帰り道にご用心

真朱マロ

第1話 帰り道にご用心

 昔々あるところに、お房という娘がいた。

 とと様は早くに亡くなったうえに、かか様は病気がち。

 山奥での生活に狩猟は欠かせないと、幼いころから男のなりをして、とと様の形見の鉄砲をかついで野山を駆け回りながら暮らしていた。


 同じ村に暮らしている者たちも男衆に混じり、大きな口をあけてアハハと笑っている豪快な様子に、お房が年頃の娘だということをすっかり忘れているようだった。

 お房は村の男たちに交じって猪や鹿を撃つこともあれば、一人で鳥を狙うこともある。

 撃つばかりでなく、罠を操って猪や狐も獲っていた。


 一度罠にかかった獣は用心して二度目の罠にかかることは少ないが、中に間抜けなウサギが一羽いた。

 そのウサギは面白いようにお房の罠にかかるのだ。


 初めは片手の手のひらに乗るぐらいの大きさだった。

 幼すぎるから逃がしてやったが、ウサギがうっかり者なのかお房の罠の仕掛けが上手なのか。

 毎回、場所を変えて仕掛けているのに、くくり罠に足を突っ込んで逆さ釣りになって揺れている。

 初めは獲物にならないので逃がしていたが、次第に情がうつってしまいほどよく育った頃には捕える気が失せてしまった。


 ウサギのほうも何度も逃がしてやっているうちに懐いてしまったのか、五度目に会ったときなどお房の姿を見るなり真っ直ぐに駆け寄ってきた。

 そのまま罠に足を突っ込んで逆さづりになり、ぷらぷらと梢の先でたよりなく揺れている姿に、お房は「なにやってんだい」と腹を抱えて笑い、「帰り道には用心しなよ」とそっと逃がしてやったのだった。


