第二十三話

 暴風は強さを増して地面を削っている。夜刀の結界が無ければ、すぐにでも死んでしまいそうで恐ろしい。きよねに攻撃を加えようとしていた夜刀は一瞬だけ逡巡の表情をしたものの、零音の言葉に頷いた。

「ありがとう、夜刀」

「気を抜くなよ」

 微笑む零音に苦笑を返し、夜刀は零音の背中を軽く叩いて送り出す。

「えーっと、きよねさん、僕の話を聞いてもらえないかな」

 冷ややかな表情のきよねに対しても、あくまでも優しく微笑む零音に向かって風の刃が放たれた。危ないと叫ぶ間もなく、刃は白い炎で焼かれて蒸発する。反射的に夜刀を見ると、軽く肩をすくめて苦笑したから、おそらくは夜刀が零音を護っている。

 刻々と変化し続けていたきよねの顔が、一人の顔で固定した。それは私が最初に見たきよねの顔。黒曜石のような瞳が濡れたように輝いた。

『……何故、戻ってきてしまわれたのですか。私は貴方との縁を切りましたのに。今更、約束を果たそうなんて……』

 やはり零音は登藤聡一の生まれ変わりだったのか。夜刀が縁は見えないと言っていたのは、きよねが切ってしまったからなのかも。

「ごめん。前世の記憶は全くないんだ。夜刀からいろいろ聞いたけど、僕には零音として生きてきた記憶だけしかない。……君が待っている夫とは別人かもしれない。だから、君と何を約束したのかわからないんだ」

 対する零音の言葉には、寂しさと謝罪の気持ちが含まれていた。

「君には迷惑かもしれないけど、初めて見た時から僕は君に恋をした。前世とか関係なく、これは零音としての想いだ」

 まさか。そんなことが。零音の告白が衝撃過ぎて思考が真っ白になりそう。夜刀も驚きの表情で零音を見ている。零音がきよねを初めて見たのは、弟の達樹が持っていた動画データに映った一瞬だけ。あの瞬間で恋に落ちるなんて私には無理。

『……私は心も体も穢れてしまっております。毎夜、慰み者にされ拒んでいたはずなのに、いつの間にか私の体は肉欲に屈していた。死者となり、体を無くしても体が疼くのです。私の名を受け継いだ者たちも同じ』

 運命を弄んだ男たちを心の底から恨みつつも、体は男を求める苦しみにきよねは涙を流した。心と体の捻じれを解消できないまま、魂は水槽でたゆたう地獄。

 過激なライブ配信で男たちを呼び寄せて、すべてを搾り取り不要になれば捨てる。それは彼女たちがされたことを返しているだけ。疼きと渇きを鎮める為であり、男たちへの復讐でもあった。

「それでも君が好きだという僕の気持ちは変わらないよ。この痣ができてから、僕はずっと『寂しさ』を感じていた。最初は自分の気持ちかと思っていたけど、そうじゃなかった。この『寂しさ』は君の感情だろう?」

 私はこの呪いから何を感じていただろうか。きよねに対する共感と同情は時折感じても、きよね個人の『寂しさ』には気が付けなかった。 

「君が寂しいなら、僕が一緒に逝く。君の世界に連れていってくれないかな」

 それは死ぬということか。きよねに手を差し伸べた零音の言葉は理解不能。止めなければと思うのに、きよねと零音の二人の世界は出来上がっていて割り込むことは難しい。

 美しい黒曜石の瞳から煌めく涙がはらはらと流れ落ちていく。艶めく黒髪は光の粒をまとったように輝き、柔らかな風が白いワンピースの裾を揺らす。吹き荒れていた暴風はぴたりと止み、禍々しい悪霊という空気は消え去った。

『……私と共に逝くとおっしゃるのですか?』

「そうだよ。どのみち、僕の命はもうわずかだ」

 そうだった。私は夜刀によって〝闇香の呪い〟の進行を止められているけれど、零音は断っている。命乞いをすることなく、零音はきよねに向かって歩き出し、夜刀の結界から出て行った。

「捕まえた」

 零音はきよねの手を取って、優しく抱き締める。きよねは抵抗することもなく、零音の腕の中で大粒の涙を流す。

「零音、お前は本当にそれでいいのか?」

「ああ。これは僕の本当の願いだ。呪いを受けたと知ってから、この願いの為に家も会社も全部処分してきた。……事情があって、僕の家族は達樹だけだったんだ。でも達樹はもういない」

 呆れつつも優しい声で問いかけた夜刀に、零音は笑顔で言葉を返した。

「夜刀、愛流さん、短い間だったけど本当に楽しかったよ。ありがとう」

 零音の表情は清々しくて爽やかで、この世界に何の未練もないように見える。その胸に抱きしめられたきよねと一瞬だけ目が合った。その視線が意味するものが理解できないでいると、二人は抱き合ったままで煙のように消えた。

