魔法仕掛けの星見の針が、止まったら

ぺろりの。

0918

「うーん······」

 かすかに、うなり声がきこえる。

 このうなり声の主は、ボクの契約者、アリス・エルミア。

 魔法使いの一族エルミア家のひとり娘で、小さな魔法薬まほうやく店「猫の鍵しっぽ」の店主だ。


「ふわぁあ、おはようアリス」

「あ、おはよう、シャルム。今日も気持ちよさそうな伸びね。それにシャルムにしては随分と早起き」

「ニャに言ってんだニャ! 今日の朝一の伸びはビミョ〜な出来ニャ! キミが恐ろしい、うニャり声を出してるから、起きちゃったのニャ」

「う、そんなに怖かった······? それは、ごめんね」

「またあのノネズミどもが薬草をダメにしたのかニャ?」

「ううん、シャルムのおかげでノネズミはあの日以降、悪さしなくなったよ。実はね······」


 アリスの細い手のひらの上には、丸い銀の懐中時計がちょこんと乗っている。

 蓋の部分に六つの星の模様が彫られていて、アリスが蓋をあけると、深い夜空ような色の文字盤が顔を出す。

 時計の針は満月のように明るい色をしていて、朝の光を浴びキラキラと輝いていた。


「ニャンだ、アリスの母ちゃんの時計かニャ」

「そう、かあさまの形見······。星見の懐中時計が、動かなくなっちゃったの」

「?? ただ調子悪いだけじゃニャいの?」

「うーん、今までこんな事なかったし、昨日も普通に動いてたのに······。起きた時には、止まってて······」


 今にも泣きそうな声で、ぽつりと俯くアリスを見て、ボクはなんだかいたたまれなくなった。

(アリスは母ちゃんの事が、大好きだもんニャ)


「······そんニャしょんぼりしないで、アリス。ニャんだか、ボクまで悲しくなっちゃうニャ······。きっと放っておけば、そのうち動き出すニャ!」

「うーん······そうだと、いいんだけど」


 アリスはまたうなり声をあげて、星見の懐中時計を心配そうに見つめ始めた。


   ◇ ◇ ◇


 さまざまな色の薬瓶が並べられた商品棚の横。

 カウンター内の店番用の椅子に腰掛けていた私は、星見の懐中時計を眺め続けていた。


 手の中にある懐中時計は、起きた時と変わらず動いていない。

 秒針を刻む、規則正しいあの音が妙に恋しい。

(九時十八分で止まってる······)


 この時計は、母が私にくれた最期のプレゼント。

 泣き虫で寂しがりだった六歳の私は、大好きな母の後ろをヒヨコのようについてまわった。

(母さまの姿が見えないとすぐ泣いてたっけ)


 元々体が弱かった母は、流行り病にかかり日に日に衰弱すいじゃくした。

 母は最期まで穏やかで、泣きじゃくる私に「いつも一緒よ」と、この時計を手渡してくれたのだった。


(母さまが亡くなってから、十年。······本当に、止まってしまったのね)

 改めて実感すると、小さなため息がこぼれた。

 結局あの後は、シャルムに告られるまで開店準備の時間になっていた事に気付かなかった。

 薬を求めている人達を待たせられないと、急いで支度を済ませ、通常通り店を開けたのだった。


「この店は、入ってきた客に向かって挨拶のひとつもないのかい?」


 頭上から突如聞こえた、しゃがれた女性の声。

 母の事であたまがいっぱいで、ドアに取り付けている呼び鈴の音や、お客様の靴音さえも気付かなかったのだ。

(お客さんが来ていたなんて······!)

