呵責のランナウェイ

黒ーん

逃亡者

「グ、グァ……ま、さか……貴様のような若造に、たったの六日で我が軍勢が……壊滅させられる、とは……」


 倒れ伏し、驚愕と苦痛の表情をたたええ、怨嗟えんさの言葉を吐き出す巨人。それはこの世界を支配していた闇の軍勢の頂点である存在、魔王。


 対面したそのときにこそ、俺を見ては嘲笑ちょうしょうし、憤慨ふんがいし、絶大な力を立ち昇らせていたその面影は既に無く、四肢は千切れ、十の翼は落ち、三度に及ぶ変身形態は既に解けていた。


「だが、忘れるな……闇は、我こそはこの世界の半身……決して途切れることは無く……いずれ再び、この世界に――」

御託ごたくは良い、消え失せろ」


 手をかざし、収束させた光の束を最後の言葉も待たずに目の前の魔王に向かって放つ。すると地鳴りのような絶叫を上げながら、数刻前まで世界を支配していた魔王の姿は、遥か光の中へと消え去った。


 次第に雲間から降り注ぐ光明。空を全てを覆っていた黒雲が消滅し、この世界は光を取り戻しつつあった。


「……終わった? ……ほ、本当に?」


 振り返ると、そこには白銀の鎧を着た女性が佇んでいた。


「あぁ、終わったよ。だから、君はもう自由だ」

「……あ、ありが……ありがとう……私、私はこれからも……生きていて、良いのですか……?」


 彼女の名前はリーサリア・ニューク。絶対聖女。白銀の巫女。希望の創造者、などと勝手にまつり上げられた彼女は、長い時人類を支配し続けた魔王の支配を終わらせるため、人の手によって生み出された人造兵器だ。


 この世界の人類は身勝手にも彼女を生み出すと、その身に宿した対消滅ついしょうめつの力を行使させることで、件の魔王を滅ぼす算段であったらしい。


 ただ彼女一人を、犠牲にして。


 胸糞むなくその悪い話だ。きっと誰もが彼女のことなど見てはおらず、ただ世界を平和にする為の兵器としか見做みなさなかったのだろう。しかし、こうして顔をくしゃくしゃにして涙を流す彼女の姿を見たならば、決して誰一人として、リーサリアのことを兵器と呼べるものか。


「あぁ、そうだよ。君は今までの分も、そしてこれからの分だって、精一杯生きて良いんだ」

「……でも、でも私は……兵器、だから――」

「リサ」

「……あっ」


 肩に手を乗せ、真っすぐに彼女の顔を真っすぐに見る。その瞳はうるみ、頬は赤味を帯びていた。


「兵器は泣かない。その涙も、この暖かさも、君が人間だっていう証拠じゃないか。だから――」


 その先を言おうとした瞬間、左腕に巻いたバングルから、ピピピ、ピピピっと、機械的なアラート音が鳴り始めた。


「……ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ‼ あっ、ご、ごめん! もう時間が無くて、その……俺は帰らなくちゃいけないんだ‼ そういう訳で、君は兵器じゃないし、これからは好きに生きて良い‼ だから……と、とにかく頑張れ‼」

「えっ、えっ……? あ、あの、マサヨシ⁉」


 俺は腕のバングルをタップすると、慣れた手つきで完了のボタンを押した。すると次第に視界がブレ始め、目の前の景色が変わって行く――。



 ***



 窓の外から差し込む街灯の光。ここは見慣れた俺の部屋だ。慌てて部屋の時計に目をやると、時計の針が丁度〇時を指した。


「ふぅー……セーフ……」


 間に合ったことに安堵した俺は、そのまま床へ仰向けに倒れ込む。そうして一息ついた頃――。


「お帰り正義まさよし~今回もギリギリだったじゃんねー」


 いつものように部屋へ戻ってきた俺の顔を、褐色かっしょくの肌をした女が覗き込むようにして、そう言う。

 

「……あー……うん、今回も本当、大変だったよ……」

「んま、なにはともあれ~”善行 異世界の魔王討伐セブン”、クリアオメデトー! クリアリザルト、魔王討伐二億六千万ポイント! 追加ボーナス、全四天王討伐一億七千万ポイント! 白銀の聖女生存五千万ポイント! 合計、四億八千万ポイント獲得ぅ!」

