第9話 クラスの雰囲気とかいう虚構
「おはようございます!」
目覚まし時計を叩き潰す。
「今日は、現役高校生の、朝のルーティンを紹介しちゃいます!」
朝一番の腕力を振り絞り、押し入れに布団を投げ込む。
「まずは、前髪をセットして……」
洗面所の水を張ったシンクに前髪ごと顔面をぶち込む。
「ナチュラルに乾燥させます!」
風呂場で頭を激しく上下に振る。水が飛び散るが、それだけじゃない。
「朝って、貧血気味ですよね。でも、この遠心力なら頭に血が行き渡るんです!」
「あにき…、朝からヘドバンしないで……」
「さて。今日の朝ご飯は――」
「ないよ。もう35分だもん、私、先出るからね」
それっきり閉まる玄関を背に、直ちに制服に身を通す。
そうして、オタクは玄関から射出された。
家から駅まで600メートル、3分強。
ただし途中で自販機の前に立ち止まる。
「今日の朝ご飯は――これ! REDBELL...」
ガゴン。滑らかにプルタブを弾いて、ゴキュゴキュと喉を鳴らして流し込む。
ENERGYが、みるみる身体に沁み渡る。
「『燃料』補給……、完了」
「はっ…恥ずかしい。二度と隣歩かないで」
軽蔑の視線。振り向くと妹が立っていた、いつのまにか追い越していたらしい。
ガタン、ゴトン――音がするので見上げれば、電車が滑り込んできた。やべえ。妹を置いて駆け出す。響く発車ベル。改札を抜ける。階段を蹴って、あと一歩。
「オーゥ、ブリャーチ」
目の前で扉が閉まりやがった。このクソ民鉄め。
ホームの電光掲示板いわく、次の地下鉄直通電車は10分後。遅刻確定である。
「電車通学あるある。乗らない電車ばっか来てイライラ」
次のも、その次のも、地下鉄に直通しない赤色の電車だ。ヘドバンで血が上ったままの頭で憤慨していたが、妹が後ろに並んできたので黙る。ようやく来た緑色の電車に詰め込まれつつ――『次は、大通です』――10分で降りる。
「じゃぁ、いってらっしゃい。帰る前に病院寄って頭診てもらってね」
北24条まで乗る妹は、心ない言葉を投げつけて、東西線に乗り換える俺を送り出す。人の海に揉まれていたところ、ふと金髪が覗いた。
「あ」
汐見柏亜が、こっちを見ていた。
「げ」
なんでいるんだよ。いや、ここは天下のターミナル、大通駅。いてもおかしくはないか。俺はすぐさま逃げようとする。
「あのっ」
しかし、彼女はそうはさせない。なんと人を掻き分け俺の腕をつかんだのだ。
「き、昨日の子だよね!」
「アッ、アッ、アッ」
カースト頂点の異性に襲撃され、俺は恐慌状態に陥り、コミュニケーションに支障が発生する。
「くりや……そう、栗谷くん!」
よし名前は憶えられていないな。
「グゥエンさん」
希望を見出した俺は、場を切り抜けようと技能実習生のフリをした。
「グゥエンさん、今、日本働く。ベトナム仕事ナイ」
「えっ」
「畑、十時間働く。酷い環境」
「で、でもうちの制服……」
「グゥエンさん今カラ、庭で豚さばく。丸焼キ」
時間ナイ、と言い残して俺は立ち去る。汐見柏亜は始終呆然としていた。東西線のホームに逃げ込みやっと息をつけたと思えば、ゲロ混みの宮の沢行きが入ってくる。通学って最悪だ。
『円山学園前〜、円山学園前でございます。』
この駅はろくでもないサムネ詐欺で名が知れている。学園の前にあると宣っておきながらその実500m近くあるのだ。教室の前まで乗りつけろや。
なお時刻はHR2分前。こんな頭のおかしい時間に降りる本校の制服を纏った人間はおらず、駅員の呆れた視線が刺さる。しかしその程度では俺のメンタルは壊れない。遅刻するか、しちゃうかの瀬戸際に立たされているのだから。
「いっけなーい!遅刻遅刻ゥ〜!!!」
ただの現状追認を叫び散らして、職員が閉めかけていた校門をギリギリ突破。
「ほゥ――ッ!ギリギリアウト!」
教室に着弾。幸いなことに担任側も遅れていたらしく、美唄先生の姿はない。
「勝った…。」
