36回目のウンコマン
水谷威矢
ウンコマン
ウンコマン
それは、休み時間にトイレに行き過ぎた、または間に合わなかった者たちが行き着く最悪の称号。
俺の人生は今、36回目。
そしてこれまでの35回の人生全てでその最悪の称号、ウンコマンを手にしてしまっている。
俺は、絶対に中学1年生の夏休みで、死ぬ。ウンコマンというあだ名が原因で。そしてその後、12歳の誕生日の朝に戻り目を覚ます。
ウンコマンというあだ名が原因だと気が付いたのは、3回目の死に際。毎回、友達のタツヤが遠くから俺をウンコマン呼ばわりしてきて、立ち止まった俺はなんらかの原因で死ぬ。
死因は、はっきりとは判らない。だって俺は死ぬから。頭やら胴体に強い衝撃を受けたりするのは分かる。でもその後は何も感じない。音もだんだんと聞こえなくなるし、視界も真っ赤か、真っ黒か、真っ白。想像するに、車に轢かれるか、頭上から何かが落ちてくるかしているんだろうけど、何故かいつも避けることができない。
俺の死ぬ日は決まっている。8月3日水曜日。この日は絶対に家から出ないようにしていても、気がつけば俺はふらふらと外にでるハメになり、死ぬ。
俺が死ぬ原因になるウンコマンという称号。それを手にする日もまた決まっている。冬休みに入る前の週、12月17日金曜日。この日の昼休み、俺は絶対に腹を下す。その日の朝に食うばあちゃんが作ったホットサンドが悪かったのか、給食の牛乳に当たったのか、誰かが俺の給食に変なものを混ぜたのか、どうであれ絶対に強烈な腹痛に襲われる。
トイレに間に合ってもタツヤに音を聞かれてウンコマン。どうにもできず漏らせば当たり前にウンコマン。果ては学校を休んでいたのにも関わらずウンコマン。俺にはどうすることもできなかった。
でも、今回こそは変えてみせる。ウンコマンという称号のせいで死が確定している無様な運命を。
…
俺の誕生日は12月10日。俺がウンコマンになるちょうど1週間前。この1週間の準備次第で俺の運命は決まると言える。
今回は今までやってこなかった秘策を使おうと思っている。それは…
タツヤを俺の身代わりにウンコマンにしちまおう、という作戦だ。
今までもどうにかウンコマンを回避できないか道を模索してきた。だがどうやっても俺はウンコマンになった。でもそれは他にウンコマンに相応しいやつがいなかったからだ。
タツヤには悪いが、今回はお前にウンコマンになってもらう。
俺は12月10日の朝、目が覚めてすぐに行動した。救急箱やら親の部屋やらを漁りまくってある物を探した。
それは下剤だ。下剤をどうにかタツヤに飲ませることでタツヤをウンコマンにしようという作戦だ。残念ながらタツヤをウンコマンにしようが、俺がその日、腹痛に襲われることには変わりない。だが、運よくタツヤが漏らしでもすれば、正しくトイレで致した俺がウンコマンになることはないだろう。
俺は2日かけて下剤を探した。だが下剤なんて普通は救急箱になんて入ってない。俺の両親は毎日快便だった。親父なんて緩い方だから下剤とは縁のない人間だった。
だが俺は諦めなかった。もうずっと前に、じいちゃんが便がでなくて死にそうだと言っていたのを思い出した。その時はばあちゃんが薬局で下剤を貰ってきていたはずだ。だからじいちゃんの部屋を漁れば下剤が出てくるはずだ。
「ユウタ。何しとんじゃ、じいちゃんの部屋で」
運悪く、じいちゃんの棚を漁っているところを見つかった。俺はどちらかというと親父よりもじいちゃんに懐いている方だったので、じいちゃんもこの時点では怒ってはいないようだった。ここは、変に誤魔化すよりも、下剤が必要だと言うことをしっかり訴えた方がいいかもしれない。
「じいちゃん。俺、昨日ガム飲み込んじゃってから、ウンコでてないんだ。じいちゃん、前にウンコ出なくて死ぬかもって言ってたじゃん。俺もウンコ出なくて死ぬかも知れん。だから、下剤ちょうだいや」
俺は、普段は家ではお調子者で、じいちゃんにこんなに真面目な話し方をしたことなんてなかった。だからじいちゃんも面食らったんだと思う。
