望まれない愛の行方 3
ランドルフは気がついたら、人生をやり直していた。
かつての彼は妻を失い、絶望にくれるうちに命を落としていた。だがこれはきっと、神が与えたまたとないチャンスだ。
残念なことに、ランドルフが記憶を取り戻したときには既に、エステルはあの庭師に連れられて共和国に行ってしまっていた。もう少し早く思い出していれば、彼女を引き留められたのに。
庭師に抱かれていようと何だろうと、構わない。ランドルフが愛する女性は、エステルだけだ。
寛大な心で受け入れ、抱きしめ、今度こそ大切にしよう。
そうしてランドルフは今回も相変わらず苦言を呈してくる執事たちをはね除け、僅かな兵士を連れて共和国へ向かった。兵士の中には「無許可で国境を越えるのは……」と渋る者もいたので、容赦なく切り捨てた。
ランドルフは、一刻も早くエステルを迎えに行かなければならない。それなのに、たかが国境を越えることに渋る部下なんて、足手まといなだけだ。
エステルは庭師と結婚して、リミテア共和国のアシュリー地方というところで暮らしていた。
彼女らの結婚から一年半が経過しているが、手遅れになっていないだろうか。もう子どもが生まれていたりしないだろうか。
いや、もし生まれていたとしても、それが他の男の子であっても、構わない。エステルが産んだ子ならばそれは間違いなく、ランドルフにとっての庇護対象になる。
今度こそ家族で幸せに暮らせるよう、ランドルフは道を間違えたりしない。
……そう思い、領主であるオブライエン家に突撃して、連中が拘束しているエステルを出すよう命じた。
だがオブライエン家の者たちはランドルフの命令を聞いてもぽかんとするだけだった。
「え、ええと……エステルさんとは、うちの息子のお嫁さんのことですよね?」
「いや、違う。エステル・ハリソンは、私の妻だ」
物わかりの悪い領主にそう説明するが、彼はいよいよ困惑の表情になった。
「あの……大変申し訳ないのですが、長男のアーサーはエステルさんと正式に結婚しております。彼女に既婚歴があるとは聞いておりませんし……人違いでは?」
「人違いではない!」
面と向かって刃向かわれるとランドルフも手段を選ばないのだが、どうにもこのオブライエン家当主はぼけぼけとしており、手を下すのもためらわれてしまう。
この草ぼうぼうの僻地で暮らしていると、領主といえど平和ぼけしてしまうのかもしれない。
頭の中にまで雑草がはびこっている男と話すのも、時間の無駄だ。
幸い兵士が、「オブライエン家の使用人が、離れに向かっております」という報告を手に入れたため、急ぎそちらに向かった。
果たしてそこには、エステルの姿があった。この庭師は相変わらずランドルフを邪魔してくるし、しかも彼もエステルもランドルフと同じくあの記憶を持っていると分かった。
それならば、エステルは間違いなく自分を選ぶはずだ。そうならないのは、この庭師がまたしても邪魔をしてきたからだ。
そう思い、エステルの手を取ろうとしたのに――
エステルは暴言を吐きまくり、とどめには「気持ち悪い」とランドルフを罵倒した。
「嫌です」「やめてください」という可愛らしい抵抗なら慣れっこだったが、さすがに「気持ち悪い」と、反吐を吐きそうな表情で言われるとランドルフも傷ついた。
しかもエステルは自らアーサーの唇を求め、とろけそうな甘えた顔で彼の愛情をねだっていた。
あんな顔、自分には一度たりとも見せてくれなかったのに。
あんな甘えた声、一度も聞いたことがなかったのに。
あんな煽情的なまなざしを、一度も向けてくれなかったというのに。
あの、つまらない庭師の男には、惜しみなく見せている。
私の愛に応えて、もっと愛して、と全力で訴えている。
そうして、ようやくランドルフは分かった。
自分は……最初から、エステルに愛されていなかったのだと。
ランドルフはエステル奪還に失敗しただけでなく、不法侵入者として共和国の都に連行されてしまった。
その上層部たちにエステルとの関係性を説明しても、彼らは「なんだこいつ」と言いたそうな目でランドルフを見るだけ。早々に王国に連れ戻されたが、ランドルフの執務能力を高く買ってくれていた国王でさえ、「そなたは疲れているのだろう。療養地で休むとよい」と、少し目を逸らしながら言った。