 おそるおそる女性へと顔を向ける。


「ご、ごめんなさ······――!?」

「ぷ、くくく······」


 見上げた先には、予想していた相手ではなく、幼なじみのセツカの姿。

 なんだか物凄く、いたずらっ子の顔つきだ。


「〜〜ッ!」

「アリス、キミ···、慌てすぎ······ッ」


 彼はよほど面白かったのだろうか、笑いすぎて蒼眼からうっすらと涙が浮かび、指先で涙を拭っていた。


「キミの顔、いたずらがバレて怒られてる時のシャルムの顔にそっくりだ、はははっ」

「――セツカ!!」

「ごめんごめんー。そんな怒んないで。あんまりキミがぼんやりしてるから、つい」

「もう···『つい』じゃないよ······! しかも、何よそのおばあさんみたいな声」

「『アリスや、おはよう。ほうら、挨拶ってモンはこうやってするもんさ』···く、くく」

「もう······っ、おは、よう、――あはは!」


 セツカの奇妙ながおかしくて、笑いを必死に我慢していたのに、セツカの笑い声に私までつられて笑ってしまった。

 少しの間二人で笑いあった後、セツカが口を開く。


「で、なんでそんなにぼんやりしてたの? なにかあった?」


 セツカは目を細め、優しく私に問いかけた。

 私の頬の体温が、上がった気がした。

(セツカは、ずるい)

 さっきみたいに、いたずらしてきたと思えば、落ち着いた頃にこうやって優しく私に尋ねてくる。


 決まって私が悩んでいたり、苦しかった時にセツカは必ず寄り添って話を聞いてくれた。


「母さまからもらった懐中時計が、動かないの」


 差し出した懐中時計を見て、セツカは目を見開いた。


「······ほんとだ、針が止まってるね。でもコレ、ネジ巻き式でもなさそうだけど······」

「魔法仕掛けなの。だから、ネジはついてない。本当なら、私の魔力で今も動いているはずなんだけど」

「うーん······、魔法、かぁ。困ったな······。魔法となると、俺はよくわからないし······。時計を落としたりとかはしてないの?」

「うん、落としてない。万が一、落ちても魔法で浮遊するから、割れたり、壊れたりしないの」

「すごいな! やっぱ、魔法使えるって便利そうだ」

「でも···、動いてくれないんじゃ寂しいわ」

「······そう、だな。他に魔法でなにか思い当たる所はないの?」

「わからないの。母さまの魔法が施してあって、わたしにはまだ······」

「そっかあ······。ここらじゃ、アリスが一番魔法に詳しいから、キミがわからない、となると······」


 星見の懐中時計と、亡き母の笑顔が重なり思わず涙ぐんでしまった。

(だめね、今日は落ち込んでばかり······。このままじゃ母さまが心配する)


 先程からぐぬぬぬ、と顔を歪めていたセツカが呟いた。

「······放っておけば、動いてくれたり、しない、かなぁ······」

「それ、シャルムも同じ事言ってたわ」

「うわー、それはちょっと心外かもしれない」

「聞こえてるニャよ、小僧」


 不機嫌そうな、シャルムの声。

 陽当たりの良い、店内でも背の高い商品棚の天辺で丸くなっていたシャルムに目をうつす。

 シャルムの片目がゆっくりと開かれ、深みがかった翡翠ひすい色の瞳と目があった。


「おっと、そこにいたのか······やぁ、シャルム」

「小僧、ボクの定位置がここだと知ってての発言か?」

「あはは、そうなの? 嫌だなぁ、そこがキミの定位置なんて初耳だよ、全く知らなかったなぁー」

「ボクもお前が、ボクの定位置すら覚えられないアホだって事、すっかり忘れてたニャ。まったく、ボクとした事がとんだ失態ニャ」


(また始まったわ······)


 この一人と一匹、昔から顔を合わせては口喧嘩が絶えない。お互い憎まれ口が減らないので、一周まわって仲がいいとまで思えるほどに。

(本人達に言ったら、全否定されたけれど)


「しまった、シャルムにかまけてる暇無かったんだ。ごめんアリス、いつもの目薬をお願い」

「ふん。ボクだって小僧にかけてやる時間は、煮干しの欠片ほどもないのニャ」

「ふたりともいい加減にして。シルヴァーさんの目薬ね? 出来てる。はい、これ」

「シルヴァー爺さん、キミの目薬を使い始めてから調子が良いってすごく喜んでたよ。『アリスちゃんにお礼を伝えてくれ〜!』って熱心に頼まれた」

「そう、良かった!」


 シルヴァーさんの症状が少しでも軽くなったのなら、とても嬉しい。自然と顔がほころんでしまう。


「セツカもいつも届けてくれてありがとう、シルヴァーさんによろしくね」

「うん、今日も急いで届ける、よ······」


 意気揚々ときびすを返し店を出るセツカを思い浮かべていたけれど、セツカの様子は思い描いてたものと少し違った。


(······あれ? セツカ、固まってる?)

