつくと、それが自分の胴体、手足であることがわかった。
脳天から脊椎、四肢の骨格がメリメリと折れんばかりに引っ張り伸ばされ
それらを包む筋肉、皮膚は弾けそうな圧力で膨らまされ、押し込まれていた。
意識の中心である首は、目隠しされ、耳も塞がれ、口にはマウスピースが噛まされ、
声さえ発せず、ただ自分の体がムリヤリに膨張させられる痛みを受け止め続ける器官と化していた。
意識を切ることさえ許されず、首の下から伝わってくる痛み、
そして首の上に伝わってくるバチバチという火花だけを与え続けられていた。
それが、私の一番古い記憶だ。
◇ ◇
バチバチと頭の中に火花が走る。全身各所の痛みで意識が醒める。
産まれた時の夢を見ていた。夢など見たことのなかった私が。
目を開けば、視界は一面、ピンク色の朝焼け空。
そこから少し視線を下ろすと、見慣れた山の輪郭を、見知らぬ断崖がえぐり取っていた。
鼻腔を満たすのは、濃厚な土臭さ。
腰から下は、土砂と丸太で絡め取られて動きそうにない。
頭のバチバチが止まらず手をやると、どうやら硬い岩に頭頂部をぶつけていたらしい。
詳しいな経緯はわからない。
だが、原因だけははっきりしている。
ここ数日に続いた大雨、それも、この山が経験したことのないほどの大雨で、
私たちのねぐらとしていた小屋の稜線が、まるごと山体崩壊を起こしたのだ。
私は腕で体を土の下から引き抜こうとするが、動かせなかった。
無理に引き抜こうとすると、右脚が痛む。痛すぎる。多分、骨折している。
生まれて初めて、私は痛みで涙を流した。
すると、サイレン音とスピーカーの叫びが鼓膜を直撃した。
「■ ■ ダ ム 水 源 林 保 安 員 の 皆 さ ん
意 識 が あ る 方 は ど う か 合 図 を 送 っ て く だ さ い!!」
声の主は、林業機械にして私の同僚であるイワフジだ。
山小屋が吹っ飛んだので、そこにいた仲間の安否を確かめてくれているらしい。
「います、私ここにいます!」
「声 を 出 せ な い 状 態 な ら ば
通 信 デ バ イ ス を 鳴 ら す
手 を 振 る ! モ ノ を 叩 く !」
「だから、います!
横に埋まってるのに気づいて!」
「動 け な い 状 態 の 方 も ど う か 諦 め な い で」
「さっさと気づけ!」
「あ い た っ !」
◇ ◇
「……そーっと、どけてくださいね? 右脚、多分、折れてるので」
「了解。体に当たらないよう、少しずつ除去します。」
イワフジと呼んでいるこの林業機械は、フォワーダーと呼ばれる機械に分類される。
外見は背の低い軽トラで、タイヤの代わりにゴム製キャタピラを履いている。
切った木などを荷台に積んで運ぶのが仕事だ。
そしてイワフジは木を積み込むための鉄の腕・グラップルローダーを備えている。
この時代の機械は大抵人工知能付きで、人間並みの受け応えができ、
よほど難しいことでければ自動でやってのける。
お陰で、操縦者なしでもその鉄腕で私の下半身を掘り返してくれるという訳だ。
「イワフジ、ありがと」
「右脚を見せてください……やはり折れていますね。応急処置マニュアルを前面ディスプレイに表示します」
イワフジは山仕事にありがちなケガの対処も教えてくれる。
というか普段の仕事の段取りに関しても、イワフジたち、機械の方が詳しい。
「当て木はその辺の枝でも持ってくるとして……」
「布は山小屋の残骸を探してみるしかないでしょう」
「……あと、他に生きている人も」
「それは、望み薄ですね……"安全ピン"の反応が一つも残っていないのです」
「私も?」
「はい」
私の頭には、"安全ピン"と呼ばれる電極が生まれつき刺さっている。
頭頂部から脳幹まで、タンポポの主根のように深く根を下ろし、
脇から無数の光ファイバーの側根が延びている。
生きていれば、"安全ピン"から電波が発せられてイワフジたちに届くはずである。
だが、イワフジが言うには生存者の反応は、ゼロ。
故に、望み薄なのだという。
私はイワフジに運ばれて崩落地から離れた木陰で、遠目に彼が働く様をながめていた。
なぜか、どうしても、彼を手伝わなければならない気持ちに駆られていたが、
右脚の痛みがそれを許さなかった。
ざっと100メートルの幅の崩落跡でグラップルを上下させるイワフジ。
私を助け出した時には頼もしく感じたあの鉄腕だが、
小さな野球場ほどに広がった崩落土砂を掘り起こすにはあまりにも小さい。
陽が高くなり、木陰越しでも晴天の太陽がジリジリ熱を上げだした頃だ。
イワフジは私のもとにゴロゴロとキャタピラを転がしてやってきた。
荷台に、どうにか掘り出すことができた物資と、物言わぬ人の形を積んで。
「……槇田さん」
右脚があらぬ方向に曲がった、筋肉質の男性。
首から全身が茶色い泥にまみれている。判別が付いたのは、辛うじて首から上が埋まらずに済んだからだ。
「エマージェンシーキットを探す過程で、偶然見つけることができました。
……既に事切れています」
「他には見つからなかったの? 鋼さんや、新宮さんは?
