故郷の歌を

 シェオルはずっと何も言ってこなかった。

「おれは勇者だ。それはずっと前からわかってる。おれが魔王を倒さないと、たくさんの人が魔物に殺されるんだ。でも……」

 自分を抑えられなくなるのがわかる。

「魂が魔王を倒せと叫ぶのに、おれはノアを殺したくない……」

 本当は叫び出したかった。あんなに優しかったノアをなんでおれは殺さなきゃならないんだろう。答えはわかってる。魔王がいるだけで魔物がもっと凶暴になって村や町を襲うからだ。だからおれはきっと何度生まれ変わっても魔王を倒すって決まってるんだ。

 シェオルがちょっと身動きをした。

「……では、殺さなければよいのでは?」

「はあ?」

 何を言ってるんだ、こいつ。

「おや。エデンさんだって殺したくはないのでしょう」

 金色の目は驚いてなかった。砂漠の国のかぶりものの隙間から銀髪が一束はみ出てた。

「そんな……できねーよ、そんなこと。おれがノアを殺さなかったら、代わりに何百人、何千人が死ぬかもしれないんだぞ? そんな自分勝手、魔王がやることだ」

「魔王が魔王のすることをして、何が悪いのですか?」

「あんたも知ってただろ? おれは勇者の生まれ変わりだよ。魔王の生まれ変わりなのはノアの方だ」

 頭が熱くなる。冷まそうとしてぶんぶん首を振る。

「エデンさんは勇者であり魔王でもある。ノアさんは魔王であり勇者でもある。そういうことかもしれませんよ」

 頭が真っ白になった。

「……証拠があんのかよ」

 信じられねえ。世界の運命をそんな簡単なことみたいに言うな。おれは女神様の光を授かった勇者で、ノアは魔物を従える魔王だ。証拠なんてそれで全部だ。他にあるなら教えてほしい。

「ありません」

 ぐさりと、剣で胸を突かれたみたいだった。

 ふざけんな。

 おれが叫ぶよりも早く、シェオルはぴんと弦を弾く。古いハープで知らない調べを奏で始める。

「砂漠の国では、双子は同じ魂を分けあって生まれてくると言われております。一方が罪を犯せばもう一方にも神の罰が下るので、双子が生まれたなら一方を殺すべきだ、とも……」

 シェオルは演奏に合わせて歌った。砂漠の国の歌語りだった。出てきた双子はおれたちに似ていた。どっちかが死ななきゃならなかった。だけどおれとノアとは違って、二人は違わなかった。おれは泣きたくなった。

「……ノアも勇者だったらよかったんだ」

 夜風が頭を冷やしてくれる。

「……静かな夜ですね」

 シェオルは演奏を止めた。ハープがりん、と音を残した。

「貴方が追っているものが伝説のままの魔王なら、ここはとうに死の砂漠となっていたことでしょう」

 信じていいんだろうか。

 ノアの中にあるのは魔王だけじゃなくて、おれの中にあるのも勇者だけじゃなくて、だから殺さなきゃならないと決まってるわけじゃないんだって、ずっと信じてみたかったことを信じてみてもいいんだろうか。

「……歌、聞かせてくれよ。あんたの故郷の歌がいい」

 いつの間にかシェオルの歌をもう少し聞いていたくなってた。

 シェオルはまたハープを弾く。おれの知ってる曲だった。さっきの曲とはぜんぜん似てない。静かで、ゆったりしてて、聞いてるとだんだん眠くなってくる。

「その曲は……」

 あくびをして思い出した。故郷の村の子守唄だ。小さい頃、ノアによく歌ってあげた。ノアが歌ってくれたこともあった。懐かしいけど、おれが頼んだ歌じゃない。

「砂漠の歌も、後ほど必ずお聞かせしましょう」

 シェオルは言った。

「貴方と、ノアさんのお二人に」

 おれは絶対にノアと一緒に生きて帰らなきゃならない。



 そして目の前にノアがいる。二度目の戦いだ。一度目にいた仲間はもういない。おれはたった一人で、ノアの魔法にかかって体が動かない。女神様の光で魔物は近づけないけど、そろそろ限界だ。

