Case.5 風の魔法

 空を爆速で駆け抜ける犯罪者。その手に握られた袋には、盗まれた武器や防具がこれでもかというほどつめられている。そして、そいつがもう一方の手でしかと掴みまたがっているのは、これまた先程盗まれた私のほうきだった。


「返せ、この泥棒ー!」

「ハッ! 返せと言われて返す泥棒なんていねーっての!」


 一時しのぎとして借りたなんの変哲もない物干し竿にまたがり、何とか風火ブーストをかけて追いかけるが、やはり使い慣れないことに加えて安定性も悪くいつものように上手くはいかない。


 そもそも、一体どうしてこんなことになってしまったのか。私は数分前、兵士からの応援要請を受けて、今いる現場に向かった時のことを思い返していた。

 この国では、窃盗せっとうや傷害などの犯罪には基本的に兵士が対応することとなっている。ただし、そこに魔法が絡んでいるとなれば話は別だ。

 兵士だけでは対応出来ないような魔法による犯罪を協力して取り締まるのも、我々、魔法取締官の務めのうちに入る。

 今回もその要請を受け、風の魔法を悪用し盗みを繰り返す卑劣な犯人を追うべく、私はこの場に馳せ参じたのだが……運悪く不意をつかれて、そして今に至るというわけだ。

 まさか、捕まえる側である自分が窃盗の被害者になってしまうとは。本当に、我ながら情けないことこの上ない。

 こうしている間にも、犯人の男は風の魔法を駆使して屋根の間を縫うように飛んだり、障害物をこちらに飛ばしたりとやりたい放題である。


「ああ、もう! 何もかも上手くいかない!」


 思うように動くことが出来ない無力感で、不意に視界がじんと滲む。泣いたところで、追いつけるはずもないというのに。


 市街地を抜け、広い草原の真上へと犯人が飛び上がろうとしたその時、男の動きが急にピタリと止まったように見えた。止まっている、というよりは、まるで何かに引っ張られるように、ズルズルと地面に向かって降りていく。


「な、何だ!? 袋が、引っ張られる!」


 よくわからないが、この絶好の機会を逃すほど魔取マトリは甘くない。私は即座に手錠を取り出し、袋を必死に掴んで取り返そうとする犯人の両手を拘束した。

 瞬間、風によるコントロールを失った男は袋ごと大きな力に引き寄せられ、そのまま地面に埋まる岩へと激突した。幸か不幸か、袋がクッションとなり、男は気を失うだけで済んだらしい。


「おーい、カンナ! ナイスプレイ!」


 草の間に埋もれた自分の箒を拾い上げ、キョロキョロと辺りを見渡すと、声の主が岩のそばで大きく手を振っていた。エルだ。


「エル! 来てたんだ」

「まあね、ちょうど手が空いてたから」

「……ありがとう、正直助かった」


 あの状況でエルの魔法がなければ、私は確実に犯人を取り逃していただろう。素直に礼を言うと、エルは少しだけ照れつつも胸を張った。


「盗まれたのが鉄製品ばっかりだったのが幸いだったね。土魔法を少し調整して強い磁石にしてみたんだけど……上手くいってよかった」

「やっぱり凄いね、エルは。私なんか、箒を盗られた上に得意のスピードでさえ役に立たなかったし……」


 それに以前も、上司 直々じきじきに頼まれた任務中に正体がバレた上、脱法 魔法マジックによる死人を目の前で出してしまった。


「ハハッ……魔取失格なのかも、私」


 自嘲じちょうし顔を伏せる私を見て、エルは豆鉄砲を食らったような表情で固まっていた。


「どうしたの? いつもなら『捕まえたのはこの私だけどね!』くらいの憎まれ口叩くのに。何か変なものでも食べた?」

「……ごめん。確かに、らしくないよね。さ、早く兵士の人に引き渡して帰ろう」

「そう、だね」


 つい弱音を、それも同僚の前でいてしまったことを後悔しながら、私は気絶した犯人をその場に駆けつけた兵士達に引き渡した。


「……無理しなくていいのに」


 後ろでエルが、吹き抜ける風の音に紛れて何かを呟く。


「え、何? 何か言った?」


 慌てていつも通りの笑顔をつくろいつつ振り返ると、エルは一つ大きく息を吸って、真っ直ぐにこちらを見つめた。


「あのさ、正式に魔取になった以上、失格もクソもないよ。少なくとも僕は、カンナをそんな風には思わない。それでも、どうしても自分が向いてないと思うなら……確かめてみればいい」

「……どう、やって?」


 その質問に、エルは待ってましたとばかりにニヤリと微笑ほほえんだ。


「模擬戦、だよ」


 模擬戦、それは魔法訓練の一環として不定期に行われる、いわば魔取内での一種のイベントのようなものである。勿論もちろん、全員が一斉に参加すると仕事が回らなくなってしまうため、一年ごとに、いくつかのグループに分かれて順番に行うのが通例となっているということらしい。

