第10話 ホンモノ

 ゆっくりと階段を下りてゆく。


 しかし、これで10分くらい潰した。あわよくば陽キャによる教室ドア前占領は終結していてくれと戻ってみれば。


 まだいた。


「え〜っ、汐見さんもそういうの好きなんだぁ!」

「うんっ!毎日見ちゃうよっ。かっこいいけど、やっぱりおもしろいからかなぁ〜」


 事態は悪化していた。

 汐見柏亜しおみはくあが加わって、人間の塊はむしろ増大していたのだ。


「っていうか柏亜はくあでいいよ! ハクも舞衣まいって呼んでいい?」

「えっ全然歓迎!仲良くなれてすっごく嬉しいっ」


 コミュニケーションの暴力。俺は動揺した。これが共学の火力か。しかもよく見たら、お調子者の豊沼まで参加しているではないか。どうしたものか。しかし、考える暇も与えず、俺の目には柱の裏で様子を伺う銀髪の少女が映った。


「違う。あれは…眼鏡外した鬼志別じゃねぇか」


 なにしてんだと俺は近づこうとすると、反対側から突然ぐいっと腕を引っ張られた。


「うお!#ハッシュタグ拉致被害者全員奪還……。」

「しっ。騒がないでください」


 めちゃくちゃ近くに白滝紗那の顔が迫っていた。その妙に艶かしい唇に細長い人差し指を当てて静粛を要求している。どうやら有事らしい。


「ッ、ついに台湾有事か。とりあえず米軍の到着を待て。尖閣はどうなった?」

「……教室に入れなくって」


 とても脱力した。なんだよ、習近平はまだ正気のようだ。


「まさかずっと待ってるのか?ここで」

「しゃ……私は来てからまだ30秒も。でも、あのおに…おに……、」

「鬼志別?」

「そう。おにしべつ?くんは、多分ずっとあそこで」


 肩を竦める。なるほど状況は把握した。俺は白滝を見捨てて鬼志別のほうへと足を向ける。近づく俺に気づいたのか、鬼志別は小さく手を挙げた。


「おい、さすがに陰キャすぎだろ。なんだよ、陽キャがドア塞いでるから隠れて様子見って。」

「シューカ、さっき逃げ出してたおまえには言われたくない」

「逃げる?この俺が??」


 たまらず俺はため息をついてしまう。


「あいつらが韓国アイドルの話をしやがったんだよ。激昂しちゃって、頭を冷やしに行っただけだ」

「おまえって瞬間湯沸かし器だよな」


 鬼志別に何か言い返そうとしたが、その瞬間、教室入口で飛び交う声が一段と大きくなった。


「てかさ、K-popって何かとネットで叩かれてるよね」

「あーなんかたまに見るよね。うざいわ~」


 思わず振り返った。

 いつのまに参加していた豊沼が、話を合わせるみたいに頷いていた。


「5年前だっけ、爆発デザインのTシャツの時とかさぁ。原爆がどうとかネットで言われまくってたじゃん!」

「あ~、バリうざかったわ。原爆くらいでうるさいんだよアンチたち」


 感情が消えた。


「……おい、厨川?」


 ゆっくりと、勝手に足が進む。

 あれだけ恐れてた教室の入口へと。


「なぁ」


 勝手に口から言葉がこぼれる。


