潰走列車

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潰走列車

 地下鉄というのはアンダーグラウンドという名を冠している通り、なかなかに暗く、そして張り巡らされた大迷宮をあてもないのに彷徨うことを矛盾した目的として造られたが如く、ふくよかな容姿には似つかない疲れてげっそりとした会社員のオヤジやら、気を張り詰めた若者、何となしに憂鬱な顔を浮かべる学生、スマホを片手に怪しい動きをする人などの集団をベルトコンベアに乗せられた肉のように運んでいくのである。

 かくいう私も、薄暗い地下の闇の中に浮かんだ地下鉄の光に反射したガラスに物憂げな自分という社会の皮に対面している。

 唐突な揺れやら、ガヤガヤとしたアナウンス、連結部分の音、その他諸々が私の意識、そして存在意義をぼやけさせてしまうようでもあった。

 全くだ。と自分の目の中に光を探す私であったが、濁った眼球に潤いを感じさせることはなかった。

 この大都会の地下を走る鉄の魔物は皮肉を現実に変えてしまう魔法でももっているのか、それとも私たちを取り込んで何か途轍とてつもないものにでも変態しようとしているのか、疲弊した人間ばかりを乗せている。

 いや、それでも健全な人間でさえ(この大都会にそんな人間がいるかどうかはさておき)渋谷の地下鉄に乗ったとき、映った顔はどこか疲れているという都市伝説があるほどには一種の病棟じみた、場酔いに似た環境による人間の狂変を感じさせるものはあるのだろう。

 その比喩であれば私はもはや、重篤患者そのものである。

 今日は特に。

 病状が悪いようだ。

 だが、私は今日でこいつとは、こいつらとはおさらばだ。なぜなら今日以降、この電車に乗ることはないのだから。

 別にもう私は死んでいただとか、運命愛の中で事象そのものの乗り換えに成功するとか、そんなファンタジックで大層な理由じゃない。

 もっと現実的で残酷なものだ。

 「申し訳ないが、君にはこの職場を離れてもらうことになった。それと…」

 今日、まさにさっき会社をリストラされたのだ。

 不景気の煽り、円安。そんなワードが出てきた時点でもうオサッシの通りであろう。

 現代の列車であっても、例えば播州平野の主人公のいる列車に乗る男たちと差して変わらない。

 私は、現代の戦争に負けたのだ。そして未だその事を引き摺って、目先のことしか信じられなくなっている。

 致命的な失敗をしたわけでもないのにも関わらずだ。運命的なものではなし。かつ、今の世の中じゃ私のような人間ジンカンはいくらでもいるという点においてモブでしかないのだ。

 そうしてみぐるみの中に逸物、不快な肉塊を抱えて回想しながらひたすらに地下を切り裂いていくのだ。

 今までなんとか耐えてきた私も、ついにこのトラムに揺られて遠い辺境に連れていかれるのだ。

 そういうことにしておこう。

 ———正直、身を投げてしまいたい。そうしてこの鉄の塊にでもいいから擦り潰されたい、消えたい。

 だが、この世の中では辛くても、死ぬことは出来ても、それを許してくれないのだ。生存することを保証したこの国には、それが前提であるので、死ぬことは刹那であってもその後の電車の遅延やら後処理やらで社会の迷惑になりかねない。

 まして未だ生産性のある年齢おっさんである私であればなおさらである。独身で他人に迷惑をかけずに済むのがせめてでもの救いか。

 生産、お金は大切だ。また別の場所で働いて稼がなくてはならない。

 お金か…お金は大切だが、果たしてお金自体に価値があるのかということにいつの間にか意識が傾いた。

 お金自体、価値を見出していいのか。お金を自分の目的のために使うことが大事なんじゃないのか。

 着る飾るの服を買う、美味しいものを食べる、住む家を維持する、自分の趣味をするためにお金を使う。

 だから、お金が“目的”というのはなんというか馬鹿らしくなってきてしまう。目的がないのにお金を欲しがるのは少し違うような気さえする。

 幾度となく、お金を目的にした商法や勧誘をする人間を見たことがあるが、彼らが一番に信仰しているのは思想や救済者ではなく、お金なのではないか。そう考えると、むしろ貧相なものである。

