第37話 幕間劇 紅茶と賽子
伊豆の西岸、土肥にある石造の平屋。比較的大きく小洒落た店構え。観光客相手ではなく、店主が趣味で開いているような喫茶店。なおこの店では珈琲を注文することはできない。紅茶オンリーである。甘味が中心だが、軽食(英国面)を楽しむこともできる。売りの一つがマーマイトーストセットというのは、店主の気が触れているとしか思えない。
喫茶店の入り口には木製の看板が掲げられている。店の名前はバーデン・バーデン。ドイツの温泉地だ。店の扉が開かれるとドアベルがカランカランと音を立てる。
入店してきたのは15歳くらいの少女。行き交う男どもが必ず振り返ってしまう美しい見栄え。カウンター越しに店主が優しい声音で出迎える。店主の外見は麗しく、性別不明で年齢不詳。
「いらっしゃい。あかねさん」
少女が店主の名前を呼び、ツカツカと店の中に進みながら、気安い感じで注文を告げた。
「庸介。ダージリンとマフィン。あとあかねッ!」
彼女は店の常連というより店主の友人なのだろう。“さん”付けされたのが気に入らなかったのか、注文の後に自分の名前を付け加えた。庸介と呼ばれた店主の方も、あかねをよく知っているのか、苦笑いを浮かべながら関係者の名前を口にすることで彼女の抗議を躱す。
「あおいさんたちは?」
「ソフィー先生のミニバンで来る。多分、BBQの時間には間に合う」
あかねは、庸介の目前のカウンターに身を投げ出すように持たれかかる。
「つ・か・れ・たぁ〜。庸介はあかねちゃんを労うべき」
「よしよし。あかねは偉いぞ」
庸介が、カウンターにもたれ掛けているあかねの頭をぐじぐじと撫れば、彼女の表情が少し穏やかになった。
「お・ざ・な・りぃ〜。庸介はあかねちゃんをもっと優しく愛でるべき」
「生クリームたっぷりの蜂蜜マフィンを作ってからね」
「ブルーベリージャムも添えてくれ〜」
あかねは日本国でも有数の大財閥の創業家に連なっている。創業一族の本家筋ではないが、先日、三年に一度開かれる一族が一同に会するパーティーで、総帥である曾祖母から後継者として指名された。本人にとっても一族郎党にとっても晴天の霹靂であった。とは言え、絶大な権力を有する総帥に表立って否やを唱えることのできる者は一人もいない。
「何で
現在、夏休み期間中のあかねは、財閥所有の巨大な保養施設で、朝6:00から正午まで、総帥の後継者としての帝王学を仕込まれている。彼女は不満たらたらで、授業が終わると直ぐにバーデン・バーデンに逃げ込むようにやってくる。
後継者に指名される以前、彼女は将来イラストレーター兼ゲームデザイナーとして沢山のゲームを作りたいと思っていた。実際、プログラマーに天稟の才がある妹のあおいと組んで、彼女たちは中学生時代に世界的な大ヒットになった同人ゲームをSTEAMを通じてリリースしていた。A&A Sistersのブランド名で、シリーズ作品を毎年発表している。それらは全て1000万ダウンロードを超えているし、いまだにジワジワとユーザーを増やしている。ゲーム開発スタジオとして、マニアや一般人を問わず、世界的に知られる存在だ。
職業プログラマーであった庸介もA&A Sistersの事は知っていた。初めて彼女達のゲームをプレイしたとき、そのゲーム性の高さとグラフィックの美しさ、そしてシステムの完成度の高さに衝撃を覚えた。
「やりたい事ができない訳じゃないだろ?」
「やりたい事だけやってたいの」
「分かる。……知らんけど」
庸介はそう言いながら、淹れたてのダージリンと蜂蜜マフィンをあかねの前に出した。あかねはむくりと体を起こして、生クリームと自家製のブルーベリージャムが添えられたマフィンにフォークを入れる。
「知っとけ〜」
ご機嫌な笑顔を浮かべてあかねはマフィンを口に運ぶ。暫し、黙々と食して、糖分を補給してホッとしたのか、あかねが心中を零す。
「あゝ、
