夜が二人を分かつまで

文化 右(ぶんか ゆう)

本文

 夏は嫌いだ。

 夏の全てが嫌いだ。

 せみの声、波の音、海のにおい、だるような暑さ、湿っぽい風。

 全部、全部、大嫌いだ。


 フォーン……というフェリーの汽笛きてきの音を見送って、アタシは歩き出した。

 他にフェリーから降りた人の数は片手で数えられる程度。

 もうこの土地は限界集落とも呼べないレベルに人が減り、さっきフェリーの中でここへ向かうフェリーの運行も終わるらしいと聞いた。

 アタシも多分、今日が最後。

 今日の予定が入っているのは日が落ちてからだから、流石さすがにちょっと早かったかなと思って近くの浜辺に降りる。

「今日のフェリーは3分遅れかー、結構早かったねー」

 しゃがみ込んで海を見ていたら、ころころと鈴の音のような明るい声が耳朶じだを打った。

 私は突然のことに少し身をふるわせてから、でもその声の暖かさを思い出して、答えた。

「……まあ、海のご機嫌次第だしね」

 声の聞こえた方を向かずに、アタシも声だけ返す。

「でも、今年は北の港が使えて良かったよねー。南の港だと、あたしもお母さんの車に乗せていってもらわないといけないから、行くのちょっと大変だし」

「そうだっけ。久しぶりだから忘れてたよ」

 そう言って立ち上がったアタシは、声の主に視線を向けた。

 少し小麦色にけたはだ、同系色の短いかみ、Tシャツとショートパンツからすらりとびた手足。

 そして、白い歯を見せた、あの日と変わらない笑顔。

 そんな少女が、そこに見えた。

「ってか、花凛かりんは肌、真っ白じゃない? 大丈夫なの?」

「大丈夫。別に引きこもってるわけじゃなくて、ここみたいに日差しが強くないってだけ。むしろ日夏ひなつくらいに灼けてる人の方が少ないくらい」

「えー、そうなんだ……って、あれ? 花凛、昔は髪もっと長くなかったっけ?」

「暑いから、切っちゃった。日夏とおそろい」

「あ、ホントだ、おそろだー!」

 ずっと会わなかった長い間を他愛たあいもない言葉でめながら、アタシたちは歩き出した。

 海岸線には足跡あしあと

 寄せては返す波が、そこに誰が居たのかを隠すように消していく。

「花凛、大学は楽しい?」

「うーん……どうだろ。それなり」

「いいなー、大学かー。あれでしょ、学食って食べ放題なんでしょ?」

「そんなとこあるの? 少なくともうちは違うよ」

「えー、お父さんが行ってたところはそうだって言ってたのに。残念」

「日夏は食いしん坊だから、食べ放題があるところじゃないとすぐにお金無くなっちゃうかもね」

「そんなことないよ!」

「ふふっ」

 海岸べりから少しれて、会話を続けていたけれど――

「ちょ、ちょっと待って……」

 そういえばそうだった。

 この島の坂は基本、人が歩くことを考えてないんじゃないかってくらい急勾配きゅうこうばいばかりだった。

 移動は日夏が言ってた通り、親の車に乗せてもらうことが多かったっけ。

「やっぱり、大学生活で体がなまってるんじゃないのー?」

「いや、アタシは昔から、こんなもん、だったって……」

 そう言い返すけれど、日夏の言う通りかもしれない。

 確かに大学に入ってからは生活に必要な仕送りはほとんど親がしてくれていたお陰で、講義に出て、テレビを見て、SNSをして、寝るだけの生活。

「花凛もうちに来て、農家やろうよー」

「いや、今、アタシが、体力、無いって、話、した、ばっかり、なんだけ、ど」

 息もえにアタシが言うと、日夏の笑顔がまた返ってきた。

「だからだよ! これから、うちでバイトして、体力付けよう! そうしよう!」

「ははは……」

 日夏の変わらない、元気に服を着せているような姿に安堵あんどする。

 それがアタシの、この地を踏む理由の1つだったから。

「あ、そうだ。この先に公園あるから、そこで休憩きゅうけいしよ!」

「そうさせて……」

 坂がゆるやかになった先にあった公園の、日陰のベンチでアタシはぐったりと背もたれにもたれかかった。

流石さすがに、ここまで体力落ちてるとは、思わなかった……」

「あはは。まあ、花凛ちゃんは頭脳派だから、そっちで頑張がんばればいいんじゃないかな」

「どうだかねー」

 さっき自動販売機で買ったお茶を口に含むと、熱を蓄えた体を急速に冷やしていく。

「……あ゛ー、生き返るー」

「おばさんくさーい」

「何だとー」

 言い返す気力もまだ十分にはもどらないから、アタシはそんな短い言葉を返すしか出来なかったけれど。

「ねえ、花凛ちゃん」

 日夏がアタシを呼ぶ。

「ん?」

「はい、膝枕ひざまくらどうぞー」

 そう言って、自分の膝をポンポンとたたく日夏。

「……やめとく」

「えー!? 花凛ちゃん、あたしの膝枕好きだったのに」

「してくれたこととかあったっけ?」

「あったよ! いっぱいあったよ!」

「何年前よ、それ」

「いっぱいありすぎて分かんない」

「ホントかねー」

 アタシはそう言い返して、空を仰いだ。

「……ねえ、花凛ちゃん」

 また、日夏がアタシを呼ぶ。

「何?」

「この公園、覚えてる?」

「日夏たちとかくれんぼしたとき、鬼だった日夏がアタシを見つけられずに、勝手に帰っちゃった公園でしょ」

「勝手じゃないよ! 花凛ちゃんがかくれんぼ上手すぎて、誰も見つけられなかったから仕方なくだよ!」

「仕方があろうとなかろうと、おにだった日夏が帰っちゃったから、アタシ1人で夜まで公園に居たんだから」

「あー、そっか。花凛、あのとき泣いて帰ってたんだっけ?」

「泣いてない」

「いーや、花凛のお母さんが泣いてたって言ってたもん。だからあたし、めっちゃお母さんに怒られたし」

「泣いてない」

「そういえば、学校で――」

「泣いてない」

「あはは」

 笑った日夏は遠い記憶きおく手繰たぐり寄せるように目を細めて言った。

「あー、そういやさ。今日来たってことは……夜のお祭り、出るんでしょ?」

「……うん」

「あたしも出るー」

「知ってる」

 だからこそ、今日来たのだから。

「ってか、島民はそもそもあれって島民全員参加じゃなかったっけ?」

「そうなんだけど、あれって山登らなきゃいけないから、最近おじいちゃんおばあちゃんとかは参加出来なくて困ってるんだって。中止にしようって話もあるんだって言ってたよ」

