ヴァンパイア・アイデンティティ

棚尾

ヴァンパイア・アイデンティティ

「この世界に吸血鬼はどのくらいいると思う?」


 夜の十時を回ったころ、明日の実験に使う薬品の確認をしていたときだった。

 ヤマダさんはいつの間にか、背後に立っていた。毎度のことなのだが、心臓に悪い。距離感が測れないのか、近づくまで声をかけてこないし、おまけに気配も薄い。

 中性的な顔立ち、しっかり手入れされた黒髪を後頭部の高い位置でまとめている。浮世離れした雰囲気があって、そこにいると目を離せなくなる。

 ヤマダさんは、この研究室に夜にしか現れない。本人曰く、朝に大変弱い夜型人間とのことだ。雇われ研究員として有能だからか、教授には見逃されている。


「いきなり何の話です。突拍子も無さすぎて返す言葉もありませんよ」


 ヤマダさんは夜になるとフラッと研究室に現れては、暇そうな学生に与太話を吹っかけている。反対に研究や生活で問題を抱えた学生には、お役立ち間違いなしのアドバイスをしてくれる。


 与太話を吹っかけられたということは暇そうと思われたのだ。


 大学三年生の三月である。就職活動も本格的に始まり、日に何件も説明会をこなし、エントリーシートの推敲に時間を取られ、学務課の模擬面接にだって参加している。睡眠時間もごりごりと減っていて、毎日気絶するように眠りに付いているのだ。だけど、学業だっておろそかには出来ないから、こうして夜になって研究室に来ているというのに、暇人扱いされるとは心外だった。


「最近、農学部の方で牛の血が抜かれる事件があったそうじゃないか。チュバカブラの仕業だって騒ぎになっている」


 今日の与太話は、数日前から話題になっている事件のことだった。農学部で飼育している牛から血が抜かれていた事件。牙で付けられたような二つの傷口があったことから、南米で目撃される吸血UMA、チュバカブラの仕業だと噂になっている。


「ヤマダさん、昼間は学校にいないじゃないですか。その話、誰から聞いたんですか」

 

 研究室以外でヤマダさんを見かけたことは無い。そして、チュバカブラ事件があってから数日は研究室でも姿を見かけなかった。特定の親しい友人がいる訳ではなさそうだし、どこから情報を仕入れたのか謎だった。


「夜の話なら、私は詳しいんだよ」


 ヤマダさんはなんでもない風に、意味深なことを言ってのける。相変わらず不思議な人だ。

 忙しいし疲れているけど、あんまり根を詰めてもしょうがない。話に付き合うことにした。


 ヤマダさんと実験室の長机に並んで腰かける。

 話に乗ってくれたのが嬉しかったのか、ヤマダさんはニコニコと楽しそうだ。


「吸血鬼の表現型について、ヒトにどういった要素があれば説明が付くか考えてみようじゃないか。まずは前提の共有からとして、生物の表現型はどういう要素で構成されているかな?」


 表現型とは、その生物、個体が持つ観察可能な性質のことだ。見た目や構造、行動だけでなく、生理学、生化学的な内部の分子単位のふるまいまで含まれる。


「表現型の構成要素は、遺伝子、環境、誘因、偶然です」


 生物の性質は生まれた時の遺伝子によってのみ決定されると思われがちだけど、必ずしもそうではない。

 遺伝子に原因があっても、環境によっては表現型として出てこないこともあるし、遺伝子に関わらず傷や外的な要因によって生じた特徴、行動も表現型と言える。トラウマやアレルギーのように特定の物質や出来事をトリガーにして表に出る性質もある。

 また、がんになりやすい遺伝子変異があっても100%がんになる訳でもない。浸透率と呼ばれる考え方で、現代では偶然によるものとしか説明出来ないものだってあるのだ。 


「その通り、良く勉強しているね。じゃあ、その四つの要素から吸血鬼の表現型を解き明かしてみようじゃないか」


 褒められて悪い気はしなかった。ヤマダさんと話をするのは嫌いではないし、こういう与太話を考えるのは、適度に頭も使って気分転換になる。


「吸血鬼は日の光に弱い」

「ヤマダさんのような夜型人間。ドーパミンシグナル経路に変異、もしくは自律神経失調によるもの。遺伝的な要因に、生活習慣等、環境も含めた複合的なものに思えます」


 日の光に弱いと聞いて最初に思い浮かんだのはヤマダさんのことだった。

 言ってから、ヤマダさんに対する当てつけのようだとちょっと反省した。暇人扱いにムッとしていたから、思わず口をついて出てしまったようだ。


「もっとピンポイントだと、紫外線がダメな遺伝性の疾患もあるね。色素性乾皮症が代表的だけど、これは夜型人間よりクリティカルで、致命的だ」

「遺伝子的な要素の大きい表現型ってことですかね」

「吸血鬼の中に夜型人間が含まれることを否定するまではいかないが、お話によっては消滅するとかあるし、これくらいクリティカルなものもあると思うよ」


 ヤマダさんは別に気にする素振りを見せない。それどころか、別の視点から、こちらの考察を補足する。色素性乾皮症は難病に指定されるような病気で、日光を浴びると激しい日焼けを引き起こしたり、歩行障害などの神経症状や皮膚がんなどが生じる。

