12 花のようなあなたと

 ランドルフが都に連行された後に王都に送還されたという知らせが、アシュリー地方にも届いた。


「やっと、いなくなってくれたわね」

「うん、やっと、だよね……」


 手紙をテーブルに置き、エステルとアーサーは深いため息を吐き出した。


 ランドルフ襲撃事件からエステルたちも都に呼ばれて事情説明をしたり報告書を書かされたりと、忙しく動いた。

 その際、「ランドルフ・ハリソンがエステル・オブライエンとの夫婦関係を主張しているが、どういうことなのか」と聞かれたが、「知りません」「何を言っているのかよく分からなくて怖いです」と、二人で示し合わせてとぼけておくことにした。


「まさか、あの人まで【あの未来】の記憶を取り戻すとはね……」

「そりゃあ、僕たちが同じように記憶を持っている時点で不思議だけど、そういうことが起きてもおかしくはなかったということだね」


 ただでさえ、「人生をやり直しています」なんてたやすく言えないことだ。

 だからエステルとアーサーは二人だけの秘密としてうまくやり合っていくつもりだったが……ランドルフはそうではなかった。記憶を取り戻すなり、アーサーに連れて行かれたエステルを取り返しに行ったのだというから、そのねちっこい執着心には呆れてしまう。


「……あの、さ。僕……【あの未来】について、君に申し訳ないことをした」


 アーサーが切り出したので、彼の言わんとすることを察してエステルは首を横に振った。


「そのことならいいって言ったじゃない。あなたの判断は正しくて、だから私はあの人が襲来するまで、余計なことを思い出さず楽しく過ごせていたのよ」

「……」

「途中から私の記憶がないってことにアーサーが気づいたのは……私と会話をしたから?」

「……うん。僕は、本当は自分が殺された瞬間のことまで明確に覚えていたんだ。でも……君があの結末を覚えていないのならそれでいいと思って、嘘を貫くことにしたんだ」

「いつか言おうとした、とか?」

「いや、墓場まで持っていくつもりだった」


 アーサーは落ち込んだ様子で言うが、彼の判断と思慮深さにエステルは感謝しかできない。

 もし彼がランドルフのように浅はかだったら、エステルはあの屋敷にいる時点で取り乱し……それこそランドルフ本人に突撃するなど、取り返しの付かなくなるような失態を犯していたかもしれない。


 考え込むエステルだが、アーサーは手紙を封筒に入れてから、んんっと咳払いをした。


「そ、それでだね。邪魔者もいなくなったことだし……いろいろと、改めたいというか」

「いろいろって?」

「ほ、ほら、その……君、あいつの前でその……やってきたよね?」

「やって……。……あ、ああぁ……」


 つまり、それは、あの色気も何もないファーストキス失敗事件のことだ。


 途端にそのときのあれこれをつまびらかに思い出してしまい、ぽんっとエステルの顔が熱を持った。


「え、ええと、その……ごめんなさい! 同意もなしに唇を奪ってしまいました!」

「あ、いや、それはいいんだ、うん。あいつに見せつけるという目的を達成するのには、一番手っ取り早かったし」


 アーサーは、あのときいきなりエステルが大胆な行動を取った理由をきちんと理解してくれていたようだ。


 ランドルフに対しては拒絶もしくは無気力な態度しか取らなかったエステルが、アーサーに対しては積極的になり甘えて……アーサーの言う「エステルのこんなとろけた顔」を見せるということで、彼を牽制することにつながった。


(「こんなとろけた顔」がどんなのか、気になるけど……聞くとなんだか後が怖いし……)


「そ、そうだけど……でも、その、ロマンスの欠片もないし、それこそ愛情の押しつけかと思うと胃が痛くて……」

「まさかっ! あ、ええと……君も思い出したようだけれど、僕は【あの未来】のときからエステルのことが好きだったし、やぶさかでもない……というかむしろ嬉しかったし……」

