Case.4 蘇生の魔法

『お前、聞いたぞー? 新しい複合魔法、成功させたんだってな』


 マイラ先輩! いやぁ、それほどでも……。えへへ。


『さっすがカンナ、天才! 僕、憧れちゃうなぁ!』


 エルまで……! ふふ、苦しゅうない、苦しゅうないぞ……。


「……い、お……」

「うぅん……ぐへへへ」


 あれ、なんだか、世界が、ぼやけて……


「——おい、起きろ!」

「うへ……へ? あ、あれぇ……?」


 重いまぶたをうっすら開くと、いつも通り不機嫌そうな先輩の顔が、おぼろげに私の視界に入ってきた。

 まばたきするごとに焦点は定まり、思考もクリアになっていく。


「せ、先輩!? いつから、ここに」

「さっきだよ、さっき。確かにハードな任務だったから、先に帰れとは言ったけどな……せめて報告くらいしてから寝てほしかったところだ」

「報告って、爆弾の件ですか? それならもう……」

「いや、それだけじゃ足りないだろ。他のやつから聞いたが、お前、風火ブースト以外の複合魔法を新しく使えるようになったらしいじゃないか。上が把握しておくために、普通の魔法は年一回、複合魔法は自由度が高いからその都度、報告がいるって説明、最初に受けなかったか?」


 そう言われてみれば……。しまった、任務帰りで疲れていたこともあってすっかり失念していた。


「あちゃー、どうしよう。上官、まだ署内にいますかね?」

「それに関しては大丈夫だ。私もさっき水風火ショットの報告してきたばかりだからな」

「え? あれ、即興だったんですか!?」

「まあな、お前の風火ブーストの応用だよ、応用。流石にお前みたいに、体をぶっ飛ばすほどの火力は出せないから水の玉を飛ばしただけだが」

「じゃあ、あの皮膚がジュッてなるやつは?」

「あれは……分類としてはただの水魔法だな。魔力調整でちょこっと組成をいじってやれば誰でも出来る。ってそうじゃなくて! こんな話、してる場合じゃないだろ」


 とにかく早く行ってこい、と先輩は私の背中を軽く押す。まだ名残惜しい気持ちを少しばかり胸に抱えつつも、私は渋々、上官の待つ部屋へと向かった。


「……失礼します」


 扉をノックし、おもむろに中へ入ると、上官はちょうど窓辺でお茶をすすっているところだった。


「あら、カンナちゃん。待ってたわ」


 待っていた。その言葉の意味がいまいち読み取れず、私は思わず首をひねる。


「マイラちゃんが随分気にしてたわよ〜。あの子ったら、意外とお節介が好きなのね……そう思わない?」

「先輩が、ですか?」

「そうそう、はいこれ、書類。複合魔法の」


 どうやら、先輩が報告しに来た時、ついでに私のことも上官に伝えてくれていたみたいだ。先に帰してくれたことと言い、さりげない思いやりに少し胸が熱くなる。


「……はい、これでお願いします」

「どれどれ……うん、バッチリね!」

「では、これで……」

「あ、そうだ。もう一つ、明日以降でいいんだけど、お願いしたい仕事があるの。いい?」


 上官にそう聞かれて、はっきりと断ることが出来る人は、果たしてこの職場にいるのだろうか。いや、恐らくいない。何故なら、この人の「お願い」はほぼ「命令」と同義だからである。特に、あの潤んだ瞳で見つめられると、嫌でもつい承諾しょうだくしてしまう。


勿論もちろん、私でよければ、どーんと引き受けましょう! それで、その内容は……」


 上官は空になったティーカップを静かに机に置き、格好をつけるかのようにその手を組んだ。


「潜入、調査よ」


「——と、言うわけなんですよ。私、幻を見せる魔法使えないのに……」


 初めての潜入調査、それも単独は流石に荷が重すぎる。そこで私は、わらにもすがる思いで先輩から何かしらのアドバイスをもらおうと試みた。


「いいじゃないか。髪型変えて眼鏡でもかければ変装はバッチリだろ」

「でも、もしバレて失敗したらと思うと……あー、プレッシャーが大きすぎるー!」

「潜入調査って言っても、あくまでうわさの確認みたいなものだろ? 危険な現場でもないんだし、そこまで気張らなくてもいいんじゃないか」


 机に突っ伏す私を横目に、薄情にも先輩は他人事ひとごとのように軽く流す。まあ、実際、他人事ではあるんだけど。


「……先輩は本当だと思いますか? あの噂」

蘇生そせいの魔法か? まあ、普通に考えれば嘘だな。今まで研究に研究を重ねても出来なかった禁術を、一介の町医者にすぎないやつが扱えるとはとても思えない」


 そう、今回の潜入調査の目的、それは蘇生の魔法に関する噂を、直接この目で確かめることにある。

 この魔法は、大昔から現在まで様々な人が研究し続けるような、言わば永遠のテーマであると同時に、かつて弔ったはずの人々をゾンビ化させてしまうといった失敗例も多かったことで有名だ。

