腐り往く面影

ぶざますぎる

腐り往く面影


「今思えば」Kさんは言った「僕は父を亡くしてパニックを起こしていたんです」

 仔細は略削するが、Kさんは父に対して愛憎入り混じる感情を抱いていたのだという。

「父に対する恨みもありました。だけど、愛もあったんです。若い時分は、恨みばかりが強く、ろくに口も利かず、父のことを避けていました。でも、僕も歳をとってから父を赦したい、父と仲良くなりたいと思いはじめたんです」 

 だが、今まで関係が薄かったものを、そう簡単に修正できるものではない。結句、仲良くなりたいという望みは叶わぬまま、父は癌で亡くなってしまった。

「父の臨終に立ち会うことはできました。夜に病院から、父が意識を失ったと連絡がきたんです」

 Kさんはベッド脇に立ち、父の手を握った。その瞬間、後悔が押し寄せてきたのだという。なぜ、つまらない感情でかけがえのない父との時間を台無しにしたのか、せめて、話ができるときに謝罪と感謝を伝えたかった。

「お父さんって、呼びかけたんです」

 お父さん、数年ぶりにその言葉を口にした。するとKさんの呼びかけに対し、父は小さく唸った。それは明らかに、Kさんへ何かを言おうとしていた。

「その瞬間に、心拍数がゼロになったんです。心拍数モニタがアラームを鳴らし始めました」

 Kさんは今でも後悔しているという。

「僕が余計な呼びかけをしたせいで、父が返事をしようとした。それが父の体に負担を掛けてしまって、結果的に父を殺してしまったんだと思います」

 私はKさんの発言を否定した。モルヒネを投与している末期癌患者が昏睡した場合、意識を取り戻す可能性は極めて低い。かつそうした状態になった時点で、最早死は遠くないのだ。むしろ、Kさんからの「お父さん」という呼びかけを聞いて命を終えることができたのは、父親としては決して不幸なことではないだろうし、自責する必要はない、と。

 だが、Kさんは私の安易な慰めには興味を示さなかった。

 

「父の死を切っ掛けに、幽霊を見たいと強く望むようになりました」

 幽霊でもいいから父に会いたい。

 父でなくてもいいから幽霊を見たい。そうすれば死後の世界で父との再会を夢見ることができる。そうした願いから、Kさんは心霊スポットめぐりや、霊能者へのコンタクトを始めた。Kさんは父の死後、心霊スポットに泊ったこともあるそうだが、幽霊は見られなかったという。

 「霊能者探しも駄目でした」

 なかなかの金額を使って様々な人物に会ってみたが、Kさんは心の安寧を得られなかった。

 ある霊能力者を訪ねた帰りだったという。

 その霊能力者は当たり障りのないこと――お父さんは優しく見守っている等々――を言ってお茶を濁すばかり、Kさんに安らぎを恵えてはくれなかった。 

「がっかりしてましてね」

 Kさんは言った

「何十人も会ったけど、誰一人として私を助けてはくれませんでした」

 もう死のうかな、とKさんは考えていたという。

「その時に、たまたま教会の前を通ったんです」

 大きくて綺麗なカトリック教会だったという。

 導かれるようにKさんは教会内に入った。聖堂のなかには数人の先客が居て、祈りを捧げていた。

Kさんも席に座り、祈った。

「お父さんに会いたいです」


 その日の夜から、Kさんの枕頭に父が立つようになった。

 父は何故か裸だった。

「うれしくはありませんでした。いや、最初はうれしかったんですよ」

 Kさんは言った。

「でもね、僕は金縛りにあっていて、声も出せないし体も動かせない。ただ、父を見上げるほか何もできないんです」

 それに、とKさんは続けた。

「父から全く生気を感じられないんです。そりゃあ死んでるわけですから、生気もなにもないんですけど……。何て言うのかな、精巧な蝋人形みたいな感じなんですよ」

 父の姿をしたものは何を言うわけでも何をするわけでもなく、Kさんの枕頭に立ち尽くすだけだった。一週間ほどその状態が続き、その後、変化が生じた。

「父の体が腐り始めたんです」

 皮膚に黒味が出てきた。次第に皮膚が割れだした。一日経って、中身が露出しはじめた。次の日はウジが湧き始めた。肉片がボトボトと落ち始めた。腐敗は加速度的に進んでいった。それでも父らしきものは微動だにせず、凝として立っているだけだった。ただ、不思議なことに、頭だけは全く腐らなかったのだという。

「最終的に、頭以外のすべてが腐り落ちて骨だけになったんです」

 父は、人間の首から下だけを骨格標本にしたかのような奇妙な姿になった。その段になって、父が初めて動いたのだという。

「僕のことを見下ろして、僕と目があったんです」

 次の瞬間には朝になっていた。

「子どもの頃に、夜、目を閉じたら一瞬で朝になった経験ってありませんか?あんな感じでした」

 カーテン越しに優しい朝の光が差し込む室内にはKさんの他、誰も居なかった。爾後、父は現れなくなったのだという。


 なぜ、父のようなものが現れたのか、なぜ腐る姿をKさんに見せたのか。Kさんは、教会で祈念したことが異象のきっかけであったかのような口吻で話したが、因果は不明。色々と気になることはあったが、とりあえず私はKさんに訊ねた。


――それで結局のところ、貴方は救われたんですか

 Kさんは、何も答えなかった。


<了>

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