第十七話 

 山へと向かうなだらかな丘の途中、夜刀は車を停めた。周囲は青々とした水田と畑。夏の終わりの空が広がり、暑さもありながら吹き抜ける風は涼しさを含んでいる。実家で過ごした夏休みの空を思い出して、懐かしさを感じるのどかな風景。

「何? ガス欠?」

「お前、さっきガススタで満タンにしたの見てただろ? ……今回も普通だ。何も感じない」

 夜刀は目を細めた後、溜息一つ。

「それなら、撮影場所は準備中っていうことじゃないかな。家一軒を乗っ取るのって時間かかりそうだよね。時々配信サイトをチェックしてるけど、復活する様子はないし、サイトの閉鎖がネットで話題になっていないのが不気味なんだよね」

「誰かのリークで警察に摘発でもされたかと思って、静かに再開を待ってるんじゃないか?」

 秘密を守って再開を待つ。そうまでして見たいと思うようなライブ配信なのだろうかと首を傾げそうになる。

 車は再び動き出し、元使用人の草場清吾氏の家へと向かう。こちらもやっぱり森の中の一軒家。零音が持つ地図を後ろから覗き込んで気が付いた。

「そういえば、三軒とも川とか池って近くにないのね」

「田んぼの横に水路があっただろ。あと、農業用の溜め池」

 夜刀の指摘は確かにそう。水田や畑の近くには水路が流れていたし、溜め池も見た。

「違うの。ちゃんと名前が付いた川とか池ってこと。一キロ四方にはないでしょ」

 零音が昨日訪れた福間の家の地図を開くと、やはり周囲一キロには川も池も無い。撮影場所だった米見の家も同じ。

「……きよねが川とか池から来ると考えていたとか? ……土岐川が吐血した時、噴水の方から現れたと言ってたな?」

「そう。……あ、そうか。川は無かったから違うのかな……」

「あの近くに事故が頻発して暗渠あんきょ化された川があったはずだ。子供の頃の記憶だから正確には思い出せないがちょうど公園の下かもしれない」

 暗渠といえば、フタをされて地下に隠された川。ド田舎から出てきた私にとっては全く知らない情報。

「お前が幻影を見せられた警察署の近くにも川が流れてる。……そういえば福間の家、立派な日本庭園だったのに池はなかったな」

 私はシェアハウスの近くにも川が流れていたことを思い出し、この呪いが解けたら引っ越そうと決意した。


 森の中への一本道は昼間でも暗い。かろうじて舗装はされていても、あちこちがひび割れていて車ががたがたと揺れる。

「ひー。酔いそうー」

「しゃべるな。舌噛むぞ」

「もうすぐ着くよ。頑張って」

 そんなやり取りをしていると、茶色に錆びたトタン板の壁が木々の間から姿を見せた。二メートルはありそうな壁には新旧入り混じる御札が何枚も貼り付けられていて、地面から一メートルの高さには紙垂しでが下がる縄が張り巡らされている。

「うっわー。バチ当たりそう」

 ありとあらゆる神様や仏様の御札、紙垂の下には赤ペンキで描かれた鳥居。さらには朽ちかけた木の十字架が立てかけられていて、ご利益よりも怒られそうな気がする。

「あ、あれが玄関かな?」

 零音の乾いた笑いと共に指し示されたのは、頑丈そうな鉄の扉。扉にはラーの目が描かれ、両脇には巨大な狛犬が置かれた石柱とスフィンクスが置かれた石柱。龍が巻き付く龍柱。トーテムポール。人間サイズのお地蔵様や仏様がずらり。他にも石や木で出来た縁起物が朽ちかけている。

