第8話 馴れ合え!キモ・オタク
「……っ!」
汐見柏亜が今にも泣きそうな顔をしていた。
どうやらあのパワー系教師に言いくるめられそうになっているらしい。クラスメイトのために立ち上がった彼女とて、唯一の欠点があるらしい。レスバトルに弱いのだ。
"ねぇ"
ふと見れば、机の上のスマホに通知が来ていた。
電話番号からのショートメッセージ。鹿越からの連絡だ。
"お願い。柏亜を助けてあげて"
クラス最強の美少女を助ける。ラノベで何冊でもある擦られ尽くした展開だ。テンプレート、すなわち俺の大嫌いな概念である。直ちに却下だ。
"お断りだ。それで万一
"性格的に無理だと思うよ"
なんつーこと言いやがる、と鹿越のほうに顔を向ければ、目が合った。その瞳は、割としっかり俺に助けを求めていた。
"……ヒントはくれてやる、お前が助けろ"
レスバのごとく華麗なフリックで文章を送り付けると、彼女のほうへ目を合わせて、俺は学校の年間予定表を指し示した。鹿越は慌てて水色のファイルを滑らせ、年間予定表をつまみ出す。
すぐに彼女は目を丸くする。すぐ気づいたか、賢い女だ。
彼女は俺へ頷くと、すぐさま立ち上がった。
「そもそも入部希望用紙って今日集めるんですか?」
鹿越は通年行事表を片手に問う。
「予定には来週回収ってありますけど」
にわかに教室がざわめく。
「美唄先生。他のクラスはどうなってますか?」
美唄先生より先に、あのパワー系教師が慌てた。
「よそはよそ、うちはうちだ」
「先生はうちのクラスの担任でも副担任でもないですよね」
「っ、いいや、新任の美唄先生の補佐をと思ってだな」
「補佐、ですか」
明確な越権行為だな。美唄先生の少しおびえた表情も相まって、クラスメイトの多くがそれを察してパワー系に厳しい視線を向ける。クラスがより懐いているのは、美唄先生のほうだった。
「勝ったな」
思わずニヤニヤする。鹿越を使って、俺は完封試合をしたのだ。
「……っ、もういい。今日の回収はなしだ」
そういうと、パワー系は適当に場を取り繕って、そそくさと教室を退散する。しばらくして、立ったままの
それから、ふいに飛び出して抱き着く。
「きょーちゃん……!」
少し呆れたように、鹿越は汐見の背を撫でる。
「はいはい。頑張った、頑張った」
「こわかった…、よおっ……!」
「よしよし、もう大丈夫だから」
「わーん、ありがどぉーっ…!」
美少女二人のハグ。
教室じゅうがワッと沸いた。
「すごいね、鹿越さん。先生言いくるめちゃうなんて」
男子カースト頂点のイケメン、歌内が言うと、豊沼がひゅーひゅーと囃し立てる。
「鹿越ちゃんヒーローじゃん! 琴ちゃん先生のことも助けちゃったし」
「鹿越さん、ありがとう。わたしずっと吹部やってて…、助かったぁ!」
運動部にも非運動部にも持て囃されて、鹿越はクラスの英雄になる。美唄先生も歩み寄ってきて、鹿越に頭を下げた。
「ごめんなさい、鹿越さん。私がちゃんとしなきゃだったのに」
「いっ、いえいえ。でも先生、新任だからってつけ込まれちゃだめですよ」
人差し指を立てて、少しまじめな顔で美唄先生を諭す鹿越桔梗。
「え、てか鹿越ちゃん、委員長って呼んでいい?」
「えっ」
「よっ、委員長! クラスの救世主!」
「委員長!委員長!」
ワッと広がるその呼び名。
クラスの輪が鹿越桔梗を中心に広がっていく。
「うっわ、"委員長"とか」
それを俺は冷えた視線で見ていた。
席を立って、ひたひたと
「……どうしたんですか、厨川くん?」
「見ろよあれ。馴れ合ってる」
「お前感性終わってるよ」
隣のショタがそう呻いた。
「俺は馴れ合いが大嫌いだ。ああやって内輪が出来ていくからな」
「そしてその内輪に、あなたが居た試しはありませんからね」
白滝の残酷な言葉。俺は背伸びする。
「あっぶねー。助ける役、鹿越に押し付けてよかった。俺があんなことされたら多分ブチ切れてメチャクチャにしちゃう」
「た……短気ですね」
「違う違う。オタクは弱いから、強い言葉で武装するんだよ」