「……分かった、分かったから……もう少し、静かにしてくれよ……」


 強大な魔王と主要な全ての配下たちを倒したっていうのに、今回は五億ポイントにも届かないのか。本当、異世界や並行世界絡みの‟善行ぜんこう”というのは全く割に合わないようにできているらしい。


 ……。…………。


 まぁ、今回はリサのことを救えたのだから、それで良しとしよう。


「だけど残念。もう少し早くケリが付いていたなら、リサちゃんとのお楽しみイベントを迎えられたのにねー? ムフフー」

「……お前、また見てたのか? いや、そもそもリサとはたった六日間の付き合いなんだぞ。そんなんなるかい」

「いやー、彼女はそうは思っていなかったみたいだけど~?」

「へっ、そうかよ……」

「それで、どうするの? 次の善行はさ」

「……明日は休みだろ? 明日にしてくれよ、その話は……。今回、結構しんどかったんだから……」

「明日っていうか、もう今日なんだけどね。ま、別に私は後でも良いけどー、今の内に目星を付けておいた方が、後々の心構えができるんじゃないのー?」

「…………、……次の高得点ラインナップは?」

「そうこなくっちゃ♪ うーん、次に必要な善行ポイントは六億でー、今残っているのは五千万ポイントだからー、六億に届きそうな高得点善行はっと……。出ました! その一、宇宙海賊団ギガコスモニアスの討伐、六億三千万ポイント! その二、邪神復活を目論むカルト集団 ‟愛の創造舎そうぞうしゃ”壊滅、五億八千万ポイント! その三、時間犯罪者集団ゼロ・ミレニアムの全団員捕縛、六億七千万ポイント! ま、こんなところかなー」

「……その中なら、三だな」

「へぇ、それはまた、どうして?」

「前に持っていた宇宙船は、宇宙怪獣討伐のときに壊れちゃっただろ。素のままで宇宙を飛び回って、疲れて宇宙海賊にやられましたじゃ、話にならないからな。だから一の選択肢はパス」

「ふむふむ。それなら、二を選ばなかった理由は? 一番ポイントが少ないんだから、難易度的にはこのミッションが一番楽なんじゃないの?」

「……この手のカルト宗教集団討伐系ミッションってさ、難易度云々うんぬん以前に、精神的に結構しんどいんだよ。なんか、連中と関わっているだけでも頭がおかしくなりそうになるっつうか……。それに邪神を召喚されでもしたら、難易度は二倍以上に跳ね上がるし。だから今回はパス」

「でもさー、邪神を召喚された方が追加ボーナスが出ておいしいんじゃないのー? むしろ邪神を召喚させて討伐すれば、断然お得ってもんですぜー旦那ー?」

「それはマッチポンプって言うんだ。それに地球人が召喚できる程度の邪神なんて、倒しても精々一億ポイントくらいにしかならないだろ。全然割に合わないって」

「でもー、私的にはー、二を選んでもらうと―、異教徒の一つを潰したってことでー、上司からのウケが良くなって超助かるんですけどー?」

「……うるさいな、そんなの知るかよ。俺なんて人生掛かっているんだぞ? こっちはそれどころじゃないんだって……」

「ちぇー。つまり三を選んだ理由は、ただの消去法ってこと?」

「まぁそれもあるけど。こいつらを倒せば、宇宙船くらい手に入るかなって思ってさ。それで別のミッションの足掛かりになるなら、一石二鳥だろ? それに、ポイントの貯金ができるのも、結構大きい」

「うーわっ、打算的ー。可愛くなーい」

「重ね重ねうるさいぞ……」


 俺の名前は清澄正義きよすみまさよし。そしてさっきから話しているこの女は、自称天使のナッチエルだ。


 俺たちの付き合いはもう十年にもなるが、ある理由から、俺はこの胡散臭うさんくさ性悪しょうわる天使と離れられないでいる。


 その理由とは、そう、あれは十年前のある日のこと――。



 ***



 十年前のその日、幼馴染のめぐみと遊ぶ約束をしていた俺は、目的地の公園に向かって猛ダッシュしていた。


 それは完全に自業自得としか言いようのないことだったのだが、その日の給食の折、調子に乗って二リットルもの牛乳を一気飲みした俺の腹の状態は最悪を極め、帰宅後暫くの間、トイレで神様に懺悔ざんげをして自らの行いに許しを乞うかのような、そんな危機的状況におちいっていたのだ。


