へぃるとぅゆー!

キョウ・ダケヤ

ごーとぅへぃる!!

 禁煙ブーム。

 分煙化。

 副流煙。

 百害あって一理なし。

 やーい、所得以上の高額納税者ー。

 喫煙者にはどのような罵詈雑言ばりぞうごんですら許され、もはや弾圧の対象であるとも言える。

 そう。我らは多くの世界で忌避や討伐の対象となっている魔王やドラゴンと同じように、絶対的に悪の存在と認識されている。

 

 そしてその波は当然、我が社が入るこの抜真ビルにも到来した。室内禁煙は当たり前。数年前までは各階にあった喫煙室も年々数を減らし、とうとう一階エントランス内と、ここ七階の男子トイレ横の二ヶ所を残すのみとなった。

 だがしかし、我らはこれを好機とみた。何故なら七階フロアには女子トイレもなく、また現在は大手物流会社の非常用倉庫としてのみしか部屋が使用されていない。加えて昨今の不況の煽りからか、四階から六階の入居者はいない状況。

 つまり我々、とは言っても俺達二人しかタバコを吸う人間はいないようなのだけれど。とにかくこの部屋は俺たちが占拠している、と言っても過言ではないのである。

 今いるこの部屋が、昨今の単身用アパートのユニットバスよりも小さいとしても。

 二人で入ったら肩がふれあうほどの距離しか取れなくても。

 間違いなくここは、文字通り唯一無二のオアシスなのだ。


 

「遠からんものよ逃げ惑え。近くば泣いて媚びてみよ! 逃がしてやるなど、約束はせんがな!!」

 

 最高にカッコいい台詞を唱えると、タバコの煙を口いっぱいに含む。そして細く、出来るだけ長く息を吐く。表情は悪鬼の如く、立ち居振る舞いは羅刹の如く。この部屋に鏡がないのが残念だ。

 

 「クックックッ、どうだ? 貴様ら全員、氷漬けになった気分は。これでこの町もオレ様、Heil Dragon雹結龍の……」


 気分は悪のドラゴン。この身は矮小なれど、気持ちだけはいつだって大きく。


 ――コンコンッ。

 二度鳴るノックの音。次いで開かれる扉。この部屋にお互い以外の人がいたことなんて一度もないのに、律儀なやつだ。

 

馬込まごめさん? ごめんなさい、電話中でしたか? 佐久間商事との商談の件なんですけど」


 俺は何事も無かったように背中を壁に押しつけると、腕を組む。タバコを挟んだ指をピンと立てることも忘れない。

 すりガラスの向こうから現れた同志に対して、しかもそれが女性ともなれば歳上らしいナイスガイな応対をするのがたしなみってもんだろう。


「あぁ、ちょうど終わったところだから気にするな。佐久間商事の件は……まぁ、大体終わったよ。そもそも見積もりもメールで送ってあるし、挨拶なんかに行っても、結局のところ数字を見てやるかやらないか。それだけだからな。子鹿ちゃんと違って俺はそのあたり計算高いから、粘ったりしないのよ」


 煙を鼻から噴くと、天井を見上げる。そこには先ほどから俺が作っている積乱雲をほとんど吸ってくれない、サボり癖の強い換気扇。あぁでも、彼の事をとやかく責められないのが辛いところ。

 

「何度も言ってますけど、子鹿じゃなくて小鹿おじかです。それはまぁどうでもいいとして、馬込さんの言うことはただの営業努力不足だと思うんですがね。それで。私と違って計算高い先輩の結果はどうだったんですか?」


 咥えタバコをしたままで彼女は器用に話す。俺の話にはイマイチ興味がないのか、こちらを見ることなく、ジャケットやパンツのポケットをポンポンと叩いている。背が低いからか、服に着られている感じが拭えない彼女がそうしていると小型犬を連想させて微笑ましい。

 