少し引き気味の白滝に、鬼志別が解説した。
しかしそんなことはどうでもよく、俺はスマートフォンを開く。
「何してるんですか」
「あのクソパワー系、デイリームーヴィー使ってたからな。どういう魂胆で教職者が教壇で著作権違反してるのか、高校と市の教育委員会のお問い合わせフォームに質問してるところだ」
「在籍生徒からの問い合わせなんて想定されてないと思いますよ」
それから、白滝はすこし逡巡する。
口をもごもごとさせて、視線をそらしながら問う。
「厨川くんは、そ、その」
「?」
「え、えっちな動画って、見るんですか」
「は???」
俺の脳内に疑問符が生え散らかす。
「なに、セクハラ?」
「ちがっ! しゃな……そんな、はしたなくないもん!」
動転する琥珀眼は、慌てて取り繕う。
「おっ、男の人って、そういうの無断転載で見てるって聞いて!」
「ほう。俺も著作権違反をしてると言いたいわけだな?」
顔を赤くしながら、こくこくと頷く白滝。
「だが残念だったな、俺は三次元に魅力を感じない」
「カッケェェェェェェ――!」
鬼志別がさえずる。相変わらず少女みたいな声だ。
「何のためにコミケで薄い本買ってると思ってる。俺は二次元でしか抜いたことがない」
「……さいてー、です」
ぎゅっと腕をクロスさせて両肩を掴み、ささっと引く白滝。俺は机から出した知的財産権の本をひらひらとさせた。
「著作権を守れない奴はオタクを名乗るな。知財を勉強しろ」
「ホンモノだ……」
鬼志別は一瞬後ずさるが、反転して俺を問い質す。
「でもシューカお前R18を購入してるってことだよな」
「っ!そうです! 厨川くん、あなた法律違反してるんですよ?反論できますか?」
この無知どもめ。俺は笑う。
「あれは『努力義務』だ」
「どりょ…?」
「販売者側が18歳未満の目に触れないよう心掛ける義務であって、購入者側には具体的な罰則も義務も発生しない。よって俺は何も悪くない」
完封。今日だけで二件のレスバに勝ってしまった。
「I won...」
恍惚としていると、視線を感じる。
クラスの輪の真ん中にいる鹿越桔梗が、俺を見ていた。
(うわ何か言いたげだな…)
俺が彼女を英雄に仕立て上げてしまった手前、いま何か声をかけられるのは不都合だ。俺はそそくさと立ち上がって、リュックを持ち上げ帰宅の途につく。
委員長、委員長とコールの冷めやらぬ教室を冷笑してから、俺は教室の後ろに差し掛かる。ふと見れば、『クラスのルール』と書かれたホワイトボードがあった。まだほとんどが決まっておらず、下に箇条書きで一個だけ、『みんな仲良く!』とある。
俺はおもむろにペンを持つと、そこに一文付け足した。
クラスのルール
・みんな仲良く!
・馴れ合い禁止
「あなた病気ですよ」
白滝が言った。
――――――――――
「……馴れ合い禁止がルールのクラス、嫌すぎるな」
ひとり鬼志別が呟いたころに、汐見柏亜は泣き止んだ。
「ぐすっ……。ぁ、そうだ。あの子にも、ありがとうって言わなくちゃ」
「え、誰のこと? 柏亜ちゃん」
「一番さいしょに手を挙げてくれた子。おかげで
輪の空気が、少し微妙になる。
「あ…あいつ?」
「ちょ…っと、地雷じゃない?」
豊沼が首を振った。
「や、それはよくね。結局、委員長が全部守ってくれたわけだし」
鹿越はため息をつく。
(委員長じゃないっつーの…)
内心恨み節を吐きつつ、だからこそ、鹿越は汐見の肩をぐっと寄せる。
「――
「え?」
「あの子の名前。今度、ちゃんと挨拶しなよ?」
ぱっ、と汐見柏亜は顔を輝かせる。
「うん! 教えてくれてありがと!」
平穏を望むとかほざいてるあの逆張り野郎に、一発かますために。
(私を英雄なんかに仕立て上げた代償……きっちり支払ってもらうから)
鹿越桔梗は、その男をクラスの輪へと引っ張り出すと決意する。
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