第二十話
ネットで公開されて注目を浴びたデータが削除されると増えるというのは本当の話で、土岐川の吐血動画と同様に、水槽死体の動画はコピーや切り取られたショート動画がネット上に溢れかえっていた。吐血動画よりも水槽死体動画の方が再生回数が高く、たった二日でインターネット・ミームとして世界中へと広がっていた。
「さっき零音から連絡が来た。もう週刊誌が記事を出してるらしい。警察の正式発表より、週刊誌の方が行動が迅速だな。まぁ正確な情報かどうかは怪しいが」
昼食の後、夜刀は苦笑しながらパソコンを起動させて週刊誌のサイトを表示した。被害者の多さと状況の異様さの為か警察による正式発表はまだ行われておらず、週刊誌の電子版がどこよりも早く成山邸での事件の詳細をまとめ上げて記事にしていた。
「有料記事か……仕方ないな、登録するか」
「たった三日で記事にできちゃうものなのね」
水槽死体を発見し、動画が出て削除され、結城は墜落死。私はまだ受けた精神的ショックからは抜け切れていなかった。どこか頭と体がふわふわとしていて、地に足がついていないという感覚を味わっている。夜刀はとにかく休めと言って、私を甘やかしていた。
「ネットで収集した情報だけで中身のない有料記事も多いからな。この記者がどれだけ熱量持って取材しているかに掛かってる。……現地取材してるのか。これは期待できそうだ」
この事件に力を入れる予定なのか記事タイトルにはナンバーが入っていて、読者数が桁違いに多い。
戦中戦後の混乱期に巨額の財産を築き上げた成山剛次郎は、昭和二十年に地元名主の屋敷を買い、翌年の昭和二十一年に戦争未亡人の登藤きよねを妻として迎えた。
片足が不自由な成山は、地元では愛妻家として知られており、毎月都会から外商を呼んで妻に高価な宝石や着物を買い与え、屋敷には妻の肖像画を何十枚と飾り、訪れる客には必ず妻との惚気話を聞かせていた。
妻は日光アレルギーとも呼ばれる光線過敏症を患っており、遠方から頻繁に医者が訪れていたが、症状が回復することはなく悪化の一途をたどった。晩年は庭に出ることも出来なかったが、成山は妻に尽くし続けた。昭和六十年に妻が肺炎で死亡すると、翌年後を追うように同じ肺炎で死亡した。
一方で村の周辺では未解決事件が発生していた。昭和二十年代から四十年代に掛けて、数年に一度神隠しがあり、行方不明になるのは決まって二十歳前後で腰までの長い黒髪の女性であった。昭和五十年頃になると、その年齢前後は髪を短く切るか染めるかパーマを掛ける風習が広まった。そのおかげか、周辺では神隠しが発生しなくなった。
記者は類似の神隠し事件が発生していないか範囲を広げて調べ、昭和五十年代には都会の化粧品会社に働き口が決まったと多額の準備金を受け取り、半年から一年を掛けて髪を伸ばした後に失踪する事件が数年に一度起きていたことを発見した。
失踪事件は広域で発生しており、当時の警察は縄張り意識が強く横の連携が薄かった為、一連の事件として扱われなかった可能性が高いと結論付けている。
調査の中、成山邸に通っていた二人の開業医は親子で皮膚科専門であったが、
今回、地下の水槽で朽ちることなく若く美しいままで発見された二十二名の被害者女性との関連を今後さらに調べていくと締めくくられていた。
長い小説のような記事を読み終え、胸が痛くなった。妻のきよねを溺愛する傍らで若い女性たちを誘拐して殺し、コレクションしていた夫。もしかしたら、きよねもそれを知っていて、心を痛めていたのかもしれないと想像して切なくなる。
夜刀は口を引き結び、何かを考え込んでいる。少しして、深い溜息を吐いた。
「誘拐と医者と全部関係はあるっていうのは当たりなんだろうな」
「日記に書いてあったの?」
「いや。日記に書いてあったのは、もっと個人的なことばかりだ」
日記には相当衝撃的なことが書かれていたらしく、日記の話題になると夜刀の表情が曇る。
「あんなライブ配信で男性を集めて殺したのは、男性に恨みがあったってことかしら」