「ちょ。博物館じゃあるまいし」

「もっと大事にした方がいいんじゃないかな……」

「動揺しなくていい。何も入ってない、ただの置物だ」

 慌てているのは私と零音だけで、夜刀は苦笑するのみ。何も入っていないと言われても、これだけ集合されると不気味さは増す。

 車を停め、扉の前に立つとごちゃごちゃとした圧迫感が押し寄せてくる。扉へ近づこうとした零音を夜刀は止めた。

「ヤバい。罠が仕掛けてある。ここにも、そこにも」

 夜刀が指さした先には、尖らせた竹や木の杭が隠れているのが見えた。

「これって、やりすぎじゃない?」

 どうしたらいいのかと思っていると、郵便局員のバイクがこちらに向かってやってきた。

「あれ、どうしたんですか?」

「えーっと、実は困っているので助けて頂けたら有難いのですが……」

「ああ、私で出来る事なら」

「僕たち、こちらにお住まいの草場清吾さんに会いに来たのですが、インターホンがどこにあるのかわからなくて困っているんです」

 零音の柔らかな笑顔と物腰は、初めて会う人間の警戒心を溶かしてしまうらしい。最初は不審そうな顔をしていた局員も笑顔になっていく。

「ああ、それなら簡単だ。……草場さーん! 郵便でーす!」

 バイクの荷台から手紙を持って近づいてきた局員は仏像たちには近づかず、扉に向かって大声を張り上げた。

『おう! そこに置いてけ!』

 扉の中から大声で返答が聞こえ、局員は手紙を地面へと置き、手近な石を上に乗せて風で飛ばされないようにした。あまりにも雑で原始的な方法に目を丸くしてしまう。

「草場さーん! お客が来てるよー!」

『客!? 誰だ!? 客が来るなんて聞いとらん!』

 直後に、がらがらと何かが崩れ落ちる音、どたどたと階段を降りる乱暴な足音が聞こえてきた。しまったという顔をした局員は、そそくさとバイクに乗って逃げていった。

「逃げ足早っ!」

 速度違反を疑うような速さでバイクの姿は消えた。内側からは、がちゃがちゃがらがらと騒がしい音が響くだけ。

 しばらくしてようやく扉が開いたと思いきや、猟銃を構えた六十代前後の男が現れた。白髪頭はぼさぼさ、着ている服はあちこちが破れ、いつ洗ったのか疑問に思うくらいに汚れている。目をぎらつかせ憤怒の顔で睨むのは、あきらかに私。怖くて固まっていると、夜刀が背中にかばってくれた。

「人間か。何の用だ?」

 地面に落ちる影を視線で確認し、草場はほっと安堵の息を吐いて猟銃を下げた。

「……八條夜刀と申します。拝み屋を生業にしています」

「拝み屋? な、何が見えるんだ?」

 草場は明らかに狼狽し始め、その眼には怯えの色が濃くなっていく。

「白いワンピースを着た長い髪の女性の霊との縁が見えます」

 夜刀の言葉を聞いて、草場は項垂れ、がくがくと体を震わせた。

「事情を聞かせて頂ければ、何かお手伝いできるかもしれません」

「そ、それは……な、中で話そう。……!」

 ――耳元で、鈴が鳴った。

 顔を上げた草場は、私たちを見て再び憤怒の顔になり、銃口を私たちへと向けた。歯噛みした夜刀が私を完全に背に庇い、その前に零音が立つ。

「やっぱり来やがったな! 俺はあいつらみたいに殺されないぞ!」

 至近距離で銃声が響き、耳が痛くてたまらない。銃弾は私たちではなく、その後ろの空間へと撃たれていた。ちらりと振り向くと白いワンピースのきよねの姿。口を歪めて禍々しく笑っているように見えて、背筋が凍り付く。

「殺してやる! お前らを殺して俺は自由になるんだ!」

 目を血走らせた草場は銃を持ち、私たちの横を走り抜けて森へと向かう。その時、バイクに乗った警官二人がこちらに向かって来ているのが見えた。

「草場! お前、何するつもりだ!」

 慌ててバイクを止めた警官の一人が草場を追い、もう一人が無線で応援を呼ぶ。

「俺は自由だああああ!」

 叫び声の後、森の中から再び銃声が響いた。

「おい! 草場! しっかりしろ! 救急車! 救急車を呼んでくれ!」

 警官の叫び声と無線で救急車を呼ぶ警官の声が、無言で立ち尽くす私たちを取り囲んでいた。


 草場は搬送先の病院で死亡が確認され、村の駐在所で軽く事情を聞かれた私たちはお茶を頂いていた。草場は過去に家へ近づいた人間と大小さまざまな傷害事件を起こしており、村の全員から警戒されていた。逃げた郵便局員は、すぐに駐在所へ助けを求めてくれたらしい。