 そして明日は、ちょうどその模擬戦の日。


「でも……まだグループとか、対戦相手とか、決まってないんじゃ……」

「対戦相手は当日にならないとね。でもグループはついさっき決まったところだよ。僕とカンナはAグループで、明日の模擬戦に参加。これはもう決定事項だから」


 さあ帰ろう、とエルはどこか上機嫌な面持ちで、私を追い越し前へと歩く。同じグループ、それはつまり、最悪の場合、エルと戦うことになるかもしれないということを意味している。


「確かめる、か」


 それもいいかもしれない。実際、この訓練は自分の実力を知るいい機会になるだろう。


「ま、僕は負けてあげるつもりなんて一ミリもないけどね」

「それは、お互い様。でしょ?」

「……そうこなくっちゃ! 明日、楽しみにしてるから」


 こちらこそ。その言葉の代わりにダッシュでエルの背中を追い抜きひた走る。私の不安は決して消えたわけではないけれど、それでも明日、自分自身でこの気持ちに終止符を打ちたい。そう、強く思った。


 きたる模擬戦の日、その対戦表を見て私は唖然としていた。いや、私だけではない。恐らくAグループの誰もが目を見開き、驚いているに違いない。


「な、な、なんで……。どうして上官の名前がここに!?」

「ふふ、かな〜りサプライズになったみたいね?」


 肩に置かれた手の温もりに思わず体が跳ねる。振り向くと、そこには満面の笑みで対戦表を眺める上官の姿があった。


「今年は人数が奇数だから特別参加ってわけ。じゃあ早速、対戦相手を適当に決めちゃいましょうか」


 そう言うと、上官は並んだ名前をシャッフルし、二つずつランダムに振り分けていく。

 緊張の一瞬。エルも私も、その場の誰もが、固唾かたずを飲んで自分の名前の行方を見守っていた。


「はい、決定。一組目は……うふふ、カンナちゃんと、わ、た、し!」


 悲しいかな、祈りは届かず、私は上官の気まぐれの犠牲となってしまった。


「ええ!? ……ほ、本当にランダムなんですよね?」

「不正に溺れるほど、私は落ちぶれちゃいません! 続いて二組目……」


 その後も三組目、四組目と流れるように組み合わせが決まっていく。ちなみにエルは二組目である。


「まあ……頑張ろっか、お互い」

「絶対、他人ひとごとだと思ってる」

「あはは、でも僕だって、結構な先輩とやらなきゃだから……本心だよ」


 それじゃ、また後で。そう言い交わして、私達はそれぞれの戦場へ向かった。


 署の外にある訓練場の一つに入ると、そこでは既に上官が準備体操をして待っていた。


「あら、遅かったわね。もしかしてトイレ?」

「まさか、お腹の調子はむしろ良いくらいですよ」


 頬を軽く叩いて気合いを入れ直し、余裕の表情でたたずむ上官と相対あいたいする。


「ルールは簡単、手錠をかけられた方が負け。さあ、どこからでもどうぞ?」

「……じゃあ、お言葉に甘えて行きますよ! 風火ブースト!」


 瞬間、箒の後方に渦巻く風が唸りを上げて加速した。実力差を埋めるには、体力のあるうちに速攻で決めるほかない。


「もらった!」


 上官の顔が眼前に迫る。


土風ダスト


 取り出した手錠を構えたその時、とんでもない風圧と共に、砂埃が視界を一気に覆いつくした。反射的に目をつぶった隙に、上官が下に潜り込み自身の懐に手をかける。


「甘いわね……。いくら速くても、動きが予備動作でバレバレよ!」

「くっ、風火ブースト!」


 上官の手錠が触れるギリギリのところで、なんとか距離を取り、すぐさま体勢を立て直す。


土水ディプール!」


 これで上官の動きを少しでも止められれば、そう考えたが、その希望は呆気なく打ち砕かれた。


火風ジェット!」


 こちらの魔法が発動する前に、上官が砂埃を突っ切って、真っ直ぐこちらに飛んでくる。目視すらままならない速度。このままでは、何も出来ずに捕まってしまう!

 風火ブーストを駆使して上空でひたすら逃げ回るが、上官は私の後ろをピッタリとついてくる。私が旋回すれば、上官も全く同じ軌道を描いて、なのにほんの少しずつ、その差がジリジリと縮まっていく。


「なんで!? スピードは同じくらいのはずなのに!」

「確かにスピードは同じかもね。でも、私とカンナちゃんでは決定的に違う部分がある」

「実力ですか? そんなこと、言われなくたって……!」


 わかってる。そう言いたかったのに。自分の弱さが、目の前にありありと浮かぶ事実が無性に悔しくて、自然と涙が後方へと流れて光った。


「実力? そんなもの、後からいくらだってついてくる! 私が言いたいのはね……カンナちゃん。あなたは自分の心に嘘をついている。迷っているの。私が頼んだ任務で落ち込んでいるのはよく分かっている。もっと早くに頼んでいればと毎日思う。でもね、後悔だけじゃ、人は前には進めない。いくら卑屈になったところで、成長できるわけじゃない!」