「高齢化社会だなあ……って、それ5年前くらいにも言ってなかった?」

「あ、言ってたかも」

「何だかんだ、始めたものって止められないもんだよね」

「だねー。あ、とりあえず今日は夜までゆっくりってことで良いんだよね?」

「まあ、そういうこと」

「よしっ」

 ベンチから立ち上がった日夏は手を差し出す。

「じゃあ、まずはうちに行こう」

「……そうだね」

 アタシはその手をにぎらず、立ち上がって日夏の隣に立つ。

「あ、うちの家、場所覚えてる?」

「もちろん。目隠ししてたって行けるよ」

「そんなに! え、花凛って実は超能力者!?」

うそに決まってるじゃん」

「ええええ! もう、おバカ! ちょっと信じちゃったじゃん!」

 そんな反応の日夏が可愛くて、アタシはくすりと笑った。

「ま、とにかくちゃんと覚えてるから、行こう」

「はーい」

 公園からはさほど遠くないところに、日夏の家はあった。

「ただいまー。お母さーん、帰ったよー」

 家の方から日夏の声に返す言葉はない。

「あれー、おかしいなあ。今日は花凛を迎えに行ってすぐに戻るって言ったから、居るはずなんだけど」

「買い物にでも出掛でかけたんじゃないの?」

「あー、そうかも。そういえば、花凛が来るって話をしたから、ご馳走ちそう作るって張り切ってたし」

「じゃあ、しばらく時間をつぶすために、他行こうか」

「うん……あ、庭の草も結構伸びてる。お父さんにお願いしとかないと」

 日夏の家の庭にはアタシの背に届かない程度の草が、そこここに生えているのが見える。

「……確かにね」

「お父さん、夏場は暑いから仕事にならないって、なかなか草刈くさかりしてくれないんだよ」

「仕方がないよ。刈ってもすぐに生えてくるって、うちのお父さんも言ってたし」

「むー、そうなんだけどさ……あ、加山のおじいちゃんだ。やっほー、おじいちゃん!」

 アタシたちの視線の先には日夏の言葉通り、老年の男性がつえをつきながら歩いていた。

「加山さん、こんにちは」

「…………お、おお……もしかして、日夏ちゃんかい?」

 加山さんがアタシを見て声をふるわせるけれど、

「いえ、アタシは花凛です」

 と苦笑して返した。

「ちゃんと日夏も居るよ!」

「花凛ちゃん……おお、おお、花凛ちゃんか……こんなに大きくなって……。もう、5年ぶりくらいかねえ」

「ええ。加山さんもまだまだお元気そうで」

「いやいや、もう杖なしじゃ歩けないようになってしまってねえ……」

 目を細めた加山さんが静かに続けた。

「島民もどんどん減ってしまって、見知った顔が居なくなっていったから、また花凛ちゃんに会えただけでもうれしいねえ」

「アタシも嬉しいです」

 ゴツゴツと骨ばった加山さんの手を握って、アタシは笑った。

「そういえば……今日じゃなかったかね、あのお祭りは」

「そうですね」

「花凛ちゃんも参加するのかい?」

「はい、そのつもりです」

「日夏も参加するよ!」

「そうかいそうかい……皆喜ぶじゃろうて……」

 そう言った加山さんの表情は優しかった。

 加山さんと別れて少し行くと日夏が走り出し、曲がり角で立ち止まった。

「ここの雑貨屋さんはねこちゃんがー……ってあれ? おかしいなあ、大島のおばあちゃん、今日は居ないのかな?」

 アタシは日夏のその言葉で、視線を閉じきったとびらにあった貼り紙に視線をやった。

「雑貨屋さん、店仕舞みせじまいしたって」

「えー!? 元気そうだったのにー!?」

「うん。そこのり紙に書いてあるよ」

 そこには『永らくのご愛顧あいこまことにありがとうございました』から始まり、閉店を告げる内容が書かれていた。

 どうやら、跡継ぎが居なかったからお店を閉めたらしい。

 日夏がアタシの言葉に首をひねる。

「うーん……大島のおばあちゃんが焼いてた鈴カステラ、めっちゃ好きだったのになー」

「アタシも。良く分け合ってたもんね」

「だねー。まあ、残念だけど仕方がないよね。んじゃー、次は――」

