第二十一話

 ライブ配信中に画家の孫が飛び降り自殺という衝撃的な事件の翌日、ようやく警察の発表が行われた。

 水槽に沈んでいたのは二十二名の十代から三十代の女性。全員が死蝋化していたのは、汲み上げられた地下水によって一定の温度に保たれていたことと、近隣の土壌に含まれている特殊な成分が水に溶けていた等、複数の条件が揃っていたと判明。巨大水槽は遺体の保管を目的として設計されたもので、地下室から設計図が発見されていた。

 屋敷内の徹底捜索の結果、井戸の中からも白骨死体が発見されており、八名の女性と五名の男性と判明している。最新の科学鑑定と所持品により三十五名のうち六名の身元が判明しているものの、個人情報保護の観点から被害者氏名の公表はなし。引き続き、成山剛次郎氏と事件の関係性を捜査するという、マスコミの質問を受け付けない簡単な発表で終わった。

 警察発表のライブ配信が終わり、居間のソファで並んで座っていた夜刀と溜息をついて脱力する。もっと何か決定的なことが発表されるのではないかという期待は外れた。テーブルの上に置かれた緑茶は手をつけることなく冷めきっていた。

「随分短い記者会見なのね」

「まだ捜査途中で被害者も確定していないし、容疑者も確定していないから仕方ないな。この状況でも発表する必要があったのは、ネットで話題になりすぎたからだろう。おそらく問い合わせの電話やメールが殺到したとかいうのが理由だろ」

 何か事件があると自分に関係がなくても電話をしたりメールを送る人がいる。その対応に時間を割かれることで捜査の妨げになるということが理解できないのか、自分の行動は絶対正義と信じているのか、それとも捜査を妨害したいのか。

「所持品があるって、どういうこと? 何か身元が分かるお守りとか持ってたとかかしら」

 女性たちは全員白い長襦袢姿で、身元が分かるとすれば例えばお守りの中に書付けがあるとか、そういった物しか想像できない。

「井戸にいた男だと思う。……行方不明になってる医者の息子は写真と俺が見た顔と一致した」 

 夜刀がさらりと怖いことを言っているような気がする。本当に霊が見えなくて良かった。

「井戸に女性が八名……合計すると三十名でしょ? 一人足りない……あ、そうか。きよねさんはお墓に埋葬されてるのか」

「……墓に入ってるのは最後の『きよね』で、最初の『きよね』じゃない」

「何それ。最後と最初? 意味わかんない」

「俺も意味はわかりたくなかった」

 夜刀は大きく溜息を吐いて項垂れる。

「成山は最初の『きよね』を殺した後、次々と『きよね』を取り替えていた。三十九年間で合計三十一名。井戸に投げ込まれていたのは、死蝋化に失敗した遺体だ。環境や条件を整えていても、何らかの理由で腐乱してしまうことがあったらしい。放っておくと他の遺体にも影響があるから、水槽から引き上げられて井戸に投げ込まれた」

 夜刀の言葉を理解するまで、数秒掛かった。

「……登藤きよねさんは……六十歳で死んだんじゃなかったの?」

「ああ。再婚して一年後には、次の女性に取り替えられた」

「取り替えられたって……え、待って。意味わかんない。……殺されたの?」

「……明確に殺したとは書かれていなかったが……おそらくはそうだろう」

 夜刀の口調は重く、表情は硬い。

「おそらくって……」

「日記を全部ざっと目を通したが、決定的な言葉はなかった。意図して書かなかったのか、それとも狂人の美学なのかは俺にはわからなかった」

「……日記を全部? 日記は返したって言ってなかった?」

「そこの箱の中にある」

 夜刀が指さした先は居間の片隅に置かれた、白い御札が貼られた段ボール箱。六冊の日記を式神に返還させた翌日、霊力をごっそり喰われてぐったりしていたことを思い出す。それなのに、何故ここに全部の日記があるのか。