 吸血鬼が日光を嫌うという性質は、これくらい致命的な理由があると説得力がある。


「血を吸うという性質はどうかな」

「貧血体質ですかね。それで、他人から吸うとなるのは説明に困りますが」

「そこは本人の嗜好ということにしよう。他人のモノを奪うことに興奮する性癖」

「はた迷惑な性癖ですね」

「行動に移さなければ、どんな性癖だって自由さ。人権は大事だぞ」


 吸血鬼という存在を人間をベースに考察しようとしているから、人権という概念が出てくるのも頷ける。吸血鬼はホラー映画やフィクションでは異質な存在として描かれることもあるけれど、元々は人間なのだ。見た目だって普通の人間とほとんど変わらない。

 

「つまり吸血行為は遺伝子の要素より、性癖的な部分の方が強いということですかね。四つの要素に当てはめるとなると……」

「環境だね。本人の嗜好という面もあるかもしれないけど、昔なら輸血という手段も無かっただろうし、貧血体質のヒトが他人から奪うという発想になったかもしれない。社会背景が行動に影響を与えたパターンかな」

 

 吸血行為はフィクションでは耽美さをまとった表現をされがちだが、同意が無ければ暴力の一種だ。

 吸血鬼が闇夜に紛れて他人の血を吸うのも、社会的には認められない行為だったからかもしれない。


「流れる水を渡れない」

「これは遺伝子の影響は無さそうですね。経験によるトラウマ。溺れそうになった経験からとか」

「確かに誘因の要素は大きそうだ。ただ恐怖症の類いは、神経質や不安、心配を覚えやすい遺伝子的な要因が背景にあるとも考えられる。セロトニン受容体やその伝達経路に異常があるとかね」


 ヤマダさんが賢いのは疑いようが無い。初めて知るようなことが、どんどん出てくる。ヤマダさんとは歳も離れているし、こちらはまだ学生なので、ある程度知識の差もあるのしょうがないとは思うけど、ちょっと悔しくなったので、少し説明が難しそうな性質をぶつけてみることにした。


「吸血鬼は一度死んで、蘇ると言われてますね。これは、流石に説明できないんじゃないですか」

「死は経験則により判定されるんだよ。脈が止まったら、身体が冷たくなったら、もう動くことが無いだろうという経験の積み重ねに寄って医学的に診断されるから、稀に例外となるヒトが出てくる。死んだと思っていたヒトが蘇ったという話は、現代でもたまにニュースになるだろう」

「偶然による表現型ってことですか。こうなるとなんでもありに思えます」


 ぐうの音も出なくて、思わず負け惜しみがこぼれた。

 けれど、楽しかった。次の無理難題をぶつけてみる。


「不老不死はどうですか」

長寿遺伝子サーチュインの活性が異常に強いというのはどうだろう」


 長寿遺伝子サーチュインとは老化や寿命の制御に関わると言われる遺伝子のことだ。細胞分裂、糖や脂質の代謝に関わりがあり、神経細胞を守るとも考えられている。ポリフェノールが健康に良いと言われているのは、この遺伝子の活性化に関わるからだ。


「若々しく長生きするかもしれませんが、不老不死と言うには大袈裟じゃないですか」

「数百年とか言われると厳しいね。ただ、不老不死だと周りに思い込ませるには数十年で十分だよ。観測出来ること、というのがポイントだからね。周囲が気がつかない間に、代替わりしたということもある」


 そう言えばヤマダさんは年齢不詳だ。雇われ研究員だからか、どのくらい前から大学にいるのかも知らない。教授以外に深い交友関係を作っている様子も無いから、肝心なことが霧の中なのだ。

 もしかしたら不老不死の吸血鬼は、ヤマダさんのように他人との関係が希薄で、若々しい人の噂話に尾鰭がついたのかもしれない。


「心臓に杭が弱点」

「普通のヒトでも死んでしまうね」

「銀の弾丸」

「同上だね。これは吸血鬼にというより、人類共通だ」

「鏡に映らないとか、狼、コウモリに変身するというやつもありますよ」

「生物学的に説明できないね。正直専門外だ。けれど、手品とか闇夜に紛れた行動が勘違いされたとかかな」


 という具合に吸血鬼の色んな性質について考えてみた。考えるまでも無いことや、無理矢理な理屈もあったりはしたが、これは与太話だ。正確である必要はないし、“そうかもしれない“と想像を巡らすのは楽しい。


