手を振る人

月浦影ノ介

手を振る人




 これは夏美さん(仮名)という、三十代の女性から聞いた話だ。

 

 夏美さんが中学二年生の夏休みのこと。ちょうどお盆に入る直前だったという。

 テニス部の練習を終え、友達と一緒に帰宅する途中、夏美さんはふと、離れた場所からこちらに手を振る人がいるのに気付いた。

 

 田舎町の、周囲を田んぼに囲まれた一本道である。田んぼを挟んで百メートル近く離れた、小さな山の麓。そこに誰かが立って、夏美さんたちに向かって熱心に手を振っている。

 遠目でよく分からなかったが、白い着物を着た七十代くらいのお婆さんに見えたという。

 知り合いだろうか。それにしては見覚えがない。小さな田舎町なので、地元の人ならだいたい分かるはずだ。

 お婆さんはずっと手を振り続け、ニコニコと笑っている。

 

 両親の知り合いなのかも知れない。そう思った夏美さんは、お婆さんに向かって軽く会釈をした。

 「何やってんの、夏美?」

 ふいに友達に呼ばれ、夏美さんは振り返った。

 「あのお婆さんが手を振ってるから・・・・」

 そう言って夏美さんが山の麓を指差すと、そこにはすでにお婆さんの姿はなかった。

 代わりにあったのは、小さな墓地である。山裾の木々に隠れるようにして、古い墓石がひっそりと並んでいる。

 

 それを見て、夏美さんは思わず背筋がゾッとした。

 

 「あれ? あそこに白い着物を着たお婆さんがいたはずなんだけど・・・・」

 「ちょっとやめてよ。気持ち悪い・・・・」

 友達が本気で嫌そうな顔をするので、夏美さんはゴメンと謝った。

 さっきのお婆さんは、自分の見間違いだろうか?

 釈然としないまま、夏美さんは帰宅したのだった。


 その夜のことである。

 夏美さんは居間のソファに寝そべって漫画を読んでいた。

 家の中には夏美さん一人である。両親は親戚の法事で出掛けていて帰りは遅くなるというし、高校生の兄は友達とバイクで遊び歩いている。

 

 突然、玄関のチャイムが鳴った。 

 壁の時計を見ると、八時を少し過ぎた辺りだ。こんな時間に誰だろう? 両親が帰宅したなら、自分で鍵を開けて入って来るはずだ。

 もう一度、チャイムが鳴る。

 夏美さんは不審に思いながらも、玄関へ向かった。

 夏美さんの家の玄関は、横に開くスライド式の格子戸で、磨り硝子越しに玄関先に立った人の姿が映って見える。

 対応に出ようとした夏美さんは、上がり框のところで思わず立ち止まった。

 白い着物姿の、少し背筋を丸めたような人影が、磨り硝子の向こうにぼんやりと佇んでいたのだ。

 

 ───昼間、自分に手を振っていたあのお婆さんだ。

 

 夏美さんは、そう直感的に分かったという。

 

 おそらく生きている人間ではない。きっと付いて来てしまったのだ。でも、どうして自分の家へ?

 

 グルグルと思考を巡らせながらも、身体は硬直したように動かない。

 そのうち「・・・・ごめんください」という、くぐもったようなか細い声が、磨り硝子の向こうから聞こえた。

 「ここを開けてください」

 少し悲しげで、懇願するような声だ。

 夏美さんはその場に固まったまま、怖ろしさに一言も発せないでいる。

 黙っていると、また「・・・・ごめんください」と声がする。

 「ここを開けてください」

 さすがに幽霊を家の中に入れる訳にはいかない。そう思った夏美さんは、震えながらも気丈に大声を出して言った。

 「嫌です。ここは開けられません。帰ってください!」

 だが夏美さんの言葉を聞いていないのか、玄関先の白い人影はまた同じことを繰り返す。


 「・・・・ごめんください。ここを開けてください」

 「嫌です。開けられません。帰ってください!」

 「・・・・ごめんください。ここを開けてください」

 「嫌です。帰って!」

 「・・・・ごめんください。ここを開けてください」

 「嫌だって言ってるでしょ! もう帰って!」


 幾度となく押し問答が続いたが、白い着物姿の人影は一向に立ち去る気配がない。

 このままの状態が続いたら、いったいどうなるのだろう。痺れを切らした相手が、無理矢理にでも入って来ようとするのではないか?

 そう考えると、夏美さんは生きた心地がしなかった。

 「・・・・ごめんください。ここを開けてください」

 恐怖が極限まで達した夏美さんは、思わず大声で叫んでいた。

 「もうやめて! いい加減にしてよ! 私はあなたに何もしてあげられないの。お願いだから帰って!」

 そうして両手で耳を塞ぎ、目を閉じた。

 その瞬間、玄関の鍵をガチャガチャと開ける音がした。格子戸の玄関扉が、ズズッ・・・・と横に開かれる。

 

 夏美さんは悲鳴を上げた。だが、そこに立っていたのは帰宅した両親の姿だった。

 「ただいま・・・・って、夏美。あんた、こんなところで何やってるの?」

 訝しげな母親の問いに、夏美さんはその場にへたり込み、安堵のあまり泣き出してしまったという。


 「これは最近、知り合いから聞いた話なんですけど」

 一通り体験談を語り終えると、夏美さんは筆者にこんな話を教えてくれた。

 「世の中には無縁仏といって、亡くなっても誰にも供養して貰えない人が大勢いるんですよね。そういう人の中には、お盆になっても帰る家がないものだから、寂しくて知らない人の家に付いて行ってしまうことがあるそうです」

 

 ・・・・あの白い着物姿のお婆さんも、そんな無縁仏の一人だったのかも知れませんね。

 

 夏美さんはそう言って、この話を締めくくった。


 そういえば、今年ももうお盆の時期である。

 これを読んでいる皆さんも、無縁仏を自宅にうっかり招き入れたりなどしないよう、どうぞご用心ください。



                (了)

 

 

 



 


 

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