第四章

第十九話

 ――耳元で鈴が鳴った。瞬きの一瞬で、私は暗く冷たい水の中。たゆたう体はゆらゆらとゆらゆらと。

『――何故、私は独りなのか。何故、あの方は帰ってこないのか』

 繰り返し繰り返し〝私〟は考える。

『どんな形でも帰ってくると、あの方はおっしゃった。だから私も、どんなにつらいことがあっても生きようと誓った』

 目から溢れる涙は水と混ざることなく玉となり、揺れる水面へ向かって上昇していく。伸ばした手は水面へ届かず、助けを求める声は水に溶けるのみ。

『独りは嫌』 

 それは寂しく壮絶で渇いた想い。凍えて震える魂の絶叫。……そう、独りは寂しいから、寄り添い合えばきっと寂しくなくなる。一つになれば……。


 ゆらゆらとした緩やかな揺れが、強く揺さぶるような揺れへと変化していく。冷たいと感じていた水の感触は消え、暖かな温度が体を包み込んだ。

「愛流! 戻ってこい!」

 目を開くと夜刀の必死な顔。ぼんやりとした頭で視線を巡らすと私は床に座り、傍らで跪いた夜刀に上半身を抱き締められていた。

「……何が起きたの?」

「良かった……戻ってきた……」

 ほっと安堵の息を吐いた夜刀は、私を抱き締める。

「あいつらの意識に共鳴して同調しかかっていた。……早くここから離れよう」

 私を抱き上げようとした夜刀の腕を押さえ、手を借りながら立ち上がる。

「愛流、大丈夫か?」

「……気合と根性で乗り切る。私は私だもの」

 冷たい水を体感した恐怖で震える脚を拳で叩いて、引き寄せられそうな心を奮い立たせる。

 水槽の中、足を縄で縛られ重石を付けられた白い女たちは、助けを求めるように空に向かって顔を上げ、後ろ手に縛られた縄が解けた数名は手を伸ばし揺れていた。

「……何人いるのかしら?」

「たぶん、二十二人かな」

 水槽に手をついて見つめる零音は遺体の数を数えていたらしい。結城は床にへたり込み、スマホを抱えて震えていた。

「……成山って、きよねという妻を持ちながら、若い女性を殺してコレクションにしていたのかしら」

 表の顔は愛妻家。裏の顔はここでソファに座り、ワインを飲みながら死蝋しろう化した女たちを見つめるコレクター。

「でも、私が見せられた記憶のきよねは水槽の中にいた。どうしてかしら? きよねは六十歳まで生きてたのに。きよねも私みたいに、同調してしまったのかしら」

 白い女たちの霊に引き寄せられて、同調してしまったのだろうか。

「近すぎるから、ここで考えるな。ひとまず外に出て、警察を呼ぼう」

 床に散らばった数冊の本を拾い上げ、夜刀は私の手を引いて階段へと向かった。


 零音が警察に通報して十五分が経過しても誰も来ない。蔵の前で何もせずに待っていることもできなくて、私たちは水槽の中から丸い空が見えた場所を探していた。

「丸い空……井戸……じゃないよな。場所がずれてる」

 考え込んだ夜刀は目を細め、周囲を見回して雑草が茂る一角を指さした。茶色くなったレンガで囲まれていて、古い花壇にも見える。

「花壇?」

「おそらく埋められてる……スコップか何かないか?」

 夜刀が結城に問い掛け、結城はすぐにスコップを担いできた。

「な、何が埋められてるんだ? また死体か?」

「いや。さっきの水槽の入り口だ」

 何でもないことのように告げた夜刀の前で、驚いた結城はスコップを取り落とした。夜刀と零音は無言で拾い上げ、花壇の土を掘り返す。

 土は表面に被せてあっただけで、レンガの高さと同じだけしかなかった。二人は素早い手つきで土を取り除いていく。

「……これだな」

 土の下には、八十センチ四方の鉄の黒い扉。あちこちが錆びていて、端は触れると崩れそう。夜刀と零音、結城の三人で協力して持ち上げると空洞が現れて、直径六十センチ、厚さ十センチはある丸い石のフタ。そのフタをずらしてみると、暗い水面が見えた。

「……ここから死体を放り込んだ……か」

「御遺体は割と規則的に並んでたけど、ここから放り込んだだけで並べられるものかな?」

「蔵の下に、もう一つ開口部がある。照明は水槽の斜め上から当たっていたから、メンテナンス用に小部屋か何かありそうだな。底に沈んだ石を引っ掛ける道具があれば、事足りるだろ」

