第7話 パワー系vsパワー系

「えーと、うちの学校の方針は……文武両道です!」


 その日の終礼で、担任の美唄びばい先生はそう言った。


「おい、僕たち爆撃されてるぞ」

「なんでだ」

「いいか。僕もお前も、文は言うに及ばず、武もできない」


 鬼志別がその小さな額いっぱいに大粒の冷や汗をかいている。

 そこに降りかかる、無慈悲の宣告。


「そういうわけで、みなさんには必ず部活動に所属してもらいます」


 先生はそう言うと、カリカリと黒板に文字をつづり始めた。



サッカー部 野球部

男子バスケ 女子バスケ

陸上部 バレー部 バド部

水泳部 剣道部 テニス部


軽音楽部 吹奏楽部 料理部

園芸部 囲碁将棋部 茶道部

文芸部 放送部 美術部



「なんだこれ」


 呆然とした表情で、鬼志別が呟く。


「剣道も、茶道もあるのに、鉄道がない」

「並列しないで?」


 俺は鼻で笑うが、しかし歴史部がないことを認めた瞬間、猛然と怒りだす。


「なんだ……この学校は、『正しい』歴史を研究しないのか? GHQが押し付けた自虐史観に甘んじて?」

「どうでもいいけど文化系の部活が壊滅的だよな」


 俺たちの中学校にあったはずの、物理部、地学部、あるいはPC部やE-Sports研、電車部、Vtuber同好会などが全滅している。


「文化部の総数が9。天北学院うちの約半分か」

「……天北をうちって呼ぶのやめようよ。僕たちはもうあそこの生徒じゃないんだよ?」


 わかってる、と俺は答えた。ふとしたときに突きつけられる現実は、少し辛い。


「てか、そうすると選ぶとこねぇな。無理ゲーだ」


 諦めかけた俺に、教壇のほうから声が飛ぶ。


「先生はいままでたくさんの生徒を見てきたが、運動もできるやつが最終的には学業にも優れるからなー」


 美唄先生の隣に立つ体育教師がそう言った。なんでお前が終礼にいるんだ。


「それにやっぱり、球技は楽しい!チームワークで成し遂げるこの幸せを知らずに、青春を棒に振るのは、人生の先輩としても、見ていられない!」


 その言葉にやれやれと俺は呟く。


「体育教師はどうして『全人類が球技を最高の娯楽だと思っている』と勘違いしているんですか?」

「おい厨川、聞かれるよ」


 銀髪のショタの忠告に、黙り込んだ。すると続けざまに、体育教師はものすごいことを言い出す。


「先生は、みんなに運動部へ入ってほしい」

「は?」


 俺より先に、鬼志別が反応した。


「だから先生な、ちょっとアンケートを取ろうと思ってるんだ。この中で、兼部しないで、文化部に入ろうっていう子はどれくらいいるかな?」


 担任の美唄先生そっちのけで、手を挙げさせる体育教師。その構図に疑問を感じながらも、俺は堂々と手を挙げる。鬼志別がそこに続けば、女子が多めながらも、7,8人くらいが遠慮がちに手を挙げた。