「?」


 無邪気に振り向く彼女たち。


「道をあけてくれ」


 光の消えた瞳で俺が言うと、一人の女子がポン、と手を打つ。


「あっ、そっかごめんごめん」

「なんだーもっと早く言ってよ。ちょっと怖かったんだけどー」


 すっ、と彼女らは退く。俺は前へ進む。


「あ、わかる。ずっとこっち見ながらウロウロされるとさ」

「それな!超わかるわ~」


 わかる、わかる、何がわかるってんだ。

 高校生特有の、共感表明で構成された中身のない会話。さっきからずっと頷きあって、得るものなし。


「ナンパされたのかと思ったー」

「うわ舞衣マイひっど。そういう系の男じゃないでしょ、見た目的に」

「豊沼くんのがひどいって! 見た目って……この子に失礼でしょ」


 俺を遠回しに陰キャだと言っているらしいが、もういい。

 見せてやる。教えてやろう――なんだ。


「……"原爆くらい"は、ないだろ」


 一歩、教室へ入ってから一言。


「?」

「さっき、原爆くらいでうるさいって言ってたからさ」


 空気が凍った。

 一人、気の強そうな女子が俺を睨めつける。


「は? なんなんキモ……」


 バッグにはアイドルグッズと思わしきぬいぐるみ。人一倍熱心なファンなのだろう。


「日本人としての誇りはないのかよ」

「そんなのどうでもいい。そもそも、ただのファッションじゃん」


 深いため息をひとつ。ファッションと戦争犯罪の線引きも知らないのか。

 やはりこの世界は無知ばかりだ。何も知らない大衆を、俺が智識の光で照らす――くらきをひらく――必要がある。俺はゆっくりと息を吸いこんだ。

 啓蒙を、始めよう。


「普段からアイドルの尻ばかりを追っている君達には分からないかもしれないが、日韓関係は戦後最悪。北朝鮮の脅威を共有するはずの両国の国民感情が一触即発なのは安全保障上大問題だ。ましてや世界的アイドルであるならなおさら日本ファンにも配慮すべきでは? 原爆は日本国民にとっては非常に不快になる内容なんだよ」


 そこまで吐き出した刹那、片袖を引きずられる。


「バカ!何やってんだ」


 真っ青になって、鬼志別が俺を押しとどめた。


「頼むから抑えてくれ。お前は会話が恐ろしいほど下手クソだ」

「俺は――コミュニケーション戦士だ」

「実はね、コミュニケーションって戦いじゃないんだよ」


 戦々恐々とした表情で鬼志別はそう説く。そこにかぶせる様に、先ほどの気の強めな女子が言った。


「原爆くらいで騒いじゃって、大人気ない。そんなんだからくらいんだよ」

「……くらい?」


 ピクリ、俺は目を向けた。


「俺がくらいだと?」

「なに、明るいつもり? いつも隅っこでボソついてるくせに」

「趣味はインターネットでの啓蒙活動。俺はクラスで一番明るい男だ」


 正しい智識の光に照らされて、毎日ツイッター速報をリツイートしている。地方病、シュレディンガーの猫、粉塵爆発など、様々な事物に俺は明るく、常にインターネット教養で武装している。


