エピローグ
第23話 花籠の意味
季節は過ぎ、水晶がセイントゲーテにやって来てから一年が経過した。
その間、水晶はアンバーに内緒で日本に戻る方法はあるのかと探し続けていた。アンバーの祖父の古書をあたり、図書館で調べて、自由に行くことを許された王宮の書庫へも通って。しかし戻る方法はおろか、そもそも異世界からの転移者の記録が全く存在しない。
気持ちの良い風の吹く春の午後、水晶は店番をしながらとある古文書を解読していた。そして、ふと意識が本とは別へ飛ぶ。
「わたしはここにいても良いってことなのかな」
日本に未練がないわけではない。家族もいたし、友達もいた。それでも今、水晶はこの世界に残ることを望んでいる。とはいえ、望むことと覚悟することは別の意味だ。
「……そろそろ、覚悟は決めないといけないだろうな」
「何の覚悟だって?」
「わわっ! アンバー」
「真剣な顔してどうした? 異能の使いすぎで疲れたんじゃないか」
「ううん、大丈夫。最近、力を使うのに慣れたのか、持続時間が伸びてるんだよ」
胸を張る水晶の言う通り、異能の発動時間は一時間から三時間程へと飛躍的に伸びていた。ただその分消耗が激しいことを知っているアンバーは、素直には喜べない。
嬉しそうな水晶に「それは知ってるけどな」と苦笑を向け、アンバーは彼女の手元を覗き込んだ。
「それは?」
「アンバーのお祖父さんが残した本の一冊だよ。物語の執筆が落ち着いたから、読ませてもらってた」
「ふぅん。原稿は?」
「それはこっち」
水晶は、横に避けていた原稿用紙の束を差し出す。総数百五十ページに渡る物語は、グルナが教えてくれた史実を小説化したものだ。主人公をグルナをモデルにした妖精の女の子にし、彼女の視点から歴史を暴き出す。
アンバーは差し出された原稿を受け取り、目を通す。半分以上は既に読んだ内容だが、最後まで書き終えていたとは知らなかったのだ。
「……『少女は願った。限りなく可能性は低くとも、いつか妖精と神々の物語を未来へ繋ぐ者が現れることを。願い終わると、少女は血だらけの手、傷付き割れた心を抱え、深く永い眠りへと落ちたのだった。』か」
水晶が書き綴ったのは、一人の妖精の戦記。突然の人間による侵略、仲間の死、そして滅亡。激動の戦いの記録が、その物語の中に見事に表されていた。
そしてわずかな未来への希望を胸に、永久に近い時間を待ち続けることを選ぶ一人の少女。ただ悲しいだけではなく、彼女の心の強さをも感じられる物語となった。
「どうしても、ハッピーエンドには出来なかった。だけど、ただのハッピーエンドじゃグルナの遺志は残せないから」
「俺は良いと思う。……戦いであいつの心に触れたからわかる。身を削られるような、裂き殺されるような痛みを抱えて、グルナはこの時代まで眠っていたんだ」
「うん……。これ、フロートさんに届けたいんだ。明日、一緒に王宮に行ってくれる?」
「わかった。フロートへの連絡は?」
「もう済んでる。いつでもおいでって」
「そうか」
満足げな水晶の笑みに感化され、アンバーも微笑を浮かべる。それから水晶の手元に読んでいた古書と共に幾つかの資料が置かれているのを見て、アンバーは肩を竦めた。
「それを提出したら、次は歴史書か。何か出来ることがあったら、何でも言えよ? 俺に出来ることなら協力するから」
「うん。……あの」
「何だ?」
不意に俯き何かに迷う様子を見せる水晶に、アンバーは首を傾げた。尋ねても「ええと」と要領を得ない返事しか返って来ない。不思議に思ったアンバーだが、辛抱強く待つことにした。
(言え! 言うんだ)
アンバーにじっと見詰められ、心臓の早鐘が限界に達した水晶は、思い切って息を吸い込んだ。そして声を出そうとした瞬間、店の戸が開く。
「こんにちは! おにいちゃん、おねえちゃん」
「こんにちは。あらあら……お邪魔だったかしら?」
元気良く店に入って来たのは、何故か両手を背中に隠したルーナ。そして水晶とアンバーの硬直具合を見て察した老女は、ルーナの祖母であるガートであった。
にまにまと微笑むガートに、アンバーは急いで平静を装った。
「邪魔だなんて、そんなことありませんよ。いらっしゃいませ、ガートさんとルーナ。今日はいつもよりも遅かったですね?」
「ええ。ルーナがお花屋さんに寄りたいときかなかったものだから。ね、ルーナ」
「うん!」
勢い良く頷いたルーナが、未だに頬を赤らめている水晶の所へと歩いて行く。それに気付いた水晶がルーナと目を合わせるために腰をかがめると、ルーナは「はいっ」と水晶の目の前に何かを差し出した。
ふわり、と黄色い花びらが舞う。水晶の手に置かれていたのは、両手に収まる籠に入った美しい花束だった。
「これ……花籠?」
「そう! あのね、今日は『花の日』なんだよ」
「花の日?」
「花の日はね、大好きな人にお花を贈る日なの! おにいちゃんも、おねえちゃんにもうあげた?」
「えっ」
声を上げたのは、突然水を向けられたアンバーだ。アンバーはガートたちへ出すお茶とお菓子を用意していたが、思わず個包装されたクッキーを一つ取り落とした。
「な、何言ってるんだルーナ!」
「え? だっておにいちゃんとおねえちゃんって付き合ってるんでしょ?」
「「へっ!?」」
同時に素っ頓狂な声を上げた水晶とアンバーの様子を、ガートは訳知り顔で見ているだけだ。ただ静かに、お茶をすすっている。
大慌ての二人を見上げ、ルーナは首を傾げて「違うの? すっごく仲良いのに?」と不思議そうだ。
「いや、そういうのはまだというか何というか……」
「ほ、ほらルーナちゃん! お菓子おいしいよ!?」
「うー? うん、食べる!」
見事ルーナの意識をお菓子に逸らすことに成功した水晶は、ほっと胸を撫で下ろす。そしてちらりとアンバーの様子を見れば、彼もまた顔の熱を冷ますために手で
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