戻る西の虎、去る私

 四方を司る神のうち、西の守護神。白い虎の姿。歴史も伝承も何も知らない私でもわかったのは、姿のわかりやすさ故かもしれないし、背を震わすような威圧のせいかもしれない。この震えは、きっと畏怖だ。

「え、え。本物? 本物の神様? 虎ノ門だから白虎なの」

 虎ノ門の地名は白虎に因むと、青年は言っていた。虎ノ門の守護神が現れたということだろうか?

「四神ではないですし、正確には白虎じゃないですよ」

 青年の答えに白虎が、じゃかあしい、と声を上げる。

 って言うか喋れるんだよな、この神だか虎だか。

「どこにでもいる様な土地神です。虎ノ門に因んで分かりやすく白虎の姿をしてるだけで」

「ごめん、難しい話はよくわからないです」

「四神なんて神話レベルの神と並べるなんて、恐れ多いって程度の神さんですよって話です」

 やっぱりよくわからない。とりあえず、悪いものではなさそうだけれど。


「一応、土地を守る力はある神様です。だからそう易々と、虎ノ門を離れて遊びに行くなって言ってるのに」

『ここ数日の虎ノ門は、ずいぶん静かだからの。人が少なくて、暇だったんだわい』

「そのせいで、小物とはいえ悪鬼なんか湧いて悪さしてるじゃないか」

 虎ノ門の神様は、銅製の白虎を一睨みする。

『こんな小鬼にちょこまか悪戯されるとは、こんぴらさんも怠慢じゃの』

「名のある神様が、小鬼ごとき相手にするかっつうの。それはお前みたいな、地に根付いた神様の仕事だろうが」

『おうおう。確かに尊き御方に、神通力を使わすまでもないわ』

 白い毛並みが、ざわりと逆立つ。

 白虎は咆哮を上げた。

 銅像から、小さな黒い塊のようなものが飛び出る。

 神が吠えた。

 その声はいかずちであり、悪鬼を打ったのだ。

 人間が意地と体を張るまでもなかった。

 地を守る神の一声だけで、悪しきものは去って行く。

 気づいたら白虎の彫刻は鳥居の元の位置にあって、傷ひとつなかった。物理的に形あるものが移動したりふっ飛んだりしたのかも、もはやわからない。


「お姉さん、大丈夫ですか」

「はあ、多分」

「職務怠慢な土地神さんもいたもんで、怖かったでしょ」

『なーにを生意気な、小僧が』

 神様が人間を小僧呼ばわりするのは、わかるけど。この男の子、何者なんだろう。神様相手に、ずいぶんと軽口だ。

「えーと、君はあれかな。霊媒師とか? あ、神様と話してるし、神職の方か何かかな」

 なにか、とてつもない秘密とかがあるんだろうか。

「んー。なんていうか、こういうのを惹きつける人間です。体質?」

「なにそれ。霊感強くて寄ってきちゃう人とか、そんな感じ?」


「お姉さんも、惹きつける人間にジョブチェンジしたかもですね」

「はあああああ?」

 のんびりと笑って告げられた物騒な言葉に、私は声を上げる。

「もともとそういう素質が、あったんだと思いますけどね。東京タワーで一緒になった時、なんとなくそういう気配がしましたもん、お姉さん」

 いや待て。私も君に何かしらの気配、みたいのを、感じたわけだけど。今まで別に霊を見ちゃったりとか超常体験したりとか、そんなことはなかったんですが?

『大きな力に触れると、一気に目覚めることもあるからの』

「いらないんですけど、そんな目覚め!」

 思わず神様に食ってかかってしまった。

 すんごい罰当たりかもしれない。でも、男の子も神様相手にずいぶんフランクですし。いやまって、そんな軽々しく、神様と縁なんか結ぶのは怖すぎないか。

『どうだ娘よ、虎ノ門は良い土地ぞ。我と共にあるならば、守護してやろうぞ?』

「虎ノ門は家賃相場からして私の財政が破綻するし勤務地としても今後縁があるかわからないので無理です!」


『神の結ぶ縁は強いぞ』

 就職口と縁結びしてくれるってんなら、ありがたいですけどね!

 半ばやけくそになりながら、それでも都合のいい願いを叫ばなかっただけ、私は偉いと思う。

『ほほう、奉公先を望むか』

「なんか心読まれてるー!」

「一応、人の願いを聞くことができるのが神様なんで」

 ああだったら、聞き届けてもらえる、んだろうか。

『まあ我らでも、人間の決めることに直接手出しすることはできんけどな』

「でしょうね!」

 知ってる、わかってる、そんなこと!

 困った時の神頼みは人間の勝手で、信じるものは救われるかもしれないし捨て置かれるかもしれない。

 こうして対面して、神様なんていないと否定する頑固さを、私は持ち合わせないけど。

 それでもやっぱり人間は、自分自身の足で歩いて。時に周囲の人とかが伸ばしてくれる手をよすがに、進んでいくしかない。


「……コーヒー飲みたい」

 ビルの谷間の白々しい夜空を見上げる。

 お盆は動きが鈍いだろうけど、転職サイトの情報を『紹介停止』から『紹介希望』に切り替えて。履歴書を作り直して。

 神様には、そんなことはできない。

 結局は神様より、コーヒーのほうが救いになるのかもしれない。

「コーヒー、飲みに行きますか」

 虎ノ門の神様を傍らに、男の子が言った。

『どうして人間は、わざわざ体に毒を入れるんかの』

「カフェインやアルコールの力を借りたい時くらい、人間にはあるよ」

『酒はわかる』

「アルコールは、俺、未成年なんで付き合えませんけどね」

 気を使う風でも、扱いに困った風でもなく、彼は自然に誘ってくれる。慣れているのか性格なのか、どちらにせよ罪作りなことだ、なんて思う。

「この辺、今日は全然お店開いてないよ」

「探せば多分、どこかしらあるでしょう」

『ひとまわり、探してやろうか?』

「そう言ってあちこち飛び回ろうとするの、やめような」

 事情は知れない。だけど神様と人間、いいコンビ、なんだろう。


「いいよ、わざわざ探さなくて。そうだな、コンビニの缶コーヒーとかでいいかな」

 男の子と神様は、そろって目を丸くした。

 やっぱり、息も合ってる。

「ここで飲む。この神社で、コーヒー飲んで一息つくのが好きだったの」

 ああ、名残惜しいな。本音で惜しいのが、職とか仮初の安定だったとしても。

『やはり娘よ、惜しむならこの地に根を下ろすのはどうかの』

「神様が就職エージェントを紹介してくれるか、家賃を毎月十五万程度、工面してくれるなら」

 私のひねくれた言動に、動じたわけでも無いだろうけど。虎の姿をした神様は、縞模様の耳をわずかに寝かせた。

「そんなことは神様だって、できないですよ」

「知ってる」

 その神様の役目は、虎ノ門を守ることだもの。

 摩天楼の谷間に、神様のおわすところ。ビルの真下の大鳥居、突っ切る参道を抜けるのはビル風か神風か。四神の寄り添う銅の鳥居から眺める社殿、その境内で飲んだコーヒーの苦味。

「せめて一杯、付き合って」

 神様はなにをしてくれるわけでも、ないかもしれないけど。

 この地での最後、ささやかな願いをかけたって良いだろう。

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西の虎は消えた いいの すけこ @sukeko

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