クリオア・スーサイド

宮杜 有天

case of 桐谷ミウ

「ねぇ、ハルくん。ゾンビっていると思う?」


 目の前に浮かぶウィンドウに指を当てると、スワイプして視界内から消した。

 ベッドから起き上がり、アタシはカーテンの向こうにいる新入りに声を掛ける。


「え? 先輩、何か言いました?」


 やや遅れて返事が返って来た。


「あ、ごめん。もしかしてお取り込み中だった?」


 アタシはカーテンを少し開けて、そこから顔を出す。中学校の保健室。アタシは学校生活の三分の二をここで過ごしている。

 そして視線の先には教室にあるのと同じ机と椅子が一つ置いてあり、制服を着た男子が座っていた。

 こちらを見るのは、生意気な弟といった感じの年下の少年。


「……課題をしてました」

「うわっ。保健室登校のクセにまじめだね、キミは」

「先輩が真面目じゃないからって、一緒にしないでください」


 うん。やっぱり生意気だ。アタシはカーテンを勢いよく開けると、生意気な後輩に向けてビシッっと指さす。


「保健室登校の先輩として予言しておくよ。半年もすれば課題なんてしなくなる!」


 先輩の威厳を態度で示したつもりなのだけど、生意気な後輩はため息を一つついた。


「はいはい。それより何か言ってませんでした?」


 むぅ。なんかすごく軽くあしらわれてる?


「えっと……ハルくんはゾンビっていると思う?」


 アタシはゆっくりとベッドの縁に座り直した。


「なんですか、いきなり。ゾンビ映画でも見てたんですか?」

「違う違う。さっき読んでたネットのミームがね、こんなのだったの」


 そう言ってアタシは目の前にウインドウを表示させる。これは拡張現実を利用した空間投影技術だ。だからこのウインドウは仮想物体ヴァーチャルオブジェクトなんだけど、端を指で弾くとプラスティックを叩いたような感触が返ってくる。同時にウインドウが回転する。

 ハルくんは椅子から立ち上がると、ウインドウの方へ寄って来た。


「AIゾンビ?」

「そうそう。AI脳に体を奪われた人たちの話」


 ウインドウに映っているのは先程まで読んでいたネットの記事だ。そこにはAI脳についてのいわゆる〝怖い話〟が書かれている。

 AI脳とは脳に埋め込まれたAIチップのことだ。このAI脳があるおかげで、アタシは拡張現実で投影された仮想物体ヴァーチャルオブジェクトを見て、それに触れて、更には感触を得ている。


「それってずっと昔からある都市伝説でしょ」


 そう。ハルくんが言うように、AI脳は別に新しい技術じゃない。アタシの生まれるずっと前から存在する技術だ。

 この技術が生まれた当初は不具合も多かったらしい。人間の五感に割り込むことができるのだから、AI脳の暴走で幻覚を見るなんてことも結構あったみたい。


 けど今はAI脳が人間の持つ本来の脳と対立しないように、「Artificial Intelligence Brain Integrated System」――通称AIBISアイビスによって制御・統合されている。

 だからネットに載ってるような怖い話は、AI脳がまだポンコツだった頃の話に尾ひれがついたものが殆ど――なんだけど……。


「けどAIゾンビって普通の人間と区別つかないんでしょ? 普通の人とまったく同じよに泣いたり笑ったりする。それってAI脳によって反応してるだけなんだけど、区別がつかないなら、いないなんて証明できないじゃん」


 アタシが今使っているAI脳は、五感の割り込み以外にも障害により失った脳機能の一部――言語機能や運動機能――を代行できるようになっている。

 主に医療目的で発展した技術なんだけど、それがあるから第二の脳――AIと呼ばれている。

 そんでそこまで発達したAI脳なら、人間の体なんて乗っ取ることだって簡単だし、実際に乗っ取られた人はいる……というのがネットで根強く囁かれているミームだ。


「ミウ先輩って、そういう話が好きな人でしたっけ?」

「全然。でも――」アタシは窓の方を向く。「AIゾンビになれるなら、なりたいかな」

「え?」

「アタシさ、今年で卒業じゃない? 一応さ、進学するつもりだけど高校行っても保健室登校になったら嫌だなって。アタシってその……恐がりだから」


 中学に入って半年もしないうちに、アタシは不登校になった。別にいじめにあったとかじゃない。いつからだろうか、他人の視線を怖いと思うようになったのだ。

 だから教室にいることに耐えられなくて、今は登校してすぐに保健室へと来ている。


「AIゾンビって、そういう……なんていったっけ? えーと〝しゅかんてきいしき〟? そういうのってないんだよね? だからAIゾンビになれば視線が怖いって思わないのかなって」

