最終話 大切なきみに小さな花を
そして、ルーナたちが来店した日の夜。
昼間の出来事が忘れられずに目が冴えてしまった水晶は、カーディガンを羽織って外に出た。澄んだ夜空に満月が美しく浮かんでいる。
水晶は月と星を見上げた後、ふと自分以外にも外に出ている人物がいることに気が付いた。彼はこちらに背を向け、庭に置かれたベンチに腰掛けている。
彼の後ろ姿に、水晶は胸を高鳴らせた。ただ見惚れてしまったが、深呼吸をして声をかける。
「アンバー」
「水晶、どうかしたのか?」
「アンバーこそ。わたしは……ちょっと眠れなくて」
「奇遇だな。俺もだ」
「そう、なんだ」
「ああ……」
「……」
何となく会話が続かず、二人共押し黙ってしまう。
しかし、水晶が「くしゅん」とくしゃみをしたことで状況は緩和された。アンバーは水晶を手招きし、隣に座らせた。
「春とはいえ、寒くないか?」
「カーディガン羽織って来たから、平気」
「そっか。……あのさ」
「ん?」
水晶が目を瞬かせると、アンバーは月を見上げたままで言葉を続ける。
「水晶を見ていたら、俺ももう一度剣を握ってみようかと思えるようになった。あの頃とは違う気持ちで剣を使えば、きっと大丈夫だと思う」
「うん。でも、無理しないで」
「大丈夫。……水晶がいてくれるなら」
「え?」
アンバーの後半の言葉が聞こえず、水晶は聞き返す。
水晶に問われ、アンバーは自分が発した言葉の意味に気付いて赤面した。無自覚に発していたものが、本音の呟きになってしまったのだ。
「やってしまった」
前髪をかき上げ頭を抱えるアンバーに、水晶はかける言葉が見付からない。どうしたものかと戸惑っていると、アンバーは大きく息を吐いた。
「水晶、聞いて欲しいことがある」
「何……?」
アンバーの真剣な声色に、水晶の胸がドクンと高鳴る。彼にじっと見詰められ、水晶の心臓は大きく跳ねた。
「あの、アンバー?」
「これを、渡すかどうか迷ってたんだが」
「これ……栞?」
目の前に差し出されたものを見て、水晶は目を見開いた。
アンバーから手渡されたのは、優しい桃色をした五枚の花びらを持つ花の押し花を栞にしたもの。可愛らしい丸っこい花びらが、薄黄色の紙に貼りつけられている。花の上部には花と同じ色のリボンが結ばれていた。
思いがけないプレゼントに、水晶は嬉しい気持ちになると同時に狼狽えた。これが意味することが何かわからずにいたが、ふと昼間の出来事を思い出す。
「ルーナが、今日は花の日だって」
「そう。……ルーナに言われて、気付いた。花には色んな意味が付けられていて、それも加味して贈る花を選ぶのが慣習だ。俺は花には疎いんだが……」
言葉を切り、アンバーは水晶の様子を窺う。水晶も、この世界の植物にかんして知識が多いわけではない。大切そうに栞を手で包む水晶に、アンバーは自ら告げる覚悟を決める。
「それはこの国で……『永遠の愛』を意味する花なんだ」
「永遠の……愛……。えっ、それって」
「俺は、水晶が好きだ。いつか元の世界に帰ってしまうとしても、この気持ちは伝えておきたかった」
「アンバー……」
ドクンドクン、と水晶の心臓が脈打つ。夜でもわかるほど顔を赤く染めた水晶に、アンバーは自分の胸の音を耳元に感じながらも言葉を続ける。
「水晶だからこそ、何があっても護りたいと思う。一緒にいることが幸せで、ずっと一緒に……って、何言ってんだ俺」
もう寝よう。恥ずかしさに耐え切れなくなったアンバーが、急にベンチから立ち上がる。水晶の顔も見ずに家に戻ろうとしたが、そんなアンバーの服が何かに引っ張られた。
アンバーが振り返ると、伏し目がちになって彼の服を摘まむ水晶の姿がある。
「たぶん、わたしはもう向こうに戻れない」
「え?」
「戻り方も調べたけど、全く何処にも書かれてないんだ。きっと過去に、わたしと同じ経験をした人はいないんだろうね」
出来る限り淡々と落ち着いて見えるよう、水晶は努力して話した。二度と十九年を過ごしたはずの世界に戻れないということは、自分が思った以上に衝撃が大きいはずだ。
しかし今、その悲しみ以上の驚きと喜びが水晶の心を覆っている。
「……でもね、わたしはアンバーと逢えたから。きっと、この世界で生きることが正解なんだって思えるよ」
「それは、どういう意味だ?」
「――貴方が好きなの、アンバー。剣を握る強さはないけれど、わたしは貴方の心を護りたい。だから……きゃっ」
本心を打ち開けた水晶の細い体が、アンバーの腕の中に収まる。全身が心臓になったかのように緊張していた水晶だが、密着したアンバーの胸からも同じような早鐘が聞こえて来るのに気付いた。
熱い腕に抱かれ、水晶の体は沸騰しそうな程に熱を持つ。
「――っ。あ、アンバー」
「こんなことを思うのは、もしかしたら非常識かもしれない。だけど、お前が戻れないと聞いて、俺はほっとしてしまった」
「……」
「本当は、元の世界にいた方が幸せに過ごせただろうに。それを心から祝える気がしない。ごめん」
「謝らない、で。わたしは……っ」
「!?」
アンバーが目を見開く。何が起きたのかわからず、ただ顔だけでなく首まで真っ赤に染めた。一瞬柔らかくあたたかいものが触れた唇を手で覆い、硬直してしまう。
「み、ずき……今のっ」
「えと……大好き、アンバー」
はにかみ、水晶は自らアンバーの胸に飛び込んだ。
アンバーもまた、愛しい人を優しく抱き留める。そしてもう一度、どちらともなく唇を重ねた。
栞となった愛の花が、二人の絡み合った指の間で夜風に揺れる。
互いの体温を感じながら寄り添う二人を、月が見守っていた。
秘文字読解士は世界の真実を解き明かす 長月そら葉 @so25r-a
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