第十六話

 優先するべきはどちらかと話し合った結果、元使用人の現在の状況を確認して当時の様子を聞くことを選んだ。新たな撮影場所を作られたら被害者が増えていくだけという判断。

 翌朝、自宅に戻っていた零音を車で迎えに行くと、零音の住居は駅近の四十六階建てのタワーマンションだった。周囲には目立つ高層ビルもなく、一本の柱が日の出の光を背にしてそびえ立つ光景が、ある意味神々しく見える。

「うわー。超高そうー」

「あいつ……凄いトコ住んでるな」

 ハンドルにもたれつつ放たれた夜刀の呆れたような声に、羨望ではない何かが含まれているような気がした。

「ちょ。何かあるの?」

「……ここは古戦場だった所だな。その後処刑場。……供養もせずに建ててやがる……よく建てられたよな……」

 目を細めた夜刀には一体何が見えているというのだろうか。古戦場に処刑場。強烈な言葉の羅列に眩暈がしそう。

「私、霊とか見えなくて本当に良かった!」

「普段見えない人間が見える霊は、相当ヤバいっていうのは理解しとけよ」

 それはきよねのことなのか。そんなやり取りをしていると、黒のスポーツバッグを肩に担いだ零音が走ってきた。茶髪にグリーングレイのカラコン、藍色の麻のテーラードジャケット、白Tシャツにベージュのスリムパンツ。茶革のカジュアルシューズと、爽やかでもどこか派手な印象が漂う。

「おはよー。待たせてごめん!」

「たった今、来たところだ」

 颯爽と登場した零音の存在感に気圧されつつ、確かに今来たところと同意するように頷く。挨拶を交わし、私は後部座席へと移動する。

「愛流、何で後ろに座るんだ?」

「だって私、ナビできないもの。零音さんの方が地図読めるし確実でしょ?」

 仲のいい二人の邪魔はしたくないという本音はかろうじて飲み込む。後ろでそっと見守らせていただきます。

 何故か口を引き結んだ夜刀の顔を見て、零音が困ったような顔をする。

「えーっと、僕は自分の車にしようかな……」

「それは困る。俺が霊力を使いすぎた時に、また運転を頼みたい」

 ふと、夜刀は零音が好きというのを知られなくないのではないかと閃いた。好きな子が隣に来ると、不機嫌を装う男の子。小学生かと心の中で突っ込みながら、自分の考えにそうかそうかと納得する。

「おい、愛流。何だその不気味な笑いは」

「え? 何でもないわよ。早く出発しましょ」

 ぐふふふふ。そんな含み笑いが声に出てしまっていたらしい。私は余所行きの顔を整えて、夜刀に答えた。


 元使用人は二人とも辺鄙な山奥に住んでいた。地図で確認すると車が走行可能な道はあっても、周辺に人家はない。成山邸で働いていた使用人たちは、全員が退職の際に多額の退職金が支払われ、その後は家を建てて暮らしていた。私は、その退職金が口止め料だったのではないかと雅の調査結果を聞いて思った。

「どっちも夜中にヤバいライブ配信するのにぴったりな条件が揃ってるな」

「夜刀、不吉なこと言うのやめて。またどこかにミイラ死体がひっそりと転がるとか洒落にもならないもの」

 三百体以上のミイラは、すでに見つかっていることもあれば、まだ見つかっていないこともあるだろう。行方不明のまま存在が消えていく虚しさは想像するだけでも切ない。

 早朝に出発し、早めのお昼ご飯を済ませて目的地近辺に到着したのは午後一時過ぎ。森に近づいても、今回は白い煙も緊急車両の姿もなくてほっとする。

「妙だな。全然何も感じない。……ダメだ、普通だ」

 車が走るのは田舎の道路。最寄りのファミレスは遥か前に過ぎ、そろそろコンビニが見えてくる。延々と広がる青々とした水田の稲にはみっしりと実がついていて、重そうに揺れていた。

