望まれない愛の行方 2

 医師の「奥様は悪阻が重いようです」という報告を聞き、ランドルフは考えた。


 跡継ぎは、大事だ。だが、エステルと子どものどちらが大切かと言われたら、エステルの方に決まっている。


 もし、悪阻があまりにもひどくてエステルうが衰弱したら。出産時に赤子の命と引き換えにエステルが産褥死したら。

 ランドルフは、正気を保てないだろう。


 子どもなら、よその子に産ませてもいい。ジョージアナあたりに産ませた子を引き取り、エステルと一緒に育ててもいい。

 エステルの子どもを育てられないのは残念だが、彼女の命や健康に代えられるものはない。


 だからランドルフは、エステルの子どもが流れればいいと提案した。だがそれを聞いた執事は大激怒し、ランドルフに食ってかかってきた。


「それが、父親として……人としての発言ですか!」

「貴様、私によくもそのような口をきけるな!」

「もう我慢なりません! 奥様がどのようなお気持ちで日々過ごされているのか、知ろうともしない旦那様を擁護することはできません!」

「き、貴様……! クビだ! 貴様のような人間は、不要だ!」


 いい年をしてわめきまくったランドルフだが、執事もなかなか頑固で物わかりが悪く、クビを宣言してもなお激昂して刃向かってきた。


 執事との言いあいは明け方まで続き、ランドルフはエステルの顔を見ることもできずにすぐ城に出仕しなければならなくなった。


「あの老いぼれが……!」


 執事に対する呪詛を吐きながら仕事をこなし、ランドルフは屋敷に帰った。


 エステルは優しいから、子どもを堕ろせと言っても泣いて抵抗するだろう。

 だから、メイドなどに薬を持たせてそれをエステルの飲み物に入れさせる。子どもが育たなくなったのはエステルのせいではない、と慰めれば彼女もきっと、理解してくれるはず。


 もう子どもなんて産まなくていいから、エステルには幸せに過ごしてほしい。

 そう思っていたランドルフだが――


「……おい、エステルはどこだ?」

「奥様は、既にお休みになっています」

「では、顔だけでも――」

「いえ、奥様は一人がいいとおっしゃっています」


 家政婦がそう言ったため、ランドルフは彼女をじろりとにらんで舌打ちした。

 今すぐにエステルの顔を見たかったが、彼女を泣かせるのは本望ではない。仕方ないから、明日の朝に様子を見よう。


 ……そう思っていたが、朝になってもエステルは降りてこないどころか、寝室にその姿はなかった。


「エステルを出せ!」


 家政婦や執事に命じるが、彼らは何も言わない。屋敷の使用人全員を集めてエステルの居場所を問うが、皆だんまりを貫いている。これは、どういうことか。


 ……まさか。

 皆で結託して、エステルをどこかに幽閉したのか。


 ランドルフは剣を抜き、まずは手近なところにいたメイドを斬り伏せた。彼女が血を流して倒れるとあちこちから悲鳴が上がり、逃げ惑い始める。


 だがランドルフは勢いを止めず従僕の青年を捕まえて床に蹴倒し、その喉元に血塗れの剣を突きつけた。


「エステルをどこにやった。言え!」

「っ……!」

「言えば、命だけは取らないでやる」


 ぎり、と喉の皮膚に剣先をめり込ませながら問うと、青年はぼろぼろ涙をこぼした後に――


「……言えませんっ!」


 そんなつまらないことを言ったので、遠慮なく斬り捨ててやった。


 何人もの使用人を手にかけてようやく、命乞いをしたメイドから情報を得られた。


「お、奥様は庭師と一緒に、逃げました!」

「逃げた……だと? どこへだ!」

「ひ、東の方へ……教会に行って修道女になってから、共和国の方へ……」

「……さては貴様ら、全員で謀ったな! この私を愚弄したな!」

「ひぃっ!? い、命は! 命だけは、どうか! 死にたくっ……ぎゃあああっ!」


 ランドルフは約束通り、命だけは取らなかった。

 だが怒りにまかせて振り下ろした剣により、彼女の顔はズタズタに切り裂かれた。一生残らない傷だろうが、死ぬことはないだろう。


 顔を手で押さえてうめくメイドを蹴倒し、ランドルフは屋敷を出た。伯爵家の使用人たちは全員あてにならないから新たに兵士を雇い、すぐにエステルたちの後を追った。


 どうか、無事で。

 すぐに助けに行くから、待っていてくれ。


 そんな祈りが天に届いたようで、ランドルフはエステルたちの馬車に追いつくことができた。


 御者台に座っているのは、伯爵家で雇っていた庭師の青年。顔つきが美しいのが気に入らないが、彼が手入れする庭園をエステルが愛しているようなので、仕方なく雇っていた。


 それなのに、恩を仇で返された。


「やめてっ! その人を殺さないで!」


 庭師を捕らえさせると、ランドルフの腕の中にいるエステルが必死に抵抗した。

 かわいそうに、エステルはあの男に言葉巧みに騙されてしまったのだろう。


「エステルは、優しいね。……だが、伯爵夫人を拐かした罪人を、罰さずにいることはできない」

「違う、違うの! 悪いのは、私だから! アーサーを離して、離してあげてっ!」

「奥様っ……」


 庭師が、うめく。耳障りだ。


 エステルを兵士に託し、ランドルフは剣を抜き――己の妻を拐かした罪人を、剣の一閃により斬り捨てた。


 鮮血が飛び、ランドルフの頬と胸元を汚す。妻を攫った憎き男は一瞬で事切れ、動かなくなった。


 本当ならば、こんな簡単に殺すつもりはなかった。

 エステルを攫ったことを後悔するくらい手ひどく痛めつけ、死ぬ方がましという目に遭わせた上で殺してやろうと思ったが、エステルのためには不穏分子をさっさと排除した方がいいだろう。


 これで、エステルは安心して屋敷に戻れる。


 頭の悪い使用人も、あの忌ま忌ましい庭師も、もういない。

 あの屋敷はランドルフとエステルだけの、二人だけの家になるのだ。


 ……だと思ったのに。


「大っ嫌いです」


 ランドルフを人殺しと罵り、その左頬に強烈な一撃を食らわせた後に、エステルは薄い笑みを浮かべてそう言い、自らナイフで喉を掻ききった。


 どさり、とその小さな体が倒れる。

 どくどくと止めどなく流れ出るのは、真っ赤な血。エステルの命の源。


「……エステル?」


 ナイフで頬を抉られた痛みも忘れ、ランドルフは呆然としゃがみ込んだ。

 エステルを抱き上げるが、うんともすんとも言わない。異様に痩せ細った体の中で、腹部の膨らみだけが目立っている。


 知らなかった。

 エステルは、これほどまで追い詰められていたのだ。


「……許さない」


 妻の亡骸を抱きしめ、ランドルフはつぶやく。


 エステルを追い詰めた者たちを、許さない。

 可憐で快活な彼女を傷つけ、洗脳し、自死に追い込んだ者を、決して許さない。


 生まれ変わっても、必ずその者を追いかけ――地獄の底にたたき落としてやる。

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