 気を取り直した日夏と、その後も色々と回ったけれど、点々としか無いお店が軒並のきなみ閉まっていて、人の気配はなかった。

 そのせいで、公園に戻ってきた日夏は空で夕方を告げる傾いた日と同じくらい沈み込んでいた。

「おっかしいなー。どこもやってないなー」

「日夏も暑さにやられてるんじゃない?」

「うむむむ、そうかなー」

 不服そうにうなる日夏に笑いつつ、アタシはあかね差す空を見ていたら、日夏が声を上げた。

「あ、そうだ。花凛は今日、自分の家に泊まるの?」

「いや、港の近くの民宿みんしゅくに泊まるよ」

「え、もったいなくない? ってか、うちに泊まりなよー。久しぶりに外の話とか聞かせてよー」

「んー、まあお祭りが終わったら、どっちにしても寄るつもりだったから、そのとき次第かな」

「おーし、じゃあ今夜は寝かさないぞー」

「あはは、お手柔らかに」

 日中の暑さがやわらいだせいか、昼間よりもむしろ大きくなった蝉時雨せみしぐれに打たれつつ、アタシは笑った。

 それから、夜のとばりが下りて、携帯の明かりを使わないと足元が覚束おぼつかないような時間までおしゃべりを続けてから、アタシたちはお祭り会場へと向かっていた。

「暗いよー、怖いよー」

「向こうに行ったら、皆が居るんだからそれまでの辛抱しんぼうでしょ」

「うう……そうだけどー……」

 日夏と歩く、薄暗うすくらがりの道。

 街灯がいとうの管理が行き届いていないのか、元々足りていなかったのかは分からないけれど、普通に歩くのにも支障ししょうが出るほど周囲に光が少ない。

 アタシの手もふるえていて、きっと1人で歩いていたらアタシも心がくだけていたと思う。

 しばらくして、ほのかな光がアタシたちの視線の先かられているのが見えた。

「あ、あそこだ!」

「ちょっと、日夏。待ちなさい」

 アタシの制止を振り切って、け出す日夏。

 先に光が見えていた場所まで向かった日夏だったけれど、何故かすごすごと引き返してきた。

「どうしたの?」

「お父さんもお母さんもまだ居なかった……」

 視線の先には、同じ祭りに参加する人たちが赤い提灯ちょうちんを持って立っているけれど、確かに日夏のご両親の姿はなかった。

 そして、アタシの両親の姿も。

「そっか。じゃあ、一緒いっしょに待とう」

「うん」

「あの……」

 アタシが日夏とそう言葉をわした直後に声を掛けられた。

 この村の人だろうか、おそらくアタシの父よりも年上だろうと思われる、白髪交しらがまじりの男性だった。

 見たことがない顔だから、加山さんのように、私が居た頃に住んでいた人ではないのかもしれない。

「祭りの参加者の方ですか?」

「え? あ、はい。そうです」

「ということは、何をするかはご存知ぞんじで?」

「ええ、まあ。頂上にあるおやしろに置いてある蝋燭ろうそくに、持っていった提灯の火をつけてから、手を合わせて戻ってくるんですよね」

「大体は合っていますが、今は山火事の心配から、LEDの提灯とこの先端を押すと光る電子蝋燭を使っているんです。この電子蝋燭を台に立て、手を合わせて、蝋燭はそのままにして戻ってください」

 そう言われて、男性から提灯と蝋燭を渡された。

「また、これもご存知かもしれませんが、山道はほぼ一本道で、頂上だけ分かれ道があります。その分かれ道は左に曲がってください。大きな立て看板かんばんがありますので、見逃すことはないと思います」

 そこまで言ってから、何故か少し表情を曇らせた男性は「それと……」と声のボリュームを1段階下げてから言った。

「その先に吊り橋があるんですが、渡るのが不安であれば橋の入口から出口までロープが張っていますので、それをつかんだまま進んでください」

「ロープ、ですか?」

「ええ。私もくわしくは知らないんですが、数年前にその吊り橋で落下事故があったらしくて。今は落下防止用のネットなども準備はされていますが、不安な方用にロープを準備しているので、必要ならご利用ください」

