12話 冬迎祭り


 木々からはもうほとんどの葉が枯れ落ち、風は冬の香りを運んできていた。門前で待つ久坂達はぼやける太陽の陽に照らされながら、一瞬身を震わせる。吐く息も微かに空気を白く染めていた。



 「おっせーなお嬢たちは!」

 「まぁまぁ久坂君、女性は支度に時間がかかるものなのだよ!」

 「何知った風な口聞いてんだ利助のくせに」


 両手を組み、機嫌が斜めに傾きながらも利助と共にふみと優を待つ。

 そう。今日は待ちに待った冬迎とうげい祭り。



 ゆうの弟泰時が訪ねてきた日、珍しく感情を尖らせていた松陰は、今は変わらず穏やかに過ごしていた。それは不思議なぐらいに、静けさもあり、塾生達の論議にも耳を傾けるだけの日が増えていった。



 「先生……本当に行かないんですか?」


 いつもより丁寧に結い上げた髪を気にしながら、玄関で待つ松陰の元へと駆け寄る優。その表情は、祭りへの期待の顔というにはあまりにもかげりに満ちていた。


 「私は人混みが苦手なんだ。だからふみや久坂君たちと楽しんでおいで」


 --------嘘つき。

 松陰が嘘をつくときは決まって困った顔をする。めったに見ることはないのだが、優はそう確信していた。そんな顔をされると、追及する気も失せてしまうものだ。


 「……じゃあ、行ってきます!お土産買ってきますからね!!」

 「あぁ、楽しみにしているよ」


 そこへ待ちくたびれた久坂が戸口を開けた。


 「おっせーよ!!早く行くぞ!」


その声に急かされて、ふみと優は二人の元へ走る。

 その後ろ姿を横目に、松陰は一人塾の中へと入っていった。




* * *





 「優さん、何食べたいですか?」

 「ん〜……あっ!お団子!」

 


 団子屋が目に入り、優は目を輝かせた。


 「よし、待ってろ!」


 久坂と利助が急足で団子屋へと向かった。このお祭りを一番楽しみにしていたのは、歳若い男達の方だったりする。楽しそうにはしゃぎながら団子を両手に持って帰ってくる二人を見て、ふみと優も笑わずにはいられない。



 手渡された団子を頬張りながら、人混みを進んでいると、どこかから太鼓や笛、三味線の軽快な音が聴こえてくる。



 「何の音でしょうか?」

 「行ってみよう!」



 音のする方へと進めば、町の広場に人だかりができていた。その中心には簡単な舞台が組まれていて、演奏をする人たちを後ろからでも見ることができた。



 ジャンジャカ、ジャンジャカ、とリズムよく奏でられる楽器達に、どこか懐かしさを覚える優。気がつけば夢中で演奏を聴いていた。



 そして、曲が終わったのだろう。奏者が深く礼をして舞台を降りていく。それと共に拍手や歓声があがる。

 優達もその中の一人で、興奮冷めやまぬ表情で手を叩いていた。


 拍手喝采の中、一人の男が壇上に上がる。そして声を張り上げた。


 「さぁさぁ!!皆様、まだまだお楽しみはこれからです!続いて登場致しまするは、男も女も憧れる、馬関でも有名なあの"桜蘭おうらん"の最高の花魁にして女主人、高嶺の花の中の華!!お目にかかれるだけで幸福が訪れるという伝説の美女……その名も、"菊鈴きくすず"さぁ、とくとご覧あれー!」



 周囲がより一層ざわめき立つ。優やふみは皆が何に喜んでいるのかわからなかったが、久坂と利助は意味を理解したらしく、少し緊張しているように見えた。たまらず優は隣にいた久坂に尋ねる。


 「ねぇねぇ、誰が来るの?」


 「お前知らねぇのか?桜蘭っていやぁ知らない奴がいねぇぐらいの有名な遊郭だよ。その中でも菊鈴ってのは一目見るだけでもかなりの金を積まなきゃ叶わねぇぐらい高い花魁だ」