あかねたちの父親は、関西出身の有名な放浪画家だ。世界中に落書きを残しては世間様を騒がせ、ファンたちを熱狂させている。言うなれば、ろくでなしの類であるが、閨閥を頼りにするような男ではなかった。あかねたちが幼かった頃は、とても優しい父親(主夫)であった。因みに、あかねたちの母親は、財閥一族に反発して本家を飛び出したのだが、一族の血がそうさせるのか、独力でレストランを起業して、チェーン店を成長させて、創業5年で東京グロースマーケットに上場させた。実に優秀な起業家且つ事業家だ。出自が財閥のお嬢様であるから、周りが放っておかないのもあって、独力とは言い難い面もあるが、経営者としてのセンスも演出家としての能力も高く、真に実力者と言える。残念ながら、あかねたちは事業家として有能な母親から放置され気味である。
「BBQのあと、ここにお泊まりしても良い?」とあかねが躊躇いがちに尋ねる。
「勿論。ここはあかねの持ち家の一つ。客間も綺麗に掃除されているし、オーナーなのだから好きにすべきだ」と庸介は爽やかな笑顔で応える。
「うん。好きにするさ」とあかねは少し不満げであった。
乙女心を汲むような受け答えが欲しかったのだろう。嫋やかな女性のようであっても三十路男の庸介に期待するのは少々酷なのかもしれない。
あかねは、数拍後に「じゃあ、今夜は一緒に露天風呂に入ろうね」と悪戯を思いついた子供の様に言い放ち、庸介を困らせる。
「いや。それは、ちょっと、あれじゃ——」
「オーナー権限!」と被せる様にあかねが言い放つ。
「お、おう……」
あかねの押しに庸介が負ける。それが二人の関係性だ。庸介にしてみれば、
再び店の扉が開き、ドアベルがなる。
「ヨウスケ。元気か?」と背の高い黒髪の女性。
「庸介さん。おじゃまします」とあかねに瓜二つの少女。
それに続いて、6人の美少女たちが賑やかに入店してきた。
「ソフィー先生にあおいさん。いらっしゃい」
「TTRPG同好会の皆さんもいらっしゃい」
「扱いが雑だね」と六人の美少女の一人が不満を表明する。
「ふふふっ……。所詮はネゴシエーター。名前すら覚えてもらえぬよ」と別の少女が揶揄う。
「マンチは黙ろうね。扱いは同じ程度であろう?」とネゴシエーターと呼ばれた少女は強めに反論する。
「ああ?」とマンチと指弾された少女が剣呑な雰囲気を漂わせる。
その様子を何時もの事だと生暖かく見守っていると、庸介は賽子が転がる音を耳にした。音の方向を見れば、いつの間にかダイス皿を取り出して、複数の多面体の賽子を転がしているあかねの姿があった。彼女はニンマリと笑う。
「今日の出目はまずまず。今日のお料理担当はゆかりさんとあかりさんやね」
そう呟きくと、あおいに目配せした。あおいは、呆れたような表情を浮かべつつも、あかねの代わりに反目する気配の二人の友人の間に割って入る。
「はいはい。ゆかりさんもあかりさんも仲良くカウンターに入って、庸介さんを手伝ってください」
あおいの仲裁に二人は驚きと不満の表情を浮かべる。
「「えっ?」」
「賽子は神」とあかね。続けて「それとも鰻のゼリー寄せにする?」と尋ねれば、全員が声を揃えてそれだけは勘弁してくれと応えた。
あかねたちTTRPG同好会の決まり事の一つ。合宿中の料理担当は賽子で決めるというものだ。あかねを中心とする少女達の中では、ゆかりとあかりが飛び抜けて料理上手だ。あかねはコアな英国料理をつくろうとするし、あおいの料理センスは壊滅的。この双子に料理は任せられない。残りのメンバーも常人のセンスとは言い難い。
幸いなことに今晩はBBQだ。炭火で焼くシンプルなもの。それ以上でもそれ以下にもならない料理だ。食材の種類と質を揃えておけば文句は出ない。好きなように焼いて好きな味付けで食べれば良いのだ。生焼けとか、消し炭とかにならないように料理上手な二人が気を配ってくれるだろう。
庸介とあかねたちはわいわいと賑やかに今晩の食事の準備にとりかかるのであった。
ジョン・ブル・魂ッ! LMDC @LMDC_JP
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