「……そうですか、分かりました」

 アタシが提灯を受け取ったのを確認すると、男性は他の参加者にまた声を掛け始めたから、私たちは他の参加者から少し離れた場所に陣取じんどる。

「むー、提灯と蝋燭、もらいそこねた……」

「大丈夫じゃない? 2人で一緒に立てれば」

「そうかなー? あ、そういやこれ、お祭りっていう割に屋台やたいとか出さないよねー」

「まあね。お祭りって言ってるけど、実際は山の神様へのお参りみたいなものだし」

「そっかー。それなら仕方がない……けどさー、それはそれとして屋台は欲しいよね。昔は夏祭りあったのに。綿あめ食べたい、綿あめ」

「あ、それはちょっと分かるかも」

 そんなやり取りをしていると、参加者が徐々に山を登り始めた。

 参加者の中にはフェリーを下りたときに見た人の姿もあって、アタシと同じように今日のために来た人も居たんだなと気づく。

 ある程度の人が山道に入っていった後で、アタシたちの番になった。

 蝉も既に眠りに落ちたらしい暗闇くらやみの中を、1つの提灯を囲んで、アタシたちは歩く。

 他の参加者が早いのか、それともアタシたちが遅いのか。

 最初は見えていた前方の灯りが徐々に見えなくなり、いつの間にか暗がりの中で2人だけになっていた。

「何か、怖い……」

「そうだね」

 ここにあるのはアタシたちが土を踏みしめる音と木々のさざめきだけ。

「道、合ってるんだよね?」

「確か……ね」

 頂上の分かれ道までは一本だって言ってたし、数年前に見たアタシの記憶でも一本道だったはず。

 進めば進むほど、アタシの足取りは徐々に重くなっていく。

 それは単に暗くて怖いからとか、道が合っているかが不安だから、というだけではなくて。

 この旅の最大の理由が終わるから。

 そうして、ようやくその道が間違っていなかったことを告げる景色が、目の前に現れた。

『お社へのお参りは左折』

 そう大きく書かれた立て看板が、確かにあった。

 少し遠くから、激しく流れる水の音。

 提灯をかざすと、その音を渡るように掛かるり橋の入り口も薄っすらと見えている。

「あ、ここだ! ここだよね!」

 吊り橋に向かう日夏。

「蝋燭立てて、手を合わせたら、ご馳走が待ってるよ!」

 足取り軽く進む日夏と、重くなり続けるアタシとの距離は、少しずつ広がっていく。

「ん? あれ? 花凛、どうしたの?」

「……」

 不思議そうな表情の日夏に、心臓と肺を同時に鷲掴わしづかみされたような息苦しさを感じて、アタシは数度深呼吸した。

 アタシは今日、このために来たんだ。

 だから、言わなくちゃ。

「……日夏、ありがとう」

「え?」

 日夏の表情が戸惑とまどいに変わった……けれど、すぐに表情を笑顔にもどす。

「あ、もしかして今日、久しぶりに色々案内してあげたこと? いやー、いいよいいよ。別にあんなの普通っていうか、あたしも花凛としゃべりたかったからさ。全然そういうの――」