「……返した後に警察の調査が始まったが、霊障が酷かったらしくて八條本家にはらえの依頼が回ってきた。それで送り先をここにしてもらった」

「じゃあ、警察は日記に書かれたことをまだ知らないってこと?」

「いや。霊障に強いヤツが複写機でコピーを取ったそうだ。そのコピーを元にして裏付け捜査が行われてる。……もう俺が祓の神事を行ってるから、ここに置いてあっても危険はない。今日、警察に送り返すから心配するな」

 私が黙って箱を見ているのを、怖がっていると夜刀は捉えたらしい。確かに怖いと思う気持ちもある。それ以上に、私は三十一人の女性が殺された理由が知りたかった。

「読んでみていい?」

「俺の正直な気持ちを言えば、読まない方がいい。…………どうするのが正解なんだろうな……お前は呪いを受けた当事者だから、何があったのか正確に知りたいと思う気持ちもわかる」

「……そんなに酷い内容なの?」

「ああ。俺が関わった件の中でも、トップクラスの狂人の日記だ。内容は鬼畜の所業以上に凄惨だから読むなら覚悟がいる。成山は人間じゃない。鬼か悪魔だ」

 そう言われると恐ろしくなってくる。様々な悪霊を祓ってきた夜刀ですら、鬼か悪魔と言い捨てる男の日記。

「夜刀……それじゃあ、女性たちが殺された理由がわかる部分だけ、見せてくれる?」

 全部を見るのは無謀でも一部だけなら。私の願いを聞いた夜刀は深く息を整え、箱に貼られた御札を剥がして中から一冊の日記を取り出した。

「…………日記は結婚式の日から始まっている」

 夜刀が開いた日記は古ぼけた茶色の皮張りの本で、中にはうっすらと罫線が印刷されたページに万年筆で縦に文字が書かれている。私は触れない方がいいらしく、隣に座った夜刀の手元を覗き込むようにして日記を読む。


