第二十二話 

 夜刀が完全に召喚の準備を整えたのは、私が日記を読んでから二日後のこと。私は身を清めつつ、ひたすらきよねの浄化を祈り続けていた。

 夜明け前に夜刀の家を出発した車は、零音の自宅方向へと向かう。夜刀はカーキ色のジャケットに白いTシャツ。黒のカーゴパンツにブーツ。私は夜刀指定の薄いピンクのシャツにジーンズ姿。

「零音さんも一緒に?」

「ああ。愛流と零音を呪ったのはそれぞれ違うきよねかもしれないが、力の根源は一つだ。とっとと願いを聞いて、叶えられるものは叶えて二人の〝闇香の呪い〟を解く」

 私たちを呪ったのが、それぞれ別のきよねという可能性を今まで考えていなかった。個別の願いを叶えるにしても、どんな願いなのか想像もつかない。

「絶対に叶えられない無茶な願いだったら、どうするの? 例えば、命をよこせとか、生き返らせろとか、体を使わせろとか」

「……俺も神降ろしをする」

 その言葉に驚いて、夜刀を見つめる。

「ちょ。肉弾戦で殲滅しちゃう女神様を降ろすの?」

「ちーがーう。お前、緊張感を粉々にするなよな。俺が降ろす神は月読つきよみ様だ。肉弾戦には絶対にならない……はずだ」

「最後が願望になってるわよ」

 断言できないのは一体どういうことだろうか。月読様と言えば、天照大神様の弟君。

「穏やかで静かなる月の神とか言われているが、どうも嘘くさいんだよな……」

「神様が嘘ついたりするの?」

「そういう意味じゃなくてだな。人々の月読様への評価がアヤシイってことだ。そもそも公の場には滅多にお出にならないし、神話や伝承も少ないが……つるぎをお持ちだ」

 確かに太陽神でもある天照大神様と比べて、月神である月読様の話は聞いたことが無かった。

「それって、問答無用ですぱっと斬るから、生き残って語る者がいなかったとかいうオチ?」

「日本書紀にはキレて相手を斬り殺した描写がある。まぁ、それで五穀や牛馬が生まれたという話だがな。古事記では弟の須佐之男すさのお様が斬り殺したことになってる」

 どちらにしても斬り殺したのか。神話は意外と残酷描写が散見することは知っている。

「八條家の人って、皆、神降ろしできちゃうの?」

「ごく稀に神降ろしができる人間が出るだけで、皆ではないな。……俺は当主になる前の和人が神降ろししてるのを見て、真似してみたら月読様が現れた。神の名は言うなよ。当主にも誰にも報告してないから、知ってるのはお前だけだ」

 永遠の中二病。失礼とは思いつつ、そんな単語が頭をよぎる。神降ろしの真似してみたら出来ましたなんて、他の霊能力者が聞いたら憤死しそう。


 神々の話をしている間に、零音の自宅があるタワーマンションが見えてきた。夜明け前の静かな街角で、零音は有線のイヤホンで音楽を聴きながら佇んでいる。白いサマージャケットに薄水色のシャツ。白のジーンズに青革のスニーカー。その姿は、何故か淡い光をまとっているように見えた。

「零音、待たせたな」

「夜刀、おはよー。愛流さんもおはよー。大丈夫、今来た所だよ」

 すがすがしい爽やかさの零音に、内心圧倒されつつ挨拶を返す。助手席を零音へと譲り、私は後部座席へと収まった。

 これから向かう場所は、きよねが『登藤きよね』だった頃に住んでいた村。現在は廃村となり、誰も住んではいない。

「今回も車のナビは使わないの?」

「ああ。陽の気が最高値になる午後二時までに終わらせたいからな。邪魔されると困る」

 太陽が昇ると同時に陽の気が上がり、午後二時に頂点を迎えて徐々に下がっていく。同様に陰の気は日が落ちると同時に上がり、午前二時に頂点を迎える。幽霊たちが活発化するのは、陰の気が満ちて動きやすいという理由らしい。

「場所は……ここか……。あー、近くを何回か走ったことがあるから最短ルートがわかるよ。ナビは僕に任せて」

 そう言って笑う零音の的確な道案内が始まって、車は軽快に走りだした。


 高速道路を制限速度ギリギリで走り抜け、車は山道を走っていた。出発から四時間半が過ぎて、今は午前九時前。夜刀の予定より二時間早く目的地の付近に到達しようとしていた。

