第十八話

 スマホの爆発でケガをした男性は病院へと送られ、私たちはグループのまとめ役である結城と朽ちかけた縁側に座って話し込んでいた。立派だったであろう日本庭園はすっかり荒れ放題でジャングル状態。

「いやー、ほーんと驚いたねー。あれ、マジで幽霊っしょ。変なことばっか起こるから気休めに霊能力者呼んだのに、本物出てくるとは思わなかったよ」

 赤い作業服に白いヘアバンドを付けた結城は三十代半ばの男性。流石リーダーといった雰囲気で、動揺するメンバーを明るい態度で励まして近くのファミレスで休憩してくるようにと指示を出していた。

「あれは似非霊能力者だ。あんなデタラメなヤツ、よく見つけてきたな」

 夜刀が大きく溜息を吐く。

「えーっと、彼は動画配信で結構有名なんだ。僕もニセモノとは思ってなかったよ」

 苦笑する零音から、似非霊能力者のチャンネル登録者数ファンが二百万人超えと聞いて驚く。脱兎のごとく消えた似非霊能力者は、赤いスポーツカーと共に姿を消していた。

「装束はぺラい贋物だし、さっきの護符の形状は正しいが逆に貼ってあった。あの状態だと、霊を鎮めるのではなく、霊を招聘しょうへいすることになる」

 残された護符は真っ先に夜刀が破り捨て、火にくべられた。

「『しょうへい』って何?」

「丁重に招くってことだ。まぁ、正しく貼られていても、きよねレベルだと鎮められないだろうな」

 夜刀も初めてきよねの姿を見ていた。長い黒髪に白いワンピース。禍々しい笑顔は、昨日みた顔よりも別人のように恐ろしいものだった。

「八條さんは本物でしょ? いやー、凄くカッコよかったよねー。まるでアニメのヒーローみたいでさー」

「本物だから言っておく。今すぐにこの屋敷から逃げた方がいい。死人が出るぞ」

 夜刀の忠告に、結城は首を横に振った。

「本当は俺も逃げたいんだけど、ここ買うのに借金しててさ。……何とかして復活させて売らないとダメなんだ」

 結城のグループは廃墟を格安で購入し、改修と刷新を行って高値転売することを繰り返しつつ、動画配信で稼いでいた。ファンが増えて名前と活動が知られるようになり、ネットニュース等に取り上げられるようになると、逆に物件が売れなくなってしまったと愚痴を吐く。

「まさか、有名になったら売れなくなるなんて思わなかったからさー。今は二軒が売り出し中。冷やかしの見学は多くても全然売れなくて、手数料だけ取られてる」

 どんなに立派に再生されても元は廃墟の改築だとわかったら、買いたくはないと思う。話を聞いている最中、メンバーの一人がやってきた。

「結城、もう一人霊能力者来たけど、どうする?」

「は? 今日じゃなく、明日ってお願いしてなかったか?」

「何か嫌な感じがするから早く来たって言ってる。連れてきていいか?」

 結城は会うことを承諾し、現れた痩身の男性は、Tシャツにジーンズ姿の三十代前後。顔色は蒼白で、すでに体を震わせていて歩くのも覚束ない状況。

「……悪いが、ここの霊は強すぎて俺には祓えない。……何だ。〝浄化の巫女〟がいるじゃないか。だが、今のうちに早く逃げた方がいい」

 ワニと名乗った男は、私の顔を見て安堵の息を吐いた。

「え、何? 彼女さん、巫女さんなの? 霊能力者と巫女さんのカップル? うわー、動画配信やらない? すっげーカッコイイじゃん! もしかして、零音が企画中?」

 場違いに盛り上がる結城を無視して、夜刀はワニに顔を向けた。

「貴方には何が見えますか?」

「……この屋敷全体に黒いもやのような穢れが見える。……俺がここまで入ってこれたのは、おそらく彼女の歩いた道をたどってきたからだ。それも徐々に穢されてきている」

 彼女というのは私のことか。平静を装うつもりでも、動揺は隠せない。

「他には? 遠隔で見えたものを教えて下さい」

「……井戸の中と……蔵の下。おぞましい闇が見えた。恐ろしくてそれ以上は見ていない。とにかく、ここは危険だと知らせに来た」

「蔵? ここに蔵があるのか?」

 夜刀が結城に尋ねると、あると答えが返ってきた。公開していない情報を遠隔で見ることができるなら、ワニは本物の霊能力があるのだろう。

「蔵に近づいて見ますか?」

「無理だ。あんな闇、見たことない。闇がゆらゆらと揺れているんだ。俺には耐えられない! 金は要らない! 俺は言うべきことは言ったぞ! 死にたくなければ逃げろ!」

 そう叫んだワニも、走り去った。


 裏庭の井戸の隣に建っていたのが蔵だった。白っぽい土壁は汚れ、あちこち表面が崩れ落ちていても瓦はしっかりと屋根を形成していた。

「ここはまだ開けてなかったんだ。開封動画撮る予定だったから」

 廃墟の引き出しの中で見つけたという鍵束の鍵を試し、その一本で大きな錠前が開いた。重そうな鉄の扉を結城と零音が開くと何か異質で重苦しい匂いと冷やりとした空気が周囲に広がる。