 髪をなでつけたり、視線があっちこっち行ったりしていた日夏が、アタシの目を見てから、表情を変えた。

 静かに、全てを受け入れる表情。

「――じゃないよね、うん。分かってた」

 昔から日夏はそうだ。

 茶化ちゃかしたり、ふざけたりしていても、アタシがちゃんと話したいときには真っ直ぐな目で受け止めてくれる。

 だから、アタシは日夏が大好きだった。

 日夏となら、学校までの長い坂道だって、汗を流しながら向かう海だって楽しかった。

 本当に、楽しかった。

「いっぱい話したいことがあって、何から話せば良いか分かんないけど……ずっと一緒に居てくれて、ありがとう」

 アタシの言葉に、黙って耳を傾ける日夏。

「フェリー乗り場のすぐ隣の浜辺でさ、貝殻かいがら拾ったりしたよね」

「したね」

「中身が入ってるって気づかずに持って帰って、大騒ぎになったり」

「あったね」

「加山さんの家にってたかきを勝手に持って帰って、お母さんたちに大目玉食らったり」

「痛かったよね」

「でも、謝りに行ったら加山さん許してくれて、むしろ袋いっぱいに柿を持たせてくれたりして」

「あったあった」

「家には猫居ないのに、雑貨屋さんの猫ちゃんと……遊ぶ、ために……猫用のおもちゃ……とかも、買った、よね」

「買ったね」

 涙声なみだごえになるアタシと、対照的に優しい声色こわいろになっていく日夏。

「全部、大事な想い出……だけど、想い出は想い出で……もう、立ち止まっていては駄目だめなんだと……思う」

 アタシはすん、と鼻を強く鳴らしてから、言った。

「だから……日夏とは、ここでお別れしなきゃいけない」

「……」

「だって、もう日夏は居ないんだから」

 アタシの言葉で、静かに……ただ静かに目をせた日夏。

「最初、浜辺で出会ったとき、砂を踏む音がしなかったのに突然声を掛けられて、ちょっとびっくりしたんだけど……よく見たら、日夏の足跡も影もなかったんだよね」

「……そっか、そんなところでバレちゃうんだね。それはあたしじゃどうにもならないなー」

 人差し指でほおく日夏。

「この島でずっと見えていた日夏は、アタシが会いたいと願った我儘わがままが形になっただけなのかもしれないけれど」

「そんなことないよ。あたしだって、ずっと会いたかった」

「……まぼろしでも、そう言ってくれると、嬉しい」

 アタシはまた少し言葉を途切れさせて、また大きく息を吸い込んだ。

「……ごめんなさい」

「何で謝るの? って、聞いてもいいかな?」

 その言葉は茶化すためではなく、アタシの言葉に情報が足りないから。

「あの日、日夏を助けてあげられなくて」

「……」

 花凛は黙ってしまったけれど、アタシは黙っていられない。

 ちゃんと、言わなきゃいけないから。

「まだ、あのときはお互い、まだ中学生だったよね」

「うん」

「今日と同じ祭りの日、本当は大人と一緒じゃなきゃ山登っちゃ駄目って言われたけど」

「うん」

「私たちは2人一緒だから大丈夫っていっぱい説得して」

「うん」

「あの日も提灯は1つで」

「うん」

 周囲の音が消えていく。

「さっきの分かれ道、右側の森の中に2人で入って」

「うん」

「アタシは日夏に告白した」

「……うん」

 アタシたちだけの世界に、アタシたちだけの声が響く。

「そのときのアタシは……ううん、今もだけど、ずっと日夏を好きだった」

「あたしも花凛のこと、大好きだよ」

「……そうだよね。日夏は、告白したアタシを受け入れてくれた」

 アタシはそこで言葉を区切って、また続けた。

「それで、ちょっと恥ずかしかったけれど……想いの印にって、雑貨屋さんで買ったおもちゃの指輪を指にめたよね」

「うん。ペアリングだった」

「そう。アタシがペアで買った指輪。日夏がアタシにも嵌めてくれた」