 廃止された路線バスの停留所の建物は崩れかけていて、道路沿いの建物も全て廃墟になっている。舗装された道を外れて土の道に入ると、耕作放棄地と思われる草原が左右に広がっていた。

「……昔はこの辺りで珍しい薬草が採れて、豊かな村だったらしい。事業に失敗して借金を作ったのは、きよねの嫁ぎ先の義父母だったそうだ」

「そんな……」

 離縁して実家に戻っていれば、きよねは酷い目に合わずにすんだのではと思ってしまう。夫の聡一をいつまでも待ちたいと思う純粋な気持ちが仇になったのか。

「そろそろ道が狭くなる。この辺りで停めた方がよさそうだね」

 零音の勧めを聞いて、夜刀は車を停めた。

「念の為、愛流と零音にスペアキーを預ける。俺に万が一のことがあれば、この車を使って逃げろ」

「ちょ。何怖いこと言ってるの? 夜刀を置いて逃げる訳ないでしょ」

「愛流、お前の想像してることとは別だぞ。神降ろしをした俺は、自分の体が制御できなくなる可能性が高い。指定したターゲット以降は敵味方関係なく攻撃するかもしれないから逃げろってことだ。式神以上に霊力を消費されるし、召喚場所の周辺でしか動けないから一時間もすれば解放されるはずだ」

「もしかして、神降ろしを実行したことはないの?」

「ああ。だが大丈夫だ。約束は交わしているから召喚の失敗はない」

 自信満々な顔で誇られても、不安は募る。

「剣を持った神様から逃げるとか無理ゲーでしょ?」

「つ、つるぎを持った神? それってどういうことか聞いてもいいかな?」

 私たちの会話を聞いていた零音が説明を求めてきた。答えようとした夜刀より先に、概略を口にする。リスクの情報は共有しておきたい。

「夜刀の最終奥義は神様を自分に憑依させる神降ろしなのよ。でも一度も実行したことはなくて、敵味方識別できるかわからない神様が剣持ってる、っていう話なの」

「そ、それはとってもヤバい話だと思うな」

「しばらくは霊力で動きを抑える。その間に逃げてくれ」

 何という無理ゲー。零音も同じ感想を持ったらしく、見合わせた顔は正直に物語っている。月読様が分別のある方であることを願いつつ、手渡された車のスマートキーを私と零音はそれぞれ服のポケットに入れた。


 あぜ道には雑草除けの小石が撒かれていても、耕作放棄地に挟まれているからか緑が少しずつ浸食している。踏み固められた小石の上を歩き、丘の上を目指す。きよねに見せられた水田が広がる光景とは異なり、荒れた田畑が視界を埋める。

 私の手を引いて歩く夜刀は、商売道具である人形を持ってはいなかった。きよねに対して、除霊するのではなく願いを聞くという姿勢を示す為だと言っていた。

 ……もしもきよねの願いが、仮初めの夫として夜刀と一緒に過ごすことだったら。〝闇香の呪い〟の解呪条件を知ってから幾度となく考えても、何故かそれは嫌だと思ってしまう。夜刀と私は友人で、夜刀が好きなのは零音なのに。

 やがて夜刀は足を止めた。

「愛流、この場所であってるか?」

「……あってる。ここだった」

 きよねが聡一と約束を交わした場所は、水田が荒れ地へと変貌していても、その面影は微かに残っていた。冷やりとした秋の風が吹き、隣に立つ零音に聡一の幻影が重なった。髪型や服装が違っても、やはり似ているという気がしてしまう。呪い以外に零音ときよねとは何のつながりもないと夜刀は言ったけれど、本当にそうだろうか。何らかの理由があって、縁が切れたということはないだろうか。

 夜刀は周囲を確認し、平坦な場所へと私たちを案内した。

「よし。ここできよねを呼ぶ。愛流、零音、俺の三メートル後ろ辺りに並んで立ってくれ」

 深呼吸で息を整え、夜刀は直径三センチの水晶玉を五つ地面へと置く。夜刀が二本の指で空気を斬るように横へと動かすと、水晶玉が白く発光して地面に一メートルの五芒星を描いた。