 二人の会話は淡々としていて、現実味を感じない。……今、ここにいる私は何をしているのか。ゆらゆらと揺れる水が呼んでいる気がする。

「愛流! ダメだ。今は何も考えるな」

「あ、ごめん……」

 丸い窓に向かって歩き出そうとしていた私は、夜刀に手を強く握られて我に返った。

「謝らなくていい。気合と根性で乗り切るんだろ?」

 微笑んだ夜刀とそんなやり取りをしている間に、零音と結城は石のフタを戻した。暗い水面が見えなくなると、ふっと体が軽くなった。

「うおー! せっかく高く売れると思ったんだけどなー!」

 疲れて地面に座り込んだ結城が空を見上げて叫ぶ。二十二人の女性の遺体が沈んだ巨大水槽。これではいくら建物を改修しても、土地自体が忌み嫌われそう。

「ついでに言っておくと、おそらくそこの井戸にも数名投げ込まれてる。男と女、両方だ」

 夜刀の追撃を受けた結城はヤケを起こしたのか、大の字になって地面に倒れ込んだ。


 警察の到着は一時間後。成山邸は霊が邪魔をして侵入できない廃墟としてネットの一部で有名らしく、無断侵入を試みて怪我をする者や悪戯が頻発していて今回もその類だと思われていた。それでも、のんびりとパトカーで現れた警官二人の笑顔が真剣な表情になるまで、時間は掛からなかった。

 零音と結城が警官二人を地下へと案内し、その後すぐに警察の捜査の為に成山邸全域が封鎖された。


 零音と結城が第一発見者として警察の事情聴取を受ける間、夜刀と私は警察署前のファミレスで時間を過ごしていた。四人掛けのテーブルに、夜刀と向かい合って座っている。

「……夜刀、食欲あるのね……」

 あんな死体を見た後なのに……という言葉は飲み込む。ファミレスに入って二時間。私がチョコレートケーキをフォークでつつきまわしている間に夜刀は次々と料理を頼み、すでに八人前を完食してタブレット端末に表示されたメニューを見ていた。

「かなり霊力を消費したからな。寝るか喰うかしないと回復できない」

「霊力って、食べても回復するのね」

 体力を回復すれば霊力も戻るだろうという想像は簡単でも、寝るだけでなく食べて回復は意外。

「効率はかなり悪いが、寝る事ができない時は仕方ないな。……次はステーキにするか……」

 ちらりと覗いたタブレットの画面に見えたのはレアステーキ三百グラム。ぽちりと指先が動いて注文が完了した。

「さっきから肉系ばっかりだけど、魚とか精進料理とかじゃなくてもいいの?」

「ああ。そういう制約を付けてる方が効率はいいとは聞くが、俺の場合はどちらもあまり変わらない。それなら好きな物喰った方がいいだろ」

「いろいろ見えちゃうのって、疲れない?」

「慣れた。普段は霊力を温存して極力無視してるから、疲れることはないな」

 規格外の霊能力者。そんなフレーズが頭に浮かぶ。

「……ずっと言おうか迷ってたんだけど……あの、きよねさんの最初の旦那さん……なんとなーく零音さんに似てる気がしてたの。何か、今日の零音さん、変だったでしょ? 肖像画じっと見てたり、水槽をずっと覗き込んだり……」

「確かに今日の零音は異質な感じはあった。ただ……きよねと繋がってるのは呪いだけなんだ。もしも前世での縁があったとしたら、何らかの形で繋がりが見える。……まぁ、俺は前世の縁だの色恋沙汰は専門じゃないから断言するのはマズいかもしれないな」

 呪い以外に繋がりがないと言われれば、やっぱり私の気のせいかも。気を取り直して、夜刀の隣の座席に置かれたカバンを指さす。

「さっき持ち出した本。それって、いいの?」

 事件現場から物を持ち出して良い訳がないとわかっていても、確認してみる。

「……ダメだろうな。事件に絡む物だが、読む時間がなかったから仕方ない」

「そ、それって!」

 証拠隠滅と言い掛けた口を手で押さえて止める。あまりにもヤバすぎてどうしたらいいのか迷う私の前で、夜刀は余裕の笑みを見せた。

「何とかするから、お前は気にするな。いざとなったら式神を使って返す」

 自信たっぷりな笑顔で言いきられると、これ以上の追及は難しそう。

「随分便利なのね。式神って」

 内側から部屋の鍵を開けたり、本を本棚に戻したりできるなら、他にももっといろんなことが可能ではないだろうか。

「久々に使ったから妙に張り切ってる。黙ってると霊力を際限なく喰うから、厄介なんだ」

「久々って、どのくらい? 一年とか?」

「最後に使ったのは俺が高校二年の時だな……。八年前か。日記を戻したら、またしばらくは使わないな」

 八年ぶりと聞けば、式神が張り切るのも分かる気がした。

「日記? 本じゃなかったのね……」

「昭和何年って背表紙に手書きで書いてあっただろ。あれでどうして本だと思うんだ?」

「そ、そう言われても……今は日記って言ったら、スマホアプリでしょ」

 あの混乱極まる状況で冷静に本の背表紙なんて確認できるわけがなかった。落ち着いて考えると、日記かと理解はできる。

「昭和二十一年から、一年一冊で昭和六十年まであった。全部は持ち出せなかったから、とりあえず知りたい所だけ抜いてきた」

 夜刀が鞄を開いてちらりと見せてくれたのは、昭和二十一年から二十三年、昭和五十九年と六十年の五冊。

「何故、最初と最後なの? もしかして、夜刀って小説とかマンガとか、ラストを先に読んで確認してから読むタイプ?」

「何だそりゃ。俺は最初から読むぞ。話のオチがわかったらつまらないだろ。……何故選んだかっていうのは、まず、昭和二十一年は成山ときよねが結婚した年だ。昭和二十二年は、二枚目の肖像画が描かれた年。最後の昭和六十年はきよねが死亡した年。その前後一年の情報をまずは知りたいと思った」