「でもAIゾンビになったらAI脳に体を乗っ取られるんですよ?」

「あはは、そうだね。でもそれもいいかな。AI脳ならアタシなんかよりずっと上手く生きてくれそうだし」


 なにより両親に余計な心配をかけなくてすむ。学校に行って勉強して友達を作って、そんな生活を送れば、両親はきっと喜んでくれるだろう。


「……先輩は本当にAIゾンビになりたいと思ってるんですか?」

「うん……なりたい」


 他人の視線を怖がってまともに学校に行けないアタシなんていらない。


「本当に?」


 、自分の殻に閉じ籠もって出て行かないアタシなんていらない。


「なりたい!」

「……じゃあ、先輩には特別です」


 そう言ってハルくんはカードのような。仮想物体ヴァーチャルオブジェクトを差し出した。アタシは思わず手に取る。

 それはピンク色をしていて、透明で、とても綺麗で……表面には「Qualia Suicide」という文字が書かれていた。


「これは?」

「AIゾンビになれるアプリです。先輩には特別に差し上げます」

「え?」


 何それ? なんでハルくんがそんなもの持ってるの? アタシ、ハルくんにそんなしてないような……。


 ハルくんを見るアタシの顔は不思議そうな表情をしていたと思う。彼は近づいて来るとアタシの手を取った。握られた感触。手から感じる温もり。それはAI脳からの信号であり情報。

 信号が、情報が、AIBISアイビスを通じて本物の脳へと流れ込んでくる。


「さぁ先輩。インストールしちゃいましょう」

「ハ、HALハル……くん?」


 HALハル――AI脳を利用した拡張型人格タルパ育成アプリ。好みの外見を作り、拡張現実を通じて交流できる……そんな売り文句で登場して、一年と経たずに販売禁止されたアプリ。それをアタシは不登校者が集まるネットフォーラムで手に入れた。

 販売禁止の理由? えーと……なんだっけ。忘れちゃった。そんなことはどうでもいいよ。だって保健室登校でいつも一人なアタシには、とっておきの暇つぶしになるもの。


「そうすれば先輩の心配は何もなくなりますよ」


 手の中のカードが勝手に浮き上がり、その大きさを変える。カードはいつの間にかウィンドウになっていた。表示されているのは……読むのに疲れそうな長ったらしい文章。

 アプリによくある規約かなんかかな。アタシはいつもの調子で「同意」を押した。

 ウインドウの内容が変わり、インジケーターが現れる。

 視界が暗くなる。ゆっくりと、周りから。


「ハルくん……なんか暗いよ。怖い」

「大丈夫です、先輩。ずっと先輩の手を握っておきます。僕もますから」


 アタシの手が痛いくらい強く握られた。ハルくんの温かい手で。


「うん。ありがとう」


 なんか痛みが薄らいでいく。同時にが消えていく。それがなんだか心地いい――



     ☆



「おーい、もう下校時間よ」


 女性の声。同時にカーテンが開く音。視線を向けると立っているのは渋谷カオリ。この学校の養護教諭。


「あ、はい」


 ベッドから起き上がると、渋谷カオリがこちらの顔を覗き込んできた。視線を反らすことなく見つめ返す。


「お? 調子良さそうね。私の顔をちゃんと見れてる」


 そう言った渋谷カオリの表情が変わる。口元が緩み目が細められる。この表情は――笑顔。渋谷カオリはこちらに背を向けると事務机の方へと歩いていく。

 ベッドから降りて、荷物が置いてある机に向かう。渋谷カオリの座っているのとは違う、教室に常備されているタイプの机と椅子。


「ねぇ桐谷さん」


 声が掛けられた。荷物に手をかけたまま渋谷カオリの方へ顔を向ける。


「無理にとは言わないけど。調子がいいなら明日は朝のHRだけでも出てみる?」


 渋谷カオリの声に揺らぎを感知。表情を少し緩ませて頷いて見せた。

 こちらを見ていた渋谷カオリの表情が変わった。目が大きく開かれている。

 渋谷カオリは驚いている。


「先生、さようなら。明日は教室の方へ行ってみます」


 それだけ言って、保健室から出る。廊下には生徒がまばらに歩いていた。そのまま帰宅する生徒。部活動へと向かう生徒。その目的は様々であると推測。

 歩いている生徒たちに衝突しないように必要に応じて回避行動をとる。障害もなく下駄箱へとたどり着いた。

 靴に履き替えて、大きなガラスの扉を開け――外へと歩き始める。


               〈了〉

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