鐘が鳴って30秒後。俺は悠々と教室に着いた。机にうつぶせになっていた鬼志別は、眠たげにその小柄な身体を揺らして、銀髪から顔を見せる。
「保健室はここじゃないよ」
「誰が保健室登校だ」
失礼な奴だ。俺も無礼で返そうかと思った瞬間、教室に響く声。
「はぁっ…!よ、よかった。まだ始まってないよね?」
空気が俄かに明るくなる。
「わっ、柏亜ちゃん!」
「よっす、汐見ちゃん」
そういえば朝会ったな。そして逃げた手前気まずい。
「おはようございますッ!そしておやすみなさい!!」
直ちに上半身を伏せる。1限目から3限目まで、そのまま耐久した。みじめだ。俺が何やったってんだ。しかし幸いなことに4限目は移動教室で、どうにか助かった。
そして来たる昼休み。4限目の理科室から教室に戻ろうとすると、なにやら教室入口を封鎖する人種がいる。
「あっ、そうだ
「ん。もっちろん見たよ。9時からずっとテレビかじりついてた」
話には聞いていたが、教室のドアあたりでお喋りして人間バリゲートとなり、ソ連軍よろしくベルリン封鎖ごっこをする陽キャという伝説は実在したらしい。早速、抵抗感情が湧いた。
「でー、それでさ。ユンくんが笑いだしちゃって〜」
「あっはは、ユンくんらしいや。テウっちなんか絶対テンションやばげでしょ」
「うん!なんかでも全体的にやっぱ推せる〜って感じ!」
しかも話題はK-POPアイドル。防弾少年団なのに徴兵逃れ。名前の通り弾を防ぎに兵役につけよ。呼吸が荒くなって、思わず壁に手をついてしまう。
「はぁ……っ、息苦しい。火病か?」
具合が悪くなってきたので、屋上へ向かうことにした。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込めば、そんなことを考えながら階段を上りきって、屋上への扉を開いた。
「……あ」
目が合う。
気まずそうに、彼女は笑う。
「厨川くん、じゃん」
屋上の手すりにもたれかかる、鹿越桔梗の姿がそこにあった。
クラスの英雄が昼休みにどうしてまた屋上なんかで一人で過ごしているのか気にはなったが、とりあえず、俺は深呼吸をする。
「すぅ~~っ、はぁぁ~っ」
「ちょ……、無視って」
「ふぅぅーっ、よし、落ち着いた」
外気を取り入れて、怒気を吐き出す。こうして俺は"ととのう"のだ。
傍目に、鹿越の不満げな表情が覗く。
「ねぇってば」
「ワ、委員長様(笑)だ」
「さいってー。まじむかつく」
「奇遇だな俺もだ。馴れ合うな」
俺はそのへんに腰かける。
円山の端くれに建つ校舎で、屋上からの景色は悪くない。大通公園をまっすぐ、繁華街のほうまで見渡せる。前の中学校みたいに海が見えないのは寂しくはあるが。
「……なんでここにいるのか、聞かないの?」
俺が黙っていると、ぽつ、と鹿越が言う。
「そりゃ自明だろ。外気を吸いに来たんだろ?」
「まぁそれもそうだけど」
「あぁ。普通に学校生活を送ってると怒りというか、"
「ねぇねぇ。私ってそんな怒りっぽく見えるかな」
そんな風にツッコむ鹿越は、だけどどこか疲労気味だった。
「なんだ。疲れてるのか?」
「きみのせいじゃない?」
ひらひらと手を振る彼女は、皮肉げに言った。
「私ね、ひとりの時間も好きなの」
「おう」
「もともとそんなしっかりした性格じゃないから、気を張るのって疲れるんだ」
俺は疑問符を浮かべる。
「何のために気を張ってるんだ」
「え?」
「疲れるくらいなら自分を全て開示すればよい。俺はそうしているぞ」
中学では教室の隅で縮こまる陰キャを演じていた俺は、しかし、その日々を後悔している。我慢の連続は体に良くないのだ。
「君は……、強いよね」
鹿越が言う。俺は目を丸くした。
「強いって言われたの生まれて初めてなんだが。俺は政治厨で提督さんでプロデューサーさんで常にツイッターに張りついてる弱者男性だぞ」
「あーいやいや。"キャラ"に縛られないっていう意味だよ」