 目薬の入った紙袋を右手に持ったまま、私をじっと見つめ動かない。

 少しの沈黙に加え、未だ私の前から動かない、おかしな幼なじみ。


(そういえばまた、身長伸びたみたい······?)


 彼の身長は、ここ数年でかなり伸びたと思う。

 子供の頃は無かった身長差に、改めて驚く。

 気付けばセツカの綺麗な銀髪と、澄んだ蒼眼に思わず見入ってしまっていたが、はたと我に返り慌てて問いかけた。


「セツカ······? 大丈夫?」

「――アリス、俺」

「早く行けニャ」

「〜〜ッ! なんでキミは、少しも空気を読んでくれないかなぁ? シャルムくん」

「何言ってるのニャ小僧。無論、読んだ上で言ってるニャ」

「なっ······! キミいつから俺の足元に······!」

「ニャッシッシ。油断大敵ニャよ、小僧。それに『急いで届ける』って言ったのはお前ニャ、早く行けニャ。ほら、ぼさっとしてニャいでさっさと働くのニャ!」

「まったくもう、キミって奴は······! またあとでね! アリス!」

「うん、いってらっしゃい!」


 セツカが何か言いたそうだったけれど、いつの間にかセツカの足元に居たシャルムが強引に店から追い出してしまった。


 店のドアに取り付けた呼び鈴が鳴り止む頃、シャルムはあくびをして、お気に入りの定位置に上っていった。


小賢こざかしい小僧が居なくて、快適ニャ。さて、ボクはもう一眠り······」

「もう、実はお互い絡むの好きな癖に」

「断固として完全否定する、ニャ······ムニャ」

「まったく素直じゃないなぁ······私の使い魔は」

(ほんとに嫌いなら、一言も喋らず逃げるくせに)


 くすりと笑って、シャルムの寝顔を見る。

いつも通りの幼なじみと使い魔に、私は少しだけ元気をもらったのだった。


   ◇ ◇ ◇


 日も暮れ始め、客足も減った頃。

 私は閉店の証として、ドアや窓のカーテンを閉めた。

無くなった薬瓶を商品棚へ補充しながら、今日の一日を振り返る。

 セツカが店を出た後、常連のお客様や新規のお客様まで来てくれて、予想した以上に忙しい一日だった。

 色んな人が「猫の鍵しっぽ」の魔法薬を買ってくれて、喜んでくれた。


「ムニャ······? もうこんな時間かニャ?」


 薬瓶を整頓する音で目を覚ましたらしいシャルムが、頭上で寝ぼけた声を出している。


「シャルムよく寝てたわね、今日はすごーく忙しかったのに」

「ふわあぁあ。もうボクが手助けしなくてもアリスは大丈夫でしょ。心配せず、馬車馬のように働くがいいニャ」

「むぅ」

(そう言われると、強く反論できない)


 素直じゃない言い方だけど、シャルムなりに私の事を認めてくれているらしい。シャルムは使い魔だけれど、私からしたら師匠みたいなもので、『大丈夫』と言われた事は素直に嬉しかった。『馬車馬』扱いは嫌だけど。


 そうこう考えているうちに、後片付けが終わった。


「さて、······と」


 カウンターの上に、星見の懐中時計を置く。

 そして懐中時計の上に両手をかざし、魔力をこめる。

 星見の懐中時計の中心がほんのりと紫色に光始めた。

 私の足元にいたシャルムも、軽快に私の左肩に乗り、一緒に懐中時計の様子を眺めている。


 しばらく魔力をこめ、針が動き出すか確かめる。


「······」

「······」


 先に口を開いたのは、シャルムだった。


「ふむ。だめニャね、これ」

「うぅ······やっぱり、もう動かないのかなぁ」

「大体、アリスの母ちゃんがかけた魔法なんてキミにわかるはずニャいよ」

「うぅ、あんなに勉強したのに······」

「そりゃキミが必死に勉強したのは『魔法薬』だもん。『魔法薬』じゃなくて『魔法具』について勉強したんだったら、原因がわかったかもニャ〜」

「ううぅ······」


 べっと舌を出し意地悪そうに言うシャルムは、昔のことをまだ気にしてるのかもしれない。


 エルミア一族が代々受け継いできた店「猫の鍵しっぽ」は、元々魔法具専門店だった。

 母の死以降、エルミアの名を継ぐのは私だけになり、突然「魔法薬を作りたい」と言い出した私に対して、シャルムは「エルミア家の伝統的な魔法具店を、いきなり変えるだニャンて!」と猛反対した。