「かあちゃんには言ったんか?」
「言ってない」
「ばあちゃんには?」
「ばあちゃんにも言ってない」
「かあちゃんとばあちゃんには言うんでねーぞ」
そう言ってじいちゃんは机の引き出しの奥から紙袋を取り出し、その中から錠剤を2粒くれた。
「今、飲まんのか?」
俺が錠剤をポケットに入れるとじいちゃんが聞いてきた。確かに貰っておいて飲まないのも不自然だとは思った。
「後で飲むわ。もうちょっと頑張って、駄目だったら飲む」
「そうか。分かった」
じいちゃんは俺から見てもあまり賢い人ではなかった。筋肉で全部解決する、けどかあちゃんとばあちゃんには頭が上がらない、じいちゃん子の俺には優しい。そんなじいちゃんだった。そんなじいちゃんを、こんな適当な嘘で騙すのは辛かった。でも、俺はタツヤにウンコを漏らさせないと、死ぬ。だから今日だけはそんなじいちゃんの賢くないところを利用してしまった。
「ありがと、じいちゃん。今度肩たたきしちゃるわ」
何はともあれ、これで下剤は手に入った。後はこれをどうタツヤに飲ませるか、だ。テレビドラマとかを見る限りでは、飲んですぐに腹を下すわけではないらしいということは知っている。なら、2時間目が終わって、中休みに飲ませるのが丁度いいか。飲ませる方法は…、そうだ、ラムネ菓子とでも言って食わせよう。
タツヤは俺のことをウンコマンと呼んでくる中心的人物だったが、それは俺とタツヤが特に仲が良かったからに他ならない。俺がトイレに行こうが、漏らそうが、その日からずっと俺のことをウンコマンと呼び続けてくるが、それでも俺とタツヤはよく連んでいた。俺もタツヤにいくらウンコマンと呼ばれようと邪険にはしなかったし、漏らした時なんかはタツヤが面白おかしくウンコマンと呼んでくれたことで逆に救われていたとも言える。
…
12月17日
ついにこの日が来た。初めての修学旅行の前日のように緊張で眠れなかった。緊張だけじゃない。俺の代わりにタツヤをウンコマンに仕立て上げるための覚悟を決めるのにも時間がかかった。タツヤは決して悪くない。でもタツヤとウンコマンのせいで俺は死ぬ。それを避けるためにはどうしても必要な犠牲なんだ。そう自分に言い聞かせるのに必死で寝付くことができなかった。
眠れなかったにも関わらず、朝は不思議なくらい体調が良い。まるで今日の昼に訪れる腹痛なんて全く感じさせないくらいに。
念のため、昨日の夜にばあちゃんには、明日の朝ごはんは普通のパン一枚でいい、と伝えておいた。そのため用意されている朝食は食パン一枚と牛乳。食パンは念入りにレンジで加熱してから食べ、牛乳はお腹の調子が悪いからと飲まずにおいた。無意味な抵抗だとは分かっているが、これでもし腹痛を回避できるのなら、それに越したことはない。
窓から見える景色は一面銀世界。腹を冷やして下さないようにと一応、腹巻きとホッカイロも準備しておいた。
さあ、いざ決戦の場へ。
…
2時間目の算数が終わり、中休みの時間になった。今日の下剤作戦が上手くいかなかった時のために、今日までにタツヤの机や私物に油性ペンでバレないようにウンコマンと書き込んでおいた。これがどのくらい保険として働いてくれるかはわからないが、1週間で出来ることは全てしたつもりだ。
「おいタツヤ。体育館でサッカーしよう」
中休みになった瞬間、タツヤを呼び止め、他の数人の仲間も誘い体育館へ行き、いつも通りひとしきりサッカーを楽しむ。
20分ほどサッカーをした後、教室に戻る前に用具庫にボールをしまうタイミングでタツヤと他の仲間に面白いものがある、と言い呼び寄せる。
「今日な俺、面白いラムネ持ってきてんだ。教室に戻る前にみんなで食べようや」
お土産で貰ったお菓子の缶にラムネ菓子を入れて持ってきた。
「これ、いろんな味があるんだけど、みんな目えつぶって取ってや。それで何味か教えて」
学校でお菓子を食べるのに抵抗があるやつもいたが、他の仲間が面白がってやろうやろうと言っていると、反対してくることはなかった。もちろん、タツヤも乗り気だった。