「普通でいいじゃない。何がダメなの?」

「こっちでなかったら、もう片方が当たりってことだろ。当時の話を聞いたら、とっとと帰るか、もう片方に直行するか考えないとな」

 そういう意味か、と助手席の零音の手元を見ると次の目的地の地図を開いていた。

「そうだね……この距離で直行するのは厳しいかな……今から一時間で話を終わらせたとして午後二時出発、どんなに急いでも午後六時。日没までほとんど時間がない。泊まりか出直すかのどちらかだね」

 太陽の光が弱まると、陰の気が強くなって悪霊の力が増す。恨みや想いが重くなって悪霊の行動が激化しやすくなる。これは人間も同じで、夜には他者への気持ちが重くなりやすいから、思考を切り替えて自分のことを大事に考える方がいいと、私と零音は夜刀から聞いていた。

「日中でも人を異界に引きずり込む霊だからな。夜はさらに警戒が必要になる」

 車はゆっくりと角を曲がり、元使用人の家へと近づく。木々の中、あちこちが黒ずんだ灰色のブロック塀が見えてきた。

「森の中のブロック塀って不自然ね」

 二メートル近くまで積み上げられたブロックの上には錆びた鉄条網と鉄の棘。何かに警戒するにしても、もっとスマートな方法があるはず。

 更に曲がると土の道。頑丈そうな鉄の扉の前で車を降りる。

「こんなに警戒する程の退職金をもらったってことかしら?」

 前の撮影場所だった米見の家も、周囲は鉄条網と熊の罠。ドーベルマンを飼って何かに警戒している様子だった。

「そうかもな。成山は子供がいなかったから、もしかしたら遺産でも受け継いだかもしれないな」

 そうだった。成山ときよねの間に子供はおらず、きよねが六十歳で亡くなり、その一年後に成山が八十六歳で亡くなっている。死後すぐに成山邸は売却され、その代金は誰が受け取ったのか不明。金融取引が明確に記録され、本人確認が厳格化された今と違って、昭和六十年当時はペットの名前や借名でも銀行口座を作ることができたと聞いたことがあるから、おそらく偽名でも口座は作れただろう。まさかという疑念が頭の中を掠めていく。

 木々に囲まれた門の前で車を降り、カメラもない古いタイプのインターホンに手を伸ばそうとした時、鉄の扉が開いて土佐犬を連れた六十代の男性が現れた。

「誰だ! ここは俺の私有地だぞ! 不法侵入で通報してやる!」

 老人は喚くように怒鳴り、土佐犬は低く唸って私たちを威嚇している。

「福間さん、突然の訪問で申し訳ありません。成山剛次郎氏のことでお聞きしたいことがあります」

 夜刀が礼儀正しく頭を下げ、私たちも倣う。一瞬怯んだ老人は激高し、土佐犬の首輪に繋いだ太いリードを外して私たちにけしかけた。

「何故、俺を福間だと知ってる!? あいつらを噛み殺してしまえ!」

 福間の命令を聞き、土佐犬は私たちへと向かってきた。夜刀と零音が私をかばった時、耳元で鈴の音が聞こえた。

「何で今なのっ?」

 振り返る勇気はない。前から土佐犬、後ろにきよね。絶体絶命を考える間もなく土佐犬の動きは止まり、しっぽを丸めて足の間に挟んだ。

「おい! 何故言うことを聞かんのだ!」

 福間がリードで犬を叩くと、犬は全力疾走で門の中へと走って逃げてしまった。

「くそっ! 何だって言うんだ……あれはっ!?」

 私たちへと視線を向けた福間は、大きく目を見開いて驚愕の表情を見せた。その視線の先、振り向くと木の陰に白いワンピース姿の華奢な女性。その姿は一瞬で消え失せた。

「ゆ、許してくれ! 俺は、命令されただけだったんだ!」

 恐怖に顔を歪め絶叫した福間は、自らの胸をわしづかみにしながら倒れた。

「ど、どうしたんですかっ!」

 三人で慌てながら駆け寄り、夜刀が福間を仰向けにすると、目を見開き口からは泡を吹いていた。零音が救急へと電話する間、夜刀が福間の脈を診て歯噛みする。素人の私が見ても血の気がなく呼吸も止まった老人が死んでいるのは明らか。それでも救急の指示に従いながら、夜刀と零音は心臓マッサージを交代で繰り返す。