「ノア!」

 何も思い浮かばなくてただ名前を呼んだ。

 すると、ノアの顔が苦しそうに歪む。

「……双子の絆を利用したんだ」

 さっきまでと違う澄んだ声。優しいノアの声だった。

「僕が動かない間は、エデンも動けないよ」

 言われてみればノアは初めからずっと動いてなかった。魔王には魔物がいるけど今のおれには仲間がいないから、どっちも動けなければ魔王の勝ちなんだ。

 だけどノアはぐぐ、と力を入れて体を動かす。

「エデン、お願い。僕を……殺して……」

 転びそうになって、踏みとどまってノアを見上げる。憎しみと悲しみでいっぱいの顔をしてた。人間は醜いって言ったのは嘘じゃない。おれが魔王を倒す運命なのと同じで、ノアはきっと人間を滅ぼす運命で、何度でもそのために生まれ変わるって決まってるんだ。

「ノア……」

 剣をぐっと握りしめる。空に掲げて光を集めればノアを殺せるってわかる。きっとノアはおれにそうしてほしがってる。ノアには昔からそういうところがあったから。

「……今、助けてやる」

 部屋の隅めがけて剣を放り投げる。

「何をするの……?」

 まばたきをするノアに向かってずんずん歩く。

「ごめんな、ノア。おれ、お前と一緒に逃げようと思ってた。王国がどうなろうが、知ったこっちゃないって、思ってた」

 おれは力いっぱいノアを抱きしめた。

「……だめだよ、エデン。魔王を倒さないと、みんなが悲しむ」

 ノアはうつむいておれを押しのけようとする。やっぱり、魔王だけじゃないんだ。

「そうだな。魔王は倒すべきだ。力も、記憶も、心も」

 腕に力を込める。胸が熱い。女神様の光だけじゃない、もっと強い力が無限に湧いてくるのを感じる。光の洪水がノアに流れ込んで闇を吹き飛ばす。おれはもう絶対にノアを離さない!

「きっと、心だけ逆なんだ。力と記憶はおれが倒すから、心はノアが倒してくれよ。それから、旅に出よう。逃げるんじゃない。おれたちが、勇者でもなく魔王でもなく生きていける場所が、きっとどこかにあるはずだ」

 吹き飛ばした闇の向こうに小さな光を感じる。温かい光が、おれの熱い胸の奥の冷たい芯を溶かしてくれる。おれはノアと勇者の使命以外はどうでもいいけど、ノアはそうじゃないんだ。人間を憎みながらみんなの幸せを願ってる。だったらおれは、ノアの優しさを信じればいい。

 光はちょっとずつ収まって、朝の日差しくらいになった。ノアの体から力が抜ける。おれたちは一緒に大きく息を吐いた。顔を見合わせると、ノアはなんでか悲しそうに笑う。

「ごめん……エデン。僕が魔王だから……」

「……関係ねーよ、そんなの」

 懐かしい、悪い癖が出た。でも時間はたくさんある。おれはノアと一緒なら他に何も要らないんだって、いつか絶対わからせよう。



 北の果ての城を出ると知ってる顔が待ってた。

「シェオル!」

 ぶんぶんと手を振る。シェオルはハープを抱えてお辞儀をする。

「王国軍が近づいているようです。お早くお発ちください」

「そうするよ」

 おれを追放した王国はなんとか自分たちで魔王を倒そうとしてたみたいだ。ひょっとすると昔の仲間も来てるかもしれない。あいつらが空っぽの城を探し回るところを想像したら笑えてくる。見てみたいけど、ノアが危なくない方がずっと大事だ。

 ノアと一緒に行こうとして、ふと思い出して振り返る。

「でもその前に、約束だ」

 おれは約束どおり二人で生きて戻った。

 シェオルはついて来て、歩きながらハープをかき鳴らす。

「では、一曲だけ」

 そう言って弾き始めたのはあの夜と同じ曲だった。魂を分け合って生まれて、二人分の罪を負わないために一人が死ななきゃならない双子が出てくる、砂漠の国の歌語りだ。

「……殺されるはずだった双子の弟は母に救われ、遠い異国で、兄とよく似た青年に育ちます。そして、やがて二人は再会し……」

 シェオルは静かに双子の運命を歌い上げる。

「……同じ罪を分けあって、共に生きてゆくのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だから一緒に生まれてきたんだ 白沢悠 @yushrsw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