 近ごろの社会問題や陰謀論は恐ろしいほどに化け物だ。考えれば考えるほど、都市伝説や妖怪の類がかわいらしく見えてくる。

 私は本当に面白くない人間になったものだ。不思議なものを現実のせいにしようとしている/現実にあるものを不思議なもののせいにしている。

 本当に馬鹿馬鹿しい。

 気を紛れさせるための堂々巡りが環状線を示した。

 不意に吊革を握る手の力が、強くなる。

 その際、強く握っていたことがちょうどいいくらいに大きな揺れで電車が急停止した。

 私は回想から慣性のままにスッとその皮肉にも馬鹿にしていた現実に戻されていた。

 「おッ…すみません」

 「ああ、すみ…課長?」

 ぶつかってきたのは(元)課長だった。課長もなんだか顔色が悪い。光が芋虫のように蛍光灯の緑かかった光を反射している。

 「なんだか浮かない顔ですね」

 「お前もな」

 そう微笑を漏らした課長は爽やかさより、お世辞ではないくらいに不気味さが優っていた。

 「まぁ、元気でな、俺は次の駅で降りるから」

 ニヤニヤしながら肩を叩いてどこかにいった。

 肩を叩く力は軽く、そこに邪悪なものは感じなかった。

 そうして本当に電車は駅のホームにちょっと入ったときに急停車した。

 一瞬照明が点滅し、ざわざわとした声たちの隙間からアナウンスが響き渡る。

 「ただいま、列車がお客様と接触した影響により、急停車いたしました。ご迷惑をおかけしましたが暫くお待ち下さい」

 世知辛い。

 昔はいちいち迷惑かけるくらいなら、山に行ってくれと思っていたが、今ならわかる。

 あそこには魔の引力のようなものがあり、引き込まれるのだ。誰かが誘っているわけではないと思う。山に行く余裕なぞない人間が欲求する短絡的自負ファストスーサイドだ。

 だからあの高低差は軽い気持ちで死神に対してハンコを押してしまうが如くように自分で思うのである。一瞬先をじっと見据えた線路の先は未来ではなく、敗走経路だ。

 あるいは。

 ちょっとしたただの好奇心か。

 どちらにせよ、際限がないことには変わりない。

 その後、どうやら損傷が激しかったらしく、我々はその駅で降ろされ、振替輸送を実施するとの勧告があった。

 そして…何か嫌な予感がした。

 すぐさま課長に電話してみたが、予想は的中というより、もっと歪な現象として返事が来たのである。

 というのも、電車の前に敷かれたブルーシートの中からいつにもなくけたたましく音がしたのである。


 ゾッとした。


 そして、狂ったかのように方向幕がくるくると回り始め、潰走→敗走→潰走→…と表示を目まぐるしく切り替える。

 一瞬自分の目を擦ると、回送になっていた。

 なんだ、自分の目がイカれていただけかと、歩き始めた。本当はもうしたくないが課長のちょうど下の欄に載っている会社の電話番号の欄をタップする。課長のことを会社に伝えるために。しかし、妙な物言いがフラッシュバックしてきた。

 「それと———今後一切、何かあっても会社には電話で連絡しないほうがいい————」

 こっちは人が死んでるんだぞ。と思い、タップするのに戸惑っていると、ガンとブレーカーが落ちるような音がして急に地下のあらゆる照明が薄暗くなり、冷たい空気が流れた。

 心臓の鼓動が焦燥を謡い、血が通っていることをシンと感じながら額に脂汗を浮かべてあたりを見回すことしかできない。

 何かモゾモゾと向こうのブルーシートから這い出てくる。

 体が直視することを恐れ、意図せずとも自分の目が泳ぐ、なのに暖かい血の流動をそのままにして魔がかりな重圧が私を押し殺す。あっけに取られ、画面と並行している指が硬直し、脳がぐちゃぐちゃになる。

 (おそらく)課長が自らの肉片を引き摺りながら、ホームに登ってきた。

「ヒッ」

 尻餅はつけたようだが動けない。硬直した手を残してスマホが零れ落ちる。

 その時、スマホは…

 と、ここまでの筋書きをこの揺れるトラムの中で夢想し、———上司が轢き殺されて、私に理不尽な呪いがふっかかる———というありきたりなB級ホラーのような妄想で現実から逃げてみる。

 …妄想だけは人一倍得意である。

 こうやってその場その場で気を紛らわすのはずっとやってきたことだ。

「あなたはその場しか見てないんだ」

 記憶の中の元妻が語りかけてくる。

 あゝそうだとも。そうでもしなければなぜ自分は生きているのかを考えなければいけなくなるからね。

 私は十数年連れ添った元妻をふと思い返す。彼女は愛が欲しかったのだ。純粋に。

 私が現実逃避する現実を彷徨っている時に、彼女は現実を直視し、そして困惑し苦しんだに違いない。

 彼女は子供が欲しかったのだ。だから、ずっと出来ないことを気にしていた。苦しんでいた。

 でも私はそんなこと気づかなかった。気づいていたふりをすることさえないほどに知覚していなかった。

 不妊治療に対しても私は真剣ではなかった。できたらいいねくらいの気持ちだったので、できなくても二人で一緒に時間を過ごせればいいと思っていたから、彼女がそこまでして欲しいと思っていたなんて考えになかった。