「また扉?」

 懐中電灯で照らされた扉の中にはスノコが敷かれた細長い二畳程度の空間があり、再び錠前が掛かった鉄の扉。スノコの隙間からは冷気が上がってくる。一体何を保管しているのだろうか。

 鍵束の鍵で錠前が開き、二枚目の扉が開かれると黒く磨かれた木の床が広がっていた。壁は黒く塗られていて、既視感を覚えつつ、部屋の端に大量に立てかけられた縦一メートル横六十センチくらいの板状の荷物に目が引かれた。すべて新聞紙に包まれて麻紐で縛られている。

「えー、何だよ。これだけ? 壺とか掛け軸とか期待してたのにー!」

 結城はぶつぶつと文句を言いながら土足で板間へと上がり、あちこちにLEDの投光器を設置して部屋が明るく照らされた。

「へー。昭和六十一年の新聞かー。綺麗に残ってるなー」

 冷やりとした蔵の中はからりと適度に乾燥していて、どこからか風が吹き込んでいる。結城は無造作に麻紐を切り、新聞紙の包装を解き始めた。

「夜刀、どうしたの? 何か見える?」

 扉が開かれてから、夜刀は沈黙したまま。

「ああ。最悪だ」

 夜刀が苦しそうな声で答えた時、結城が叫び声を上げた。

「うああああああ! あの女だ!」

 新聞紙の中から現れたのは、長い黒髪に白いリボン、白い着物姿のきよねの古ぼけた油絵の肖像画。上半身が描かれていて、淡い笑顔にどこか寂しそうな雰囲気を感じる。零音が絵を裏返すと、額縁の裏に筆で文字が書かれていた。

「……昭和二十一年八月……モデル・成山きよね……画・沼木亮一郎。結城さん、僕が開封してもいいかな?」

 零音は憑りつかれたように新聞紙に包まれた絵を開封していく。一枚、一枚と開くうち、夜刀も無言で手伝い始め、結城も再び作業に加わる。絵に触れたくなかった私は、散乱する新聞紙と麻紐を集めてまとめる。

 すべての梱包が解かれると、三十一枚の額装された肖像画が現れた。描かれた年代は昭和二十一年から昭和六十年。きよねの姿は常に二十代前半の若々しいままで、着物の模様は変わっても白が基調。画家も変わらず沼木亮一郎。

「順番に並べてみようか」

 零音の提案を受けて裏を確認しながら順番を整える。壁に十枚を並べて気が付いた。

「……全部、きよねさん……なのよね?」

「違和感があるね。一枚目から順番に見るとわかりにくいけど、一枚目と十枚目を並べると別人に見える」

 歳を取った変化なのか画家の画風の変化なのかと考えてもわからない。歳を取ったきよねをモデルにして、若い頃を想像して描いたと考えてみても違和感は拭えなかった。

「これ、売れるかなー? 幽霊の絵として」

「えーっと、それは難しいんじゃないかな。幽霊といっても著名人でもなく、結局は一個人の肖像画だからね。霊を見ていない人に取っては普通の絵でしかない。画家の名前も聞いたことがないし、このサイズだと普通の家では気軽に飾れないのが問題になるから、値段は付かないんじゃないかな」

 結城と零音のやり取りを聞いていて、成程と思った。額のサイズは縦一メートル、横六十センチ。五十インチのテレビを縦にした絵を飾る壁を確保できる家でないと買おうとも思わないだろう。ポスターの額と違って、油絵の額は重さも厚みもある。

「じゃあ、家と一緒におまけで付けるかー」

 自らも霊を見て、夜刀とワニの霊能力者二人に危険と言われても結城はまだ改築して売るつもりなのか。

「そういえば、この屋敷を買った時の不動産屋に聞いた噂なんだけど、成山っていうのは、戦時中から闇市で金儲けした成金で、借金をカタにして二十歳以上若い女を妻にして死ぬまで溺愛してたらしいんだよ」

「借金?」

「女の親が事業に失敗して莫大な借金を残して自殺したらしいんだよねー。その借金を全額現金で成山が支払ったってー」

 それならきよねが再婚した理由がわかる。借金がなければ、独り身で聡一の帰りをずっと待っていたように思う。

「でさー、ここからが面白い話なんだけど、成山は子供の頃からアレが不能だった訳よー。それが理由かどうかはわからないけど、奥さんを人形のように可愛がって外には決して出さずに都会から百貨店の外商を呼びつけては、毎月高価な宝石や着物を買い与えてた!」

 その高価な宝石や着物は成山の死後、一体誰に相続されたのだろうか。という疑問が頭の片隅を通り過ぎていく。屋敷の売却代金と共に、使用人たちが山分けする光景を想像して震える。

