ターボほにゃらら

九十九 千尋

 これは「オカ研」の活動の記録、そのひとつである。


 これは「オカ研」の活動の記録、そのひとつである。


「ターボばあちゃんってさ、いるじゃん?」


 都内の私立浦島屋うらしまや高校の技術棟二階にある家庭科調理室……の隣に家庭科調理準備室という部屋がある。多くの者にとってはただの小さな部屋だが、彼ら「オカルト研究部」の者には別の意味がある部屋である。

 ここは僅か五人のオカルト研究部の部室。通称「オカ研」の部室である。


「知らない? ターボばあちゃん」


 部員の一人である二年生の鍵墨かぎすみ ユウタは誰とはなしに話しかけた。視線が壁に貼ってある「食事のバランスを取ろう」というポスターに乗っている美人のお姉さんに向けられていても、オカ研の部室にはユウタの他に二人の部員しか居ないのだから、誰というか、長机を挟んで向こうに居るその二人に問いかけていた。


「ああ、なんか芸能人が目撃したとか言ってた奴です?」


 そう答えたのは、スマホを見ている一年の青新あおあら シンジである。

 シンジが答えたのを受けてか、残りのもう一人である二年の春白はるしろ トモヤも口を開いた。


「兵庫の都市伝説だな」


 こちらの視線は自身の手にある数学の参考書に向けられている。

 要するに二人ともユウタの話に興味が無いのである。


 スマホをタップする音とページをめくる音が部室に響く。遠くで野球部が良い当たりを打ったのか、校庭の方で僅かに沸く声がする。

 夏の日の、のどかで平和な日常である……


「いやそんだけ!? 興味持ってよ! 仮にも君らオカ研の部員でしょう!?」


 ユウタが二人に向き直りながら続ける。


「どこだったかに出てくるターボばあちゃん」

「兵庫県だ。神戸の六甲山」


 トモヤが視線をずらさずにもう一度同じ情報を提示する。


「そうそこ!」

「さっき僕が言ったが?」


 流石にトモヤが参考書から少しだけ視線を外して抗議の視線をユウタに送ったが、ユウタはまるで意に介さずに力強く頷いて続ける。


「あれ俺すごく気になることがあるんだよ!」


 シンジがスマホから視線を外さずにユウタに返した。


「あ、そっすか。自分興味ないっす」

「淡っ泊! しかも辛辣!」

「辛辣でも自分はミオちゃんとの会話のが大事っす」

「ミオ? 今日は部室来るのか?」

「ん、行けたら、だそうっすよ」


 ミオとは、オカ研の紅一点、一年の女子で名を黄沼きぬま ミオという。シンジはミオとクラスメイトであり、彼女に好意を抱いている。シンジがオカ研に所属している理由の九割である。

 ミオとの会話がひと段落付いたのか、シンジがスマホから視線を外して、ユウタを怪訝そうな目で見る。


「いやだって、ユウタ先輩の気になることって毎回碌でもないんですもん」

「毎回か!? 毎回なのか? 毎回じゃないだろ!」

「訂正求めるのそこなんすか」


 ユウタはハッとして手を叩き、まるでこの世の知られざる真実を語るかのように口を開いた。


「ターボばあちゃんよりも……」

「いや結局その話するんすね。いやいやそうじゃないでしょ?」


 思わずユウタの方が先輩だということも忘れてシンジがツッコミを入れる。


「ターボ“ねえちゃん”のが良いと思うんだ」

「自分のツッコミ無視されてます? だからそうじゃなくて……」


 ちょっとの静寂。

 そこには、かなり真剣に真面目な顔をして手に汗握るかような迫真の表情で二人のリアクションを待つユウタと、彼の言った言葉の意味を咀嚼して飲み下すまで固まったままのシンジ、同じく参考書に視線を向けながらも固まったままのトモヤが居た。

