第22話 騎士団を辞めたわけ

「執筆は順調か?」

「アンバー。お茶? ありがとう」


 とある日の午後。歴史書と物語の執筆に集中していた水晶は、お茶とお菓子を持ってきてくれたアンバーと共に作業を中断した。

 もともとアンバーの祖母の部屋だったが、今は水晶の色が濃い。古文書の解読を仕事としたことで、アンバーに頼るだけの暮らしではなくなっていた。

 今日も傍に常連客ルーナとお揃いのうさぎに似た動物のぬいぐるみを置き、美味しそうにお茶をすする。そんな水晶を見ていたアンバーは、軽く息をつくと真剣な顔で「なあ、水晶」と話し掛けた。


「どうか、したの? 顔色少し悪いみたいだけど……」

「柄にもなく緊張してるらしいな。……水晶、この前お前に勲章を見せたことを覚えているか?」

「うん、赤いリボンのだよね。何か、嫌なことでもあったの?」

「……そうじゃない。いや、そうとも言えるか。相変わらず、お前は優しいな」


 苦笑を洩らし、アンバーは首を横に振った。


「あの勲章について、水晶に話そうと思って来た。お前があれだけ頑張ったのに、俺が隠し事し続けるのは誠実じゃない気がしてな」

「うん……聞くよ」

「ありがとな」


 アンバーはコップのお茶を半分ほど一気飲みすると、それを机に置いて指を組んだ。水晶もまた、軽く上半身を前に傾けて聞く姿勢を取る。


「……俺は、二年程前まで王国騎士団の一員だった。フロートが同僚だとは話したが、毎日騎士として腕を磨き、時には警邏の真似事もしていた。ある日、俺たちはある獣の討伐を命じられた」


 人に害をなす獣の討伐依頼は、それまでも何度かあった。今回もその類いだろう、と誰もが思っていたのだが。


「あれは、異常な熊だった。全身が鋼で包まれたように硬くて、爪は鋭く赤黒い。今思い出しても、身の毛がよだつような。……今考えればおそらく、魔障ましょうを受けた熊だったんだろうな」

「魔障?」

「この世界には、太古の魔法の力がわずかに残る場所が幾つか存在する。その場所のことを魔障と呼んでいるんだ」


 魔障のある場所には近付くな。それが、この世界に住む人間の基本ルール。しかし、基本ルールも人間のものであるだけで、野生動物は容易に触れられる。

 魔障を受けた動物は、凶暴性を増し、逃げも隠れもせずにただ襲い掛かって来る。それを止める唯一の方法は、倒すことだけ。


「二十人いた王国騎士が、全員本気で戦った。しかし……生き残ったのは、俺一人だ」

「そんな……」

「フロートはその時、別件で国外に出ていて知らなかった。あいつ以外にもう一人、親友と呼べる奴がいたんだが……あいつは、俺を庇って死んだんだ」

「……っ」


 淡々と話すアンバーの目が、わずかに揺れる。感情を押し殺して事実のみを語るアンバーの姿に、水晶は涙が出そうになった。喉が震え、思うように声が出ない。

 ただ水晶は、黙って震える指でアンバーの袖を摘まんだ。

 アンバーはただ、されるがままになって話を再開する。


「あいつは、カイは、熊の咆哮にびびって動けなかった俺を突き飛ばして、爪で斬り裂かれて死んだ。……目の前で倒れて、俺はそのまま看取ることしか出来なかった。俺は悔しくて悲しくて……気が付いたら、熊は八つ裂きになって死んでいたよ」

「それは……アンバーが?」

「たぶん、な。その間の記憶は飛んでて、覚えていないけど」


 ゆるゆると首を横に振り、アンバーは苦く笑った。その笑みすらも痛々しく、水晶は思わず隣に腰掛けるアンバーに抱き付いた。

 震える水晶の背を撫で、アンバーは「ありがとう」と呟く。自分よりも細く小さな少女が、自分のことのようにアンバーのことを思い涙する姿に救われる思いがした。

 そのまま、アンバーは話を締め括る。


「人喰い熊を倒し生還したとして、俺は勲章を受けた。だけど時を同じくして祖父の死を知った俺は、もう騎士団に居たいと思えなくなっていたんだ。俺のせいでたくさんの仲間を失って、たった一人で栄誉を受ける自分が許せなくて。……フロートも団長も引き留めてくれたけど、俺には耐えられなかったんだ」


 見てくれるか。アンバーは水晶を自分から離し、シャツをめくった。

 そこに残っていたのは、袈裟懸けに付けられた大きな古傷。アンバーは「熊が倒れた後、激痛が走って。見たら、この傷から大量の血が流れていたんだ」と言う。

 水晶は褐色の肌だからこそ目立つ白く変色した傷痕をなぞり、痛くないのかと尋ねた。


「痛くはない。ただ、これを見る度に当時のことが思い出されて、痛むはずもない傷が痛むことはあるけどな」

「そ……っか」

「何でお前が泣いてるんだよ、水晶」

「だって――」


 もう、水晶は限界だった。アンバーに子どものようにあやされながら、肩を震わせて泣き崩れる。

 しゃくりあげながら、水晶はアンバーにしがみついた。


「アンバー、きっと苦しかったよね。体だけじゃなくて、心も痛かったよね。なのに、なのに……一緒に王宮に行ってくれてありがとう。剣を抜いて護ってくれて、ありがとう。わたしの傍にいてくれて、ありがとうっ」

「……俺も、お前には感謝してる。水晶がいなければ、俺はもう一度剣を取ることはなかっただろうし、誰かを心から護りたいって考えることもなかったから」


 優しい言葉が、水晶の心に染み込む。それはアンバーにとっても同じか彼女以上であり、アンバーは強く水晶を抱き締めた。もう二度と大切な者を失うまい、と誓うように。

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