「外商が訪問すると成山が応対して、奥さんは少し開いた障子の向こうで正座してる。成山が宝石だの着物を障子の間から奥さんに見せると、欲しい場合は頷くし、要らない場合は首を横に振る。想像するとホラーでしょー?」

 暗い部屋の中に灯されたロウソクの炎で障子に映るきよねの影が頭に浮かんでしまった。妻を溺愛するあまりの監禁。物語では面白そうでも、リアルになると怖すぎる。

 六十歳になっても愛されていたきよねが、何故私に、水の中で聡一を待ち続けるきよねと、揺れる女性たちの姿を見せたのか。……成山からの愛は一方的過ぎて、きよねの心は死んでしまっていたのかもしれないと考えると切ない。

 ふと周囲を見回して気が付いた。無言のままの夜刀の顔色が悪い。

「夜刀、大丈夫? 外に出る?」

「……いや。気分が悪いだけだ。体調は悪くはないから心配するな」

 目を細めた夜刀は静かに息を吐き、背筋を伸ばして柏手を打つ。

「うおっ! 一体、何だよ? まさか霊とか見えてるの?」

 突然のことに驚いた結城が飛び上がって夜刀に抗議する。

「……地下室がある。……その辺りに入り口があるはずだ」

 夜刀が指さしたのは床。零音と結城が床に触れて異常を探す。

「ここ、開きそうだよ」

 零音の指が小さな欠けを探し当て、床板を爪で持ち上げる。三十センチ四方の穴の中には鍵穴と鉄のハンドルが隠されていて、結城が鍵束の鍵を試すと一本が適合してかちりと音を立てた。

「で、このハンドルを引くのか?」

 結城が鉄のハンドルを引くと、ぱくりと音を立てて床板の一部が開き、地下へと降りる階段が現れた。

「おおー、これすげー。え、こんな仕掛けがあるなんて絶対高値で売れるって! うおー、動画撮りてーなー! スマホ置いてきちゃったよー」

 きよねの姿を見て絵に驚いても、動画撮影のことだけは忘れないのか。結城の場違いな明るさが、この重苦しい空気の中ではとても有難いとすら感じる。

「……お前には見せたくないが……一人で残すのは危ない」

 結城が先頭、次に零音が階段を降り、夜刀は溜息を吐きながら私の手を取った。一体夜刀には何が見えているのかさっぱりわからない。

 地下への階段はコンクリートで固められていてしっかりとしている。じめじめした場所を想像していたのに、どこからか風が流れていて、湿り気を感じなかった。

「まーた扉かー。一体、何回開けるんだよー」

 懐中電灯で照らされた黒い鉄の扉も、鍵束の鍵で開いた。ゆっくりと開くと、そこは真っ暗な地下室。立派なソファと小さなテーブルが置かれていた。

「俺、上から投光器持ってくる。ついでにスマホも!」

 小さな懐中電灯では物足りなくなったのか、結城は階段を駆け上がっていく。真っ暗になりかけた所を、零音が苦笑しながらスマホの灯りで周囲を照らした。

「あれ? スイッチがあるよ。点けていいかな?」

「廃墟に電気が通ってるとは思えないが……」

 それはそう思う。試してみようと零音がスイッチを押すと天井のシャンデリアが灯った。中央に立派なソファと小さなテーブル。正面の壁一面がワインの収蔵庫になっていて、高そうなグラスも置かれている。左の壁の棚には、背表紙に年代が書かれた本がぎっしり。右の壁は黒いツヤのある石が貼られていて、室内を反射して映し出している。

「……正規の方法でなく、近くの電線から盗電してるのかもな」

「ここがさっき、ワニさんが言ってた揺れる闇の場所?」

「……ああ。……警察に通報しよう」

 そう言いながら、夜刀は本棚から数冊を抜き取って脇に挟む。

「盗電してるって通報するの?」

 私の問いに振り向いた夜刀は、静かに黒い壁を指さした。

「そこに複数の女性の遺体がある」

「壁の中?」

 ソファは黒い壁を向いていて、嫌な想像が駆け巡った所で、どたどたと階段を駆け下りてくる音が響く。

「お待たせーって、あれ? 電気点いてんじゃん。なーんだ。ちょっとだけ撮影していいかな?」

 戻ってきた結城は、うきうきとした声でスマホをかざす。

「うおっ! 超高そうなワインだなー。全然わかんないけど! お? このボタン何?」

 ワイン棚に隠れた所に、赤いボタンが設置されていた。

「待て、触るな!」

 夜刀の制止は間に合わず、結城はボタンを押し、黒い壁の中に灯りが点いた。黒いツヤのある石と思っていたのはガラスで、それは巨大な水槽だった。

「う、嘘……」

 水の中、白い長襦袢を着た若い女性たちの死体がゆらゆらと揺らめいていた。

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