「なんだそれ」
首をかしげる。鹿越はジト目で俺を見た。
「覚えてないの? 昨日君に押し付けられたばっかりなんだけど」
「?」
「委員長、とかいうキャラだよ」
彼女は深くため息をついた。
「私、中学の頃からずっとツッコみ役っていうか、"抑え"る側なんだ」
「はぁ」
「クラス全体の雰囲気っていうか、キャラ付けみたいなのあるじゃん。それでうまく人間関係が回ってく、みたいな」
「生憎クラスの雰囲気をまともに読めた試しがないのでわからん」
「あはは! 厨川くんっぽい」
中学じゃどう振舞っていいのかわからなかったのと常時声が枯れていたので、隅っこで黙っていたら、陰キャだと思われ迫害された。気分が悪くなったので、高校では自分を全開にしている。
「ツッコみキャラをやめたいってこと?」
「んー、違う。なんだかんだ楽しいし。ほら、柏亜とも親友長いしね」
解決策が見当たらないので、とりあえず同調することにする。
「まぁツッコみ役って、ボケる側と比較すると労力段違いだもんな。ボケは勝手にボケときゃいいけど、ツッコみはタイミングを見計らって空気を破壊しないように……そもそも、いつも常識人ぶらなきゃいけないから、一般常識が必要だ」
思いつく言葉を適当に並べていると、うんうんと鹿越は頷いてくれる。
「いや本当にそう。よーけ疲れるの。だから気い張らなあかんし……」
空を仰ぎながら漏らす鹿越。しかしその言葉尻が気になった。
「てかあれ、西の言葉? 出身西日本?」
「あれ?え?出てた?」
「おう」
鹿越は、ばっと口を押さえて少し顔を赤らめる。
「学校で出たの、いつぶりだろ」
「何?方言札でもやってるの?」
「や、違う。でも気が緩んだ時に出るから、それってキャラじゃないし」
急激にキャラというものがしょうもなく思えてきた。そんなものダイナマイトかなんかで爆破してブルドーザーで片したほうがいい、なんて言いかけたものの彼女がクラスの雰囲気を大切にしている旨を思い出し、踏みとどまる。
「私が嚙み合って回ってるときの、クラスの雰囲気も好きやし」
しかしいくら頭を振り絞っても、キャラをやめるか人間をやめるかの二択しか出てこない。共感系の言葉を並べてみる高校生特有の角が立たない会話で乗り切るか。
「まぁ悩むんだろうなぁ。でもキャラの分担で回る人間関係を大切にしたいってのはわからんでもないし、そのためにツッコみ役を続けたいなら、定期的に疲れを抜くのは必要になるよな。根本的な解決策はないわけだし」
死ぬほど適当なことを言っている。本心ではさっさとキャラやめえちまえと思っている。
「せやから、こういう素の自分でおられる時間も、ほしい」
「大変だな、クラスの雰囲気の守護者も」
「他人事みたいに言ってくれちゃって……」
すまん。クラスの雰囲気なんぞ知らん。ぶち壊せ。どうせ俺には読めん。
「ほかでもない、きみが搔き乱してるんだからね?」
「だろうな。どうせ俺がぶっ壊す」
クラスの雰囲気を脅かす俺は、彼女の敵であることは明白だ。
「……なんか持ってるよね、きみ」
なんだ、突然差別か?
憤りかけた瞬間、鹿越が目を合わせてきた。
「わかんないけど、なんか私、喋りすぎちゃう」
「おう存分に喋れ。すべての人間は素の状態であるべきだ」
泰然と言い放つ俺の頭を、突然彼女はワシワシと撫でた。
「なにすんだ」
「生意気。やっぱり嫌い」
全部面倒になったので立ち上がった俺に、鹿越は、ふんと顔を背ける。
「さっきから、それっぽいことばっか言ってくれちゃって」
申し訳ないが露にも思っていない。適当に並べた言葉だ。まるで俺がサイコパスみたいで辛くなったので、屋上を後にしようと決めた。
「やり返すから。覚悟しといて」
瞳だけこっちに向けて、彼女は言った。
あぁ。二度と高校生特有の同調会話なんてするか。
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