 校庭から野球部の沸く声がする、平和な夏の日常。

 シンジが口火を切った。


「いや、なんて?」


 それに対して待ってましたと言わんばかりにユウタが力強く、拳を握りながら言い直した。


「ターボねえちゃんは、なぜ居ないんだろうか!」


 シンジは思わずユウタから視線を外してトモヤに助けを求め始めた。


「何故って、え、なんで、でしょ?」

「僕に聞いてるのかそれは」


 トモヤは参考書にしおりを挟んで咳払いを一つ。前髪をかき上げてシンジを見ながら持論を口にした。


「そもそも、ご老体がそのように高速で動くことはないと思うからこそ、高速で動くご老体というのが怪異として扱われるのではないか?」

「お、おお」


 感心の表情を浮かべたシンジは、そのまま流れるようにユウタを見る。

 ユウタは腕組みをして頷いた。そして何かを考えるように口をすぼめた。そこにシンジが続くように自身の考えを付け加えた。


「そうっすよ。車に追いつけそうにないおばあちゃんだから、都市伝説になるんじゃないっすか。ターボ世界陸上選手とかだったらありそうですもん、現実に」


 が、そこにユウタではなくトモヤが反論する。


「いや、現役陸上選手でも車の時速六十キロに追いつくのは至難だ。まして目撃されているのは高速道路。百キロは不可能だ」

「ちょ、トモヤ先輩。真面目な話じゃなくてユウタ先輩の話を切るために言ったことでですね」

「そもそも老婆であるが故に絵面が面白くて話題に上りやすくなったと考えられ……」


 思わずトモヤの方に振り返ったシンジを無視してトモヤは真面目な考察を言わんとした。


「あ、ダメだ、トモヤ先輩も話聞かねぇタイプだったわ」

「な、なんだと! まるでユウタのようだと言うんじゃない!」

「自覚あんじゃないっすか!」


 二人の会話をぶった切るように、ユウタが口を開いた。


「ねえちゃんの方が、走ったら!」


 二人の口論は、止まった。

 が、すぐに別の方向へ議論が白熱した。


「いやいやいやいや、ターボねえちゃんってそんな巨乳なんすか!?」

「巨乳のが……夢があるじゃん!」

「あんたの願望じゃねぇか! ってか自分、その手の下ネタ嫌っすよ!? ミオちゃん下ネタ苦手って言ってたしそっちの方向だったらパスで!」

「ミオに好かれるために下ネタを抑えるのか?」

「そうじゃなくても自分はそういうの、こう、恥ずいじゃないっすか! 嫌っす!」


 だがユウタはひるむ様子が無く、シンジはトモヤに助けを求める。きっと真面目なトモヤのことだから味方になってくれると考えてのことだった。


「トモヤ先輩も何とか言ってやってくださいよ!」


 トモヤはシンジにそう言われ、シンジを手で制してゆっくりと考えを述べた。


「時速百キロで走って揺れるには、それなりに大きさが必要ではないか? 空気抵抗を考えろ」

「あ、やっぱダメだぁこの人も」


 シンジのツッコミも空しく、トモヤは自身の参考書に時速百キロで走った際に揺れる乳の大きさでどこまでが現実的かを計算し始める。が、即座に頭を抱えた。


「だめだ」

「うん、今先輩らダメな会話してるっすよ」

「普通は走るならスポーツブラをしておっぱいを固定しているはずだ」

「いや何の話? スポーツブラしてる怪異ってなに?」


 トモヤは頭を振ってシンジにぼやいた。


「そもそも、ターボババアと言われる都市伝説はバージョンがいくつかある。だから僕もターボねえちゃんが居てもおかしくはないと思う」

「え、あ……ああ、あれっすね、バージョンって、ホッピングとかジェットとかそういうのっしょ?」


 ユウタが頷きながら熱心な面持ちで続いた。


「そう。ターボばあちゃんには、四十キロばあちゃんや六十キロばあちゃん、八十キロばあちゃんといった、制限速度を守ったバーションも存在する!」

「なんでスピード守ってんの!? 都市伝説でしょ!! そこは破って良いんだよぉ!!」

「じいちゃんのバージョンやバイクに乗ってるOLの場合もある!」

「バイク通勤してるだけでしょそれぇ!!」

「あとは時速一千キロを出す千キロばあちゃんも居るというな!」


 そのユウタの一言にトモヤが音を立てて勢いよく立ち上がり、語気を荒げる。


「馬鹿な!! マッハを超える速度で走ったら周囲に空気抵抗による衝撃波の影響が出て、他の車や道路を破壊するぞ!! 追い抜く追い抜かないの話じゃなくなる!!」


 それに対してシンジのツッコミの声も荒くなる。


「そこじゃないでしょうが!? というかまともに考えないでくださいよ!!」


 ユウタは必死に息を切らしながら突っ込みをするシンジの肩を叩いた。


「だから、ターボねえちゃんが居てもおかしくはない、だろ?」


 サムズアップ!