 息が止まりそうになる。

 でも、言葉を続けなきゃいけない。

 あの日起こったことをなぞりながら。

「……でも、あの指輪がきっかけで」

「……うん。あたしは川に落ちた」

 アタシが続けるべき言葉をうばって、日夏が言った。

「ちょっとぶかぶかだったけど、花凛から貰った指輪が嬉しくて、あのときは本当に浮かれていたんだと思う」

 音だけでなく、アタシたち以外の全てが消えたかのような感覚の中で、日夏の言葉だけが続く。

「吊り橋を渡ってるとき、少しだけ強く吹いた風で橋が揺れて……ロープにつかまろうとしたら、指輪が落ちそうになった」

「……」

折角せっかく花凛から貰った指輪なのに、絶対に落としたくないって思ってたら……ロープ、掴みそこねちゃったんだよね」

 今日の天気予報を告げるような、何でも無いことように日夏が言ってから、口をつぐんだ。

 ここからは、もう日夏が知らないこと……だから、アタシが言わなければならない。

咄嗟とっさのことで、アタシも動けなくて」

「……」

「手を伸ばしたけど、届かなくて……」

「……」

「大人に知らせたけど、下は川だからすぐには見つからなくて……アタシが日夏を見たときは、もう目を開けてくれなかった」

「……」

「あの事故の後、アタシたち一家はこの島を出ていってしまった。父が転勤するからって理由はあったけど……多分、アタシのためだったんだと思う。あれ以降、しばらくアタシは家に引きこもるようになってしまったから」

「……」

「引っ越しても、いつも日夏のことが頭から離れなかった。日夏が罵倒ばとうしてくれれば、アタシは自分の失敗を受け入れて、むしろ気が休まったかもしれないけど、どう頑張がんばったって日夏が怒った顔を想像出来なかった。いつも泣いてたアタシの頭を、笑顔ででてくれていたから」

「……」

「ずっとくじけてたら駄目だって思って、中学もどうにか通って卒業して、高校ではただひたすら勉強に打ち込んだら、良い大学に行けた。お父さんもお母さんも、すごく喜んでくれた。ようやく、2人には恩返し出来たと思った」

「そうだったんだ。おめでとう、花凛」

「ありがとう、日夏」

 自分を奮い立たせるように、ぎゅっと拳を握ってから、アタシはまた口を開いた。

「それでも……日夏には何も出来なかったのが苦しかった。そんな思いがずっと心に残ってたまま、あるとき実家に帰って、これを見つけたの」

 アタシは、ポケットから指輪を出した。

 それは、おもちゃの指輪。

 今の日夏がしているものと違う色のガラス玉が埋め込まれている、小さなおもちゃの指輪。

 あの日……日夏が、アタシに嵌めてくれた指輪の方。

「そのときに、もう、居ても立ってもいられなくて……」

 アタシは続ける。

「もう取り返しがつかないって分かっていても、あのときアタシが告白しなければ」

「花凛」

「指輪を渡さなければ」

「花凛」

「いっそ、アタシなんかが居なければ!」

「花凛のおバカ!」

 ぱちん。

 乾いた音がやみに溶けた。

 その音が、アタシの頬からしたものだと分かったのは、じんわりとした痛みと熱があったからだった。

「そんなこと言うんじゃないの!」

「で、でも……」

「でもじゃない! ロープを掴みそこねたあたしが悪かっただけ! 別に花凛は悪くない!」

「でも!」

「あたしの大好きな人が、自分が居なければ良かったなんて……」

 初めて見たかもしれない、日夏の怒った泣き顔。

「……居なければ良かったなんて、言わないでよ……」

「日夏……」

「そりゃ、くやしいって思うよ。だって、ずっと花凛のことが大好きだったし、告白されて、これからずっと一緒に居られるんだーって思っていたんだから。なのに、もう花凛と会えなくなっちゃったなんて……」