「結果ねぇ……しゃあない、教えてやろう。ただし条件がある」


 そう言って口角を上げると、ライターをヒラヒラさせる。

 こちらの思惑に気づいたのか、彼女は無表情で左手を前に突き出す。どうやらお気に召してはいただけなかったようだ。


「なんだよもう。まぁいいや。とりあえず五分でいいから俺の話を聞いてくれりゃぁそれでいい」


 諦めたのか力無く頷く小鹿。しかしいざ実際にライターを渡そうとすると仰々しく両手で受け取るあたり、彼女もきっちり営業マンとして仕上がっている。

 僕達のような兵隊営業にとっては、受け取る物の価値に意味はない。渡してくれる相手と行為に意味があるってことをよく解っている。


「それで話って言うのはな、俺が小学生の時の話なんだけど」


 短くなったタバコを灰皿に投げ捨てる。

 ふと視線をやると、彼女は先ほど俺がしていたように、壁に背中を預けて腕を組んでいた。ただし同じはずのその所作からは、先ほどの俺とは違い、関心の色が見えない。


「……なんだよ」


「なんでもないです。続けてもらっていいですよ」


 全く、もうちょっと先輩への尊敬の気持ちをだな。

 当たり前のように取り出しかけたタバコを箱にしまい、誤魔化すように咳を一つ。


「まぁいいや。だからこれは……そう。小学校の、二年生の時かな。都会の街からそれなりに田舎の町に引っ越したのよ。それで引越し先の学校は学年あたりの生徒が大体三十人。クラスも一つしかないから六年間同じメンバーで過ごさなきゃならないって状況だったんだよね。そうなると、クラスでの最初の挨拶が問題になる訳だけど」


「ふんふん。それは途中参加の転校生にはちょっとハードルが高めですね」


「察しがいいな。もしかして小鹿の親御さんも転勤族だったのか?」

 

「いいえ。私は馬込さんと違って小中高、大学までずっとこの辺ですよ。でもほら私、吸いますからね。もう数えきれないほど味わってきましたよ。人は自分と違うもの、特に価値観が離れていればいるほど拒絶が許されるって」


 会話の間にも彼女は煙を吐き続ける。狭い部屋の中が徐々に、セブンスターの甘い香りで満たされていく。彼女の気持ちが、俺の周りにまとわりつく。


「確かにな。まぁ女性の喫煙者自体珍しいしな」


 諦観するように肩をすくめ頷く彼女に、少し考えて話を続ける。

 

「俺は結局のところ、一番大事なのはファーストインプレッションだと思うわけよ。隠さず自分を見せて、それで上手くいかなきゃさっさと次にいけばいい。諦めが早いからこそ、ストレスがないだろ? 必ずどこかに、自分に対して良い印象を持ってくれるやつはいるんだからさ」


 先ほどから、いつもよりも早いペースで煙を吐きつづけていた小鹿は、考え込むように目を伏せた。

 

「……なるほど。確かに、それはあるかもしれませんね」


 噛み締めるように肺に煙を溜め、吐き出す。そしてゆっくりと顔を上げる。その表情に小型犬の様相など全くなく。ただただ、彼女が大人の女性である事を改めて認識させる。


「話題、遮ってしまってごめんさい。でも馬込さん。もしかして、慰めてくれてました?」

 

 まるでキスをせがむ様な姿勢のまま呟き、薄く笑う。見上げる目が潤んでいるのは、俺の劣情がそう見せるのか。それとも彼女の過去の記憶がそうさせるのか。

 

 拳を二回、握って開いて。彼女の両肩をぎゅっと掴む。一瞬、彼女の肩が震える。

 想定外だったようで視線をあちこちにやる彼女を安心させるように微笑むと、息を短く吸う。そして、


「だから俺は、モノマネをする事にしたんだよ」


 そう、告げた。


「…………え?」


「だから、とにかく強い印象が大事だと思ったんだよ。なんだろうな、ナメられないようにするっていうか。多感な低学年男子。スポーツが出来ればそれだけで英雄なのは間違いないけど、運動神経はそこまで。他にこれと言って転校初日に見せられるものも無し。だったら親にも絶賛されるモノマネをして、ダメならダメで……って、どうした? そんな顔して」


「……あぁ、もう! なんでもないです。やだもう。指熱いし。やだ。最悪」


 短くなりすぎて指先まで灰が迫ってきたタバコに当たり散らす小鹿。その様は非常にらしく、安心感がある。

 ああだこうだと取るに足らない八つ当たりをしてくる彼女をやり過ごし、ようやく落ち着きを取り戻した頃。

 ふと気づくと、換気扇が大きな音を立てて勢いよく回っている。おっと、彼はすでに休憩時間を終えていたのか。

 今はもう少し、サボっていてくれても良かったのに。


 