 ある日のことである。

 秋の天気は気まぐれで、朝方は晴れていたけれども、昼を過ぎた頃から激しい雨が降りだした。

 急な雨は気温を下げるので、病人にはあまり良くない。

 部屋を暖めながら寝ついたかか様の様子を見ていると、トントンとお房の家の戸を叩く音がする。


「ごめんくださいまし。どうか開けてくださいまし」

 か細く雨音に消えそうな声にお房が戸をあけてやると、ずぶぬれの男が立っていた。

「都に行く途中でしたが、道に迷ってしまい難儀をしているところに、この雨です。御迷惑でしょうが一晩泊めてくださいまし」


 つぶらな黒い瞳で見つめてくる可憐な乙女のような様子に、お房は「そりゃ大変だ」と家の中に入れてやった。

 濡れたままだと風邪をひくからさっさと着物を脱げと言えば、真っ赤になって抵抗する。

 着替えは一人でできると土間の隅で小さくなって、見ないで下さいと言いながらこそこそと貸してやった着物に着替える様子に、都の人は上品だねぇとお房はアハハと笑った。


 線の細い綺麗な顔立ちの男は、お房と歳がそう変わらないようだった。

 どうやって一人で旅をしてきたのか悩ましいほど内気なたちで、矢継ぎ早にアレコレ問いかけると真っ赤になってうつむいてしまう。

 かといって寡黙と言う訳でもなく、ポツリポツリとでも質問されたことに応えようとするその様子は、プルプルと震える小動物のようだった。

 怖がっているのかと思っていたが、お房と目が合うと紅葉よりも赤い顔になるので、どうやら恥ずかしがっているらしい。


「まぁ気にせずゆっくりしていきな」

 お房がそう言うと、男はもじもじしながら「ありがとうございます」と礼を言った。


 次の日、お房が目を覚ますと朝餉の準備がすっかり整っていた。

 布団が二組しかないので男に貸してやり、自分は泊まりの猟のように厚手の上っ張りで寝ていたのだが、温かな汁物に「こりゃ驚いた」と目を丸くする。

 口をつけると味の具合も良く、よく見れば家の中の掃除もしたのか、床が綺麗に磨かれている。

 寝込んでいたかか様も「うまいうまい」と言って久しぶりに食欲がわいたようだった。

 ちょこまかとよく動くので、お房が「まるで嫁さんみたいだ」と笑うと、言い返すこともなく真っ赤になってうつむくのだった。


 その日もまたひどい雨が続いていたので、男はお房の家に泊まることになった。

 その次の日も、また次の日も。

 秋の天気は気まぐれだが、これだけの雨続きは珍しい。


 そうこうするうちに男の身の上もわかってきた。

 身寄りもなく遠縁を頼って都に向かうところだが、相手の顔を見たこともないという。

 それ以前に、この臆病な様子では都に無事たどりつけるかも怪しいだろう。

 どこかで悪い輩にかどわかされて、無垢な娘のように身ぐるみはがされそうだ。


「おまえ、本当に都に行く気かい?」

 心配になってそう問いかけると、もじもじと身を震わせる。

「逃げ足だけは早いのですが……」

 それだけ言って、突然跳ねる勢いでガバリと床に手をついた。

「あの! あの! お房さんさえよければ、この家に置いて下さいまし」


 それはお房にとってもありがたい申し出だった。

 びくびくと臆病な様子はしているものの男は家事能力は類まれなもので、病気がちな母親の看病もよくしてくれるから、安心して猟に出れるのだ。

 お互いにいいことばかりだ。

 そのまま当たり前のように、男はお房の家で暮らすことになった。


 男は少々そそっかしいところがあったものの、クルクルとよく働いた。

 かか様の看病も嫌な顔もせずせっせとするし、家の横にある小さな畑も耕した。

 山の幸にも詳しいのか、時々山に入ってキノコや山菜を持ち帰ることがあった。


 働き者の婿さんだねぇと村のものにからかわれて男は真っ赤になったが、とうのお房はピンとこないらしく「バカ言ってんじゃないよ」と笑い飛ばしていた。

 お房には色のついたことは何を言っても無駄そうなので、村に馴染んだ男を「嫁さんのようじゃないか」とからかってみたけれど、僕なんかにはもったいない人ですからと赤くなってしまう姿に、村人たちは深く同情するしかなかった。


 とてもよく働く男だったが、一つだけ困ったことがあった。

 名前を聞いてももじもじとうつむくばかりで、最初の頃は「おい」とか「あんた」とか呼ぶしかなかったのだ。

 結局のところ男が名乗らなかったので、呼びかけは「おまえさん」で落ち着いたのだ。


「これじゃぁ村のものにからかわれても何も言えないねぇ」

 さすがに「おまえさん」はおもはゆいと感じたのか、自覚の薄いお房も目を合わせて呼ぶときには頬にサッと朱が差した。

 けれども背中を見せながら、「おまえさん」「お房さん」と呼び合って赤い顔をしている二人に、床の中にいるかか様もニコニコと笑っていた。


 そうこうしているうちに、あっという間に一年経った。

 同じ家で寝起きしているのに、お房と男の間柄は相変わらずそのままだった。


 猟をするお房に、家の中を切り盛りする男。

 ただそれだけで、それ以上どうこうするわけでもない。

 目を合わせては赤くなり、話はすれども手を握ることもない。

 お前さんと呼ぶぐらいだから少しは甘い空気に染まるのを期待したが、寝るのも座敷の端と端に遠く離れたままで、男の看病のおかげで床を上げたかか様がもどかしくなるぐらい距離が縮まらない。

