墜落した命は、果敢なき腹を空に向ける
「おい」
「なぁに? 先輩」
「あれは……死んでいるんだろうな?」
ガルフが指差す先には、荒れた道の真ん中にひっくり返っている蝉が一匹。一夜明け、本日向かう依頼は洞窟に棲む地竜を全て壊滅させる事である。生身の獣人と小娘に頼んでいい内容ではないのだが、この最強コンビであれば問題ない。
「さぁ? 無視して先進もーよ!」
「死んでいると納得するまでは進まんッ!」
「何で素通りも出来ないのさーッ!」
そして今日も虫一匹で立ち往生している。地竜の巣である洞窟は目前であるが、その前で死んでいるか生きているか分からない蝉が視界にいるだけで、ガルフの足が根っこになっている。
「だいたい先輩って、私の指摘で虫に気付く事ばっかじゃん! どーなってんのってハナシ!」
「俺は命の危険がある虫以外は、触れるまでは視界に入っても気付けんのだ!」
「はー? 竜弓類獣人ポンコツじゃん!」
「そんな事はどうでもいい! 早く、あそこから蝉を
「ぶーッ! あれは足が閉じてるから、多分死んでるよーッ!」
「その見分け方は信用出来んッ! 蝉を跨いだ瞬間にジジジと音を上げ、俺の方に飛んできた事例があるッ!」
「どっちみち、虫の息ってやつなんだから、気にしなきゃいーのに!」
「羽音を立てて暴れ回る可能性を無視できないッ! さっさとこの場から排除しろ!」
不毛な言い合いにしかならず、結局コレットはあの蝉をガルフの周辺から逃す事をするしかなかった。虫自体に耐性はあるようだが楽をしたい性格上、彼女にはこの役割が面倒で仕方がない。
とりあえずコレットは木の枝で、横たわる蝉をツンツンしてみる。——反応がない。動く様子もない。
「ほらぁ、死んでるって。動かなきゃ流石に平気でしょ、先輩!」
「いーやッ! 俺は油断しない。生きていると、仮定する!」
「この鳥オッサン、超めんどくさいよーッ!」
何を言っても通用しない為、コレットは両手で蝉を掬い上げる。ここまでしてもびくともしないので、死んでいる可能性は高いだろう。
しかしこのまま黙って従う彼女ではない。何か愉快を得なければと、蝉を見せつけながら後ろにいるガルフに迫る。
「どぅああッ! こっちに来るな——ッ!」
「ほーれ、ほーれ! 怯えろーッ! 私が動いて先輩だけが楽して棒立ちとか、納得出来ませーんッ!」
虫を押し付けられて逃げ回るガルフと、それを面白がって追いかけるコレット。辺りをぐるぐる回っていると、突如ドスンッと音を立て辺りの木が薙ぎ倒された。
「——うる——さい」
濁った声で唸りながら
「あ——ッせんぱぁい、グリズリーだよ、グリズリー! 超、怒ってるーッ!」
「いいからその蝉を遠くに捨てろ——ッ!」
「先輩が騒ぐから怒ってるんじゃーんッ!」
コレットから逃げ惑いながら、蝉を排除する事を指示するガルフ。騒ぐ下級種族に、グリズリーの怒りが逆撫でされる。
「——うる——さい」
ズンッと黒くて太い腕を上げ、それをガルフとコレットに向かって振り下ろした。のっそりとした動きで避ける事は安易だが、その破壊力は簡単に地面を陥没させた。二人は衝撃で吹き飛び、何回か瓦礫に衝突しながら倒れ込む。
「……ッオイ、蝉は捨てたんだろうな!」
「どっかいっちゃった♪」
あーらら、という具合にコレットはセミのいなくなった両手を広げる。二人共それなりにダメージを受けているが、緊張感の無い状態が続く。
「——じゃま——」
再び、グリズリーの腕が迫る。流石に追撃はひとたまりもないが、ガルフは行方を
——ジジジッ——鳥肌を誘う羽音にガルフの嫌悪的反射神経が、身体をその場から逃す。目の前にいるコレットを抱えて危険から逃す。窮地の中でも自分の存在を示す為、腹が震える命の轟音。あの蝉は——まだ死んでいなかったのだ。
そこにドスゥンッと丸太の様なグリズリーの腕が振り下ろされ、周辺を貫いて破壊した。魔物的な勘が働き、グリズリーは腕を上げて手のひらを覗く。