「よーし、じゃあみんな目えつぶって」
俺はそう言って一人一人順番に缶からラムネを取らせていった。そして最後にタツヤの番になった時に、中身を下剤と入れ替えた。
「みんな取ったな?せーので食べよう。せーの」
俺の掛け声で全員一斉にラムネを口に含んだ。タツヤもなんの抵抗もなく下剤を口に入れた。
みんな口々になんの味がするなどと言い出す中、タツヤだけは苦い顔をしていた。
「お、タツヤ。お前のはハズレだったみたいだな。もったいないから出すなよ、絶対」
「うえ。おいユウタ。何味だよこれ」
「それはなー、くすり味だ。残念だったな」
タツヤは俺が言った通り、しっかりと下剤を飲み込んだ。しかも2粒とも。タツヤは急いで水飲み場に走って行きうがいをしていたが、しっかりと飲み込んでいるんなら問題ない。後は待つだけだ。
だが、ここからは俺も油断はできない。昼休みになれば俺だって腹痛に襲われるんだ。タツヤにバレないように平気な顔をしていなければいけない。
…
3時間目、4時間目とタツヤの顔色を伺っていたが、特に変わりはないようだった。だが、給食の時間になってから様子が変わった。いつもなら給食は残さずに食べるタツヤだが、今日はあまり進んでいないようだった。それだけでなく、額に汗を滲ませているのが俺の席からでも見える。
恐らくは相当下っているのを我慢している。タツヤは身の回りにウンコマンという悪戯書きがされているのに気がついている。もしここでトイレにウンコをしに行けば自分がウンコマンと言われかねないと思っているに違いない。
俺はウンコマンの悪戯書きの他にも、周りの仲間たちにウンコマンという言葉が浸透するようにそれとなくウンコマンという言葉を口にしてみたりしていた。1週間も続ければ周りからちらほらとウンコマンと言う言葉が聞こえて来る程にはなった。あとはその言葉たちが標的を見つけるだけだ。それが俺になるか、タツヤになるか、だ。
この時間にもなれば、やはり俺の腹も不穏な様子になっていた。この感覚はもう幾度となく経験した。だが、入念な準備もあってか、過去最高と言っても良いほど腹痛は軽かった。
これなら乗り切れる。そう確信した。
学校にいる間中は耐えられなくても、タツヤがトイレに行くか漏らすかするまでは耐えられる。そんな自信があった。
タツヤはもう体を丸めていて顔は見えない。だが体を震わせるような、もじもじするような様子で必死に腹痛に耐えているのがわかる。
腹が痛ければこの時点でトイレに行けばいいものだが、この時の担任の先生は給食の時間中に席を立つことにとても厳しい先生だった。
俺の心境は複雑だった。このままタツヤが堪えきれず漏らしてくれればタツヤは確実にウンコマンになる。そうすれば俺は生き延びることができる。だが今のタツヤの苦しそうな様子を見るのは心が痛んだ。あと5分、それだけどうにか耐えて欲しいと願う俺がいることも確かだった。タツヤの班の友達もタツヤの異変を感じ取り、心配しているようだったが、先生にタツヤの様子がおかしいと伝えようとはしなかった。それもまた切なかった。
そして、ついにその時は来た。給食の時間があと1分ほどで終わろうかという時、タツヤは立ち上がった。尻を両手で押さえながらゆっくりと不自然な足取りで教室から出て行こうとする。それを担任が止める。だがタツヤはそれを無視して泣きそうな顔で教室の扉を開けた。そこが限界だった。
食事中には聞くに耐えない音が鳴り響いた。そしてタツヤのベージュのズボンには茶色いシミが浮かび上がってくる。タツヤの異変に気がついた担任が急いでタツヤに駆け寄りタツヤをどこかに連れて行った。タツヤは泣いていた。教室は阿鼻叫喚だった。タツヤの横にいた別の友達は吐いていたし、それを見てタツヤの班の女子は泣いていた。俺も泣いていた。
昼休みはタツヤの話で持ちきりだった。すぐに何人かの先生が来てタツヤの席の掃除を始めたり、吐いたやつや泣いてしまった女子のケアに当たっていた。もう何人かはタツヤのことをウンコマンと呼んでいた。
