詩 七十七年目の手紙

泊瀬光延(はつせ こうえん)

祖母の手紙

ことさら暑き夏を向かへました

やすくににひとりでまゐらねばなりません

あなたさまが居られなくとも

なにかのたしになるのでせうか


今の頃の海の底はいかがでせうか

きれいな小魚もあなたをおとなうのでせうか

潮に身をまかせてたゆたうのも

きもちのよろしいことでせうか


娘があなたさまが夜おこしになられた

というて泣いておりました

わたしはといふと日の忙しさに疲れて

いびきをかいておりましたやうです


でもたしかにお越しになられたのですね

寝室の隅の畳がすこしぬれておりました

娘には笑っていただけたのでせうか

娘はわけが分からずじつとみてゐたようです


主砲をつかさどるあなたさまは

飛ぶ鳥をお打ちになったのでせうか

ただひとつも打たずに

お沈みになったのでせうか


水にはいるときはご立派だったのでせうか

残るわたしたちのためにお泣きになりましたでせうか

軍人さんですのでそんなことはありますまい

部下の方たちの行末をお案じになったのでせう


あとから聞けば先に藻屑となった

むさしから生き残った方たちは

また南方へと送られたそうです

そんなことをあなたは許すはずはありませぬ


静かな境内にたたずみおりますと

せわしく五月蝿い蝉の鳴き声のなかに

あなたさまに逆らって

娘と家出をしたことが思ひ出されます


あなたはびつくりなさつたはずなのに

怒ったふりを続けなさいました

私達が町内をぐるつとまわつて

帰りますとあなたの背が丸く安堵しました


わたしもすでにはかなくなり

あわいの世界であなたさまを探しております

それでもあなたさまが命を大和とともにしたときから

何十年も娘夫婦の家で生きたのです


お陰で孫たちが平和に暮らしているところを

見ながら目をとじることができました

娘もすでにあなたさまといつしょにゐて

迷子のわたしをさがしてゐると思ひます


もうすこしでお会いできますとも

お体がまだ深い海にありますとも

魂は自由です

そして平和です

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詩 七十七年目の手紙 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen

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