あのライブ配信は、誘拐された女性たちの姿を再現しているのかもしれない。成山は不能で手を出せなかったとしても協力者はいる。
戦争に行って戻ってこなかった夫。多額の金で自分を買った成山。成山に協力した使用人たちと医者。きよねは周囲の男性たちに不信感と恨みを持っていたのか。
「……でも、私を呪った理由が全然想像もつかないんだけど。零音さんも呪われているし。ライブ配信の参加者に接触したっていうだけでしょ?」
「愛流でなくても、幸せそうなヤツなら誰でもいいっていう単純な理由かもしれない。召喚すれば来るのはわかったから、どこか場所を決めて直接願いを聞くつもりだ。……次は絶対逃がさない。お前の命は必ず護る。大丈夫だ」
そう断言して、夜刀は私に笑顔を見せた。
私が呪われてから三週間が過ぎ、夜刀の家での同居も慣れてきて、いつの間にか毎朝夜刀の人形部屋の窓を開けることが私の日課の一つになっていた。
「おっはよーございまーっす! 今日も皆、可愛いわね!」
中身がおっさんかもしれないという疑惑は置いておいて、私が精魂込めて制作したドレスを着用した人形たちは可愛くて綺麗。電灯やロウソクの灯りではおどろおどろしく怪しく見えても、朝の光の中では何もかもが明るく照らされる。
羽箒や布で軽く掃除して、空気の入れ替えが終わると窓を閉じる。UVカット加工されていても、レジンキャスト製の人形たちに長時間の直射日光は大敵。紫外線は樹脂を黄色く変色させてしまう。
「んー。お仲間、減っちゃったわねー」
私が来た直後は棚を埋め尽くしていた人形たちは、今では八体。夜刀が依頼を一時休止しているので、次々と成仏して減る一方。
「貴女たちも、そろそろ成仏なのかしら」
強力過ぎて四分割した悪霊が入った人形は、最初は憤怒の表情だったのに、淡い笑みを浮かべるようになっていた。人形用のソファにゆったりと座り、貴石で出来た瞳孔のない瞳は、どこを見ているのかわからなくても神秘的で引き込まれそう。
「寂しくなるわね」
成仏する前に、もう一度衣装を着せ替えたい。今、作っている衣装が間に合うことを願う。
「おいこら、愛流。現世に引き留めるなよ」
「ひっ! 夜刀、驚かさないでよ! いなくなると部屋が殺風景になるなって思っただけよ」
もう可愛い悲鳴だとか絹を裂くような悲鳴だとかは諦めた。驚いた時に可愛く演技する余裕なんて持ち合わせていない。夜刀は友人で、男女の関係でもないし。
「殺風景の方がいい。大体、俺みたいな男が部屋に人形並べてるなんて知られたら妙な誤解を生む。本当は現世から悪霊がいなくなればいいが、それは無理な話だからな」
「え? 別にいいじゃない? 何を綺麗で可愛いと思うのも自由だし、コレクションするのも性別関係ないで……」
そこまで口にして、成山の地下室を思い出した。水槽に浮かぶ死体を見ながらワインを飲む姿は理解できないし許しがたい。
「俺も、犯罪や強要じゃなければ何をコレクションしようが構わないと思うぞ。お前の目玉コレクションとかな」
「ちょ。あれはグラスアイよ。誤解を生む発言は控えて」
頭に浮かんでいた光景を振り払い、私は夜刀に抗議する。夜刀は笑いながら引き出しを開け、メイクがされていない人形のパーツを布が敷かれた木のトレイに乗せていく。
「久しぶりに人形作るの? まだ霊が入ってない人形があるのに?」
人形部屋の引き出しには、布に包まれた真新しい人形が何体も収納されている。
「ああ。一体だけな。一時的に霊力を上げるのに瞑想が有効なんだが、俺は普通の瞑想が苦手でな。人形を組む作業を瞑想替わりにしてる」
「瞑想って、座禅組んで目を閉じるっていうものじゃないの?」
「そういう決まりはないな。単に目を閉じて何も考えないとか、自らの内に集中するのが瞑想とよく言われるが、作業に集中して無心になるのも瞑想替わりになる。極端な話、皿洗ってる時に汚れ落としに集中している間も無心になってると言えるから瞑想に似た効果が得られる」
それは初めて聞く話で驚いた。何かに無心で集中することが重要らしい。
「昼まで作業部屋に籠る。昼を過ぎたら呼んでくれ」