「傷害事件を起こしたのに、猟銃を持てるんですか?」

「いやー。それは……事件を起こしても、草場が大金を支払ってしまうから、皆、被害届を取り下げてしまってね。実は一度も立件できてないんだ」

 そのいろいろを思い出したのか、警官は溜息を吐きながら苦笑する。

「猟銃による自殺で終了。……ということになるだろうね」

「えーっと、この場合も自殺になりますか? 草場さんは何かに向かって撃ったんですよね?」

 零音が私の疑問を代弁してくれた。

「私には、そう見えた。……だけど、散弾は草場の体を吹き飛ばした。銃の暴発とも違う。撃った先にあった木々に何の傷もない。見えない壁が弾き返したようにも思えるが、映画と違って銃弾の進路は見えないからね。本当にわからない」

「それなら事故になるのではありませんか?」

 夜刀の指摘に、警官は目を泳がせる。

「まあ、いろいろと事情があってね。……猟銃での事故にすると本当にいろいろと後が面倒なんだ」

 囁くような小声で告げられた言葉は本心なのだろう。家の周囲での動画撮影の許可を取りたくて草場を訪ねた、という虚偽説明をしている私たちにも後ろめたさはある。一応の連絡先だけを残し、私たちは帰路に着いた。


 帰路の運転は零音。明るいポップスが流れていても、やっぱり車内はお通夜状態。

「……覚悟はしたつもりだったんだがな。実際死なれると後味が悪い」

「そうだね。僕も覚悟してたつもりでいた」

 銃口を向けられた時点で、私には可哀想とかいう思いは綺麗さっぱり消えていたのに二人は罪悪感めいたものがあるらしい。

「零音さん、きよねさんの顔見た?」

「……見た。別人みたいに笑ってたね」

 本当にそう思う。これまでの清楚な印象は消えて、禍々しく笑う顔が記憶を塗り替えて恐怖を感じる。

「『俺はあいつらみたいに殺されたりしない』と言ってたけど、米見さんと福間さんが死んだのを知ってたのかな?」

「ニュースをチェックしていたなら米見の方はわかるだろうが、福間の方はローカルニュースにもなってなかった。生き残っていた三人がこれだけ警戒して暮らしていたことを考えると、昔からきよねに殺された使用人がいるのかもしれない」

 大金を持っていても、毎日怯えて暮らす日々。三人は一体何をしたのかという謎を抱えて、私は小さく溜息を吐いた。


 翌朝、若干の疲れを感じつつも私たちは車で成山邸へと出発した。

「愛流、本当に大丈夫なのか?」

「疲れているなら、眠った方がいいよ」

 夜刀と零音の気遣いは嬉しくても、謎と呪いを抱えたままでは熟睡できず、夜中に何度も目が覚めてしまう。休息を取って長引かせるより、さっさと解決したい思いが先走っている。

「大丈夫。眠くなったら寝ます。それより、二人は大丈夫なの? 車の運転って疲れるでしょ?」

「男と女の体力比べるなよ」

「動画撮影の時は、もっと過酷だからね。これくらいは何ともないよ」

 零音は二年間毎日休みなく撮影をしていたこともあるらしく、社員が増えてからは楽をしていると笑う。

「撮影よりも動画編集の方が大変なことが多いんだ。夜中まで編集作業して、早朝に撮影へ出掛ける生活で鍛えられたよ」

 今は週に三日撮影、一日企画会議という名の飲み会、あとは休日といいつつネタ探しか、趣味の車の運転と聞くと、実際の休みはなさそう。

 やがて車は山道に入り目的地が見えてきた。

「今の成山邸を所有しているのは、『廃墟deお宝掘り出し隊』っていう動画配信グループなんだ。隊長の結城に連絡は取ってあるから安心していいよ」

 隊長と聞いて、あの謎な戦隊もの風の決めポーズを思い出してしまった。グループの絶望的なネーミングセンスの無さに笑ってしまう。

「あ、先日の続きの井戸の動画って、公開されてました?」

「それが編集に行き詰っているんだって。何度エンコードを掛けても、公開用データが生成されなくて困ってるそうだよ。とりあえず、過去の企画の未公開動画でお茶を濁してる状況だって」

