第6話 愛國童貞
ふと、思い立ったように鹿越は問う。
「そういえば。そこで蹲ってるのはだれ?」
「
「初対面で…ううん、いや。少なくとも初めて出会う女の子に『お前』はやめたほうがいいと思うよ。」
俺は言われてから気づく。そうだ。ここは共学であるから初対面でうっかり『お前』と呼んでは滅亡する恐れがある。
「あんま下品な言い方だから好きじゃないんだけど…、すっごく童貞っぽい。」
俺は笑う。こいつ、わかってるじゃないか。弱者男性は弱者男性としかつるめないので、同級生に使用する二人称が『お前』で固定されてしまうのだ。
「そいつはどうもありがとう。だが俺は彼女を作る予定もないからこれでいい」
「本当に?強がってない?」
「いいや、俺には確固たる信念がある。結婚しないつもりなんだ」
「もしかして……独身貴族って言葉使ってる?」
鹿越の言葉に俺は感づく。こいつ、かなり陰キャについての教養がある。
「奇遇だな。俺もその言葉、大嫌いだ」
「……え?」
鹿越はきょとんとする。
「独身貴族、陰キャはみんな誇らしげに言うんだよ」
「わかってんじゃん。っていうか厨川くんはそっち側じゃないんだ?」
「俺は、他とは――『違う』。」
俺の答えに、へぇ、と鹿越は目を細める。
「そもそも陰キャがキモいのは、その自惚れを隠しきれない自虐をしがちなとこだ。自己肯定感が高くて低いからそういうことになる。だから独身貴族なんてキショい単語が生まれるんだ」
「なんか言おうとしてたこと言われちゃった。え、厨川くんってあたし?」
「だがな。俺が目指すのは独身貴族ではなく――似て非なるもの。愛國童貞だ。」
カン、と革靴で踊り場を一突き。
「いいか。何らかの手違いで、万一だ。俺が子孫を残すことができたと仮定する。想像してみろ、どんな子孫だ。なお遺伝子は濃縮され、蓄積するものとする。」
「最後の一言のせいで
「そう。俺の子孫はとてつもない異常者だ。社会に適合できないどころか、社会自体を破壊しうる」
なので、だ。と俺は息を継ぐ。
「この美しき日本民族に、将来に渡って遺伝子的禍根を残すわけには行かない。さて、俺たちにはなにができるでしょう。」
「……なんか、わかっちゃったかも」
「そう。オタクによるセルフ断種運動。これによってのみ、祖国の純血は永続しうるいわば――『國を愛するがゆえの貞操』だ。自分が大好きで仕方ない陰キャ様の独身貴族理論とは一線を画する。」
「わーお。思ったより十段階くらいぶっ飛んでる」
クスクスと鹿越は笑う。対する俺は至って真顔だ。
「すごいね君。こんな人初めてだよ」
「だろ?俺はそのへんの一般中学生が恋愛や部活に勤しんできた3年間、人種・地政学・百■直樹について日夜考えてきた。」
溜息をひとつ。そして、彼女にしてはらしくない、神妙な
「君と話してるとなんか…悩みとか、つらいことが一瞬でも楽になる気がするな」
「……どうしたんだ突然?」
「あぁごめんね。こんな顔、
うあーっ、と顔を覆うとくしゃくしゃやって、少女はそれから可憐な口元を、にっと上げる。
「紗那ちゃんが心開いたのも、ちょっとわかる気がするよ」
「と、言うと?」
「んー、これ以上はあたしが踏み入る領域じゃないな」
意図が見えないので首を傾げると、鹿越はさっとスマホを取り出す。そういえば彼女の出身は
「なに、なんのつもりだ。俺は電子決済非対応だぞ。口からゲロゲロ小銭は出ない」
「表現謹んで。ほら、認証」
「なに、なんの。」
「あー、もー。
「は?」
俺は憤然とする。
「ラインだなど、下劣な。」
「え。もしかしてやってないの?」
鹿越桔梗は首を傾げる。当然だ。
「絶対やらないぞ。ラインは韓国企業である上にサーバーデータを中国当局へ垂れ流していたそうじゃないか。俺は意識高い系愛國者なんだ」
「ツイッター社も個人情報流してたけど?」
「別に流れるのはいい。どこに流れるかが問題なんだよ」
「か、かっこいい……」
カスのライトノベルならヒロインが顔を赤くして言うセリフだ。ところがどっこい、現に顔を真っ赤にしているのは俺だ。RINE社は日本を裏切った。つまりは俺への裏切りだ。あのアプリは俺を舐めている。
「あははっ、ちょっと楽しいかも」
けらけらと彼女は笑う。前もあったな、俺が怒っているとき周りは楽しんでいる。これいじめじゃね、と熟考に沈みかけた瞬間、俺のスマホが奪われた。
「ふふーん。貰っちゃお」
「おい……お前まで、奪うのか」
竹島も。北方領土も奪われた。そして今度は、俺のスマホまで奪われようとしている。怒りの海を通り越して悲しみに暮れていると、さっ、とスマホが返された。
「よっと。これで送れたでしょ」
彼女の手から離れた旭日スマホを慌ててキャッチ。
画面を覗き込むと、SMSにメッセージが一通。
"あ"
大変簡素な一通目。誰だい。顔を上げると、鹿越が微笑んでいた。
「はい、これで友達。これからよろしくね?」
「え」
あっさり。この学校に入ってから何年かかるだろうかと思っていたが、あっさりと女子の連絡先がスマホに出現した。しかも、クラスの一番星の親友。既に男子の何人かは狙いをつけている美少女。鹿越桔梗の連絡先(激レア)である。
これが公衆に発覚した暁には命が危ないだろうが、やはり感嘆してしまう。
「おー。SMS欄に家族及びオタク以外の連絡先がある。新鮮。」
「奇遇だね。あたしも男の子に電話番号教えたのは初めてよ」
「本当か?」
「みんなラインだからふつう電話番号とか教えないもん」
そう言うと、じゃね、と言い残してひらり、少女は教室の方へ戻っていく。
揺れる藍色の髪と一瞬の横顔に、一瞬だけ俺は息を呑んだ。
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