俺は吐いたやつと泣いていた女子と一緒に先生に保健室へ連れて行かれた。その頃には俺は泣き止んでいたし、大丈夫ですと言うと解放してもらえた。保健室のトイレは教室から遠かったのでそこで俺もウンコをした。今までと違って全然下痢じゃなかった。
俺はウンコマンになる運命を回避した。
…
俺はタツヤに下剤を飲ませたことが先生にバレたりしないか心配だった。もちろん、ウンコマンになる運命を回避したという喜びの方がずっと大きかったが、それでも心配が消えるわけじゃなかった。
月曜日、タツヤが今まで俺にしてくれていたように、俺もタツヤのことを面白おかしくウンコマンと呼んで今まで通り仲良くしてやれば、タツヤも少しは救われるだろうと思った。でもタツヤは学校に来なかった。次の日も、その次の日も。
タツヤは冬休みが明けても学校に来なかった。そしてそのまま俺たちは小学校を卒業した。
…
中学生になって、俺はようやくタツヤと再開した。タツヤは前みたいな活発さがなくなっていて、すっかり別人みたいになっていた。そういう俺も、あれ以来お腹が弱くなってしまい、整腸剤が手放せなくなっていた。
前回までの人生では、タツヤは俺のことをウンコマンと呼びながらも、同じテニス部に入り俺とタツヤでゴールデンペアと呼ばれる程になっていた。でも今回は違った。タツヤはどの部活にも入らずに帰宅部になってしまった。俺は前回までと同じようにテニス部に入り別のやつとペアを組んだ。
俺は中学生になってからもウンコマンの称号を手にしないように気をつけていた。中学生にもなれば、そんな低俗なことを言うやつらも少なくなるが、やはり一部にはまだそういう幼稚なことを言うやつもいる。だから俺は今度はウンコマンというワードが出ないように影で努力していた。
まずは変なあだ名の付け合いが流行らないように、あだ名とは相手に親しみを持って、かつ呼びやすくするためのものであるから、苗字や名前をもじるか、短縮させたものが適当である、という持論を展開させ、クラス内で議論になるほどまで話を大きくさせた。結果、それは上手く行き、クラス内の女子のリーダー格の子の賛同を得ることができ、俺のクラス内では変なあだ名をつけられる危険性はなくなった。
クラス内では俺はゆうたんというあだ名で呼ばれるようになり、一度あだ名がついてしまえば、ここからウンコマンにあだ名が変化していく可能性は低いだろうと考えた。それから俺は腹が痛い時は我慢せず、心置きなく学校のトイレでウンコをすることができた。思えば、学校で俺がウンコをしようが周りは気にしてなんていなかったんだろうが、ウンコマンという称号が命取りだった俺は、ここまでしなければ安心できなかった。
…
7月に入った頃から、クラス内の男子がよく読んでいる週刊誌にウンコマンというギャグ漫画が連載を始めた。内容は少年誌と言えど幼稚な下ネタばかりであったが、俺はこれに危機感を抱いていた。
決して面白くない漫画ではあるが、連載している以上、話題に上がる可能性がないとは言い切れなかった。むしろ、つまらなすぎて話題になってしまうのでは、という心配があった。
俺は必死になってアンチのハガキを送った。とにかく面白くない。早く打ち切りにしてくれ。と。だが、どんなに早く打ち切りになったとしても8週間はかかるというのをネットで見た。
8週間ではもしものことがあれば俺の命が持たない。連載を止めることができないなら、クラス内で話題に上がらないようにするしかなかった。だが、どうすればいい?市内のコンビニや書店からその週刊誌を全部買い占める?そんなことは到底無理だ。そこで俺にできることは一つだけだった。
その他の人気漫画をめちゃめちゃ話題に挙げる、とにかくこれを意識した。これまでそれほど漫画を読んでこなかったが、これを機に今連載している人気漫画のトップ3を全巻買い、読みまくり、知識を蓄えた。おかげで漫画をよく読むという同級生とは大体会話が合ったし、その漫画の話題だけで休み時間は全て潰すことができた。