 初めの頃はからかっていた村人たちも、じれったい二人の様子をやきもきしながら遠巻きに見守っていた。


 困ったものだねぇ……と考えあぐねたかか様は、二人を残して隣村の妹の家に泊まりに行くことにした。

 ちょうど祭りの時期だと理由をつけて、一週間ばかり帰ってこないから後はよろしくと、あっさり出ていってしまった。


 困ったのはお房である。

 ふたりきりは初めてのことで、なんとも居心地が悪い。

 ある日突然転がりこんできた得体のしれない男かもしれないが、今では憎からず思うようになっていた。

 それにお房が惹かれていたとしても、男の気持ちなどとんとわからない。

 自分のことをどう思っているのか? それを問いかけるにも猟師仲間のような豪快な物言いでは、返事をもらうどころか嫌われてしまうことぐらいわかる。

 かといって今さら乙女のような可憐な所作を身に付けるなど、お房にできるはずもなかった。


 ああ、困った困った。

 そう思いながらいつものように猟にでたけれど、気持ちと同じで弾もそれて一つも当たらない。

 珍しくスッテンテンで獲物一つとれないまま、早々に帰宅することになってしまった。

 浮足立っているせいか、いつもは目につく山菜類も見つからない。


 手ぶらで帰るのも初めてのことで、お房は本気で困ってしまった。

 今夜からしばらくは二人きりなのでいつも通りに笑っていたいのに、これではなにも手につかないのがばれてしまう。


 困った困った。

 そう思っているうちに家に帰りついてしまい、声もかけずにガラリと戸を開けた。


「きゃぁ!」


 乙女のような可憐な叫び声をあげて、ぴょこんと飛び上がったのは留守番をしていた男である。

 疾風の勢いで部屋の隅まで跳ねると、小さくなるとプルプルと震えていた。

 脅かすつもりはなかったので謝ろうとしたお房だったが、思わず声をのみ込んだ。

 ありえないモノが現れたので、目を丸くすしかなかったのだ。


 耳だった。

 長い長い獣の耳が、男の頭の上でぴょこぴょこと揺れている。

 それはどこからどう見ても、間違いなくウサギの耳だった。

 ウサギ耳を凝視するお房の視線に耐えきれなくなったのか、男は真っ赤になって頭を下げた。


「ぼ、ぼ、ぼ、僕はあなたに助けていただいたウサギです。御恩を返すためにまいりました」


 トツトツと語りながら、ハラハラと涙を流している。

「命の恩を返すだけのつもりが、一日、また一日と過ごすうちに離れがたくなり、このまま人としてお房さんの側にいられたらと不相応な望みを抱いて、とうとう今日まで……けれどもうお別れです。どうぞおたっしゃで」


 そう言い残すと家の外に飛び出してしまい、お房が止めるのも聞かず、あっという間に見えなくなった。

 あとに残されたお房はしばらく茫然としていたが、正気に返って男の後を追って走り出した。


 人でもウサギでも、そんなことはどうでもよかった。

 お房は言うべき言葉を、まだ何も伝えていないのだ。


 男はおそらく山に向かったはずだ。

 足には自信があったが、本気で逃げるウサギの足に敵いはしない。


 そんなことはわかっていたけれども、簡単にあきらめる気にはなれなかった。

 名前を呼ぼうにも呼び掛ける名前がなく「おまえさん」としか繰り返せない。

 藪をかき分けて、獣の好む道を選んで走り、フッと足をとめた。


 ぷらーんぷらーん。

 鮮やかな夕日に照らされ、一羽のウサギが梢の先で揺れていた。

 先日お房の仕掛けたくくり罠に、見事にかかっている。


 それは、ウサギと初めて会った場所だった。

 同じ場所で、同じ姿で揺れる姿は、ひどく懐かしかった。


「まったくもう……帰り道には用心しなよ」


 そう笑って、お房はウサギを降ろしてやった。

 そしてジタバタと逃げようとするウサギを胸に抱いて小さく囁く。


「あんたがウサギだってかまやしない、あたしがこうやってずっと守ってやるさ」


 ウサギはぴたりと暴れるのをやめて、しばらく思い悩んでいたけれど、返事のかわりにお房の胸に鼻をすりつけた。

 ヨシヨシとお房はウサギの頭をなでてやる。


「あたしたちの家に、一緒に帰ろう」


 うんとうなずいて人の姿に戻ったウサギとともに、お房は歩きだした。

 話すべきことはいろいろあるはずだけれど、こうして一緒にいられるなら、ウサギが人間に化けることぐらい些細なことだ。

 おおっぴらに触れまわることではないが、山に不思議はつきものだからウサギが亭主でも大きな問題ではないだろう。


 お房はそういう人間だった。

 そんなお房を、ウサギは心から慕っている。


 どちらからともなく手を伸ばし、しっかりと指をからめました。

 そして二人は夫婦になり、末永く幸せに暮らしましたとさ。


 めでたしめでたし。

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