「わかった。私もそれまで人形の衣装作るわね」
一心不乱に人形の服を作る事も瞑想替わりにできるだろうか。そんなことを考えながら、私は夜刀と人形部屋を出た。
早めの夕食を終えて、午後七時半。食後のお茶を飲んでいる時に、居間の黒電話が鳴り響いた。スマホの電子音と違って、全身に緊張感を叩きつける音はびっくりする。
「え? 掛かってきた?」
「普通に電話だからな。掛かってもくるさ。一体誰だ? 番号知ってるのは限られてるぞ」
夜刀が訝しみながら立ち上がって受話器を取ると、相手は零音だった。
「――零音? どうした? いいから落ち着けって」
ふと笑った夜刀の横顔は優しく見えて、何故かきゅっと心が軋む。夜刀と私は人形繋がりの友人で、今は呪われた者と呪いを解く者の間柄。同じ屋根の下にいても何も起きないということは、夜刀は私に興味がないと結論は出ている。
「は? 画家の孫がライブ配信やってる? 肖像画描いたヤツの孫か? 今? 愛流、パソコン起動させてくれ」
夜刀に指示されるまま、パソコンの電源を入れて動画サイトを表示する。ライブ中動画を検索すると、画面にずらりと
「夜刀、どれ?」
正直言って似たような画像ばかりでわからない。
「零音、どれだ? ……『大暴露、水槽死体の被害者は三十一名』……愛流、上から二段目、右端の動画だ」
受話器を持ったままの夜刀が指さす画像をクリックすると、生活感溢れる部屋の中央で冴えない中年男が興奮気味に話していた。ぼさぼさの黒髪に、黒いTシャツとジーンズという普段着で、手に持つ古ぼけたカラー写真には成山邸の蔵で見た肖像画が一枚ずつ写っていた。ライブ配信を見ている数は一万人を超え、付属のチャットで交わされるコメントは膨大過ぎて、目では追えない速さで画面を流れていく。
『――今、お見せしたのが、成山邸に飾られた肖像画の写真です。僕の祖父、沼木亮一郎は二十二歳の頃から六十一歳になるまでの三十九年、成山邸に出入りして妻のきよねさんの肖像画を描き続けてきました』
ライブ配信は始まった直後で、写真を一枚一枚画面いっぱいに写したところだったらしい。男は三十代半ばで、時折大写しになる指や手にカラフルな絵の具がほんの少しだけ残っている。孫も画家なのだろうか。
『肖像画の数は合計三十一枚。おわかりかと思いますが、きよねさんは、若いままの姿で描かれています。僕も現在絵描きを生業にしていますが、女性も男性も、今現在の姿でなく、若く描いて欲しいと頼まれることは多々あります。絵描きの立場から見ると、それは不思議とは思いません』
『正直言って、祖父の絵はほとんど売れていません。それでも家を建て、家族で普通以上の生活ができたのは、この肖像画を描いていたからだと聞いています』
その言葉からは、画家も成山の協力者ではなかったのかと疑問が沸いた。高額の報酬は口止め料でもあったのかも。
『僕が小学生の頃、酒を飲み過ぎた祖父が一度だけ口を滑らせました。『肖像画に描いた「きよね」は全員別人だった』と。……その三日後、祖父は事故で亡くなりました』
そこで視聴者数が急激に跳ね上がった。
「全員別人?」
絵のモデルが全部違うのなら、肖像画が微妙に違っているのも理解できる。
『水槽で見つかった死体は二十二名だそうですが、肖像画は三十一枚。つまり、三十一名の「きよね」がいる。残り九名の遺体がどこかに……』
――画面の中から、鈴の音が聞こえた。
「逃げて!」
画面に警告を叫んでも相手には聞こえないとはわかっていた。それでも叫ぶしかなかった。男が言葉を詰まらせ、驚愕を示すかのように目を見開く。
『うわあああああああああ! く、来るなああああ!』
恐怖に顔を歪めて絶叫した男はカメラを倒し、倒れた画面の中で周囲の物をまき散らしながら開け放たれた窓へと向かっていく背中が見える。
「見るな!」
受話器を放り投げて駆け寄ってきた夜刀は、私の目と耳を包むように強く抱きしめた。
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