実際、漫画のウンコマンに関しては杞憂だった。人気投票ではほとんど票が入らなかったのかみるみるうちに巻末まで移動していったし、やはり面白くなさすぎたのかクラスでは少しも話題に上がらなかった。
俺のあだ名がウンコマンになる心配などなく、日にちは過ぎ夏休みに入った。タツヤとはクラスが違い、入学式の日以来話をしていない。
…
ついに、8月に入った。今までであれば、明後日、8月3日水曜日に俺は、死ぬ。だがそれは、今までであれば、の話だ。今の俺はウンコマンじゃない。タツヤとも会話をしてない。念には念を入れてその日は部活も休む。お使いを頼まれても絶対にやらない。夏風邪を引いたふりをして引きこもることにしている。
買っておいた週刊誌を読んでみると、相変わらず巻末にウンコマンが載っている。意味のわからない幼稚な下ネタと勢いだけで何とか乗り切ろうとしている感じがありありと伝わってくる。編集も作者ももう諦めているんじゃないだろうか。
今日の部活の帰りに俺の死亡現場を見に行くことにしている。中学校の正門から出て坂を下った突き当たりの丁字路。そこにある空き地に行こうとする途中で、タツヤにウンコマンと呼ばれ立ち止まった俺は何か強い衝撃を受けて死ぬ。あそこに近寄りさえしなければ俺は死なないのに。
…
8月3日になった。ついにこの日がやってきた。俺は部活を休んだ。お使いを頼まれないよう具合が悪いふりもして朝から部屋を出ていない。
今日、あの丁字路に行く予定は全くないが、一応、一昨日と昨日は部活の帰りにあの丁字路をリサーチしておいた。決して車通りの多い道路ではないが、もし車が来ていれば突然飛び出してきた人間を避けることはできないと思った。あとは、丁字路に面した住宅が外壁工事を行なっていた。工事のために立てられた足場があり、その足場が崩れるか、上から重たいものが落ちてくるかして、下にいる人間に当たれば死ぬことも十分考えられる。
もし、百歩譲ってその丁字路に行くことになったとしたら、カバンに厚めの教科書を入れておいて頭の上に準備しておこう。そして道路の真ん中は歩かず、工事している家の反対側を歩く。丁字路に入る時は慎重に左右を確認する。道路の真ん中で呼び止められても絶対に端に行くまでは反応しない。これらを徹底しよう。
11時半になった。いつもであればこの時間に部活が終わってあの坂を下って帰路に着く。そしてその直後に俺は死ぬ。
だが今日はこの時間に俺は家にいる。外に出る用事もない。36回目の人生にして、やっと、初めて生き延びることができる。俺は布団の中で歓喜に悶えた。
でも、ふと思ってしまった。こんなことがあるとは考えられないが、もしかすると、自分の代わりになって今日死ぬ人間がいるかもしれない。俺があの丁字路にいなくても、あの道路に車は通るし、足場の上から重たいものが落ちたり、足場が崩れたりするかもしれない。そしてちょうどそこを歩いていた誰かが死ぬかもしれない。それは、誰か。俺の代わりにウンコマンになった、タツヤか。
そんなわけはないと思いつつも、一度気になってしまうとなかなか頭から離れない。でも家から出て確認しに行くわけにもいかない。仕方がないからタツヤの家に電話した。
「ああユウタ君、久しぶり。え?タツヤ?タツヤなら今家にいないけど。ええと、どこに行くっていってたかな。あそうそう、友達の家に行くって言ってたわ。場所?ええとねえ、中学校の近くの丁字路があるでしょ?そのすぐ横に壁の工事をしてる家があるんだけど、そこだと思う」
電話を切った後、俺はどうしたらいいか分からなかった。タツヤが俺の代わりに死んでしまうかもしれない。今日、ウンコマンというあだ名のやつはあの丁字路で死ぬことが決まっているとでもいうのか。でも、もしタツヤを助けに行けば俺はどうなる。俺がウンコマンになることは回避できたし、このまま家にいれば確実に今日を乗り切ることができる。