「なんか前例的に否定しにくくなってきちゃったじゃないっすか」


 ユウタはさらに続けて声を大にして、誰とはなしに高らかに言う。


「つまり、おっぱいの大きいターボねえちゃんが居てもおかしくない!!」


 トモヤがそれに対して制すように手をかざして反論する。


「待て、おっぱいが揺れないように固定してある可能性もある」


 しかし即座にユウタが切り返す。


「でもおっぱいが揺れた方がよくない? 車で走ってたら隣に揺れるおっぱいがずっとあるとか、よくない?」


 しばしの静寂。

 今日の野球部は絶好調なのか、また校庭で沸く声がする。

 嗚呼、夏の平和な日常よ。


「そ、そういうもんじゃないでしょお!? おっぱいを揺らす怪異ってどこが怖いんすか!?」


 シンジが耐えかねて口を開いた。

 ユウタがまるで親戚と隣人を同時に失ったかのような表情でシンジを憐れむかのように見つめながらぼやいた。


「え……違う? でも、走って来るでしょ? おっぱいを揺らして! 来るべきでしょ?」


 トモヤが首を振ってユウタに答える。


「いや、ターボババアは追い抜いてきて、追い抜かれると事故に会うという都市伝説だ。おっぱいを揺らして並走はしてくれない」


 シンジが、たれ乳房を振り乱して並走してくるターボばあちゃんをイメージして、その悪夢を振り払おうとしている最中、トモヤが決定的な結論を放った。


「だが、怪異とは通常では考えられないことを起こす存在だ。だからオカルトなのだ」

「ということは……!」


 ユウタの表情に希望が灯る。

 トモヤは静かな笑みを浮かべてその希望を肯定する。


「ターボねえちゃんの場合は隣でおっぱいを揺らし続けてくれる怪異かもしれない」


 ユウタは喜び表し、シンジは思わず座り込み頭を抱えた。

 ユウタがシンジのその様子に気付き、心配そうに声をかけた。


「大丈夫か? どっか調子が?」

「そうっすね、低俗な悪夢に付き合わされてるっす」


 シンジはユウタに向き直って抗議する。


「だいたい何すか! ターボばあちゃんのバージョン違いでターボねえちゃんって案はともかく、巨乳でおっぱいを揺らしながらやって来るって! 怖さが半減してるんすよ!」


 ユウタはいたって普通のことを聞くかのようにシンジに疑問を投げかけた。


「え、シンジ、おっぱいは嫌いか?」


 シンジは答えないが、いや、あきれて答えたがらない。机に頬杖をついて座り、自身のスマホにミオからの返信が無いかを眺める。


「もしかして、ミオが控えめだからか?」

「ブッ飛ばすっすよ、ユウタ先輩」

「あ、うん。流石に今のはデリカシーに欠けた。悪かった。ごめん」

「おっぱい連呼してた人が今更デリカシー言われても」


 少々真面目なトーンで叱られたことでユウタは静かになって椅子に座った。

 トモヤはいつの間にか数学の参考書に戻っており、むしろ静かになったことを歓迎しているように見える。

 ユウタがすっかり意気消沈している様を見て、シンジは元気づけようと口を開いた。


「まあ……自分も嫌いじゃないっすよ、おっぱい」

「うん……」

「い、良いんじゃないっすか? ターボねえちゃん。おっぱいを振り乱して追いかけてくるターボねえちゃん」

「うん」


 ちょっとユウタの口元が緩む。


「いやむしろ、ターボおっぱい? ターボおっぱい!」

「うーん、ターボおっぱいって、どうかと思うよ」

「なんであんたの方が否定側に回ってんすか」


 ユウタがシンジの困り顔のような怒り顔のような曖昧な顔に吹き出した。

 自分が笑われ始めたことにシンジが抗議する。


「ああもう、好きっすよ!? 男子たるものおっぱいが好きっすよ! これでいいでしょ!! おっぱいおっぱい!! おっぱいばんざい!!」


 その言葉をシンジが言い終わるかどうかのタイミングで、オカ研の部室のドアが開き、その向こうにミオが立っていた。


「あ、おはよう、ございます……なんか、外まで下ネタが聞こえて来てて……誰がそんな恥ずかしいこと言ってんだろうなぁ、とは思ってたんですけど……じゃ、私顔見せに来ただけなんで……お疲れ様です!」


 部室の扉は閉められた。

 シンジは弾かれたようにドアに飛びついてこじ開け、廊下を走り去る意中の相手を追いかけて行った。

 決してターボほど速くはないけれど。


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ターボほにゃらら 九十九 千尋 @tsukuhi

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