「そ、そうなの?」

「嫌だったらその後で僕の方から求めたりしないだろう?」

「あ、う、うん、そうだよね……」


 なんだかいたたまれない気持ちになってエステルはうつむくが、その隣では同じようにアーサーも視線を逸らしてもじもじしていた。


 胸の奥がくすぐったいような、少しだけ恥ずかしいようなこの感覚も、案外嫌ではなかった。


「それで、だね。……僕たちはあいつから逃げるために偽装結婚をしたわけだけれど……もう、その必要もないかと思って」

「……」

「あ、いや、必要がないのは『結婚』の方じゃなくて、『偽装』の方だからね! だって僕たちは、その……いわゆる、両思いなんだから」


 りょうおもい。


 どくん、どくん、と心臓が甘い悲鳴を上げる中、エステルは恐る恐る隣を見上げた。

 アーサーも恥ずかしいのかこちらを見ないまま、早口で続けている。


「だから、改めて……というわけじゃないけれど、偽装をやめて本当の夫婦に……あ、でもそれは段階を飛ばしすぎているから、まずは恋人……? でも、夫婦なのに恋人っておかしいかな……って、ちょっと、笑わないでよ」

「……ふふっ、ごめん」


 あれこれ口にしながらわたわたするアーサーが愛おしくて、つい笑ってしまった。


「私たち、両思いなのね」

「そ、そうだね」

「……もうちょっと近くに行って、いい?」

「……うん、来て」


 エステルのおねだりを受け入れ、アーサーが腕を伸ばしたのでエステルはその空間にぽすんと身を預けた。すると、甘くて優しい香りがエステルの鼻をくすぐった。


「……前にも思ったけれど、アーサーは花の匂いがするわね」

「クリスタルフラワーにまみれて生活しているからね。……ひょっとして、臭い?」

「ううん、まさか。あなたからいつもクリスタルフラワーの匂いがするから、クリスタルフラワーの花壇の近くにいるだけで、あなたに抱きしめられているような錯覚に陥っちゃうのよ」

「そ、そうなのか? ……いやでもそれはそれで花に嫉妬しそうだな」


 もごもごと言うアーサーの横顔を見上げ、エステルは「ねえ」と呼びかける。


「私、これからもあなたと一緒にいたい」

「……うん」

「これからもこのアシュリー地方で、喫茶店を経営したい。あなたの育てた花をお店に飾って、あなたとおしゃべりをして過ごしたい」

「うん」

「それでも、いい? 私、たくさんわがままを言ってしまいそうだけれど」

「君のわがままなんて、可愛いものだよ。いくらでも……って見栄を張れるほど僕の懐が無尽蔵なわけじゃないけれど、できるならいくらでも叶えてあげる」


 アーサーが甘いまなざしでそう言うのはきっと、【あの未来】でエステルを助けられなかった負い目があるからというのもあるだろう。


 だがもう、【あの未来】をたどることはなくなった。


 これからエステルは、こののどかな地方で生きていく。

 誰かの自己満足な愛情を押しつけられた箱庭で過ごすのではなくて、自分で選んだ道を歩き、自由を謳歌しながら生きていける。


「ありがとう、アーサー。ずっと……あなたのことが、好きだったわ」

「……うん、僕も。ずっと君のことが、好きだよ」


 さらり、とアーサーの指先が、エステルの髪を撫でる。その指先は少し荒れているし爪も短くて、ランドルフのようなきれいな指先とは大違いだ。


 だがエステルは、愛情を込めて花を育て、時には小さなナイフを手に敵に立ち向かうこともできるこの手が……大好きだった。


「一緒に幸せになろうね、エステル」

「うん。今度こそ幸せになるし、あなたのことも幸せにしてみせるわ」

「はは。ありがとう、期待しているよ」


 同じ青系統だが濃さの違う二対の目が互いを見つめ、静かに顔が近づく。


 思いを込めて重ねた唇は、クリスタルフラワーの砂糖菓子のような味がした。

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