中学生になり新しい友達もでき、タツヤとは全く話をしなくなった。それでも、タツヤがウンコマンになったのは俺のせいだ。実はタツヤは気がついているかも知れない。あの日俺が食べさせた変な味のラムネが実は下剤で、そのせいでタツヤの腹が痛くなったということを。今日を乗り切りさえすればタツヤに本当のことを言ってもいいと思ってた。でもタツヤが死んだら意味がない。それは気分が悪いし、これからの人生、ずっとそれを引きずって行くことになると思う。
よし、遠くからなら。様子を見るだけなら、きっと大丈夫だろう。道中も慎重に進んでいけばいい。それに今の俺はウンコマンじゃない。大丈夫だ。俺はあの丁字路の様子を見にいくことにした。
…
道中、タツヤには会わなかった。昼飯にでも帰ってくるかと思っていたが、どうやらその友達の家で食べてくるんだろう。
あの丁字路が見える場所まで来た。これ以上近づくのは危ないかも知れない。持ってきたカバンの中から双眼鏡を取り出し、丁字路の様子を見る。今はタツヤはいないようだった。
民家の間を通り抜けていけばあの空き地になら行ける。空き地の中であれば車が入ってくる心配も、頭上から何かが降ってくる心配もない。空き地からあの家の様子を窺おう。
民家の間を通り抜けるのは周りの目を気にする必要があったが、生垣や植込みに隠れながらなんとか空き地に辿り着けた。ここからだと丁字路と壁の工事をしている家がよく見えるし、反対に道路からこちらの姿は見えにくい。
空き地に来てから30分くらい経っただろうか。あの家からタツヤが出てきた。手には紙袋を持っている。タツヤは今でも同じ小学校から来たやつらにウンコマンと呼ばれていたが、そんなタツヤにも家に遊びに行けるような友達ができていたんだと思うと嬉しかった。
その友達がどんなやつなのか見てやろうと思い、双眼鏡で玄関をじっと見つめていると、そいつは出てきた。知らない30歳くらいの男だった。友達の親?それにしては若い。タツヤとその男は親しげに話をしている。まさか本当にあの男がタツヤの友達?俺にはよく分からなかった。
タツヤとその男は玄関で別れると、タツヤは丁字路に出てきて左に曲がり、家に帰ろうとしていた。俺がいつも死ぬ時間はとっくに過ぎていたからもう大丈夫だと思った。俺はタツヤと話がしたくなり、立ち上がってタツヤを呼んだ。急に空き地の草むらから出てきた俺を見てタツヤはびっくりしていた。そしてタツヤは俺から逃げようとして、どうしてか向かっていた方向と反対に走り出した。
「おい!待てよ!ウンコマン!」
こうしないとタツヤは立ち止まってくれないと思った。気がつけば俺は叫んでいた。
タツヤはまたあの家に戻ろうとしていたようだった。でも、俺に呼び止められて丁字路の真ん中に立ち、こっちを向いた。途中から分かっていた。でも、自分でもどうしても止められなかった。こうならなきゃいけないとすら思ってしまった。涙が止まらなかった。
今でも分からない。最後にタツヤは笑っていた。部活のきついトレーニングを終えた後に見たことのある、やり切ったような、安心したようなそんな笑顔だった。
紙袋の中身が舞った。そのうちの何枚かの紙が俺の足元まで飛んできた。A4サイズの用紙に下手な絵と沢山の線で漫画が書いてあった。ウンコマンの原稿だった。赤ペンでいろいろ書き込まれていたけど、涙でよく見えなかった。
…
今でも夏になると思い出す。ウンコマンの最終話が載ったあの週刊誌はまだ手元にある。夏になるたびに押し入れの奥から引っ張り出してきて読んでいる。
俺はあれから漫画家になった。あんな下手な絵で面白くないギャグ漫画を描いているわけではない。俺が書いているのはUNKO MANだ。単行本はもう40巻まで出した。アニメ化だってした。名前が名前だけに深夜アニメのままだが。
俺はこの漫画を書くことで日本中のウンコマンというあだ名をつけられた子供たちを救いたい。ウンコマンは決してカッコ悪いものじゃない。友達を救うために自分を犠牲にすることも厭わない。そんな正義のヒーローの名前なのだと。
36回目のウンコマン 水谷威矢 @iwontwater3251
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