 夜刀は肖像画に特に関心を示していないと思っていたのに、ちゃんと描かれた年を見ていた。

「……読むの?」

「お前は読まなくていい。大丈夫だから、心配するな」

 明るく笑う夜刀が少し無理をしているように見えて、私の心が痛んだ。


 事情聴取を終えた零音を拾って自宅まで送り、夜刀の家へ戻ったのは午前二時過ぎ。翌日、私たちが目覚めたのは夕方の午後五時を過ぎていた。

「あー。良く寝たー。久々に気分爽快だな」

「確かに。すっごい寝たらすっきりした」

 昨夜食べ過ぎた夜刀と食欲ゼロの私は、トマトジュースを飲みながら居間のソファでくつろぐ。テーブルの上には今日の新聞が三種類。

「日記、読んだ?」

「これからだ。霊力も完全に戻ったから、普通に読める。霊力が枯渇した状態で読むものじゃないからな」

 あまり気が乗らない。そんな空気を醸し出しつつ、夜刀はパソコンの電源を入れて動画サイトのニュースを流し始める。自動で流れていくニュースは世界情勢から始まって、日本の政治、事件と流れていく。

「……昨日の事件はまだニュースになってないのね。女性が二十二名遺体で見つかったなんて、インパクト大きいのに」

「あれだけの規模だから、警察も発表は慎重になると思うぞ。女性の身元を調べるのも一苦労だ。一通り遺体と状況を調べてから記者発表になるだろう」

 特に大きなニュースはなさそうだと、動画サイトのトップページへアクセスすると、急上昇と赤文字で表示された動画に視線が奪われた。

 再生回数が三百万回を超える動画は、マンションの一室の中央で大袈裟な身振り手振りで話す赤い作業服姿の結城だった。動画のタイトルは『山奥の廃墟で二十二名の美女の水死体発見!』。発見の状況を大袈裟に語りながらスマホで撮影していた動画を流し、遺体にはぼかしが掛けられていたものの、水中にゆれる白い女性たちの姿がぼんやりとわかる。

「あいつ……!」

「ちょ。これ、マズいんじゃないの? 警察から口止めとかあるんじゃないの?」

「説明してもわからない馬鹿だったってことだろ。それか屋敷が売れそうにないから、動画で稼ごうっていう短絡的な思考か……」

 夜刀はすぐに雅へと電話を掛け、動画の削除を依頼した。

「一般人の訴えより、弁護士からの方が動画サイトの対応も早いからな」

 そう言いつつ、夜刀はスマホで番号を表示しながら、電話を掛ける。夜刀はいつも家にいる時は居間の黒電話を使用していて、私のスマホにも夜刀の自宅とスマホの番号が登録されている。

「――あ、すまん。寝てたか。後で掛け直す……いいのか?」

 電話の相手は寝ていたらしい。

「――体調はどうだ? ああ、それなら良かった」

 やけに優しい口調がちりりと心に刺さるのは何故なのか。

「――昨日の結城ってヤツがマズい動画を出してる。悪いが連絡先を教えてくれ」

 そのやり取りで、電話の相手は零音と気が付いた。成程。口調が柔らかくなった訳がわかった。

「――まだ眠気があるなら、解消するまで寝た方がいい。ああ、おやすみ」

 何かこう、電話を横で聞いているだけで気恥ずかしさを感じる。聞いてはいけない個人的な会話のようで。

「間に合うといいが……」

 零音の電話を切り、祈るようにつぶやいた夜刀は、スマホにメモをした番号を見ながら電話を掛ける。黒いレトロな受話器を耳に当て待っていても相手は電話に出る様子もない。

「ダメか……」

 溜息を吐いた夜刀は受話器を置いた。

「もしかして、結城さんが危ないの?」

「ああ。きよねも他の霊も映ってはいないが、あの屋敷自体が長年凝り固まった黒い穢れの塊だ。蔵と地下室はさらに凝縮された悪意と穢れの闇。それを何の霊的処置もせずに多くの人の目に晒す行為は、神や上位の存在の怒りと不興を買う。ようするに神罰があるってことだ」

 動画を視聴する者、一人一人に、様々な守護霊や守護存在が憑いている。中には神や上位の存在が護る者もいる。その目を通して映像が伝わり、神罰へと繋がる。

「……俺にはどうしようもないな。結城の守護霊の加護を信じるしかない」

 夜刀が諦めた三時間後、再生回数・千二百万回を超えた動画は運営会社に削除され、翌朝、マンションから転落した結城の遺体が発見された。

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