 上官は、ついに逃げる私の前に回り込み、肩で息をしながら顔を上げた。固い意志をはらんだ瞳が、私の心を真正面から射抜く。


「覚えてるかしら? 私がカンナちゃんに会った時、一番最初に聞いたこと。私は別に、あなたを実力で取ったわけじゃない。完璧を求めたりもしない。まだ一年目、失敗なんていくらでもすれば良い。それを背負うために私がいるの。私は、あなたが相応ふさわしいと思ったから、だから採用を決めた。ただそれだけよ」

「一番、最初……」


 そうだ、面接で、志望動機を聞かれた時。私は曇りのない目をしてこう言ったはずだ。


「……魔法で、傷つく人を無くしたい。魔法は、人を笑顔にするためのものだから。だから、私は」


 たぎる魔力が身体中を巡り、じわりじわりとあふれていく。そう、そうだった。くよくよしたって、一度してしまった失敗は取り返せない。それなら、失敗を繰り返さないように反省して、きちんと次に活かせばいい。それで、失ったものよりも、もっと沢山の人の笑顔を守ればいい。


「……私は、絶対に一人前の魔法取締官になりたい!」


 もう自分に嘘はつかない。弱音だって、明日への原動力に変えてみせる。それが、私が目指した魔取という仕事において見せられる、最大の誠意だから。


「思い出した?」

「はい……これで心置きなく、上官と戦えます!」

「ふふ、言ってくれるじゃない。その心構え、二度と忘れちゃダメだからね!」


 再び火風ジェットで迫る上官を、ぶつかる寸前まで引きつける。狙うのは、手錠をかける時に生じる一瞬の隙。スピードが僅かにゆるむ、その刹那せつな


「……風火風ターボ!」


 膨大な魔力が瞬時に圧縮し、凄まじい熱量で空気が歪む。風火ブーストよりも遥かに大きなエネルギーが、箒ごと私の体を揺らしている。


「なっ!?」


 捕まるすれすれのところで急降下した私に面食らい、上官のバランスがフッと崩れた。


「食らえーっ!」


 そのまま旋回、急上昇した私は、上司の後ろから真上へ。そしてすれ違う一瞬で、その無防備な両手へと手錠をめた。


「う、嘘……。やった、やった! やったー!」


 ——カチャリ。両手もろてを上げて喜ぶ私の手首に、何か冷たいものが触れる。


「ざーんねん! 幻でした〜」


 無情にも、魔法を封じられ墜落する私を、本物の上官が抱きかかえてそのまま着地した。


「惜しかったわね。最後は本当にヒヤッとさせられちゃった。いやぁ、危ない危ない」

「何が『危ない』ですか! ぬか喜びさせておいて、こんな、こんな……卑怯です」

「でも、悪くない、むし清々すがしがしい。違う?」


 上官は、手錠を外してにこやかに微笑む。


「……もう! そういう台詞せりふは、負けた方が言うものなんですよ!」


 私の心は、洗い立てのシーツのように真っさらで。上官の言う通り、悔しさよりも学びを得られた嬉しさの方が何倍も大きくて、気がつけば自然と顔がほころんでいた。


 訓練場から戻ると、エルが疲れ果てたような顔でこちらにひらひらと手を振っている。よく見ると、制服があちこち泥だらけで、なんとか水魔法で洗浄しているらしかった。


「エル、お疲れ。その服どうしたの?」

「ああ、カンナこそお疲れ様。これはちょっと……最後に一発食らっちゃって」


 力なく笑いながら、エルは汚れの一つ一つに手をかざしていく。


「あ、でもね。初めて複合魔法を成功させられたんだ。ほら、僕、飛び級で年齢的にずっと使えなくてそのままだったから……おかげでギリギリ、なんとか勝てたよ」

「ふーん、エルにも苦手なことあったんだ。意外かも」

「そうだよ、僕だってみんなにオールラウンダーなんて言われてるけど苦手なことくらいある。だからカンナも元気出してって、言おうと思ってたんだけど……その調子じゃ、必要なかったみたいだね」


 そうか、エルなりに、気を使っていてくれたんだ。その優しさが、今はとても胸にみる。


「……ありがとう、色々。もう、大丈夫だから」

「お礼は僕じゃなくて上官に言ったほうが……あ、そうだ、結果! 負けた? それともまさか……」

「えへへ、実はねぇ」

「そ、その嬉しそうな感じ、まさかそうなのか!?」

「最後に新しい複合魔法でバーンと決めて……!」


 エルは手を止め、ゴクリと唾を飲む。


「負けた」


 ずっこけたエルの手からバケツ一杯程度の水があふれ出す。お互いずぶ濡れの姿を見合わせて、私達二人は火魔法をその手に宿しながら、制服が乾くまでいつまでも声を上げて笑っていた。

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魔法取締官K.S.の捜査記録 御角 @3kad0

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