番外編
望まれない愛の行方 1
ランドルフ・ハリソンは、ハリソン伯爵家の嫡男として生まれた。
彼に姉はいたが男兄弟がいなかったため、生まれた瞬間に跡継ぎとして認められ、次期伯爵としての教育を施されることになった。
銀色の髪に冴え渡る緑色の双眸を持つランドルフは、才覚を父親から、その美貌を母親から譲り受けていた。
幼少期から神童、眉目秀麗な貴公子としてちやほやされていた彼は、もてはやされることに慣れてしまっていた。
早々に父親が引退して伯爵位を継いだランドルフだが、いまひとつ周りの人間に関心が持てなかった。
彼には子どもの頃からの婚約者である子爵令嬢・ジョージアナがいたが、ごてごてと身を飾り立てて甲高い笑い声を上げる彼女のことは、ちっとも好きになれなかった。
世の中の人間はおしなべて、くだらない。
そんなことを考えていた彼は、ある使用人に目を付けた。
彼女の名は、エステル・マードッグ。弱小貴族マードッグ男爵家の令嬢で、行儀見習いのために伯爵家の上級使用人として採用した者だった。
同じ貴族でも、子爵家以上と男爵家では雲泥の差がある。最初は、平民に毛が生えた程度の女の顔なんて記憶の片隅にも残らなかった。だが、いつも茶を淹れる当番のメイドの調子が悪いとかで、エステルが急遽担当することになった。
そうしてランドルフは、エステルの魅力に気づいた。
ジョージアナのような華やかな美貌とは言えないが、愛想がよくて愛らしい顔つきをしている。大きな青色の目はくるくるとよく動き、薔薇色の唇の口角が少し上がりなんだか楽しそうな表情をしているのがなんとも新鮮だった。
いつしかランドルフは、エステルを積極的に指名するようになった。
呼ばれて参上したエステルは楚々とした態度で仕事をしつつも、ランドルフの使命を受けたことに嬉しさを隠せない様子だと分かった。
口下手なランドルフだが、話題を振るとエステルは嬉しそうに応じてくれる。
「旦那様」と呼ぶはつらつとした愛らしい声をもっと聞きたい、その体に触れてみたい、あの大きな目に自分だけを映してほしい、という欲望が日に日に募っていった。
エステル、エステル、と誰もいない執務室で名を呼び、庭園をちょこまか動く彼女の姿をじっと見つめる。
お抱えの画家にエステルの肖像画を描かせ、それを寝室に持ち込んで毎晩本物の代わりに愛でる。
だが、それだけでは物足りなくなった。
エステルを、自分だけのものにしたい。
部屋に閉じ込め、誰の目にも触れさせたくない。
自分だけの名を呼び、自分だけを目に映し、自分だけの声を耳に入れてほしい。
だがエステルは遠慮がちだから、「結婚してほしい」と言ってもきっと恐縮してしまうだろう。それに、ジョージアナもうるさいだろうし頭の固い執事も文句を言ってくるはず。
そんなことになれば、優しくて愛らしいエステルを困らせてしまう。
ならば、足場を固めてしまえばいい。
そうすれば文句を言う者もおらず、エステルも安心して嫁いできてくれるはず。
そう思って、ランドルフは準備を進めた。
エステル用の部屋を整え、結婚宣誓書にサインをする。エステル本人に書かせることはできないので残念だが、依頼をして代わりのサインを書かせた。これなら、エステルの手を煩わせることもないだろう。
そうして満を持して、結婚宣誓書を提出した。
「私たちの結婚が、受理された。今日からエステル、君はハリソン伯爵夫人だ」
エステルに向かってそう言うと、彼女はぽかんとしていた。徐々に顔色が変わっていき、「え?」「何ですか、それ」と動揺する姿も愛らしい。彼女もまさか、密かに恋い慕っていたランドルフと結婚できるなんて夢にも思っていなかったのだろう。
彼女は、「嫌です!」と照れ隠しで暴れるが、そんな抵抗さえ愛おしい。
「もう、離さないよ」
彼女の目尻を流れる涙に口づけ、新妻を寝室に連れ込んだランドルフはその体を丹念に愛し、己のものだという証しを刻みつけた。
エステルとの新婚生活は、まさに薔薇色の毎日だった。
エステルは結婚してもなお慎ましく、高価な宝石もドレスも望まない。ただ、「お外に出たいです」「お買い物をしたいです」とおねだりをされるが、外の世界は彼女にとって危険だ。
ジョージアナは烈火のごとく怒っているし、ランドルフの結婚を快く思わないウジ虫が跋扈している。そんな穢れた世界に、清純なエステルを触れさせるわけにはいかない。
おまけに、彼女によからぬことを吹き込む使用人も多いようだ。これは全くもって、面白くない。そういう者たちを罰していくとエステルもおとなしくなったので、これでよかったと安堵している。
エステルは伯爵夫人となってから緊張しっぱなしのようで、ランドルフに愛を囁かれているときも抱かれているときも、ぼろぼろ泣いたり表情をこわばらせたりすることが多い。
だが、時間が経てば。邪魔者を全て排除したらきっと、エステルは前のような明るい笑顔を見せてくれるはず。ランドルフだけに。
だから、その日までランドルフは手を尽くした。
一度、使用人の不手際でジョージアナが伯爵邸に来たことがあったので、適当な噂をでっち上げて子爵家もろとも潰した。
汚名を着せられた子爵は泣いて許しを請い、ジョージアナも取り乱していたが、ランドルフの愛するエステルを傷つけた罰がこれくらいで済むと思ってほしいくらいだ。
やがて、エステルは妊娠した。
彼女の腹にはランドルフの子、伯爵家の嫡子が宿っている。
「エステルは、本当によくやってくれた。何か、ほしいものはないか? 私の子を育ててくれているエステルのためなら、なんでもやってあげよう」
ベッドで妻を抱きしめながら、優しく尋ねる。腹の子を傷つけないよう後ろから抱きしめているのでエステルの表情は見えないが、彼女が逡巡しているのはその所作から分かった。
彼女が望むものなら、なんでもあげる。
そして彼女が厭うものがあれば、すぐに抹消する。
全ては、エステルのために。
しばらく悩んだ後にエステルが「旦那様に、側にいてほしいです」と可愛らしい声で囁いたため、ランドルフの胸は歓喜で満たされた。
なんて慎ましくて、いじらしくて、愛らしい妻なのだろうか。
「ああ、もちろんだ! ずっと、ずっと君の側にいるからね、可愛いエステル」
熱く囁いて抱きしめると、腕の中でエステルが震えた。
妻のことを一生愛して、子どもも大切に育てよう。
……そう思っていたのだが、ランドルフにも苦渋の決断というものがある。
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