機械のひとたちは? コウベさん、コマツさんは?」
「残念ですが……全員を探し出すより私のバッテリーが切れる方が早いでしょう」
「そんな、ほら、ソーラーパネルも、小型バイオマス発電機も掘り出せたんだし」
思わず立ちあがろうとして、足が痛み、言葉が止んだ。
「痛った」
「そのケガはふもとの町で本格的な治療を受ける必要があります。
……こうして見つけ出したキットはあくまで応急処置であることを忘れないように」
「……槇田さんたちは」
「"安全ピン"の反応も、他の知能重機の反応も無し。諦めてください」
「……頭では、わかってるんです。
けど、彼らを、このままにして良いのか、って。わからないんです」
「ではせめて、槇田氏だけでも埋葬しましょう。
正式な葬儀は、ミクニさんが完治してから、その後に」
イワフジがグラップルで穴を掘り、槇田さんの亡骸を横たえ、土を戻す。
土の盛り上がりができたところに、小屋の残骸の丸太を立てた。
「マイソウ、って、これでいいのかな」
「今はこうするほかないのです」
◇ ◇
私はマニュアルどおりに折れた脚に当て木を結び、エマージェンシーキットにあった痛み止めを飲んだ。
食料もあったのでそれも口に放り込んだ。
「これ、いつものやつ? おがくずとかじゃないの」
「正規品の、いつもの固形食料です。
やはり、"安全ピン"の機能が停止しているせいでしょう」
「コレ、そういう機能もあるんですか」
「人によって好みはまちまちですし、その日によって食べたいモノも変わります。
だったら、"安全ピン"から延びる光ファイバーで味覚中枢を刺激した方が合理的でしょう」
「ひっど」
「そう感じるのも、もはや助からない同僚に執着するのも、"安全ピン"が壊れたせいでしょう。
……極めて珍しいケースです」
「珍しいんだ」
「脳幹に直結している電極です。装着中に破損して生き延びた例はどこのデータベースにもない」
ミクニは丸太組みの急造の支柱に
イワフジにも無線通信は搭載されているが、崩落の衝撃で不調を起こしているらしい。
遠くへの通信は不可能だという。
"安全ピン"が壊れた私も同じだ、基地局との通信は不通、きっと死んだことになっている。
つまり、助けは来ないし、呼べない。
ふもとの町までは休みなしで県道を歩いて10時間。
今の私は歩けないからイワフジに運んでもらうしかないが、
発掘作業のおかげでバッテリーの残量はわずかだ。
私たちが寝そべる傍らでは、蚊取り線香の煙がたゆたい、
鉄製のミカン箱――バイオマス発電機がバタバタと駆動音を上げている。
本来は炭焼小屋で造った木炭を燃やすべきなのだが、今回は掘り起こした小屋の残骸をそのまま燃やしている。
灰分やタールが余分に発生して部品寿命が縮むのだが、致し方ない。
今日はこうして、イワフジの充電で過ごすことにする。
私の食料は3日分はもつ。――味を別にすれば。
――一生これだけ食べても飽きないと思っていた固形食料だったが、もう飽きた。
思えばこうして何もせず転がっているだけ、という日も、久々だ。
私は、私たちは、来る日も来る日も下草を刈って、育ちの悪い木を間伐して、そうして過ごしてきた。
この湖の周りだけでなく、山から山を渡り歩いて森を整え続けてきた。
◆ ◆
がくん、と、空中に放り出された気分だった。
頭の中の火花と、体を延々と無理矢理に膨らまされる苦痛から解放されたときは。
その時初めて、私は自分が人間大の試験管で培養液に浸されていたことを知った。
見渡せば、私のと同じような試験管が、視界の届く限りに広がっていた。
私は試験管から放り出されるとすぐさま、白衣にマスク、衛生帽をかぶった顔も見えない誰かの声に呼ばれ、他の試験管生まれたちと列を組んでどこかへと通された。
やや広い部屋に通されて、音が鳴ったらボタンを押したり、
離れたところから輪っかの切れ目を当てたり、体を曲げ伸ばしたり、飛んだり跳ねたり、回るベルトの上を走らされたり、どうやら体の出来を検品していた、ということらしい。
次は殺風景な白い部屋に通され、私たちは電子ペーパーとペンを渡され、表示された文字の読み書きを試されたり、数字や数式を書かされたり、箱が積まれた絵から数を当てさせられたり――今度は頭の出来を検品していたらしい。
途中、明らかに体の動きがギクシャクしていたり、ペンが動かない者がいて、
彼/彼女らはすぐさま電源が落ちたように座りこんで動かなくなり、白衣たちに運び出された。
私達のうち、2割くらいはそうだった、という記憶がある。
運良く8割の側にいた私は、山の中に送り出され、
草木を切ったり機械を操縦したり直したりする役目を与えられた。
◇ ◇
「ミクニさん。そろそろ出発しましょう。2日前の予報ですが、本日の予想最高気温はふもとの町で46度。
標高を考慮しても日中の運動は非常に危険です。移動するなら夜明けと夕暮れです」
「わかったわかった……どうせ移動するのはイワフジなんだけど」
「私も直射日光にさらされれば同じです」
イワフジは荷台にソーラーシートを被せ、発電機や焚き木などを満載し、出発の準備を済ませていた。
私が運転席によじ登りシートに座ると、静かにモーターを駆動し、ガタガタと履帯を鳴らして、泥にまみれた道なき道を進み始めた。
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