 シュッ。ジジジッ。すーっ。ふー……。


 仕切り直しとばかりに、お互い無言でタバコの香りを楽しむ。

 やっぱりメンソールはいい。そりゃあトイレだって爽やかにするんだ。俺の心なんてあっという間だよな。

 2本目に入ろうかというところで、おもむろに小鹿が切り出した。


「それで、なんでモノマネなんか。馬込さんがモノマネするところ、忘年会でも見たことないですけど」


「ん? なんでってさっき言った通りだけどな。それにやらない理由を聞かれたって、同僚達に力を誇示する必要ないから。としか言えないけど」

 

 力の誇示? それはちょっと意味が分からないですけど……ほら、うちってモノマネとか好きそうな人多いじゃないですか。それこそ部長とか。飲み会の時は、ですけど」

 

「好き嫌いは、どうかな。ちょっと読めないな。だってその時に俺がやったモノマネ、戦隊ヒーローの変身名乗りだから。の」

 

 シュッ。ジジジッ。すーっ。ふぅー……。


「小鹿? おい。灰、また落ちそうになってるぞ」

 

「いやいやいや、おかしいですって。ヒーローの変身名乗りはまだ分かるとして、オリジナルって、えぇ!?」


 小鹿が俺の吐いた煙を掻き分けて詰め寄ってくる。彼女に俺の煙はまとわりつかないんだな、なんて少し残念に思う。


「それ、反応大丈夫でした?」


「あぁ、ばっちりだったぞ。いかにもガキ大将ってやつも、お調子者って感じのやつも、委員長然とした女の子も。クラス全員がコイツには勝てないって感情抱いてる感じだったよ。いわゆる、マウントってやつは取れてたと思う。やっぱり伝説の勇者の名乗りはかっこいいだろな、悔しいけど」


「それ、マウントって言わない。引いてたって言うんですよ」


「それより小鹿。だから灰が……」


「あぁもう! そっちはどうでもいいんですよ!」


 タバコを叩きつけるように灰皿に投げ捨てると、小鹿は髪を掻きむしる。そういえば部長から、半期の数字を2ヶ月でやれって言われた時にもこんな感じだったな。

 それより火の始末はちゃんと出来てるか心配だ。仕方ない、隙を見て俺がこっそり、ふーってしておこう。

 

「先生は!? 先生はどんな感じでしたか!?」


「先生? おう、先生は絶賛だったぞ。俺の頭を撫でて『先生はあまり詳しくないけど、カッコいいな。皆もそう思うよね。なんていうか、良いよ!』ってしきりに褒め倒してくれてなぁ。なんだかそこまで言われると照れ臭くなっちまうよな」


「あぁ、可哀想に……」


 気づくと小鹿は座り込んでいた。どうしたんだろう。表情は見えないが、耳まで真っ赤にして顔を塞いでいる。

 数字が足りなくて自主退職に追い込まれた先輩の『妻と別れる事になっても頑張ったんですけど』で始まった挨拶が終わった後もこんな感じだったな。


「まぁ何だ、そんな訳でさ。言いたかったことは既に話したから、これは繰り返しになっちゃうんだけど」


 未だに他人の過去に囚われている彼女の手を取り、引っ張り起こす。ついでに俺のタバコを一本渡す。

 そろそろ戻らないと、俺はともかく小鹿の体裁が悪い頃だ。せっかくだし、最後はビシッと先輩らしいところを見せておこうか。

 

「だから俺が話したかったのはさ、結局『始め悪けりゃ全て悪し』ってことよ。最初に抱いた印象が上手くいかなかったら、その後の挽回はほとんど無理だからな。俺たち営業は特に。こっちのクロージングまで客は待ってくれねぇからさ」

 

「……馬込さん。なんか上手いことまとめようとしてますけど、さっきの体験談が辛すぎて全然入ってこないです。というより、危うく誤魔化されるところでしたけど、佐久間商事の件は結局どうだったんですか? このまま煙に巻こうったって、そうはいかないですからね」