 既に約束の時間から三十分も遅れていた俺はおぼつかない足取りで、しかし死力を尽くし、力の限り走り続けた。ちびっ子上下関係ヒエラルキーの下に位置している俺が約束の時間に遅れること、それはすなわち死を意味していたからである。


 そうしてようやく公園まであと一歩の所まで辿り着くと、目的のその場所である公園の中央にて腕を組み、般若はんにゃの如き表情をしてこちらをギラギラと睨みつける恵の姿を見つけた。


 ヤバイッッ‼


 恵の姿を見て怒られることを確信した俺は、腹の具合も忘れて必死で走った。それは一秒でも早く辿り着かねばならないという真摯な誠意が半分と、『僕は一生懸命走ったんです』という姿勢を見せつける釈明しゃくめいの目的が半分だったのだと思う。


 余談だが、一秒早く辿り着くことが、これから待ち受けている苦痛を一パーセント和らげることを信じて疑わなかったそのときの俺は、きっと世界中のどの陸上選手よりも速く走ることができていたに違いない。


 そうして恵の立つ場所まで、後数メートルのところ。しかし次の瞬間、俺は足元の石ころにつまずいてしまった。勢いは止まらず、そのまま恵に向かって華麗かれいなダイビングジャンプを決めた俺は、恵のスカートに手を掛け、あろうことかパンツごとスカートをずり下ろしてしまったのだ――。



 それからのことは、良く覚えていない。ただ覚えているのは、鉛のようなその手で顔をたれたこと。それはもちろん、グーでだ。


 とにかく頬が痛かったけれど、それ以上に、子供の俺は罪悪感で心が押しつぶされそうなことに耐えられなかった。


 俺はあのとき、自分の全てが終わったのだと、もう未来は無いのだと、死んでしまいたいとさえ考え、全てに絶望していた。すると――。


「きみ君ぃ、どうしたのー? こんな時間に、そんなところで泣いちゃってさー?」


 日が暮れて、家にも帰らず遊具の下で丸くなっていた俺に、一人の大人の女が話しかけてきた。普段知らない大人に話しかけられたなら、きっと警戒心をあらわにしていたであろう俺も、そのときはとにかく誰でも良いから話を聞いてほしくて――。


「め、恵……友達の、パンツ……下ろしちゃ……う、うぅ……」


 殆ど言葉にならない言葉で、そう答えた。多分、大人なら俺の今の気持ちをどうにかしてくれるだろうとか、確かこのときはそんなことを考えていたんだっけ。だというのに、こいつは――。


「んまぁ、見てたから知ってるんだけどねー。いやぁだけど君、あれは酷いよ、酷すぎる。あんなんじゃ、恵ちゃんは一生恥ずかしい思いをして生きていかなくちゃいけないんだろうねー?」


 目の前の女は、子供の俺に意地悪く、大人気なくそんなことを言った。当然子供の俺はそれを真に受けて、幼馴染を辱めてしまった事実を突きつけられ、再び深い罪悪感にさいなまれてしまったのだった。


「う……うぐ、うぅぅ……」

「あー、ごめん、ごめんってー。別に意地悪したくてこんなこと言ったんじゃないんだよ。そうだ君、名前は?」

「ひ、ひっぐ……正義……清澄、正義……」

「私は天使のナッチエル。よろしくね、正義くん」

「……天、使……?」

「そ。私は君を、助けに来たんだよ」

「助、けに……? どう、やって……?」

「うん、それはね――」



 ***



 ‟グッドジョブゲーム”。


 ナッチエルが俺に提示したのは、六日の内に善行を積み、天使から課せられた善行ポイントを獲得し続けるというゲームに参加するというもの。ゲームに参加し、六日の内に目標のポイントさえ獲得し続けることができたなら、俺はかつて恵を辱めた際に負った罪悪感を感じずにいられるという取引をしたのだった。


