第3話(中継ぎ:菅部享天楽)
自動ドアが開くと同時に、もわんとした熱気と共に突き刺すような日の光が田賀村の体に襲いかかった。手から引っ提げたビニール袋を一瞥して溜息を一つ。
もう、俺の人生は滅茶苦茶だ。スマホが壊れたのも、無駄な出費も、連絡がつかないせいで友人の飲みに行けなかったことも、講義もバイトもないのに外出をしないといけないのも、今年の夏が暑いのも全部マッコウクジラのせいだ。冷たい海で悠々自適に暮らしやがって。そうだ、お前のせいだ。魚のような見た目をしたお前のせいだ。……おいおい、「魚のような」ってまるで俺が魚でないと認めているかのようではないか。やはりマッコウクジラのせいではないか。
などと心中でマッコウクジラを諸悪の根源と言わんとばかりに罵倒したところで帰路につく。容赦のない真夏の日差しで、五分もしない内に田賀村の体は結露したペットボトルのように汗まみれになった。止めどなく溢れる汗が鬱陶しくなり、これもまたマッコウクジラのせいだと思いながらポケットからハンカチを取り出す。その隅にはマッコウクジラの刺繍が施されている。最早、彼自身マッコウクジラが嫌いなのか好きなのか良く分からない状態となっていた。嫌よ嫌よも好きの内なんとよく言うが、マッコウクジラは田賀村の脳内を悠々と泳ぎ回り、精神を蝕んでいる。
ハンカチをポケットに入れておもむろに買ったばかりのスマホを取り出す。しかし、
「ああ!」
手を滑らせてしまい、そのまま落下。カップラーメンの事件が脳裏に浮かぶ。ただし今回の着地点は蓋ではなく、かちかちのコンクリート。やはりマッコウクジラは嫌いなのかもしれない。嫌よ嫌よも好きの内なんてものはない。嫌なものは嫌いなのである。田賀村は完全に諦めてしまい、その様を黙って眺めていた。
「え、えええ!?」
そのスマホは体を思い切り打ち付けるはずだった。しかし、何ということだろう。スマホがくるぶしの辺りで浮いている。奇跡を通り越して魔法である。田賀村はどうにかしてこの魔法を写真に収めたかった。しかし、そのための機器は宙に浮いている。ところが、ほっとしたのも束の間、前方から自転車を漕ぐ青年がやって来た。哀れ、その先には宙に浮いた新品のスマートフォン。最初に画面に残すのは田賀村の指紋ではなく自転車の轍。携帯電話ショップがすぐそばにあることが不幸中の幸いである。……いや、これを不幸中の幸いと言っていいのだろうか?
しかし、これまた珍妙なことが起こる。なんと、自転車が平行移動して進路が変わったのである。田賀村は呆気に取られた表情でそれを見つめていた。青年も目を見開いて驚きを隠せないでいた。自転車が予想外の動きをしたせいか、青年はハンドルを小刻みに震わせて、遂に転倒してしまった。
田賀村は全く状況が掴めず、その場に呆然と立ち尽くしていた。しかし、仕掛けは至って
シンプル。ミエールの友人が総出で彼を見守って不幸を全力で阻止しているのである。いや、ミエールの友達だけではない。ミエールの友人の友人、そこら辺を歩いていた名前も知らない浮遊霊、聞き分けの良い動物霊も見張っている。
その様子をミエールとサブローは遠くで眺めていた。
作戦を聞いた時、サブローは内心、どれ程の幽霊が協力してくれるのか心配であった。しかし、その不安は一瞬にして吹き飛んだ。幽霊は積極的にミエールに協力した。どうやら、自身の姿が見え、さらにかまってくれることが余程嬉しいようで、今回の件はやる気満々なのだとか。兎にも角にも、ミエールが幽霊達からどれくらい慕われているのか、サブローは良く分かった。
すぐそばで若い女の幽霊が青年に平謝りしているのなぞ露知らず、田賀村は「あの自転車、すげえ動きしたな」と呟きながら、老人の幽霊からスマホを受け取る。尤も、彼からしたら拾った、なのだが。状態を確認して袋にスマホをしまった。
「お?」
田賀村は目の前に細長い紙が落ちているのに気づいた。近づいてそれを拾う。そこには福沢諭吉の肖像が描かれている。
「おお、まじかよ!」
田賀村は一万円札を天に掲げて大喜び。これは幽霊の誰かが準備したものではない。あらゆる不幸を吸い寄せる田賀村に少しずつサブローの幸せをもたらす力が効き始めたのである。
「シアワセ ヲ モタラス チカラ ガ キイテキテルネ」
「不幸を呼び寄せる力の根源は負の感情だからね。気の持ちようが変われば、ぼくの力も効いてくる」
サブローは誇らしげに腕を組んだ。ミエールは穏やかにそれを眺めて、田賀村に視線を移す。田賀村はしめしめと一万円札をポケットにしまい、家とは正反対の方へ走りだした。
向かった先はパチスロ店。上機嫌な田賀村は20円スロットに一万円を使った。30分も経たない内に田賀村は店から出てきた。
「全部マッコウクジラのせいだ」
その一言でサブローとミエールは何があったのか察しがついた。
田賀村の見守り大作戦から数日が経った。
相変わらず、不幸を呼び寄せる力は強いらしいが、以前と比べてましにはなったらしい。ミエールは時折、様子を見に行き、友人達に労いの言葉をかけた。
ミエール自身もなにか力になれたらと田賀村に接触を試みたが、不信感を募らせるだけだと思い、後ろから様子を伺うばかりだった。が、ミエールの服装が目立つせいか、ストーキングをする危険人物にしか見えない。
そういったもどかしい気持ちを抱えながら、ミエールは色とりどりの草花に水をやっていた。ツヤのある瑞々しい葉の上に水滴がちょこんと乗り、つるりと滑って地面に落下する。その近くに雑草が生えており、それに気づいたミエールはそっと取り除く。その後に間延びした枝を切り落とす。見栄えが良くなった所で霧吹きで水をかけて葉の乾燥と虫がつくのを防ぐ。
一通り花壇の世話が終わり、ミエールは道具を片づけて紅茶を飲もうと立ち上がった。すると、門の辺りからドタバタと激しい足音がする。振り向くと、そこには息を切らせたサブローがいた。
「ミエール、大変だ!」
「ドウカシタノ?」
サブローは膝に手をついて、呼吸を整えてこう言った。
「
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