第36話 茜色の空

 僕が目覚めると、西陽が差し込む部屋のベッドの上に居た。どうやら助かったようだ。召喚した無数の神威パンジャンドラムが、お約束とばかりに僕に向かって突進、見事に吹き飛ばしやがりましたよ。生きているのは、僕が勇者(英国面)だからさって、丈夫すぎるわッ!あの厄介者光のバカ勇者に匹敵する生命力だ。


「あッ……」


 前言撤回。どうやら無事じゃない。窓の外に見覚えのある風景。夕陽に照らされ、遠景に黒く映える巨大な橋は、誰がどう見てもレインボーブリッジだ。先程までは異世界で、勇者(英国面)として暴れまくっていた筈だ。夢でも見ていたのだろうか?


「嘘だろ」


 僕の手の中に相棒SMLEが召喚された。慌ててマジックバックに収納しようと念じれば、パッと手元から消える。夢の続きは寝てから見るべきだろう。だが夢ではないとの確信があった。僕は、異世界に転移させられ、そして帰還した。未だに異世界の勇者(英国面)の力の残滓が体に残っているのを感じる。調停者としての仕事の報酬とでも言うのだだろうか。現代日本国で勇者(英国面)の力など使い道があるとは思えない。ゆっくりと息を吸い。ゆっくりと吐き出す。まずは落ち着こうじゃないか。

 そして僕は自分の居る部屋を見回す。ホテルのスイートルームのように思えるが、多分、聖大致命女の名前を冠する病院の一室だろう。ふと脇を見れば、十五歳くらいの女の子が、寝ていた。ベットに両腕を重ねて、頭を腕に預ける様に顔を伏せている。恋人の看病に疲れて、つい寝てしまった、という状況だろうか?いいね。うん。実に良い。ただし、この女の子が僕の恋人であればである。


「誰?」

 

 心当たりは無い。実際、生まれてこの方、恋人がいた試しが無い。なーろっぱ的異世界に続いて、並行世界にでも紛れ込んだのだろうか?


 僕は彼女を起こさない様にベットの反対側から降りて部屋を歩く。白い貫頭衣型の医療用ガウン姿で彷徨きながら部屋を検分する。調度品は高級ホテルのVIPルームかと見紛う。壁に設置された医療用ガス管の接続端子やバイタルモニターによって、この部屋が病室であることが分かる。病室には似つかわしくないデカい風呂に無駄に広いお手洗いまで備え付けられている。特別室にしても悪徳政治家やセレブ御用達だろう。

 呆れながらバスルームの中に入る。清掃が行き届いていてとても清潔だ。曇り一つない洗面台の大きな鏡に見慣れた顔が写っている。忌々しい僕の顔だ。この女顔が嫌で嫌で仕様がない。つるんとしていて髭など全く生えていない。体つきもそうだ。この細い身体は、筋トレしても男らしい筋肉がついたことなどなかった。子供のころから嫌な思い出ばかりだ。


厭りうんざりだよ」

 

 僕は鏡に映った顔を睨め付けて、バスルームを出ると、少女と目が合った。目覚めたのか。


 彼女の笑顔が弾ける。バッと飛び込んで来て、ガッシと抱きつかれた。僕の方が頭一つ分だけ背が高い。彼女は顔を上げて見上げるように僕をじっと見つめる。満面の笑顔だか、少し涙ぐんでいた。


「庸介が目覚めたッ!」


 あゝ、この声音と抑揚は聞き覚えがある。僕の敬愛してやまない女神様(創造神&英国面)のそれだ。だがここは現実の日本国。僕とこの少女に接点はない筈。


「はい。庸介です」


 実に間の抜けた返しだと思うが仕方が無い。人生三十年、下天の内に夢幻ゆめまぼろしの中でさえ、美少女に抱き付かれた事など一度もない。自慢しても良いだろう。異世界のフリーダさん(218歳)やクラーラさん(217歳)はノーカンですよ。水の女神様(■禁則事項■歳)もカウントしてはなりませぬ。


「いろいろお世話して貰ったようで何だが申し訳ないけど、先ずは君の名前を教えて欲しいかな?」


「……むぅ」


 暫しの間。彼女はハッと気がついたようで、不機嫌さを消して僕に笑顔を向けてくれた。


「あっ、庸介は知らないか。そうだよ。そうだよね」


「私はあかね」


「あかねさんね。そっか……」


 ——って、誰だよ?


「お姉ちゃん。井川さん困っているから、一旦、離れようか」


 冷たい感じのこの声も聞き覚えがある。世界の声シスログさんだ。あかねと瓜二つの少女から冷たい眼差しを向けられる。いつの間に病室に入って来ていたのだろうか。全く気配を感じさせない。忍者か何かなのだろうか?