 それでも私はどうしても、母のように病で苦しんでいる人達の力になりたかった。

 結局、根負けしたのはシャルムの方で。

 魔法具から魔法薬へと大きく店の方針転換をしていいとシャルムから許可を貰った。


 八年間の猛勉強に加え、シャルムとの修行や魔法薬の調合。さまざまな試行錯誤の末、やっと効力のある魔法薬を作り出せた。

 そして、二年前に晴れて「猫の鍵しっぽ」の店主になった。


「シャルム、お願いがあるの」

「はあぁ、まったく、ボクってば、キミの『お願い』に弱いんだよニャ」


 私たちは夜が明けるまで、止まってしまった懐中時計の謎を調べた。


   ◇ ◇ ◇


 星見の懐中時計が止まった二日目の夜。

 私はセツカを呼び出した。

 空に浮かぶ星々の下で、街から少し離れた小高い丘の上に私たちは立っている。夜風が少し冷たい。

 今から告げようとしていることを、セツカにどう伝えようかと、頭の中でぐるぐると巡らせている。


「懐中時計が止まった原因、わかったの」

「お、よかったね! なんだったの?」

「シャルムが、調べてくれてね? 母さまが色々な魔法をかけてくれてたってわかったの」

「あはは、シャルムもたまには役に立つね」

「もう、私の使い魔は優秀なんだよー?」

「ごめんごめん、それで、原因はなんだったの?」


 私は静かにしゃがんで、月明かりの下でほんのりと明るい地面に木の棒で、円を描き始めた。

 セツカも私の隣にしゃがんで、私が描く物を見ていた。


「えっと、まず一番その外の魔法陣は、私の魔力で懐中時計が動くようにする魔法」

「ふむふむ」


 続けて、魔法陣を内側に描き加えていく。


「これが、私の体調を管理して記録する魔法陣。こっちは、私の姿を記録する魔法陣で、これがシャルム曰く『どこの馬の骨か分からん奴を近づけさせニャい』守護魔法」

「うわあ、なんというか、アリスのお母さんっぽいね」

「うん。母さま、心配性だったから」

「ちょっと心配性の域を超えてるような気もするけど······まあアリスは泣き虫だったしな、いや今も泣き虫かな?」


 いたずらに笑うセツカに、少しむっとしたけれど、確かに昔の私はとても泣き虫だった。


「かくれんぼした時に、アリスだけ見つけて貰えなくて、最後に泣きながら抱きついてきたのが懐かしいよ」

「〜〜ッ! あれは、かくれんぼが人より上手だっただけで、 ······見つけてくれないセツカが悪いわ」

「あはは、ごめんごめん」


「それでね」と続けて魔法陣の中心に星を描く。


「最後の中心部の星が、今回動かなくなっちゃった原因だったんだけど」

「うん?」

「私が恋をした時、一人前の魔女と見なして懐中時計の針を止めるって······」

「それって······?」


 きょとんとしているセツカに向けて、私は伝えた。


「だから、好きよ、セツカ」

「――ッ!」


 今この場所が、薄暗くて本当に良かったと思った。

 きっと私の頬は、真っ赤だと思うから。

 私の言葉を受けて、セツカは顔を隠すように俯いた。


「セツカ······?」


 セツカの顔を覗き込もうとすると、「俺、いま顔真っ赤だと思うから······」とセツカの右手によって優しく阻まれた。


「······俺も、ずっとずっと前から、アリスの事が好き」

「!」


 優しい沈黙が流れる。両想いというのは、自分の中で思い描いていたものよりずっと恥ずかしくて、胸が熱い。

 母がくれた形見は、動かなくなってしまったけれどきっと、大丈夫。母の思い出が消える訳じゃないもの。


 魔法仕掛けの星見の針が、止まったら

 ――それは、恋の始まりの合図。

 夜風に髪をさらわれながら、私たちは少し大人になった。

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魔法仕掛けの星見の針が、止まったら ぺろりの。 @perorin_nosuke

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