 チッ、覚えてやがったか。実際、巻こうとしても無視して突っ込んでくるタイプなのはさっき見たしな。

 

「これ、頭から見てみろよ」

 

 俺は客先で渡されたA4用紙を差し出した。

 

「これが一体……あ、あぁ。これは……」


 用紙の中身は、俺が客先に送ったメールを印刷したもの。本文冒頭には『商事株式会社 ご担当様』との記載。

 

「先方の担当に会って、開口一番にこれを渡されて、それでおしまい。あとは商談にすらならなかったわ。まさに始めがダメだったんだな。ったく、これだからアルファベットは嫌なんだよ。日本語だったら、『S』を打ち漏らすなんて絶対起こんねぇんだから。いや、そもそも言葉自体が欠陥品なんだよ。感情を全部つたえられねぇじゃねぇか。まぁ、かと言って。すぐ帰社したって体裁が悪いだろ? だからここで時間を適当に潰して、頑張ったけどダメだったって方向にしようかと思ってたのよ」

 

 早口に捲し立てる俺の話を聞いているのか、いないのか。小鹿は俺の渡したタバコを挟んだままの手を顎に当てて何かを考えている様子だった。メンソールは嫌いってわけじゃなかったはずだけれど。

 

「小鹿?」


「あぁ、ごめんなさい。いや私、失敗しました。馬込さんの言う通りですね、本当」


 小鹿はそう言うと、俺と先ほどの同じように天井に向かって息を吐く。まるで自分のテリトリーを拡げるように、長く、力強く。


「タバコ、ありがとうございます。メンソールはあんまり吸わないんですけど悪くないですね。罪悪感も苛立ちも、全部サッパリさせてくれます」


なんだ? 感謝の言葉のはずなのに、何か薄ら寒いものを感じる。換気扇の音がより強く大きくなったのは気のせいだろうか。


「馬込さん。部長が、探してましたよ。見つけたら至急、俺のところに来させるように伝えろって。佐久間商事の件って伝えればすぐ分かるはずだからって」


 タバコが指から滑り落ちる。床にぺったりと張り付くそれを見て、何故か未来を幻視したかのような気分になる。


「ごめんなさい、最初に言うべきでした。余裕そうだったから、上手くいったのかと思ってて。いや失敬失敬。本当、始め悪けりゃって本当なんですね。先輩、勉強になりました。ありがとうございました」


 ヤバい。

 深々と頭を下げる小鹿の言葉が上手く理解出来ない。

 ヤバい。

 肩が震えている、泣いているのか?

 ヤバい。

 いや違う。コイツ、笑ってやがる!


「ふふ、早く行った方がいいですよ。めちゃくちゃ怒ってる感じでしたから。ふふふ、部長室入ったら、まずモノマネをする事を勧めます。ふふふふ」


 落としたタバコを灰皿に投げ捨てると、俺は腹を抱えて笑う小鹿を押し退けてオアシスから飛び出した。


「あ、それと!」


 とっさに振り向いた俺に、満面の笑顔で、彼女は付け足す。


「くくっ。今は急いでるでしょうから、他人をヒマがあったら、タクシーでも方が良いと思いますよっ!」


 …………こんのやろう、聞いてやがったのか!

 小鹿の笑い声を浴びながら、俺は全速力で部長という地獄へと続く階段に向かう。

 とにかく急がないとまずい。途中にあるコーナーは無論、を使って上手く舵を取りながら素早く曲がる。

 素早く、曲がれてしまう。


「あ、やべ」

「えっ」


 俺の声と、遠くで漏れる気の抜けた声とが重なったような気がする。

 やってしまった。だけど今はそれどころじゃない。


「えぇー! ま、馬込さん、待って。じゃああの独り言って。ちょっとちょっと、待ってくださいよー!」


 混乱しつつも走って追いかけてくる小鹿を無視して、階段を駆け降りる。

 

 彼女が先か。go to heil

 俺が先か。go to hell


 始め悪けりゃ全て悪し。

 行くも止まるも厄介な事になるなら、どちらがより悪いのだろうか。俺は冷たい息を吐きながら、そんなことを考えた。

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へぃるとぅゆー! キョウ・ダケヤ @tatutamochi

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