「よく覚えておけ。俺は教養戦士だ」

「もうメチャクチャだよ……」


 顔を覆って、よろける鬼志別。交代で俺の前に現れたのは、メガネの男だった。


厨川くりやがわ、だったっけ? ちょっと聞き捨てならないな」


 横長よこながの知らない顔だ。太ってはいない。鬼志別みたいな丸眼鏡ではなくて、青色の細い縁の眼鏡。もとからここで会話をしたわけじゃなさそうだ。


「オレも『普段からアイドルの尻を追っている』者の一人なんだけどさ」

「そうか」

「原爆が日本人に残した心の傷は十分に承知している。でもな、それ以上に推しへの帰属意識ってのが強いんだよ、アイドルオタクってもんは」

「……そうか」

「お前の言いたいことはわかるけど、しょうがないよ」


 教室の入口。女子たちも、豊沼も、それから鬼志別も、凍っていた。

 そこには、彼の言葉だけが響く。



「社会ってのは、そんなもんさ」



 唇が震える。

 震撼した。


「………かっけぇ」


 言葉が勝手に漏れてしまう。彼は満更でもなさそうだ。


「オレドルオタって、一種のなんだよな。」


 彼が視線を送った先、気の強そうだった女子の顔が恐怖に歪む。


「カ、カッケェェェェェェ――!」


 あの鬼志別でさえ抑えきれずに感嘆する。

 こいつは、"ホンモノ"だ。


「……いっしょにしないで。ね、行こう?」

「お、おう」


 彼の言葉を拒絶すると、その女子は、ほかの女子やら豊沼やらを連れて、教室入口から廊下のほうへと出て行った。


「……え。あれー?オレなんか悪いこと言っちゃった…?」


 ひとり残された彼に、俺は問う。


「お前、名前はなんだ」

「あ、那波なば那波なば辰巳たつみ。」

「那波だな。覚えた」

「……もしかして怒らせた?」

「いや怒ってない」


 正直、とてつもない高揚感を感じている。

 そんな俺の後ろから一人の少女が声をかける。


「ホンモノ……なんですね。厨川くりやがわくん以来です」


 俺たちが振り返ると、驚いたことに『孤高の琥珀眼』はすらすらと、那波に話しかけた。俺は腰を抜かしそうになった。コミュ障はどこにいったんだ、めちゃくちゃ喋るじゃねぇか。そしてこの那波にとって彼女は初対面。教室入口を駄弁って塞ぐ陽キャたちの下に突然現れてはオタクと社会について語った那波辰巳とて、芸術的美少女の前には慌てたらしい。


「あ……えと、白滝さんだっけ」

「はい、白滝紗那です。那波くん、ですよね。あと鬼志別…くん?」


 彼女は鬼志別、そして俺へと視線を移して微笑む。


「と、それから厨川くん。ありがとうございます」

「何が」

「教室……入れるようになったので」


 ふと思い出す。そうか、発端は教室の入口が封鎖されて、俺たちが入れずにいたんだっけ。確かに連中はいなくなったな、俺と那波が犠牲にはなったが。


「おう、感謝してくれ。俺たちへの献花は忘れるなよ」

「オレも死んだことにしないでくれ」

「でも今ので実質お前はカーストから弾かれたぞ。ようこそ、人生の終着点へ」


 俺は手を広げて歓迎する。しかし、那波は自分の発言のどこに問題があったのか、本当にわからないようだ。無自覚なのである。人生苦労してきただろうな。


「……白滝さん、いまのオレ、どこがいけなかった?」


 ふと那波が白滝に聞く。すると白滝は、はっ、と我に返った表情をして、すぐさま俺の背中に隠れてしまった。

 それを見た那波が、空を仰いで嘆く。


「オレの何が、悪いっていうんだよ……」

「今のは安心しろ。俺も意味分からん」


 俺は首だけ回して背中の白滝に問う。


「どうしたってんだ。突然会話を切らないで?」

「ご……め、んなさい。まだ、慣れなくて」

「訳が分からん。さっきまでびっくりするほど喋ってただろ」


 彼女は言葉に詰まる。


「わ、私……"ホンモノ"が、好きになっちゃったんです」

「??」

「だから、つい口が……うごいて」


 じとーっ、と上目遣いで俺を見る。


「あなたのせいですよ」

「俺が何したってんだ」

「さっきまでも、笑いこらえるの必死だったんですから」


 そう言うと彼女は、べーっ、と舌を出して、俺の背を軽く突く。俺は少しよろける。そのすきに彼女は、廊下の向こうへと走り去っていった。


「あー、そういやずっと笑ってたね」


 鬼志別が呟く。


「俺のことを?」

「うん。白滝さん、お前が教室の入口であの連中と問答してるとこ、おなか抑えながら口塞いで一生笑ってた。声漏れないように涙流してたよ」

「くっそ、馬鹿にしやがって」


 しかも今、廊下に走り去ってったら意味ないじゃないか。白滝お前は教室に入りたかったはずだろ。


「しかも今度は、オレたちが教室の入口を塞いじゃってるみたいだし」


 那波が言う。どういうことだと首をかしげると、彼は顎で廊下側を示した。一挙一動カッケェやつだな。


「あ」


 廊下に遠目から俺たちを伺っている、二、三人が見えた。どうやら俺たちの起こした一連の異常行為が彼ら彼女らに恐怖を与えて、教室に入れないでいるらしい。


「とりあえずどこうぜ」


 那波は言う。鬼志別は呟いた。


「教室入口で駄弁って塞ぐ、ホンモノ2名に弱者男性1名か。こんな虚しい構成ないな」


 まったくその通りだ。

 だがお前は電車オタクなので、1名ではなく1両だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逆張れ!キモ・オタク 占冠 愁 @toyoashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