 十五分後に救急隊が到着し、福間が搬送されるまでそれは続けられた。


 知り合いでも何でもないと告げると救急隊はそのまま去った。どうしたらいいのか門の前で立っていると白い軽トラックが現れて老夫婦が近寄ってきた。

「こんな所で、どうなさったのかね? 迷われたかな?」

福間富一ふくまとみいちさんを訪ねてきたのですが、今、ここで倒れて救急車で運ばれました」

「あんれまぁ。さっきのサイレンはその音かね。後で病院によってみるかね」

 救急車で運ばれたと知って慌てることなく、二人がほっとしたように見えたのは気のせいか。のんびりとした動作は変わらなかった。

「運ばれた病院がわかるのですか?」

「この辺の救急病院って言うたら、一か所しかないからね」

 人の良さそうな老夫婦に、福間は死んだとは言いづらい。もしかしたら病院で蘇生しているかもしれないと、一縷の望みもある。

「先ほど、土佐犬のリードが外れて中へ走って行きました。大丈夫でしょうか」

「リードが外れた? それは大変だ」

 零音の言葉を聞いて、初めて二人は顔を青くして慌て始めた。

「一緒に伺いましょうか」

 そう申し出た夜刀と零音を盾にして、老夫婦は鉄扉の中へと入る。車の中で待っていていいと言われた私も、一人になるのが怖くて一緒に扉をくぐった。

 塀の中の木造家屋は昔ながらの広いお屋敷風。整えられた日本庭園と対照的に土がむき出しの地面には、犬が走ったと思われる足跡が残っていた。

「まさか、放し飼い?」

 土佐犬は特定動物に指定されていて、場所によっては飼育許可が必要な犬。放し飼いは許されてはいないはず。

「……本当は禁止されとるんですが、夜は犬を庭に放しているらしい。日中は檻の中だ」

 庭の奥、まさに鉄格子で出来たケージは、二畳はありそうな巨大なもの。その最奥で土佐犬は体を小さくしてがくがくと震えていた。

「あんれまぁ。これはどうした?」

 驚きつつも老夫婦はほっと安堵の息を吐き、ケージの鍵を掛けた。

「良かった良かった。お前さんがたがいてくれて助かった。お茶でもと言いたいところだが、福間さんがいないと人は中にあげられんでな。申し訳ない」

 立ち話の中、老夫婦は通いの使用人とわかった。鍵を預かり昼間に家事を片付け、夕方には去るだけの関係。福間は二十年前に引っ越してきて、過去の話や個人的な話を一切せず、近所とも親しい付き合いは無かった。

 本当に何も知らないようだと判断した私たちは、老夫婦の家への招待を断って、福間の家を後にした。


 帰りの運転は零音に替わり、車内に明るい曲が流れても雰囲気は暗く、三人とも無言。目の前で人が死ぬのを目撃してしまったのだから仕方ないとも言える。

「……夕飯、何喰う?」

「そうだね……中華料理はどうかな? 賑やかで落ち着かないかもしれないけど」

 零音が提案したのは、オープンな厨房での調理パフォーマンスの騒々しさで評判の中華料理のチェーン店。いつもなら避けたくなる店なのに、今日はいいかもしれないと思える不思議。

「私も中華に一票」

 お通夜状態の三人が静かな店に行ったら、お店に迷惑をかけてしまいそうな気がする。騒々しい店なら、きっと気も紛れる。

「そうか。それなら中華だ」

 夜刀も同意して、最寄りの店へと車は向かう。何を食べようかと考えると少しずつダメージも薄れてきた。

「俺は見れなかったが、きよねが来ていただろう? 福間が最期に叫んだ言葉の意味、どう思う?」

「ああ。消える直前に見たよ。おそらくあの女性の姿を見て『俺は、命令されただけだったんだ』だって言った。夜刀に教えてもらった話から考えると、女性たちを殺したか、死体を隠す手伝いをしたってところかな」

「私もそう思った。成山さんが八十六歳で亡くなった時、福富さんは二十三歳でしょ? 長年勤めてたのならわかるけど、数年務めただけで立派な家が買えて人を雇えるくらい退職金もらえるなんて、普通じゃないもの」