「うんうん。もちろんわからんでもない。特に女の子はな」


 頷く体育教師。それはジェンダーバイアスじゃないかと俺が反論する暇もなく、彼はプロジェクターの電源を入れて、なにやら黒板にスクリーンを降ろし始める。


「だからな。先生、そんな君達にぜひ見てほしいものがある。最近、アニメ流行っているんだろう? 先生の大好きなワンシーンを持ってきたんだ」


 なにやら動画サイトが開かれる。そこに映されたのは、懸命にバスケットボールを突いて走る少年のキャラだ。


「ちょっと古いかもしれないけれどな」


 ちょっとどころじゃない。1986年放映、昭和末期のアニメだ。当然俺は知っている、アニメ有識者なので。

 教室が暗くなると。映像は動き出す。


「……」


 内容もわかる。確か運動に興味もなかった主人公が、バスケとの出会いを通じて成長するアニメの、クライマックス近くの少しエモめな回想シーンだ。


「ん?」


 鑑賞に静まり返る教室へ響く、俺の疑問符、

 不自然に画質が悪い。目を凝らしてみれば、英語の文字列が読める。


「Daily...Movie??」


 口に出して反芻した瞬間、ハッと気づく。そして俺はため息をついた。教師たる者が――そういうことをするんだな。


「……どうしたの、厨川?」

「デイリームーヴィー。これ、無断転載サイトだ」


 俺はすぐさま高校の名前をグーグルに打ち込み、高校のお問い合せフォームを開く。


『貴校の教員が、著作権法に違反しています』


 滔々と文字を打っていると、ふと教室が明るくなる。ビデオは終わったようだ。体育教師、もとい著作権違反野郎が美唄先生に教室を明るくさせたらしい。


「な。こんな青春、君たちは失うわけにはいかないだろう」


 ニッ、と笑いかける彼に、教室の誰もが首を横に振れない。

 ともすれば「めっちゃエモかったな」なんて頷きあう男女もいる中で、教室全体の雰囲気も引っ張られていく。


「今から、入部希望用紙を書いてもらって回収するんだけどな。先生はもう一度確認したい」


 けれど俺は見逃さない。鬼志別、それから数名の男女が、顔面を蒼白にしている。


「さっき手を挙げてくれた人の中で」


 体育教師は、俺たちを指定する。


「この話を見て、まだ運動部に入らないって子はいるかな?」


 しぃん、と静まる教室。

 鬼志別の冷や汗が滴る。数人が震えている。それから、ゆっくりと白滝がこっちを振り返り、その琥珀眼を俺に合わせた。


「……はぁ」


 俺は観念する。


「ふぅ。よし、なら決まりだ――」


 彼の言葉が終わらぬうちに、俺はゆっくりと手を挙げた。


「……なに、なんだ」

「はい?」

「いや、どうしたんだと聞いてる」

「自分は、運動部に入りません」


 俺の返答を聞いて、鬼志別も手を挙げる。それを見た数人の男女が希望の瞳を、俺たちへ向ける。白滝が更に続くと、おどおどとしながらも彼らはその手で意思を示した。


「おい」


 途端に不機嫌そうな表情を示す体育教師。


「あのビデオの内容が、伝わらなかったのか?」

「いいえ。十分に伝わりましたよ」

「じゃぁいいだろう。わかった……厨川だな? ならお前も、運動部志望、と。」


 なんだそれ。パワー解釈じゃないか。


「厨川君も無事運動部だ。ほかの君たちも――」

「先生。先生はよくコミュニケーションがパワフルすぎると言われません?」

「あのな、厨川。決まりかけていたことを覆すのは、やってはいけないことだ」

「でもそれ、『お願い』ですよね?」


 俺は、覚悟を決める。中学時代何度も繰り返した教師との対峙。そして今、高校に上がって、桜を舞い上げる春風は、俺をまた一度、レスバトルへいざなう。


「……あぁ。だが、普通の生徒は先生のお願いを聞くものだ」

「なら聞きません」

「は?」


 あぁ。思い出すのは、掲示板いくさばの香り。


「自分は――他とは『違う』ので」


 俺に注いでいた数名の希望の視線は、絶望に変わる。けれど躊躇しない。踏み出そう。匿名の銃弾レスが飛び交う、あの場所へ。


 刹那、すべてを遮って高い声が通る。


「あのっ」


 その金髪をさっと靡かせ、汐見柏亜が立ち上がった。


「先生。もう少し、考える時間があってもいいとおもいます」

「……汐見くん? 君は中学時代バレーをしていたと聞いてるが」

「わたしはできても、できない子だっています」


 汐見の隣に目をやると、うつむいている女子がいる。そういうことか。


「それに、吹部なんかはかなりハードって聞きました。そういう場合、兼部は無理なんじゃないでしょうかっ」


 俺は気分が良くなった。運動至上主義の垣間見えるこのクラスカーストが気持ち悪かったので、自覚はないだろうがそのカースト頂点にいる汐見柏亜が文化部を擁護しているのを見て、まるで自分の人権が回復したように錯覚したのだ。

 そうだ、文化部はハードだ、と俺は呟く。


「俺のいた歴史部じゃ歴史認識を巡って、親米右翼と反米右翼で部内が大分裂。部室では朝から夜までレスバトルが絶えず、声が枯れない日はなかった」

「左右で分裂するんじゃなくて右翼と右翼で分裂するんだな……」


 呆れる鬼志別。

 この話を白滝にしたところ「右翼しかいないじゃないですか」と言われた。


「てか荻花シューカ、いつもボソついてたのって声が枯れてたからなんだ」

「あぁ。声帯が痛くておちおち顔も上げられん。そのせいでコミュ障だと思われて迫害された」


 部室でレスバして声を枯らすため、教室ではボソボソとしか喋れず陰キャ化。なかなか見ない類のカスみたいな因果関係だ。


「でもね、電車部も負けず劣らずハードだよ」

「はぁ」

「聞いてよ、あいつら脳ミソが時刻表なんだ。夏の部内旅行、すべての日程が始発電車で始まって終電で終わるんだ。乗り換えが全部3分以内で、旅行先じゃ飯屋に行けないんだ。電車に乗ってるとき以外はダッシュしてる。乗り換えのためだけに」

「知ってるか? それって旅行って言わないぞ。苦行だ」


 話が死ぬほどズレたので、そろそろどうなったのだろうかと教壇のほうを見る。そして俺は、たまげてしまった。


「……っ」


 汐見柏亜が今にも泣きそうな顔をしていた。

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