「ひな……つ……」

 泣きじゃくったアタシを、優しく抱きとめる日夏。

 アタシの嗚咽おえつはしばらく止まなかったけれど、日夏はそれを許してくれた。

 ようやく落ち着いたところで、日夏がアタシに声を掛けた。

「ねえ、花凛。それから、どうしたの?」

 風が吹き抜けるような優しい日夏の声に、アタシはぽつりぽつりと言葉を生む。

「すぐにでもここに来て、日夏に謝りたかった。でも、ずっと謝れる自信が無くて……。アタシの中で自信のある人って日夏だったから、見た目だけでも日夏に近づけたり、一人称も私からアタシに変えてみたりしたんだけど……全然変わらなかった」

「そっか」

「それでも……自信がないって不安より、日夏に会いたい気持ちの方が強くなったから……アタシ、ここまで来れたんだよ」

「……うん」

 そう言って、アタシは大袈裟おおげさ溜息ためいきく。

「アタシはもっと、花凛みたいな強くてちょっと抜けた女の子になりたかったのにな」

「ちょっと抜けたって言うの、ひどくない!?」

「ふふふ」

「……もう。花凛は花凛でいいんじゃない? 花凛はあたしにはなれないけど、あたしも花凛にはなれない。なれない同士だから、好きになったんだと思うし」

「……そう、なのかも」

 日夏に抱きとめられたまま、私は目をせた。

「ねえ。花凛」

「ん?」

「会いに来てくれる?」

「うん。また、この島に来るよ」

「あー、えっと、そうじゃなくて……」

「え?」

 腕を解いてから、日夏は笑った。

「今のあたしの居場所。多分、村の人に聞いたら、すぐ分かるから」

「…………そっか。うん、分かった。約束、する」

 私が泣き笑いしながらそう言うと、日夏が小指を差し出した。

「じゃあさ、指切りしよ」

「……いいよ、指切り」

 そう言って、私と日夏は小指をからませた。

「ゆーびきーりげんまん、嘘吐うそついたら針千本はりせんぼん飲ーます。指切った!」

 言葉と同時に、私たちの指は離れた。

「絶対、忘れないでよ!」

「うん……大丈夫。絶対忘れないよ」

 そう私が返した言葉に満足したかのように、日夏は夜に消えた。

 そして、その直後。

「大丈夫ですか!?」

 突然、光が向けられて、私は目を背けた。

「……?」

「ああ、すみません。このお祭りの運営委員の者ですが、帰ってくる人数が足りなかったので探しに来て……もしかして、吊り橋が怖くて渡れなかったのではと思い、声を掛けさせていただいて……あれ、その頬、大丈夫ですか?」