間もなく伯爵代理が立てられ、ランドルフは療養――という名の実質追放処分を受け、郊外にある小さな屋敷に放り込まれた。
身分も何もかもを失ったランドルフは、エステル、エステル、と壊れた人形のように妻の名を呼んだ。
彼女に愛されていないと、信じたくない。受け入れたくない。
もしかすると、何年かしたらエステルもランドルフの愛に気づくかもしれない。あの貧しい庭師よりランドルフがいいと、迎えに来てくれるかもしれない。
蟄居から数年経った頃、屋敷の使用人たちが「もうすぐ建国記念日ね」と言うのを聞き、そうだ、とランドルフは思いついた。
エステルは共和国で暮らしているが、彼女の実家は王都にある。建国記念日は王国出身者なら誰もが祝うものだから、彼女も王国に戻ってきているかもしれない。
それまで無気力ゆえほどよく放置されていたランドルフは一念発起し、屋敷を抜け出した。そうしてくすねてきた金貨で馬車を拾い、王都に向かった。「マードッグ男爵邸前まで」と言って金貨全てを渡すと、御者はおっかなびっくりしつつちゃんと目的地まで送り届けてくれた。
マードッグ男爵邸はちんまりとした貧相な屋敷だが、ここがエステルの実家なのだ。
じんっと感動しながら屋敷を見つめていると、ふいに華やかな笑い声が聞こえてきた。
この、声は。
門の方へ向かったランドルフは果たしてそこで、愛する女性を見つけた。馬車から降りてきているところのようで、男爵家の使用人らしき者たちが彼女を迎えている。
やはり、建国記念日のためにわざわざ共和国からやってきたのだろう。
「エス――」
名を呼ぼうとしたランドルフの声は、子どもの「おかあさま!」という声でかき消された。
清楚なドレス姿のエステルの後に続き、五歳くらいの女の子が降りてきた。二つにくくった髪はエステルと同じ茶色だが、顔つきはあまり似ていない。
彼女の後から降りてきたのは……あの庭師だった。彼の腕には二歳くらいの男の子が抱かれており、柔らかい金色の髪が親子でそっくりだ。
女の子が元気よく走りだすのを、エステルが追おうとした。だが庭師に止められ、腕の中の子を使用人に託した庭師がエステルの腰を支えて、そっとキスをする。「走ったらだめだよ」「心配性ね。もう三人目だし、大丈夫よ」というやり取りがかすかに聞こえてきた。
――嘘だ、とランドルフは心の中で叫ぶ。
「……一緒に、店を回ろう。エステル、ほしいものはある?」
「うふふ、実はたくさんあるの。一緒に見てくれる?」
「うん、もちろんだよ。素敵なものを、たくさん買おうね」
エステルと庭師はそんな会話をしながら、使用人たちを伴って屋敷の方に行ってしまった。
彼らの後ろ姿を呆然と見ていたランドルフだが、門番が不審そうな目を向けてきたため慌ててきびすを返した。
エステルは、とても幸せそうに笑っていた。
すっかり大人の女性になったエステルだが、夫に向けるあの甘えるようなまなざしは数年前に共和国で見たときと、変わっていない。
既に二人の子がいて……あの会話からして、お腹の中には三人目の子どももいるみたいだ。
彼女は、ランドルフを必要としていない。
彼女の幸せは、あの庭師と――子どもたちのいる場所にあるのだ。
その後どうしたのか、ランドルフは覚えていない。
気がついたら彼は屋敷に連れ戻されており、ベッドに横になって白い天井をぼんやりと見上げていた。
エステル、とその名を呼ぶことはもうできない。
彼が愛した女性は――いや、そんな女性は、最初からいなかったのだ。
『一方的でしつこくて身勝手な愛なんて、迷惑なだけなのよ! それが、どうして分からないの!?』
数年前にエステルから投げつけられた言葉が、ざくざくと身を攻撃してくる。
そう、そうだった。
最初から、ランドルフに勝ち目なんてなかったのだ。
その愛、迷惑です! 瀬尾優梨 @Yuriseo
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