私のヒーローが振り向いてくれない

飯田太朗

どうして私を見てくれないんですか

 彼はユーザーさんの一人だった。私の会社は精神障害者のための貸しオフィスを経営していた。

 彼は自分の症状をよく理解していて、自分のパフォーマンスが落ちるタイミングをよく心得ていた。医師の定期診療も受けていて、たまに奇妙な独り言をつぶやいてはいたが、頼るべき時は頼ってくれる、本当に模範的なユーザーさんだったと思う。

 私が彼に惹かれた理由は、多分、彼がよく気が付く人だったからだ。

 私も人間なので、仕事のことで思い悩むことはあった。ユーザーさんたちの手前顔には出さないようにしていたが、彼……矢賀さんは、不思議とよく気付くのだ。

 精神障害者の支援をしていると、いつもおしゃべりしていた人が、唐突に電車に飛び込むなんてことがある。

 あの日もそんな事故があった。私が担当していたユーザーさんの一人が、自殺したのだ。そんな気配や雰囲気は、微塵もなかったというのに。

 私が気付けたんじゃないか。気付くべきだったんじゃないか。何かできたんじゃないか。何かすべきだったんじゃないか。思い悩んで仕事も手につかなかった。震えが止まらなかった。表に出さないように必死に堪えていたが、しかし気付かれてしまった。自分も心に深傷を負っているはずの、矢賀さんに。

「僕は加瀬さんに救われてるから」

 そう、彼は微笑んでくれた。その笑顔が私を温めてくれた。

 ただ、そう、彼を好きになるのには、問題があった。

 彼が心を病んだ理由。それはフィアンセを亡くしたことだった。

 やはり精神病で自殺したらしい。私があの時抱いた悩みを、彼も嫌というほど味わっていたのだ。

 自分だって辛いのに。

 それでも人に優しくしてくれる。

 彼が好きだった。でも彼は振り向いてくれない。

 心の中にずっとあの人がいるらしい。私の心にもあなたがいるのに。

 彼は私と、一緒におしゃべりしてくれる。笑ってくれる。ランチもしてくれる。面白い話をしてくれる。

 でも、どうして。

 あなたの心は、私を見てくれないの。





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