 そう言ったのは、山の下で提灯を配っていた初老の男性だった。

 どこからが夢で、どこからが現実なのはか分からない。

 今、この時でさえ。

 でも、今までの日夏の声が全て夢でもいい。

「あの、無理にお社まで行く必要は無いですよ。代わりに私が蝋燭を立ててきましょうか?」

 私は男性の言葉に、首を横に振って言った。

「すみません……大丈夫です。もう、1人で行けますから」


 照りつける太陽の下で、私は坂を登っていた。

 もちろん、日夏のお墓参りのために。

 泊まっていた旅館の人に尋ねてみると、この島の墓地は1つしかないらしく、日夏の名字の門倉家かどくらけのお墓も1つしかないらしい。

 相変わらずの急勾配を登って、私はようやく目的の場所に辿たどり着いた。

「……日夏」

 お墓にられている名前を見なくても、日夏のお墓はすぐに分かった。

 だって、あの日、私が日夏の指に嵌めた指輪がお墓に供えてあったから。

「会いに来たよ」

 そう声を掛けて、私はお墓の前にスーパーで買った鈴カステラの袋を置いた。

 あの大島のおばあちゃんの鈴カステラとは似ても似つかない味だけれど、これしか手に入らなかった。

「……」

 静かに手を合わせて。

「…………日夏」

 目を開けると、ずっとこらえていた感情があふれ出す。

 日夏との約束だから、足を引きずってでも来た。

 でも、ここに来たということは、日夏がこの世に居なくなったことを受け入れなきゃいけない。

 我慢するって決めていた……それでも。

「日夏……会いたいよ……!」

 一度、せきを切った感情は止めどなく私を流れ出る。

「もっと一緒に喋りたかった! ずっと一緒に居たかった! どうして先に……! 日夏、ずるい、ずるいよぉ……!」

 お墓の前でくずおれた私は、泣きながら繰り返し、日夏を呼ぶ。

 でも、返ってくる言葉は、ない。

 どれだけそうしていたのか。

「……あの」

 突然、聞こえた声に私ははっとして振り返る。

 そこには、少し疲れて見えたけれど、見覚えのある女性が杖をついて立っていた。

「日夏の……お母さん?」

「ああ、やっぱり……。花凛ちゃん、よね?」

 目元をうるませながら、私を見ているのは間違いなく、日夏のお母さんだった。

「来てくれたのね……ありがとう」

「いえ……すみません。こんなに遅くなってしまって……それに、私のせいで日夏は――」

「それは言わないで頂戴ちょうだい

 優しい音色ねいろで、でも厳しさのある声で、ぴしゃりと私を制した。

「あの日、貴女あなたたち2人で行かせてやってほしいと言ったのは私です。その結果なのですから、それは貴女だけが背負うものではありませんよ」

「……すみません」

 私はただただ頭を下げるしかなかったけれど、それも日夏のお母さんは止めた。

「頭を上げて。日夏はきっと、貴女のこんな表情を望んでいないわ」

「…………」

 私が言われた通りに頭を上げると、そこにはよく日夏が見せていた笑顔の面影おもかげがあった。

「あの子ね、見つかったときにはまだ少し意識があったの。それでね、しっかりにぎっていたその指輪を私に見せて、もし私が駄目になったら、お墓の前にはこれを置いて欲しいって。そしたらきっと、何年掛かっても花凛が私を見つけてくれるから、って」

「…………っ!」

 私はもう、声にならない声を上げるしか出来なくて、そんな私を日夏のお母さんは優しく抱きしめてくれた。

 どれくらい時間が経ったかは分からないけれど、身を離した私に日夏のお母さんは言った。

「でも、良かった。私たちが昨日来れなかった理由が良く分かったわ」

「え?」

 日夏のお母さんの言葉に、私は疑問符ぎもんふを返した。

「本当なら、私たちも昨日こちらに来る予定だったの。数年前に私が腰を悪くしてしまって、大きな病院が近くにある街へ引っ越したのだけれど、毎年あのお祭りのため、この時期には戻ってきていたのよ。でも、何故だか昨日だけはフェリーに続く交通機関、全て都合が悪くなってしまって、時間通りに辿たどり着けなかったのよ」

「そうだったんですか……」

「きっと、日夏が花凛ちゃんとゆっくりお話をしたくて、私たちにまだ来るなーって言ってたのね」

「すみま……いえ、ありがとうございました。日夏、沢山たくさんお借りしました」

「いいのよ。本当ならもっと長ーくお貸しするつもりだったんだから」

「……え?」

 私が首をかしげていると、日夏のお母さんは手を合わせて言った。

「そうだ。ねえ、花凛ちゃん。良ければ今日、うちに来ないかしら。お父さんが久しぶりに家の草刈くさかりするって張り切っているから、良ければその間、私の話し相手になって欲しいの」

「は、はい。喜んで!」

「じゃあ、行きましょうか……ああ、久しぶりだけれど、うちの場所、分かるかしら?」

「……ええ、もちろん」

 私はそう頷くと、先に歩き出した日夏のお母さんの少し後ろを歩き……足を止めた。

「あ、あの、すみません。少しだけ待ってもらえますか?」

「ええ、構いませんよ」

「ありがとうございます」

 謝辞しゃじを告げてから、私はお墓に駆け寄った。

 そして、ポケットからおもちゃの指輪を取り出して、日夏の指輪に重ねて置いてから、もう1度だけ手を合わせた。

 立ち上がった私に、

「……もう良いの?」

 とほころんだ表情で尋ねた日夏のお母さん。

「ええ、大丈夫です」

「……そう。それなら、行きましょうか」

 日夏のお母さんの隣を歩きながら、私は突き抜けるように青く、雲ひとつ無い空を見上げた。


 ああ、本当に……夏は嫌いだ。

 ……大好き過ぎて、終わって欲しくなくて……大嫌いだ。

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夜が二人を分かつまで 文化 右(ぶんか ゆう) @Bunka_yu

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