「この子は双子の妹のあおい」とあかねは嬉しそうに僕に紹介する。


 あおいという少女は軽い会釈を返して、窓際のソファーに腰を下ろした。


「どうも。井川庸介です」と今更ながら僕は名乗って軽い会釈を返す。


 あかねが僕の手を引いて、一緒にソファーに座るようにと促す。あおいは、少しだけ険のある表情を浮かべて、僕とあかねの様子を眺めている。間を持て余す前に聞くべく事を聞かねばならない。


「何故、僕が此処にいるのか教えてくれる?」


「2週間前にテロが発生したんだ」


 あかねは語り始めた。


 大型のタンクローリーが、複数の場所で同日同時刻に爆破された。公衆回線経由で起動される爆弾によるものであったが、狙った目標とは別の場所で爆発したため、犯人たちの想定よりも遥かに小さな被害に留まった。

 後日、知り得た事だ。この同時多発テロは、対立する某国の破壊工作であった。内務省の治安部隊によってテロリストたちは根刮ぎにされた。日本国は、この事件を奇貨として、某国に対する軍事的圧力を強めたことは余談であるが、僕の某国に対する印象が最悪になった事は確かだ。


 僕は、テロリストによって爆破された走行中の大型のタンクローリーから飛散したタイヤに跳ね飛ばされ、川に落ちたところをあかね達に助けられた、ということらしい。情報量が多くて混乱する。


「庸介があかねを助けてくれたんだよ」


 更に混乱する様な事をあかねが言い出した。


「ん?僕はタイヤに吹っ飛ばされて川に落ちたんだよね」


 記憶が再構成される。本当に自分の記憶なのだろうかと疑う。一瞬、僕の敬愛してやまない女神様(創造神&英国面)の笑顔が目に浮かんだ。半眼で口角を僅かに吊り上げた嘲り笑う様な揶揄する様な張り詰めた笑顔だ。愛し子達を弄って、驚かせて、してやったりと満足げな表情を浮かべる時の顔だ。


「あゝ、そうか……」


 多摩川に掛かる橋の上、タンクローリーが爆破される瞬間、僕はジョギングの途中だった。


 前方には、国立市の有名な女学院(小中高大一貫校にして、全寮制の超お嬢様学校)の女生徒たちが楽しげに歩いていた。僕は、時々、彼女達を見かけることがあった。どの子も飛び切りの美少女たちではあったが、僕にとっては国立市の風景の一部でしかなかった。自分自身と山河の美しい風景と同様の無関係性だ。美少女たちとは縁もゆかりもない。


 爆発音で足が竦み、爆風でよろけて、彼女たちは動きが取れない。そこにタンクローリーのタイヤ——外径が120cm程——が飛び跳ねて迫る。僕とあかね達との距離は20m以上。僕の体が勝手に動く。

 全てが間延びし、景色から色が落ちて、音が消えた。まるで勇者(英国面)の銃剣突撃のようだ。20m程度の距離など瞬時に詰めて、僕はぼぼ瞬間移動したようにタイヤに突撃して、軌道を変えることには成功した。残念なことに一般人モブにすぎない僕は、ビリヤードの球のように弾き飛ばされて川ぽちゃした。客観的には、リアクション芸人のように強引に当たりに行ったようにしか見えなかった筈。


「……」


 再構成されたエピソードの記憶が、どうにも締まりが悪く、苦笑いしか出てこない。そもそも転移前に勇者(英国面)の真似事が、何故、できたのかも不思議でならない。


「「……」」


 あかねはニコニコ、あおいは無表情。会話が途絶えて居心地は最悪だ。助けたといっても身代わりに弾き飛ばされただけだ。それで特別室に入院させてもらい、美少女につきっきりで看病(意味深)されるなど、普通じゃありえない。

 全身骨折ズタボロ状態で、今も包帯ぐるぐる巻きで唸り声を上げているならまだ理解もできるが、僕の体には傷一つない。あかねは僕が無傷で多摩川から引き上げられたことも見ていた。

 彼女は救急車に一緒に乗り込んで以降、ずっと付きっきりだというのだ。一体、どいう事情なのかと尋ねたが、曖昧な表情を浮かべた後、只々笑顔を浮かべるだけだった。暫しの沈黙の後、あかねが「庸介が目覚めたことをお祖母様に報告にいってくる」と言って、あおいと二人でソファーから立ち上がった。あかねは可愛らしく手を振るとあおいに手を引かれて病室を出ていった。


「あゝ、いろいろとありがとう」


 僕はそう呟いた。彼女達には聞こえなかったかもしれない。それでもいいだろう。


 あかねとあおいが立ち去った僕の病室は奇妙なほど静かだ。残された僕は、豪勢なソファーの上で、沈む夕日が茜色に染めた空を漠とした心持ちで眺めている。異世界に居た時は、常に女神様(創造神&英国面)の存在を感じていた。今は、何も感じない。恐ろしいほどの孤独感と寂寥感に震える。相棒SMLEを呼び出して胸に抱える。少しの気配でもいいから女神様(創造神&英国面)を感じていたかった。

 

 暗がりがゆっくりと特別病室に入り込む。レインボーブリッジのイルミネーションが闇に浮かび上がる。行き交う車のヘッドライトが左右に流れる。誰とも知らない人々が家路に向かう様を眺めても虚しいだけだ。


 やはり僕は一人だ。



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