 こちらの都合で復活させた上、二度目の死を与えるのはあまりにむごい、非倫理的な行為だとして、それ以来、蘇生の魔法は禁忌扱いされている。例外として、研究出来るのは一部の許可された人間だけ。

 人もまばらな片田舎の医者が開発して使っているという噂がもし本当なら、その医者は立派な取り締まり対象というわけだ。


「そうあまり気負うなよ。ただバイトして、ついでにちょっと情報収集するだけだと思って行ってこい」

「……言うのは簡単なんですよ、言うのは」

「そんなに心配なら他のやつにも聞いてみたらどうだ? ほら、エルとか。多分同じことを言うと思うがな」


 妙にニヤけた先輩は置いておくとして、確かに私は物事を悪い方へと考えすぎているのかもしれないと、ふと思い直す。

 一旦、可能性の話をしだすとキリがない。それならば、まずは楽観的に取り組んだ方が前に進める。先輩はきっと、そのようなことが言いたいのだろう。


「……そうですね、やる前からネガティブになってもしょうがない。やれるだけやってやりますよ!」

「なんだ、エルには聞かないのか。残念」

「もうっ! だから、そういうのじゃないって言ってるのに……揶揄からかうなら他所よそでやってください!」


 一人笑いをこらえる先輩を尻目に、私はその場を早足で抜け出した。頬がやけに熱いのは、意外にも噂好きな先輩への怒りのせいだと思いたい。

 結局、その日は言いようのない恥ずかしさがことあるごとにフラッシュバックして、貴重な睡眠時間がいつもよりほんの少しだけ減ってしまったのだった。




 翌日から、私は噂の真偽を調査すべく町外れにある小さな診療所へと足を運び、そして何とか、お手伝いとして潜入することに成功した。どうやらその地域は医者も少なく、人手が常に足りない状態らしい。


「カリンちゃーん! そこのベッド、後で整えておいて!」

「あ、はーい!」


 今の私は、おさげ髪に分厚い眼鏡のどこにでもいる女の子、カリン。当初は右も左もわからず怒られてばかりだったのが嘘のように、私はすっかり、この診療所に馴染んでいた。

 潜入してまず一番に感じたのは、そこに務める人々の優しさである。診療所内で唯一の医者であるユーリ先生は勿論、その助手のララさんも、他のお手伝いさん達も、みんな仕事に慣れない私をこころよく助けてくれた。


「はいこれ、今日の差し入れ。患者さんからのお土産みやげだって」

「うわぁ……ありがとうございます! 昨日も確か頂いてませんでしたっけ。大人気ですね、先生」

「そりゃあね! この辺の人はみんな先生のお世話になってるし、腕もいいときた。嫌いな人なんているはずないよ」


 そう言って助手のララさんは誇らしげに胸を張る。かくいう私も、たった数日働いただけで、その先生の人となりに不本意ながら惹かれてしまっていた。それこそ、例の噂が嘘であって欲しいと願うほどに。


「ララさん、その……。聞きたいことが、あるんですけど」

「ん? いいよ、なんでも聞いて!」


 噂について少し探りを入れるだけ、ただそれだけなのに。ララさんの純真無垢な笑顔を見ていると、何故か言葉が喉の奥に引っかかって……。結局、私は肝心な情報を何一つ聞き出せないままだった。


「……すみません。やっぱり、なんでも——」

「ララ、カリン! 急患だ、すぐに担架の準備を!」


 私が口を開きかけたところで、先生の切羽詰まった声が扉越しに割り込んだ。その素早い指示の中に、焦りの色が垣間見える。


「ごめんカリンちゃん、話は後で。早く行こう!」

「は、はい!」


 側に立てかけてあった担架を二人で抱え、私達は先生の後を追う。そこにいたのは、倒れた木の下敷きとなり、傷だらけの状態で横たわる少年だった。


「クソッ、木が邪魔で治療が……。大人、周りにいるありったけの大人を呼んできてくれ!」

「了解、先生!」

「クソ、クソ……。おい、しっかりしてくれ、頼む……!」


 先生は必死で回復魔法をかけるが、少年は依然として息を吹き返さない。私もララに続いて人を呼ぼうときびすを返し、ふと立ち止まる。本当に……本当に、それでいいのだろうか。私が魔法を使えば、一瞬で解決するのではないだろうか。


「……先生」


 ここで筋力強化の魔法を使えば、私の正体はバレてしまうかもしれない。そもそも、一発勝負で成功するかもわからない。それでも、私が魔法取締官になったのは、人を守るためなんだ。例えこの行動が魔取マトリとしては失格だとしても、自分の信念は曲げたくない。犠牲を見過ごすような人間には、絶対になりたくない!