 ただし、六日の内に目標のポイントを獲得できなかった場合、このゲームに参加した者は、最初に負った罪悪感に生涯苛まれ続ける運命を辿ると言う。


 ならば善行を積めば良いだけのことではないか。否、話はそう簡単ではなかった。


 まず前提として、このゲームに終わりは無い。よって当初の罪悪感から逃れ続ける為に、週休一日体制で善行を積み続けなければならないのだ。


 しかもこのゲーム、回を増す毎に天使から課せられる目標善行ポイントが増えて行く方式になっている。言い換えるならば、毎回必要とされる善行の難易度は上限無く上がり続けるということ。


 俺がこのゲームを始めたばかりの頃に課された善行ポイントは、六日で十ポイントを獲得する程度のものだったが、十年経過した今では、それが六億ポイントまで膨れ上がっている始末である。


 ちなみに一例として、街に落ちているゴミを一個拾うと一ポイントになる。つまりゴミ拾いだけでこのゲームをクリアしようと思ったなら、六日の内に六億個ものゴミを拾わなければならないということになる訳だ。


 当然そんなことができる筈も無いので、それなら世界を滅ぼすような魔王を倒した方が早いという、かなり意味の分からない状況に追いやられているのが現状だ。俺はこれを、呵責かしゃくスパイラルと呼んでいる。


 そもそも俺が当たり前のように魔王や宇宙怪獣を倒しているかのように語っているが、当然俺は普通の人間で、最初からこんなことができた訳ではない。十年にも及ぶ膨大な善行を積む経験によって、体内に経験値が蓄積された俺は、いつからか尋常ならざる力を得るに至っていた。


 正直最初の頃は、経験値を積んでどんどん強くなってゆく自分の様が、RPGの主人公のようだとか思って興奮したりもした。しかし十年もこんなことを続けていては、流石に作業をさせられている気分にならざるを得ない。しかも週休一日で、地球での日常生活も熟した上でというのだから、尚更というもの。


「だけどさー、十年もの間、一度も‟悪行あくぎょう”を働かずにここまで課題をクリアするなんて、かなり常軌じょうきしているんじゃない? 私の記憶している限り、今では誰でも知っているメジャーな成人だって、ここまで頑張った人はいなかったと思うよ。もう諦めて、ゴミの一つでも捨てれば楽になれるのにさ」


 悪行。それはこのグッドゲームの抜け道のような存在。


 六日の内に善行を熟せないと判断した場合、その参加者は悪行を働くことで、次に課せられる善行ポイントがリセットされるというシステムになっている。しかも悪行を行った回は、次の一週間が休みになるという謎の特典までついて付いて来るらしい。


 しかしそんな悪行も回を増す毎に、善行と同様、次に求められる内容は過激なものとなってしまう。よって善行をさぼり続けて悪行ばかりを働いていると、最終的に凄惨せいさんな悪行を働かざるを得なくなるのだとか。


 尚、その回に必要とされる悪行を熟せなかった場合、善行をクリアするよりも恐ろしい目に遭うらしいのだが、その内容については教えられていない。


 とはいえナッチエル曰く、一年に一度くらい悪行を働くようにして帳尻ちょうじりを合わせるくらいで、ちょっとした善人として無理なく生涯を終えられる計算になると言う。しかし――。


「冗談じゃない。俺のこれからの人生で、もうたった一つだって罪なんて犯すものか。それに、ここまで来たなら最後までやり通してみせるさ」

「……本当に、正義は頑固だねぇ。ま、そこがらしいっちゃ、らしいんだけどー。それじゃああと二十三時間と少し、ゆっくり休んでちょうだいな」

「いや、六時からバイトだから、休めるのはあと四時間とちょっと、だな……」

「……うーわっ、ひくわー……。世界中のどんなブラック企業を探したって、正義ほど酷い待遇を受けている人間はいないんだろうねぇ」

「……うっせ……」


 このゲームには終わりが無い。故に俺は、人生で唯一負った最大の罪悪感から逃げ続ける為に、生涯善行を積み続けることになるだろう。


 だが、それでも構わない。例え後ろ指を指されたって、この行いが偽善だと言われたって、あんな思いを死ぬまで引きずり続けるのは御免だからだ。


 そうだ、俺は善人じゃない。俺はただの、呵責の逃亡者ランナウェイだ。

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呵責のランナウェイ 黒ーん @kulone

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