「これから、この場所はこの世と異界との境界になる。その位置から動かないでくれ」

 一礼した夜刀が手を二度叩くと、周囲の空気が変わった。青く晴れ渡っていた空や景色が、黒いサングラスを掛けた時に見える不自然な色彩へと変わる。

 夜刀が手にした護符が赤い炎を上げながら、白い五芒星へと舞い落ちる。

「来るぞ」

 静かな一言の直後、周囲で鈴の音が鳴った。一つの鈴の音は、徐々に増えていく。耳を塞ぎたくなるような音の渦に全身が包まれて、見えない水が足元から這いあがってくる。

「夜刀! 水が!」

 隣の零音も私と同じように水を感じていることが表情で分かった。

「愛流、零音、ここに水は無い! 落ち着け!」

 夜刀の断言を聞いて、水の感覚が消え去った。まるで何も無かったかのように、体が軽い。

「水があると思うから、自ら水を引き寄せる。路上で水死した者は、記憶に刻まれた水の感触を自ら再現し、大気中に含まれる水を集めて溺死した。ここに水は無いとしっかりと意識していれば、幻覚に取り込まれない」

 説明されれば、すんなりと納得できた。水に濡れたままだった遺体は、体が死んでも魂がずっと水を集めていたのだろう。

 白い光の五芒星の中央が黒く染まり、地面がどろりとした泥のように変化して、空気の泡がはじけては消える。

「……俺は貴女の願いを聞きたい」

 夜刀の声に普段とは違っていて、従わざるを得ない圧力を感じる。黒い泥が泡立った後、柱のように噴き上がった。

「俺は貴女の願いを聞きたい」

 噴き上がる泥を目の前にしても、夜刀は静かに繰り返す。その言葉には何の感情も載せられていない。怒りもなく憐憫もなく、ただ静謐で、静かな満月の夜を連想させる。

 噴き上がっていた泥の勢いが緩やかになり、やがて人の影を形作る。長い黒髪に白いリボン。華奢な体に白いワンピースと白い靴。

「ひっ!」

 黙っていようと思ったのに、あまりにも不気味で悲鳴が零れた。現れた白いワンピース姿のきよねの顔は、次々と別人の顔へと変化している。慌てて手で口を押えても、三十一人の集合霊を目の前にして恐怖しかなかった。

 私の悲鳴が気に障ったのか、きよねの視線が夜刀を超えて私へと向けられた。虹彩のない黒曜石のような瞳が私を捕らえる。その間も顔は変化し続けていた。

「俺は貴女の願いを聞きたい」

 夜刀の声に一瞬は反応するものの、すぐに私へと視線が戻って来る。きよねの髪がふわりと広がり、私たちの周囲を取り巻くように強い風が吹き始めた。

「俺と話すつもりはないのか?」 

『――お前もあの男たちと同じ。私たちを閉じ込めて縛るのでしょう? 死ぬまで逃げられないように。死んでも逃げられないように』

 冷淡に微笑むきよねの口は動いていないのに声が聞こえる。その声からは絶望と怒りがにじみ出ていて、耳を塞ぎたくなる。

「縛ることは簡単だが、縛らない。ただ、願いを聞くまで帰さない」

 夜刀の手から、ひらひらと白い紙が舞い散った。紙は地に落ちて光を放ち、きよねの足元で光る白い五芒星を籠目で埋めた。

『――私たちに、願いなどあるものか!』

 見開かれた黒い瞳は、絶望に溢れていた。

『――この地獄から助けて欲しいと願っても、誰も助けてくれなかった!』

 きよねの黒髪が乱れ、風は強さを増し暴風へと変化して、地面を抉る。小石と土混じりの風が刃になって、夜刀の腹を貫いた。

「夜刀!」

 腹に大穴を開けられたのに、血は出ていなかった。夜刀の姿は縮んで白い紙人形へと変わり、空中に現れた一本の白い線から怪我一つない夜刀が出てきた。

「あー、あぶねーあぶねー」

 棒読み以上の棒読みながらも余裕の表情を見て、肩の力が抜けていく。

「無事で良かったー」

 ほっとする私の目の前で、再び風の刃が夜刀へと迫る。

「あー、面倒だ! 俺の気遣いも無駄だったようだな!」

 夜刀は風の刃を手刀で叩き折り、完全にキレたという叫び。古風に言えば堪忍袋の緒が切れたという状態だろうか。

「夜刀、神降ろしをするの?」

「いや。それは最終手段。……〝人形師〟を舐めんなよ!」

 夜刀の茶色の瞳が青の光を帯び、その表情が好戦的な笑みへと変わっていく。白い光を発する指が空中に何かを描こうとした時、零音が夜刀の腕を掴んで止めた。

「零音っ?」

「夜刀、きよねさんと話してもいいかな?」

 きよねが起こす暴風の中、零音は優しい微笑みを見せた。

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