 「へぇ…やけに詳しいんですね、久坂さん」

 「いや!違うぞ!俺は聞いただけだからな!!」



 怪しむふみの気を逸らすように、壇上を指差す久坂。それと同時に手を引かれてやってきたのは、赤い絹に金銀の刺繍が施された美しい着物に身を包む、着物に負けないぐらいの美しい女性であった。


 手を引くのは、優達も知る人物。



 「高杉、さん?」


 そう、あの高杉晋作であった。美男美女がゆっくりと歩く姿は、それだけで絵になる。

 下駄の音が止まる時、壇上の二人は観客へと向き合った。


 「きれー……」


 その場の全員が見惚れる。


 「ここに御座すは、長州一の花魁、菊鈴である!この祭りの為に、特別に舞を披露してくれる。皆、目に焼き付けておくように!」


 高杉の堂々とした喋りに、その場の皆が聞き入る。それを見ていて満足したのか、口角を上げながら菊鈴の手を離し、舞台の隅へと座った。

 すぐさま三味線が高杉の手元に届き、音を合わせ始める。



 「え、高杉さんって三味線弾けるの?」

 「そうみたいね」



 ダン、ダンッと鳴り響く力強くも色っぽい弦の響きに、誰しもが心を奪われる。


 その音に合わせて、袖を揺らし始め、ゆっくりと舞い始める菊鈴。柔らかな日差しに金銀の刺繍がキラキラと輝く。


 「…綺麗」


 優は初めて見る花魁に、目を離さずにいた。


 

***



 「高杉の野郎、金積みやがったなー!」


 不貞腐れたように久坂が言う。

 無理もない、菊鈴太夫は一曲だけ舞を披露して、すぐに高杉と消えたのだ。同世代の男として、多少の嫉妬心があるのだろう。

 出し物はそれが最後だったようで、自然と人だかりも捌けていく。夕暮れも間近になり、灯籠の準備をしている姿もちらほら見え始めた。


 「久坂さんも、あんな綺麗な花魁さんが好きなんですね」


 つっけんどんにふみは言う。


 「はあ?男なら当たり前だろ!」

 「いやそこは、違うよって言うとこだよ久坂君!」


 慌てて利助がフォローするが、時すでに遅し。


 「あーそうですか!それなら私なんかと回らんかったらいいじゃない!!もー知らないっ!」


 「あ!ふみさん…!」


 急に走り出したふみを急いで追いかけようとする優だが、それは利助に止められる。


 「優さんはここにいて!土地勘がないから迷子になったら大変だ!俺と久坂君で探してくるから待ってて!ほら行くよ!」

 「ったくなんで俺が…」

 「もう、君のせいだろ!ほらほら、早く!」



 あっという間に一人になってしまった優。



 「え、どうしよう…」


 さっきまであんなに楽しかった町が、薄暗くなってきたせいもあり、見知らぬ顔が行き交う人混みはもう恐怖しか感じない。



 そして、初めて城下に降りた時、変な男達に絡まれた記憶が蘇る。

 また同じように絡まれたらどうしよう、そう思うと手足が震える。

 

 段々と暗くなり人の数も増えてきた為、避けるように薄らと竹灯籠が灯す光を頼りに路地へと逃げ込んだ。


「ハァ、ハァ…どうしよう……」


 思わずしゃがみ込む優。

 人の声も得体の知らない物に聞こえ、帰りたい気持ちで前が見えなくなる。顔を隠すように両手で覆い、滲み出てきた涙を抑え込む。





 「…いた!おい!」

 「ぎゃーっ!」


 と、そこへ突然の大きな声。肩に触れられた感触に驚き、大声で叫ぶ優。その衝撃から逃げようとする優の両肩を掴み、ぐるっと体を回転させれば、見知った顔が目の前にあった。




 「おい!俺だ!た・か・す・ぎ!わかるか!?」

 「た、高杉……さん……」



 それはも守ってくれた、高杉さんだった。

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志よ、蒼穹へ 山本翼 @yooku29

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