 話すことがだんだんと無くなってきたところで、ヤマダさんが立ち上がった。壁際の恒温庫の中から、細長い円柱状の小ビンを取り出す。

 

「これはこの研究室で飼育しているキイロショウジョウバエだけど、その変異体がどれくれいあるか知っているかい?」


 キイロショウジョウバエは遺伝子の研究で使われる代表的なモデル動物だ。管理されている系統は日本国内の機関で管理維持されているものだけでも20,000以上もある。変異体には不眠に悩む夜型なショウジョウバエもいるし、特定の状況に恐怖を覚える個体もいれば長生きする個体もいる。

 生物の個性は、系統的に整理できない個体単位の多様性も含めれば無数にある。


「吸血鬼の特徴を全て持っている必要は無い。二、三個あればそうと勘違いするし、それくらいの特徴なら、案外持っているヒトもいるだろう」


 ヤマダさんが言った最初の言葉を思い返す。この世界に吸血鬼はどれくれいいるのだろうか。

 今、学内で噂になっているチュバカブラのことも考えてみた。実際に目撃者がいるわけでもない。犯人は夜型人間で牛の血を集める特殊な性癖の持ち主かもしれないし、ストレスが溜まった末のイタズラなのかもしれない。

 なんとでも考えられるような気がした。吸血鬼は、案外どこにでもいるのかもしれない。


「ちなみにキミから見て、私は吸血鬼かな」

「ヤマダさんはヤマダさんですよ」

 

 ヤマダさんか吸血鬼かどうかはわからない。“そうかもしれない“と想像することは出来る。ヤマダさんは不思議な人だが、イタズラに他人に危害を加えるような人ではないし、ヤマダさんが吸血鬼だとしても、今の関係なら問題無い気がした。

 夜型人間で吸血鬼かもしれないヤマダさんは、この研究室に受け入れられている。案外、現代の吸血鬼は貧血の治療や、輸血など色んな手段によって、他人に危害を加えることなく生きているのかもしれないし、吸血行為が我慢できなくても、そういう特殊な嗜好として、どこかで受け入れられていたりするのかもしれない。

 どんな個性があったとしても、色んな方法で折り合いを付けている。個人と個人の関係に留まらず、医療の発展など社会にも支えられている。


 気がつくと、いつの間にかヤマダさんの顔がすぐ近くにあった。

 こちらをじっと見つめてくる。吸い込まれそうな真っ黒な瞳に、目が離せなくなる。


「時に君、最近、朝はちゃんと起きられているかな」

「忙しくてあんまり寝れていないので、朝がきついです」


 就職活動のストレスのせいか不眠気味だった。起き上がるにも時間がかかって、布団のうえから動けないことも、しばしばあった。


「日中ふらふらすることはないか。ちゃんとご飯を食べているかい」

「いいえ、朝とか抜くことが多いですね」


 食べても、朝はゼリー飲料などで簡単にすませてしまうことが多かった。昼食も外にいるときはカフェやファストフードだし、夕食は自炊する気力も湧かないので、ここしばらくはコンビニのお弁当ばかりになっている。


「記憶が飛ぶことはあるかい」

「疲れているので、部屋に戻ったと思ったら、翌朝ってことがありますね。この前なんか、どこかにぶつけたのか、口から血が出ていました」

 

 数日前、自宅の玄関で眠りこけてしまったことがあった。目が覚めたら口一杯に血の味がして、かなり動揺した。

 幸い口を深く切っている様子もなかったので、口をゆすいで、シャワーを浴びてから学校に向かった。

 夜の記憶は朧げで、良く覚えていない。確かその日は、チュバカブラ事件があった日だ。


 ヤマダさんはふむふむと頷くと、どこにしまっていたのか、懐からビニール袋を取り出した。


「これをあげよう。あと、一度医者にかかると良いよ。君は貧血体質なのかもしれない。明日の実験の準備はやっておくから、今日は帰りなよ」


 そこには鉄分入りのヨーグルト飲料が六本も入っていた。

 ヤマダさんに与太話を吹っかけられたと思っていたけど、身体のことを心配してくれていたのだ。

 アドバイス通りに病院に行くと鉄分不足の貧血と診断された。薬をもらい、日常生活もなるべく無理しないように気をつけることにした。

 就職活動や研究は、それなりに上手くいっている。この社会のどこかに居場所はあると、漠然と期待出来るようになったからかもしれない。貧血や変な焦りが無くなったおかげか、生活も少しずつ安定してきた。

 ヤマダさんとは相変わらず与太話ばかりしている。たまには薬になるその時間が、心地良くて好きだった。


 ちなみに学内で噂になったチュバカブラが、また現れたという話は聞かなくなった。

 その正体が、なんだったのか、定かではない。


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