神は愛さない、神は憐れまない
刈田狼藉
一話完結:1775文字
白痴に似たる浮浪者、
老いさらばえ痩せこけ、
しかし赤子のように無垢に、
雀のように呑気に、
毎日毎日を生き抜いていた。
雀のように呑気に、か、・・・
レゲエだなあ。
老いた男は、僧だった。
しかし正式に僧籍を得ている訳ではなかった。
正式な僧籍、・・・くだらない、恥を知れ。
誰かに認めてもらって僧となった者は、僧ではない。
僧ではない。二度言った。
解脱を求めて、すべてを捨て去った者こそが、僧と呼ばれて然るべきだ。
解脱を求めて。二度言った。
救い、ではない。
老いた男は、何をされても怒らなかった。
殴られても怒らない。
蹴られても怒らない。
笑われても怒らない。
怒られても怒らない。
しかし同じ公園に住んでいた野良猫が死んだ時には、涙が枯れるほど泣いた。喉が枯れて声が出なくなる程に泣いた。
真冬の公園で寒さに震えて死にそうになった時、通りすがりの女子高生にマフラーを貰って、その女子高生から気持ち悪がられるくらい感謝した。手を合わせて拝んだ。女子高生は走って逃げた。
そして、冬に高熱を出し、凍える星空の下で死を覚悟した時、男は、愛を、知ったのだ。
そうか、これが愛か。
愛とは、誰かを愛して気付くものではない断じて。生命の危機に際して、自らに対する圧倒的な愛しさに、出会うのだ。
話が逸れた。
そんな無垢で、頼りなげで、何されても決して怒らない彼だったが、一度だけ、もの凄く怒った。相手を殴り斃し、地に、その相手の顔面を踏み付けてしまう程には、怒った。
だって、そいつがイケナイ。そいつがベンチの隣りに座って、言ったのだ。
「主の愛は、無償の愛である、その無償の愛は、すべての人々に対して向けられている、例えばあなたのような・・・」
ぶん殴った。鼻っ柱を圧し折り、そこから馬乗りになって前歯を前顎部ごと叩き折った。血が飛び散り、泉のように湧いて滔々と流れ、男自身も歯で拳を切り、血液が流れ出たが、それでもまだ殴り続けた。
そして男は怒鳴った。声が掠れて何言ってるのか不明なくらいには真剣に怒鳴った。
神は愛したりしない。
神に、人格など無い。
無限の闇に浮かぶ、茶色い混沌、それが神だ。
最高原理、―――
神とは、原理だ。
この世の事象のすべてを支配する原理だ。
原理は、愛したりしない。
原理に、人格なんて無い。
神が愛すると思うのは、人間の思い上がりだ。
神に心があると思うのは、人間の思い上がりだ。
神と、人間とは、違う。
馬鹿野郎。
神と、人間を、一緒にするな。
神と、人間を、同列に見るな。
神が、猿に過ぎない人間の、
哀れで切羽詰まった心の働きである「愛」を、
持っている謂れが無いだろう。
神を猿レベルにまで貶める、
そんな不遜が、許される筈もない。
神は愛さない。
神は憐れまない。
無関心、ですら無い。
ただそこに在るだけなのだ。
警察官や、近くにいたそいつの仲間が数人がかりで、
暴れる男を取り押さえた。仲間のうちの一人が声を荒げる。
「じゃあオマエにとって神って何なんだよっ! 救いを求めないなら神は必要ないってことになるじゃんよ! 一途に救いを求めない者に、神は報いないっ! 救いを求めないオマエにとって、神ってなんだよ? 言ってみろよ! この似非坊主がっ! 答えられるモンなら答えてみろっ!」
大勢の人間に押さえ付けられ、圧し潰されて、地を噛み、しかし睨み上げる眼だけはギラギラと光らせて、その痩せこけた初老の男は、唸った。
「オレは神の意志が知りたい、この世界の成り立ちを解き明かしたい、神の声が聴きたい、神の言葉に触れたい、その為に、耳を澄ませる事が、心を澄ませる事こそが、オレにとっての修行であり、信仰なのだ」
誰も、何も言い返せない。その老いた男が、完全に狂人であることが明らかとなったからだ。中二病、と呼ぶことすら
「お前らは嘘を吐いている、その嘘が鳴り響いている耳では、神の言葉を聴き分けることなど出来ない、その嘘に濁った眼では、神の授ける
「あんたは、狂ってる・・・」
「狂うことを忌避する常識に囚われた精神では、神の意志に到達することは不可能だ」
「意味が、分からない・・・」
「お前らは、生活者であって、求道者ではない、神の名を、二度とは騙る無かれ」
神は愛さない、神は憐れまない 刈田狼藉 @kattarouzeki
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