 40を二人とも超えてきて妻はその本心を口にして、その思いのズレが限界を迎えて脱線する前に連結が外れた。

 自分でいってしまってはダメなのかもしれないが私はふわふわした人となりだと思う。妄想癖も相まってずっと夢の中にいるように錯覚するくらいだから。

 あっさり承諾した。

 その時に言われたセリフだった。

「貴方はほんとに適当な人間だね。私のこと、ちゃんと見てくれなかった。あなたはその場しか見てないんだ」

 引かれたまま五臓六腑が引き摺られていく心持ちさえした。気持ちは空想の臓器となって、車輪と車体の間ですり潰されていき、死ねないままに擦り減る一方。

 そう思うと、真に轢き殺されるべきはこの社会や嫌な課長共々ではなく私なのであろう。

 そうして潰走が進んでいくたびに“あああああ”と叫んで叫んで恥の中で悶え苦しむのである。

 全く脈絡がない。

 そんな中途半端な人間だ。

 ここから、もうどうしようもなくなってつまらないものしか書けないのが嫌すぎてもう嫌で嫌で嫌で。

 元々も面白みのない人間だったんだ。

 ぶっ飛んだホラーなんかないんだ。面白いものなんて書けないんだ。私はもうどうすればいいんだ。

 そんなのがあってくれたら、人知れずそんな曖昧な要素が人を殺せたりするほどの力があるのなら、人なんかいなくても人ならざる何かが人間の代わりであればいいのだ。

 生きてるって本当に虫唾が走る。

 ゼンだのアクだのセイギだのツミだのバツだの反吐が出る。結局はそんなもの大衆の社会にとって都合がいいか悪いかのどっちだろう。私たちは(人間にとって都合のいい)地球にやさしいのだ。

 だからそこに生や死が蛇のように絡み合っていて気持ち悪い。

 そんなわけで人に恐怖を与えられるのがホラーとだけ定義するのではその狂気を享楽性を欠損させてしまう。

 それがホラーであり欠損小説であり空いたことによる恐怖が言語化を近似して感性を通り越して日本語らしい別のものとしてこの物語の主人公を轢き殺していくのだ。

 ついでに私を轢き殺してくれたらもう大好きだ。

 私のホラーはその気色の悪さがいかにエンターテイメントとして迎合してくれるのかを推しはかりたい。

 この今描きかけている形だけの瞑想物語をぶっ壊して興醒めにしてまでその狂気の隙をじっくりと観察したい。

 私は40代のリストラされた記号だけのオヤジの肉仮面をこの電車の中で脱ぎ捨てて地下迷宮を自己満足のためだけに閉塞感たっぷりの窓の外の暗闇の中を想像する。

 それが終わり、気を詰めままの私は階段を鈍く登り、明るい外へと足を伸ばす。

 伸ばせそうな四肢はなく、そんな外を広い青空を見上げてみたいが、電車に轢き殺されたことで目が潰れてしまった。

 地下に向かって外の新鮮な空気が流れ込む。

 流れ込んだらいいのに、私の肺は袋の形をしていなくて、膨らみすらしない。

 病棟から解放された何かが私の中で浸透する。

 私の体は浸透圧をもろともしないほどに赤黒い濃い液体が散乱している。

———棺桶の蓋がすっぽり嵌るように腑に落ちた。

 私の腑はどこだろう、全ての部位が見つかって全部棺桶に入ってくれるのだろうか。

 どこか気味が悪くズレたことばかりが起こりすぎて、私は吹っ切れてしまったのかもしれない。

 立ち上がれる足がない。

 価値や目的なぞ、未だせっせと働いている人間ニンゲンに押し付ければ良いのだ。

 押しつけるための手がない。

 とりあえず、退職金でパーっと温泉でも行くか、そのあとこれからのことを考えよう。

 考えるミソが四方に行った。

 脳裏に、石に潰されたイモリのような逝きかたをした空想上の致命的fatalな自分を思い浮かべながら、じっとりした脂汗と胸糞悪い気分を流そうと思う。

 いいや、流せるものがない。

 この記号だけの主人公はとても幸せそうだ。どうしても羨望の念を向けざるを得ない。

 そんな心は列車が引いて潰していってしまった。

 夢は消費されたいのかされたくないのかそれとも恥じるべきものなのか否定されるべきなのか、生きるということに付与されてしまった呪いなのか。

 潰走列車は今日もどこかの空想の私の中を走っている。

 あゝ、もうどうせなら全部めちゃくちゃに轢き殺してくれればいいのに。

 運命的fateな死を否定したいところではあるが、物語である以上、オチがないことはあろうか。運命とは、物語の上では固定され、機能しないのである。

 だが、登場人物であり筆者に没入した私はあてもない不安を臓器の代わりにして降りるべき回想、潰走、怪葬、回送列車に乗ってどこかに連れて行かれるのだ。

 敗走、配送…うーん。

 矛盾している。

 『あけてくれ!』

 『つれてってくれ!』

 …どれが本当だろうか。どこまでが本心だろうか。

 そんなわけでどこまでが本当でどこからが夢なのかわからないまま、ちゃんと書ききれずに台無しにしてしまった面白みのない私はこのスマホを叫びながらホームに叩き捨て、痛い視線を浴びながら、その身を重力に任せ、その光が私を音と力に任せて私を包み込んでくれることに期待した———

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