また逢う日まで

苫澤正樹

また逢う日まで

「みなさん、この哈爾ハルビンで最後の礼拝にご参加いただき、ありがとうございました」

 小さな教会の礼拝堂に、やせこけた神父の声が響いた。

 参加者が全員ロシア人で日本語が通じない者もいるからと、同じ言葉がロシア語で繰り返される。

 その声に、粛然として席上の人々がうなずいた。中には、泪を流す姿すら見える。

「最後にここに来れてよかったよ」

 そう言って出て行く参加者に、神父は寂しい笑みを浮かべた。



 康徳こうとく二(一九三五)年三月。

 春とは名ばかりの北満ほくまんの街・哈爾浜では、ロシア人の大移動が始まっていた。

 ロシア帝国が満洲に寝転がるような形で丁字に東清鉄道とうしんてつどうを敷き、沿線を「鉄道附属地」の名目で租借地としてから四十年近く。

 本国の代理として附属地の施政権を与えられた東清鉄道が本拠地としたこともあって、哈爾浜はすっかりロシア人だらけとなり、北満におけるロシアの存在の大きさを象徴するような街となった。

 だが東清鉄道の後継である北満鉄ほくまんてつがソ連政府によって満洲国に譲渡されるという、いわゆる「北鉄接ほくてつせっしゅう」が行われたことで状況は一変する。

 会社の解散により、勤めていたロシア人社員は全員罷免の命令を受けた。

 失職し放り出された元社員は身の振り方も分からず、ソ連本国から出向していた人々を中心にその多くが帰国せざるを得なくなったのである。

 繁華街であるキタイスカヤ通りの裏手にあるこの教会は、北満鉄路に勤める人たちに長く慕われて小さな憩いの場とされていた。

 だが元々社員が帰りがけに礼拝出来るようにと作られた教会だったため、彼らがソ連に帰ってしまえばもはや誰も訪れる者はいないだろう。

 そう思った神父は、今日限り教会を閉鎖することにした。

 建物や持ち出せない祭具は、知り合いの教会に引き渡すことになっている。神父の人徳をいたく惜しんだ先方は閉鎖自体を止め、決意が固いと知るや今度はこちらで雇いたいとまで言って来たが、哈爾浜に留まる気のない神父は耳を貸さなかった。

 そして今日、多くのロシア人に混じりながら身一つかばん一つで、国境にほど近い満洲マンチュ行の列車に乗りソ連へと帰る予定でいる。

 静かに十字を切ると、神父はひとり泪をぬぐった。



 哈爾浜で彼は満人まんじん(中国人)の細君を得て、そして失った。

 まだ叙聖じょせいされ役付きとなる前のある冬、凍えた彼女を救ったのがきっかけでねんごろになった。

 この関係に彼女の実家は猛反発したが、本人は家出までして教会に押しかけて来た。

 そして先代の神父を拝み倒して洗礼を受け正教徒に改宗し、結婚式を挙げたのである。

 だがその細君も子をなさぬまま、去年の冬に風邪をこじらせ肺炎となって死んだ。

 しかし冬が連れて来て冬が連れ去った彼女の葬儀を、実家は教会で行うことを拒んだ。

 そして遺体を強引に引き取り、仏式で荼毘だびに付してしまったのである。

 葬儀には神父も駆けつけたもののたたき出され、細君の最後の旅立ちに立ち会うことすら出来なかった。

 せめて墓参りをしようにも、いまだ墓の場所も知らされずにいる。



 その日の夜、神父は夜行列車の車中の人となっていた。

 今ソ連では宗教を否定する社会主義思想のために、教会や聖職者はひどく迫害されているという。

 だが留まるにはあまりにつらい。一方で細君を置いて去るもしのびない。

 二つの想いにはさまれながら、彼は三等寝台に身を横たえた。

 遠く汽笛が鳴り、ゆっくりと汽車が動き出す。

「ダ・スビダーニヤ・ハルビン」

 ――さらば、哈爾浜。

 ――また逢う日まで、哈爾浜。

 ベッドに、冬の露のように泪が落ちて砕けた。


<了>

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また逢う日まで 苫澤正樹 @Masaki_Tomasawa

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