 白く輝いていた五芒星は光の粒になってはじけ飛び、私を包んでいた花の香りが綺麗さっぱり消え去り、呪いの痣も消えていた。

「良かった……呪いも消えたか。……愛流、どうした?」

「……何でもない」

 きよねは零音を連れて成仏したのだろうか。その一瞬の違和感を言語化することはためらわれた。儚げな美人に対する嫉妬だと思われるかもしれない。そう思ったから口にはできなかった。

「零音は、あれでよかったのかな」

 動画配信で人気もあって、かなりの額を稼いでいた。運も強くて順風満帆でたくさんのファンに囲まれていたのに、孤独を心に抱いていた。きよねの『寂しさ』と同調したからこその選択ではなかったか。

「本人の選択だからな。好きな女を追いかける為に命を捨てた。ただ、それだけの話だ。……馬鹿だとは思うが、うらやましくもあるな」

 夜刀は大きく息を吐き、体を伸ばしながら両手を空へと上げる。

「うらやましい? 夜刀も零音と逝きたかったの? 零音が好きだったんでしょ?」

 私の言葉を聞いて、夜刀は明らかにうろたえた。やはり図星。

「ちーがーう。お前そろそろ、自分のご都合主義の鈍感さに気が付けよ」

「ご都合主義の鈍感さ? 何それ?」

「あー。はいはい。俺も馬鹿です。ありがとうございましたっ」

「ちょ。意味わかんないんだけど!」

 私の問いに、夜刀は説明することなく歩き出した。

 

 草原を二人で歩きながら、青い空を見上げる。まだまだ気温は高くても、吹き抜ける風は秋の冷たさ。

「私だったら、好きな人には何が何でもこの世で生きていて欲しいって思う」

「独り生き残って幸せになれって言いたいのか?」

 そう言って夜刀が口を引き結ぶ。

「違うわよ。残りの人生、独り身を貫いて私のことを忘れずに生きて欲しいの。ついでに月命日にはスイーツとか美味しい物をお供えして欲しい。誕生日にはケーキよ、ケーキ! 夏にはバニラアイス!」

「なんだそりゃ。すげーワガママな女だな。……まぁ、愛流らしいな」

 夜刀に笑われても全然平気。この先、私に恋人が出来たなら、必ず確認しておきたいと思う。人生何が起きるか先の事はわからないし。

「さーて。呪いも解けたし、心機一転就活頑張るぞー!」

「は? お前、まだ企業をぶっ壊しに行くつもりか?」

「入社決まったら、力抜いて適当にすればいいんでしょ?」

「……それが正解だといいがな」

 呪いが解けた以上、夜刀に迷惑は掛けられない。シェアハウスは引き払って、新しい部屋も探したい。

「……俺としては……だな……その……愛流と一生……」

「あれ? 車が二台?」

 夜刀の車の隣に、黒塗りの高級国産車が停まっているのが見える。あれは雅の車ではないだろうか。夜刀は大きく溜息を吐いて周囲を見回すと、車とは別の方向へと歩き始めた。

 程なくして林に囲まれた草原の中、着物姿の和人とダークスーツ姿の雅が話しながら歩いているのが見えた。その光景は、やはりヤクザの若頭と護衛でしかなくて笑いそうになる。

「……当主、何故ここにいらっしゃるんです?」

 夜刀の言葉は丁寧でも、拗ねた子供のような雰囲気が若干漂う。

「夜刀がどう解決するのか見届けたくてね。久々に失敗して悔しがる顔を見られなくて残念だよ」

 和人のにこにこ顔がちょっと怖い。もしかしたらこの人は実は性格が悪いのではないだろうか。横に立つ雅がこめかみを押さえている。

「失敗と言えば失敗です。俺は零音が死ぬのを止められなかった」

 それは私も同じ。二人が抱き合う光景を見ていたら、誰も止められないと思う。閉じた二人の世界に割り込む隙は無かった。

「死んだ? そうかな? あの子は自分の心のままに自由を選択したのではないかな」

 首を傾げる和人の言葉が私の違和感にしっくりきた。零音は死んでいないような気がする。

「当主、それはどういう意味ですか?」

「夜刀が大人になったらわかるんじゃないかな」

「もう俺は大人です。子供扱いはやめてもらえますか」

 二人の会話を聞き流しながら、ふと青い空を見上げると、微かに甘い花の香りが通り過ぎたような気がした。

「愛流、どうした?」

「……あの闇香の匂い、好きだったなって」


 甘い甘い闇の花の香り。結局、その花の正体は分からずじまい。

 この世界のどこかで咲く花なのか。それとも、異界で咲く花なのか。

 いつの日にかその花を、私は目にすることが出来るだろうか。

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