「なんか——ふんだ——」
それは生物を踏み潰した感触だった。しかし、埃ほど小さい存在が確認出来る跡は一切残っていない。むしろ、グリズリーにはどうでも良い事なのである。
「——起こした詫びに……もう一回、寝かせてやる」
ヒュンッと風を切って腕を見るグリズリーに迫ったのは、傷だらけのガルフだった。あまりの速さにグリズリーは反応出来ず、右腕のみで押された棍棒で額を突かれた。
「——だ……ッ⁉︎」
何も理解まま、グリズリーは意識がブッ飛び、白目を向いて仰向けにドサァッと倒れた。ガルフは片膝を付いて着地するが、息が上がっている。
「はぁあ……ッ、はぁ……」
彼は満身創痍だった。左腕はグリズリーの爪に裂かれてブランと脱力していおり、腹部には細長い瓦礫が突き刺さっている。ガルフはそれをブシュッと強引に引き抜く。
「せ……ッせんぱぁ〜い!」
土煙の中から、真っ白な衣装を身に纏うコレットが抜け出た。キョロキョロ見回し、蹲るガルフを見つけると慌てて駆け寄った。
「だぁ、大丈夫ですかーッ! ヒッ、血だーッ! 血抜きしなきゃーッ!」
「……なぜ、そう……なる……」
ガルフは激痛で気絶寸前だったが、次第に楽になっていく。コレットがなんとなく発動させている治癒魔法があっという間に苦痛を取り除いていくのだ。風穴があいた腹は綺麗に塞がり、感覚すら無かった左腕が動かせるようになると、その魔力の強さを改めて拳を握りしめた。
「——やはり……規格外の力だな……」
「まったくもーッ! 先輩が蝉一匹にずーっと怯えてたせいで、私達死ぬとこだったじゃあぁん!」
「ぬ……ッだ、だが……蝉が飛び出したお陰で、身体が動いてだな——」
「なぁーに言ってのさあッ! あんな攻撃、いつもの先輩なら簡単に避けられんのにーッ!」
頬を膨らませて不満をぶちまけるコレットに反論出来ず、ガルフは言われ放題である。実際ギリギリになるまで蝉に怯えていた。グリズリーを呼び寄せたのも不利的状況も、偶然生まれた隙も、全て虫一匹によって左右されていたのだ。
「うぅむ……」
「これに懲りたら、虫嫌い克服してよー!」
「不可能だ」
「なんでなのさーッ!」
ガルフは立ち上がり、棍棒を腰布に装備した。そしてどこかにいるであろう、蝉を探した。死体すら残らなかったと分かった今、先程まであった恐怖心が嘘の様に消えている。
「俺は——死ぬまで虫から逃げる」
「いい声で言ってもかっこ悪いだけーッ!」
「お前は虫を逃すか、消滅させる力を磨け」
そう言うとガルフは、何事も無かった様にグリズリーに荒らされた大地を進んでいく。コレットは、はぁーッと大きなため息をつくと、ガルフの隣に並んで歩幅を合わせる。
「あーあー。なーんで先輩は竜や魔物はあっさり殺せちゃうのに虫ってなると、こーもダメなんだろ!」
「知らん。無理なものは、無理だ」
「えぇー……まぁ、でもぉ〜。先輩が虫嫌いじゃなかったら、無双するだけの鳥オッサンで一緒にいてもつまんないなー……ってのはある〜」
「なんだそれは」
ガルフは周りでうろちょろするコレットを無視しながら、洞窟を目指して先程蝉が転がっていた場所を静かに通過した。
「虫がいるから、心失わず……みたいな⁉︎」
「意味が分からん」
「先輩、今ナメクジ踏んだよ」
「でぁああああぁあああ⁉︎」
「うっそー♪」
「く……ッ」
最強の戦士と天才の白魔道士。破格の力を持つあまり、人すら恐れる二人が歩む道には常に虫が潜み、乱入してくる。一方通行のガルフとコレットに愉快で、不快な逃げの選択肢を与えるのは、やはり——虫なのだ。
戦士とヒーラーは虫すら殺せない! 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR
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