 続けて女性霊のことを言おうとして悩む。何の根拠も無いし自信も無かった。

「愛流? どうした? 何か気が付いたなら教えてくれ。どんな些細なことでもいい」

「ん。……森の中に現れた女性のことなんだけど……微妙に顔が違うような気がするのよね……華奢で長い黒髪。白いワンピースっていうのは共通してるんだけど……」

 別人かと言われると難しい。儚げな美人という印象は強く残っていて、距離があったことと木の影のせいで違ってみえた可能性も高い。

「僕も違うと思ったな。何となく目が違うような気がしたんだ。一瞬だったし遠かったから見間違いかもしれないけどね」

 零音も同意してくれるのなら心強い。

「難しいな……霊の姿が違って見えることはある。年齢が上下したり、角が生えた鬼に見えたりな。肉体が無いから形は不安定だ。自分が見ている色と他人が見ている色は微妙に違うと言われるように、霊も見ている人間によってその見え方も変わる」

「同じ霊だけど零音さんと私が見ている女性の姿も微妙に違う可能性もあるってこと?」

「ああ。発している陰の気は同一だから、見えなくても同じ霊だと俺にはわかる」

 陰の気が同じだというのなら、単に違ってみえただけなのか。そう言われると、国民服の男性と零音が似ているように思うのも気のせいかも。そのことを言うかどうか考えている間に、車は中華料理店へと到着した。


 翌朝、気を取り直した私たちは、もう一人の使用人の家へと向かって車を走らせていた。

「昨日の件で、何か連絡はあったか?」

「ないよ。ずっと気にしてはいるんだけど、事情聴取とかはないのかな?」

「通りすがりと言ってあるからな。外傷は無しで突然死と診断されたら、事件性は疑われないんじゃないか?」

 第一発見者として事情聴取された場合にと、口裏は合わせてあるのに警察から何の連絡もなくて拍子抜け。名前は告げていなくても、零音のスマホで通報しているから個人特定はできるはず。

「唯一心配なのは、心臓マッサージで肋骨折ってないかってことだな」

「そ、それは僕も心配だな。あの状況で冷静になんて無理だったからね」

 二人は乾いた笑いを車内に響かせる。二人とも救命措置に慣れていて、落ち着いているように見えたのに意外。

「草場さんも同じことになったりしない?」

 向かっているのは草場清吾という男性の家。使用人の中で一番若く、成山の死亡時に二十一歳。現在五十八歳で、この人も山の中の一軒家で暮らしている。

「会ったら問答無用で俺の結界に引きずり込む。霊が見えないようにすれば、ショック死も防げるだろ」

「ちょ。それって、お話聞いて解放した後にヤバいでしょ」

 夜刀の結界から出た後、きよねを見てしまうのではないか。

「それは仕方ない。理由は不明だが、自業自得だろ。きよねは姿を見せただけで、福間に何もしていなかった」

「あ、そうなんだ……。てっきり呪いか何かで死んだのかと……え? ちょっと待って、もしかして、私たちがきよねさんを案内してる?」

 三十数年、警戒しながらも無事に過ごしていた福間が、突然きよねの姿を見た。その原因といえば、私たちが尋ねたからとしか思えない。

「……お前に掛けられた呪いは止まっているが、きよねには縁が繋がっているままだ。お前の思考や見たものは知られないように遮断していても、お前が動けばその後ろを着いてくることはできる。結界の外に張り付いているかもな」

「ちょ。それじゃあ、今から行く草場さんも危ないじゃない」

「そうは限らないよ。姿を見ても自責で死んだりしないかもしれないし、もしかしたらすでに別のルートで撮影場所になっているかもしれないよ」

 夜刀も零音も、何かを振り切ったような清々しい笑顔。昨日のお通夜状態の顔とは全く違っている。一夜にして豹変した理由は何なのか。

「俺の最優先は、愛流の呪いを解くことだけだ。他はどうでもいい」

「僕の最優先は、僕の呪いを解くことかな。呪いの理由を知りたいだけなんだよね」

 見た目は正反対でも、実は似た者同士。だから夜刀は零音が好きなのか。仲良く笑いあう二人を後部座席から眺めつつ、私は複雑な気持ちを抱え込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る