「それは幸いだな。あんな動画を長々と見たら、体調崩すヤツが続出するぞ」

 一瞬の画像で死体があると言った夜刀には何が見えているのか。自分に何も見えないことに思わず感謝。お屋敷を取り囲む土壁が見えた途端に夜刀がぎりりと歯噛みする音が聞こえた。

「……マジかよ……ヤバ過ぎて笑えんぞ」

「な、何がヤバいの?」

「動画で見た時には無かったが、屋敷全体が真っ黒な穢れに覆われてる。愛流も零音も俺のそばから離れるなよ」

 私の目に映るのは青々とした木々が取り囲み、物悲しさを感じさせる日本家屋の廃墟。駐車場として指定された空き地には、ワンボックスカーと軽トラックが数台と派手な赤色のスポーツカーが一台止まっている。夜刀はスポーツカーから離れた場所に車を停めた。車から降りるとセミの鳴き声が耳につく。


 成山邸の門は全開で、『御用のある方は、中に入ってお声を掛けて下さい』と油性ペンで書かれた段ボール紙が置かれているだけ。夜刀と零音が遠慮なく入っていく後ろを着いていく。

「夜刀、どこにいくんだ?」

「馬鹿の気配がする。愛流、念のために俺の手を握っていろ」

 零音の言葉に苦笑で返し、私の手を握った夜刀は歩いていく。何故手を繋がなければいけないのかと抵抗してみても、力強い手は解けそうにないから諦めた。

 案内もなく初めての場所だというのに夜刀は裏庭の井戸へとたどり着いた。直径一メートル程の古い井戸の前には白木の祭壇が置かれ、白い神職の服を着た二十代後半の男性が祓串を振っている。その背後には、カラフルな作業服を着た男性たちと、グレーの作業着を着た男性たちが神妙な面持ちで直立していた。突然現れた私たちに一瞬注目が集まったけれど、男性たちはすぐに祭壇の方へと目を向け、赤い作業服を着た男性が、こちらへ並べと手招きをする。

 手招きに応じて、男性たちの後ろへと並ぶと、祭壇と井戸に貼られた大きな護符が貼られているのが良く見えた。

「……似非野郎……」

 ぼそりと呟かれた夜刀の言葉には、呆れが滲む。祓串の動きが止まると、うるさく鳴いていたセミの声が消えた。

「これにて、儀式は終了です。悪霊は鎮まりました」

 芝居がかった声で宣言した神職が振り返った時、周囲に鈴の音が鳴った。男性たちもあちこちを見回しているから、私だけでなくきっと全員に聞こえている。

「これは神の祝福の鈴の音です」

 微笑む神職の右肩に、青白い華奢な手が置かれた。

「うわああっ!」

 気が付いた誰かが叫び、驚いてしりもちをつく者や、逃げようとして他人を巻き込んで地面に倒れ込む者、逃げようとする者に縋りつく者もいて、結局は誰も逃げられずに大混乱。私は夜刀と零音に庇われて無事。

「何を驚いているのですか?」

 見えていないのは神職のみ。背後から禍々しく笑うきよねの姿が現れた。

「う、後ろ!」

 作業服の男性たちが、神職の背後を指さした時点で、ようやく異常を感じた神職はゆっくりと振り返った。

「ぎゃあああああああああ!」

 きよねを見て恐怖の叫び声を上げた神職は、払串をきよねに投げつけ、脱兎のごとく走り去った。

「愛流、零音、そこから動くな!」

 夜刀の手が離れると、私と零音の足元に白い光の円が描かれた。夜刀は作業員たちを避け、きよねに向かって走って行く。夜刀の手から撒かれた白い短冊が白い光を帯びた茨になって、きよねの周囲を囲む。

「お前の願いは何だ!? 何故、愛流を呪った!?」

 夜刀が問いかけても、きよねはますます禍々しい笑みを見せるだけ。対峙の緊張感の中、大きな破裂音が響いた。

「うあああああああああ!」

 ごろごろと地面を転がる作業服の男は顔から血を流し、スマホと思われる残骸が散らばっている。どうやらこの状況を撮影しようとしていたらしい。

「しまった! 逃げられた!」

 白い茨の檻に捕らわれたきよねの姿は消え、けたたましいセミの鳴き声が戻ってきた。

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