終章

すべては深く甘い闇の中

 午前零時。片手に缶ビールを持ちながら、突然暗くなったパソコンのディスプレイを男は見つめていた。ネットの有料動画配信サービスでアクション映画を見ている最中、まさにクライマックス直前の出来事だった。

「マジかよー。これって期間限定配信だったか? 日付変わったらいきなり切断は無慈悲過ぎるだろー。月額料金払ってるんだぞー」

 あと十分早く見始めていれば、最後まで見られたのに。独り身だからと残業を押し付けてきた上司を内心呪いつつ、一気に飲み干したビールの缶を握り潰して投げ捨てる。壁に当たった缶は跳ね、ゴミ箱へと入った。

「おっと、ラッキーじゃん」

 下に曲がりかけた機嫌が上を向き、気を取り直した男の視線の先。暗い画面の上部に赤文字で『ライブ配信』、白文字で『視聴者一名』と文字が現れた。

「ライブ配信? 視聴者一名って、何の冗談だよ? 何かの番宣か?」

 無料の動画配信サイトではライブ配信の視聴者が一桁ということは多々見かける。男が見ているのは有料で、映画専門のはずだった。

 暗い画面の中、ロウソクの炎が一つ、また一つと灯り、和風のフロアベッドで黒い着物を着た男に組み敷かれる女の姿が露になった。長い黒髪の女の白い長襦袢は乱され、開かれた肢体は艶めかしく美しい。

 男は優しい手つきでじらすようにしながら、女の体を撫でまわす。

『ほら。君の恥ずかしい姿が見られてるよ』

『……そんな……』 

 羞恥で泣き出しそうな女の切ない表情から目が離せなくなっていた。組み敷かれた女は男の初恋の女に似ている。幼い頃の記憶が刺激され、薄暗い衝動が体温を上げていく。

『もっと見てもらおうか』

『あ、そ、それは……』

 画面が切り替わり、組み敷かれていた女は膝立ちになり、背後から黒い着物の男に支えられて、その艶めかしい肢体を晒していた。中途半端にまとわりつく長襦袢が局部を隠し、見ている者の妄想を掻き立てる。

 女を抱く黒い着物の男の顔は見覚えがあった。先日行方不明になったと騒ぎになった人気動画配信者・零音。数百万人のチャンネル登録者ファンと数千本の動画を残して、挨拶もなく消え去った。

「あいつ、AV男優になってたのかよ……」

 男の周囲にもファンが多数いる。これは話題のネタになるとスマホに手を伸ばした途端、画面越しに零音と目が合った。配信者から視聴者が見えるはずがない。そうは思っていてもどきりとしてしまう。

 零音はふわりと満足げで幸せな笑みを浮かべた。

『君も混ざらないかい? 残念だけど、僕だけでは彼女の渇きを満たせないんだ』

 あまりにも唐突過ぎて、零音が何を言っているのか男には理解できなかった。この異常事態を終わらせるには今すぐパソコンの電源を落とすことが最善と思いつつも体が動かない。

『君が参加するのは簡単だ。境界を超えてネットの世界に入るだけだよ。そっちから彼女に触れるだけでいい』

 零音に背中から抱きしめられて震える女の表情が、まるで助けを求めているように見えて嗜虐心が頭をもたげた。初恋の面影を残す可憐な花を踏みにじり穢したい欲望が、正常な判断力と理性を男から奪い去る。


『そう。君が参加したいと望めば、いつでもどこからでも境界を超えられる。世界は一つだけではないんだ』


 闇の中、どこからともなく漂ってきた甘い花の香りに包まれながら、男は画面へと手を伸ばした。

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闇香 ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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