第5話(抑え:ねこねる)

 夜の帳が下りるころ。ファミレスの隅っこの席で顔色の悪いイギリス人がひとり、紅茶のカップを傾けている。向かいには落ち着かない様子でオレンジジュースのストローをいじる着物の少年が座っているのだが、その姿はミエールにしか見えていない。傍から見ればオレンジジュースがひとりでに動いているように見えていた。しかし、魔法使いのおじさんと呼ばれるミエールの周りではよくあることなので気にする者は少なかった。

「ソレデ、ドウスレバイイノ?」

「ミチヨを作った人間を探す。元の持ち主に返して田賀村から引き離すのがいいと思う」

 ミエールは「hmm」と唸ると、顎に手をあててロダンの有名な像のようなポーズで考える。

「ホカノニンゲンガモツノモ、ヨクナイトオモウ」

 ミエールから見れば田賀村も他の人間も同じなのだ。誰であっても、そんな危険なものを取り憑かせることを良しとはできない。

「作った人間と使う人間が違うっていう今の状態は異常なんだ。呪いの力に矛盾が生じて、もっと大きな災いが降りかかるかもしれない……。本来の持ち主に戻した後のことはその時考えるとして、とりあえず呪物を本来あるべき姿に戻したほうがいい」

 実際そんなことになるのかはサブローもよくわかっていなかった。ミエールを説得するために思いつきでしゃべっているだけだ。

「ナルホド、ワカッタヨ」

 しかし『より大きな災い』というワードはミエールには効果抜群だった。しっかりと頷いたあと、でもどうやって作った人間を探すのかと、ミエールはまた考える人になる。

「人形神を作れるほどの恨みと呪いに対して情熱を持った人間だから、たぶん気配でなんとか探せる。いくら田賀村が疫病神とはいえ、あんまり離れた場所だと引き寄せられたりしない。そこそこ近くにいると思うんだ」

 疫病神と言い切ったぞ、とミエールは思った。

「でもさすがに一、二時間くらいはかかるかも……」

「OK。ジャアボクハ、タガムラクンガ、フダヲカウノヲトメニ…」

「まった。作った人を見つけても、相手は人間だからぼくじゃ話ができないよ。一緒にきて」

「ソッカ。デモソレジャア……ア!」

「そういうこと。だからミエールの”友達”にも協力をお願いしたいんだ」


「さっきから、なんなんだ…ッ!」

 一方そのころ、意気揚々とお札を買いに外に出た田賀村は、全力で追いかけてくる野良犬からこれまた全力で逃げていた。しかし、必死なのは田賀村だけではない。犬のほうも必死なのだ。動物は人間よりも霊感を持つことが多い。田賀村には見えていないが、犬もまた落武者の幽霊に追いかけられていた。ただ逃げる犬の進行方向にいるだけなのだが、田賀村は自分が追いかけられていると勘違いしていた。火事場の馬鹿力的な猛スピードで走っていた田賀村だったが、次第に体力も尽きていき、どんどんスピードが落ちてくる。

「ヌゥ!? しまった……!」

 落武者幽霊が気づくが時すでに遅し、田賀村の速度を越えた犬はそのまま追い越してどこかに行ってしまった。

「あ、あれ……?」

 ゼエゼエと荒い息を吐きながら田賀村が立ち止まる。走り去っていく犬の背中を見ながら、目的の寺から随分離れてしまったことに気づく。なんとも納得しがたいモヤモヤした気持ちと息を整え、さあ来た道を戻ろうかと振り返った矢先、目の前に小さな鉢植えがパリンと盛大な音を立てて落ちた。

「……」

 ギョッとして固まる田賀村。最近は奇跡としか言えないくらいのラッキーにばかり遭遇していたので、こんなアンラッキーな奇跡は久しぶりだった。

「まあでも、いつもこんなもんだよな」

 悪い奇跡には慣れっこだった田賀村は、すぐに気持ちを切り替えて寺へ向かって歩きだす。しかしミエールの友達幽霊たちも素直に田賀村を行かせるわけにはいかない。その辺にあるいろいろな物を投げつけたり、野良猫やカラスたちにも協力を求めて足止めを続けた。田賀村はその度に迂回せざるを得ない状態が続いた。寺は、まだ遠い。


「見つけた。ここだよ」

 ミエールとサブローが気配を頼りにたどり着いたそこは、妙に薄暗い集合団地だった。その一室から呪い的なオーラが溢れているのがミエールにもはっきりと分かる。

 こんな夜に急に知らない人が押しかけてくることを想像すると、ミエールは呼び鈴を押すのを少しためらった。しかしサブローに服の裾をぐいぐいとひっぱられる。よほど上司が怖いのか、出会ったころの無気力な態度とは打って変わって行動的だ。ミエールは迷いを断ち切るように人差し指に力を込めた。

 ピンポンという音が闇に響く。インターホンからの声を待っていたが、予想に反してすぐにガチャリとドアが開き、中から人が出てきた。五十代くらいの無精髭を生やした男だ。堀が深く、その目の窪みにはどっしりと影が落ちている。部屋の中からはほんのりケチャップのような香りがした。


「アナタノヒンナガミガ、ベツノニンゲンニツコウトシテマス」

 突然の見知らぬ外国人の来訪に多少面食らった様子はあったが、軽く事情を説明すると部屋の中に通してくれた。中は砂やら釘やら、他にも名前も分からないような謎なアイテムが散乱しており、サブローは田賀村の家でまだよかったとつぶやく有様だった。生ゴミはちゃんと捨てているようで、虫などはいないのだけが救いだ。

「はあ? 俺があんなに時間をかけて一生懸命作ったってのに……他の奴に取られてたまるかよォ! どうやったら取り戻せるんだ?」

 佐々木大蔵ささきたいぞうと名乗った男は、胡座をかいた自身の膝を興奮気味に叩きながら言った。話に乗ってくれてよかったとミエールは思った。

「改めてミチヨに恨みを伝えて、田賀村の体質を超えるくらいの強い呪いをぶつけるんだ」

 サブローが横で助言をする。ミエールはそれをそのまま佐々木に伝えた。

「なるほどな。じゃあその田賀村って坊主のところに連れていってくれ」

「オフコース! コチラカラモ、オネガイシマス」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る