 過去の授業を懸命に思い出しながら、四肢の筋肉を繊維の一本までつぶさにイメージしていく。全身を流れる血が、両腕両脚に目一杯の酸素を送り込む。


「ぐ……ぐおおおおっ!」


 女の子らしからぬ声を上げながら、私はその大木たいぼくを思いっきり持ち上げ、何もない地面へと慎重に下ろした。そっと手を離すと同時に、全身の力が一気に抜ける。まだ長時間の使用は厳しいかもしれない。貧血気味の頭に、そんな考えがふとよぎった。


「カ、カリン……? 君は……」

「いいから、早く回復を!」


 呆気に取られていた先生も、その言葉でハッと我に返り、少年の体を必死に治していく。完璧だ。あんなにボロボロだったのに、今や傷一つない。しかし、先生の顔は暗いまま。少年の目も、一向に開く気配がない。


「そんな、間に合わなかったの……?」


 先生はただ首を振り静かに項垂うなだれる。あまりの無力感に、私は思わずその場にへたり込んでしまった。


 その時、冷たくなった少年の体を、まばゆく温かい光が包みこむ。


「……これは、まさか、先生!」

「ああ、本当は最終手段なんだけどね。カリン、もしかして君は、噂を聞いてここに来たのかな? さっきの魔法……君がただの女の子じゃないことくらい、僕でもわかる」

「……その通りです。蘇生の、魔法。噂は本当だったんですね、ユーリ先生」

「あはは、まさか、そんなに有名だとは思わなかった。あれだけ口止めしたのになぁ……」


 少年の頬に段々と色が戻っていく。それにつれて、光も次第に小さく、弱く変化していった。


「安心して。この魔法はね、ゾンビ化したり死体を操ったり、そういうたぐいのものじゃない。ちゃんと本人の意識はあるし暴走したりもしない。それは、ここに暮らす人々がちゃんと証明してくれている」

「それなら……! そんなに完璧な魔法なら、どうして政府に申し出ないんですか!? あなたなら研究員として、いや、世紀の魔法を編み出した開発者として、きっと受け入れてくれるはずです!」

「あはは……それも……いいかも、ね。でも……」


 ごめんね。そう言い残して、先生はドサリとその場に崩れ落ちた。いくらゆすっても、反応はない。そもそも、呼吸をしていない。その顔は青白く、まるで少年の死をそっくりそのまま引き受けてしまったようだった。


「先生、ユーリ先生……!」


 大勢の大人を引き連れて戻ってきたララさんが、血相を変えて先生を抱き起こす。そこにいる人は、誰も彼もみんな、泣いていた。


「……いつかは、いつかはこうなるって思ってた。でも、早すぎるよぉ……! もっともっと、教えてほしいことが沢山あったのに! 先生、せんせぇ……」

「ねぇ、ララさん。……この魔法について知っていること、よかったら教えてもらえませんか?」


 ララさんは、頬に伝う涙をそっと拭って、愛おしそうに先生の髪を撫でた。


「先生は……昔から、他人のために自分を犠牲にするような人だった。私も一度死んで、先生に新しい命をもらったの。でもね、この魔法は先生以外は絶対に使えない。だからユーリ先生は誰にも言わずに、法に触れていると知りながら、ひっそりと人を生き返らせ続けていた」

「……どうして、他の人は使えないの?」


 私が疑問を口にすると、ララさんは悲しそうに微笑んだ。こぼれ落ちた涙が一滴、先生の頬を僅かに濡らす。


「だって、これは蘇生の魔法なんかじゃない。自らの寿命を他人ひとに分け与える、延命の魔法だから」


 気を失っていた少年はムクリと起き上がり、キョトンとした顔で辺りを見回す。そして周囲につられるように、誰よりも大きな声で空に向かって泣き続けた。


 今にも雨が降りそうな曇り空。取り締まるべき人はもう、ここにはいない。

 私は、最後まで役目を果たした彼に敬意を表してそっとひざまずき、ただ弔いの意を込めて黙祷もくとうを捧げる。

 そして一人、音もなく、涙の混じる風と共に私はその場を後にした。

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