『昭和二十一年八月二十日

 ついに初恋の少女を手に入れた。

 使用人たちに激しく犯され、長い黒髪が乱れる姿は艶めかしく美しい。

 嫌だと叫ぶ口に猿ぐつわをしても、その美しさは損なわれない。

 嗚呼、きよねは美しい。

 本当に素晴らしい。』


 衝撃で何の言葉も出てこない。沈黙していると、夜刀は日記のページをめくって先の日付を開いていく。


『昭和二十一年十二月三日

 きよねがつまらない女になってしまった。

 これまでは力尽きるまで抵抗していたというのに、最近はそういった抵抗がみられない。

 嗚呼、つまらない。

 快楽に溺れてしまったのだろうか。

 本当につまらない。』


 そこから続く、つまらないという単語の羅列が目を滑っていく。夜刀は日記を閉じ、次の日記を箱から取り出して開く。


『昭和二十二年一月五日

 医者の勧めで、地下に収蔵庫を作ることにした。

 職人も紹介してもらう予定だ。

 素晴らしい物ができあがるに違いない。

 嗚呼、楽しみで仕方ない。』


『昭和二十二年十月三日

 待ちに待った素晴らしい収蔵庫が出来上がった。

 座り心地の良いソファを置き、最高級のワインを集めた私の隠れ家。

 妖しくも美しい水の揺らめきが、私の心を惑わせる。

 ここにきよねを並べれば、とても美しいことだろう。

 嗚呼、何と素晴らしいことだろう。』


『昭和二十二年十月十日

 古いきよねを収蔵した。ゆらゆらとゆれる黒髪は美しく艶めかしい。

 いつまでも時を忘れて眺めていられる。

 きよねを愛でながら飲む酒は美味い。

 嗚呼、私の人生に楽しみが増えた。

 嗚呼、きよねは美しい』


『昭和二十二年十月十二日

 きよねが新しくなって私の手に戻ってきた。

 黒髪を振り乱し泣き叫びながら犯される姿は、やはり美しい。

 やはりきよねはこうあるべきだ。

 嗚呼、きよねは素晴らしい。』


「……三十九年間、鬼畜の所業を繰り返した成山の最後の日記がこれだ」

 夜刀は別の日記を取り、ページを開いた。


『昭和六十年十一月三日

 きよねが肺炎で死んでしまった。

 新しいきよねを探してもらっているが、なかなか難しいらしい。

 金に糸目は付けぬ。

 早く新しいきよねが欲しい。』


 途中からは、字を目で追うだけ。頭が理解を拒否していた。何の言葉も口に出せないままでいると、夜刀は日記を閉じて箱へと戻した。

「……理解できない」

「俺も理解できなかった」

 女性の意思を無視して物のように扱い、物のようにコレクションする。醜悪すぎる狂気を抱えた男が実在していたことに寒気と吐き気がする。

「……狂ってる……」

 きよねの受けた苦しみを思うと、悲しみが涙になって溢れてくる。抵抗しなくなったからという理不尽な理由で殺され、水に沈められた。成山と、助けることなく彼女たちを一方的に弄んだ男たちに対する怒りの感情が込み上げてきて、爆発寸前。拳を握りしめた時、隣に座っていた夜刀が突然私を抱き寄せた。

「ちょ! 何するのよ!」

「愛流、落ち着け。きよねに同情するな。怒るな。共感しすぎるとお前の魂が連れていかれる」

 夜刀の言葉で暗く冷たい水の中に連れ込まれそうになったことを思い出し、熱くなっていた頭が急速に冷えていく。力強い腕の中、夜刀の早過ぎる鼓動が聞こえる。

「お前は今、本当にヤバい状況にいる。怒りは瞬間的に強い力のエネルギーを発するから、俺の結界を破ることができるかもしれない」

「……結界が破れたらどうなるの?」

「〝闇香の呪い〟が一気に進む。俺は愛流を失いたくない。俺は愛流にここにいて欲しい」

「……この感情をどうしたらいいの? 胸が苦しい」 

 理不尽への怒りは、不甲斐ない自分への後悔へと変化していく。どうして私は何もしてあげられないのかという、無力への絶望。あまりにも可哀想で苦しくて、つらくて涙が溢れてくる。

「あれはお前が体験したことじゃない。今だけでいいから、分けて考えるんだ。可哀想と同情するだけでは、きよねは救われない。悪霊と化したきよねの魂が安らかに神上がりできるように祈ることが一番だ」

 神上がりとは成仏すること。

「祈ってどうなるの? 何の意味があるの?」

「祈りは陰の気を浄化して陽の気へと変える手伝いをする。悪霊が持つ陰の気を浄化できれば神上がりできるのは知っているだろ? 一人一人は小さな力でも、集まれば祈りは強くなる。……きよねは三十一名の女性が一つになった集合霊だ。一人一人の霊力は弱くても、集まれば強くなるのは陰の気も同じだ。多くの人がきよねが安らかに逝けるように祈ってくれればいいが、可哀想だと思ってしまえば、陰の気が強化されていく。恨みと憎しみから解放されなければ、きよねの苦しみが続くだけだ」

 それはとても難しいことだと思う。この理不尽な事件の詳細を知ってしまったら、きっと大多数の人が可哀想だと思ってしまうことだろう。

「すでにきよねに対する同情の念が広まっているせいだと思うが、〝闇香の呪い〟の力も強まっている。この日記が世間に公表される前に、きよねを召喚する。それまでは、きよねの浄化を願ってくれ。大丈夫。愛流は俺が護る」

「……ごめんなさい。今だけ泣いていい? 泣いたら浄化を願うから」

 つらい体験をしたのは私ではない。分けて理解しようとしても、悔しくて苦しい。実際を知らないのに可哀想だと思うのは傲慢なのかもしれない。

「好きなだけ泣いていいぞ。……優しいな。愛流は」

「優しくなんてないの。きっと傲慢なのよ」

 夜刀の早すぎる鼓動の中、私はきよねの悔しさを想って涙を流した。

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