肩こりじいさん、鬼に会う

羽間慧

第1話

 むかしむかしの話でございます。あるところに、肩こりに悩むおじいさんが住んでおりました。なんですって? おじいさんになれば身体中が痛くなるのは当たり前?

 肩の痛みぐらい、どうってことのない問題なのですか?

 冷たい人ですねぇ。身体に重りをつけたまま生活したい人なんて、戦士以外のどこにいるというのですか。肩こりを甘く見てはいけません。それに、肩こりが引き起こす問題は、もう一つあります。善晴じいさんが肩を回す度に、ゴギャギャギャンと大きな音が鳴り響くのでした。何も知らない人が聞けば、岩が転がり落ちたと勘違いすることでしょう。


 しかしながら、このおじいさんは大変のんきな人でございました。自分の肩から鳴り響く音を、これっぽちも気にしなかったのです。耳が遠いという理由もあるでしょうが、畑作業に夢中になっていたようでした。里芋を引き抜いて、えっさっさ。かごを運び終えて、ゴギャギャギャン。肩はこっていても、足腰は強い善晴じいさんでした。


 善晴じいさんが住んでいた村には、五十風というおじいさんも暮らしていました。

 こちらのおじいさんは、肩ではなく腰の痛みを抱えていました。熱心に畑を耕す善晴じいさんが、羨ましくてたまりません。五十風じいさんは、しゃがみこむのも一苦労。種まきも水やりも、嫌々やっていました。腰をさすりながら、一人でガミガミ怒っていました。


 ある夏の朝のことでした。善晴じいさんは、海へ出かけました。海の家を営む知り合いが、里芋の煮っころがしを作ってほしいと頼んだのです。知り合いは、串に刺した煮っころがしが若者に売れると考えたようでした。善晴じいさんはのんきな人でございますから、串に刺しただけでは売れないと考えませんでした。おぬしが売れると言うのなら、百人前をすべて売ってみせる。そう言って、にっこり笑いました。


 善晴じいさんは海へ行き、たくさんの煮っころがしをこしらえました。だしの香りが砂浜へただよっていきます。親子連れが煮っころがしを買っていきました。善晴じいさんは喜びましたが、お客さんが来たのはそれきり。誰一人来ませんでした。


 ポツポツと雨が降り始め、やがておけをひっくり返したかのような激しい音になりました。おじいさんは雨やどりのため、洞窟の中に逃げ込みました。朝早くから里芋を海へ運んだ疲れが、どっと押し寄せてきます。善晴じいさんは夢の世界に入り込みました。


 ふたたび目を覚ましたとき、空にはお月様が顔を出していました。笛に合わせて歌声が聴こえてきます。

 善晴じいさんは洞窟から、ひょっこり顔をのぞかせました。


「こりゃ、たまげた。頭の上に、二本の角が生えているなんて」


 昼間は海水浴に来られない鬼達が、真夜中の砂浜に集まっていたのでした。虎柄の水着集団に、善晴じいさんは腰を抜かしてしまいます。


「酒はあるのに、ツマミがないとはどういうことだ?」

「誰かツマミ作って来いや」


 善晴じいさんのすぐ近くに、酒だるが飛んできました。恐ろしさのあまり、砂をかき分けながら進みました。懐に入れていた荷物が転がり落ちたとも知らずに。


「おっ。うまそうな匂いがするな」


 善晴じいさんが振り返ると、包みを開いた鬼が里芋の煮っころがしを頬張っていました。


「うんめぇ~! 酒が進むぜ。これはいいツマミだ!」

「そうでしょう? なぜか売れ残ってしまったんですが、わしの自信作なんですよ」

 料理を褒められた嬉しさに、善晴じいさんは大きな声を上げました。


「に、にんげん?」

「鬼の舌に合う料理が作れるなんて、すげーーー!」

「お前、おもしろい奴だな。ほかにできることはないのか?」


 たくさんの鬼に囲まれて、善晴じいさんは大慌て。悩んだ挙句、村に伝わる踊りを披露しました。善晴じいさんが動く度、肩は効果音のように鳴ります。奇妙な音に、鬼達は拍手喝采しました。


「そこのあなた」


 一人の女人が近付いてきました。ツマミを持ってこいと騒いでいた鬼達は、今やひざまずいています。


 牡丹色の水着は、真珠と貝殻で飾り付けられていました。雪のように白い肌と、誰よりも美しい角が、月光に照らされます。


「やばばばばばば。髪が真っ白とか、マジないわ。てか、パない。うちのタイプじゃないけど、きれいな顔してんじゃん! ありよりのありだわ!」


 善晴じいさんは、きょとんとしました。何を言っているか分からないのですが、どうやら褒めているつもりらしいのです。


「あ、でもさ。どうせ奥さんいるっしょ。どちゃくそ萎えるわぁ。はよう家帰った方がよくなーい? アチュラチュ感は夫婦の特権じゃん?」

「奥さんなんていないよ。ずっと独り身だから」


 髪をもてあそんでいた鬼の表情は、パアッと明るくなりました。


「ガチか! そんなら、まずは友達でよろしくっしょ! イバラちゃんの子分があなたの料理を気に入ってくれたみたいだから、とりまお礼にコレもらうねー」


 イバラは善晴じいさんの肩を叩きました。


 いつもなら、すさまじい音が響くはずでした。しかし、善晴じいさんの肩こりは、きれいさっぱり消えていってしまったのです。


 善晴じいさんは、四半世紀ぶりに身体が軽くなった気がしました。善晴じいさんが飛び跳ねていると、イバラは手を振ります。


「明日の夜も、ここで会お。じゃ、朝が来る前にイバラちゃん達は退散するね。ノシ!」

「ノシ! そうか、さようならっていう意味なんじゃな」


 久しぶりの女人との会話に、善晴じいさんの知識は更新されました。




「五十風じいさん、五十風じいさん。あんたも腰の痛みとさよならできるかもしれないよ。美人との出会いは、冥土の土産になるんじゃないかのぅ。わしは昨夜だけの思い出で十分じゃ」


 次の日。善晴じいさんは、五十風じいさんに言いました。どれだけ肩を回しても、ゴギャギャギャンとは鳴りません。五十風じいさんは思い立ったら吉日とばかりに、海へ向かいました。とうもろこしを買い占めて、夜になるのを待ちます。


 空が真っ暗になったころ、沖から船がやってきました。酒だるを担いだ鬼達が、威勢よく出てきます。


「昨日のじいさん、美味しいツマミはできているか?」

「へい。焼きとうもろこしができております」

「こいつはうまい!」


 鬼達はさかんに食べていましたが、イバラは不機嫌そうな顔をしていました。


「イバラちゃん、歯に刺さる食べ物はパス。また昨日みたいに踊ってよ」


 五十風じいさんは待っていましたとばかりに、子どものときに習っていた舞を披露します。動く度に腰は痛みましたが、表情には出しません。

 善晴じいさんが明るく踊ってみせたものより、厳かで背筋を伸ばしたくなる舞でした。最初は退屈そうに見ていた鬼達も、波の音とともに風情を楽しむようになりました。


「やめろし! イバラちゃんの思っていたやつじゃない。これもらって消えてよ!」


 イバラは、五十風じいさんにひょうたんを投げつけました。五十風じいさんが肩を抑えると、激しい痛みを覚えました。もしやと思って肩を回すと、ゴギャギャギャン。善晴じいさんの肩こりを引き継いでしまったようでした。


「いだだだだだっ!」


 我慢していた腰の痛みに、強烈な肩こり。五十風じいさんは砂浜に倒れ込んでしまいました。


「かまちょとかキモッ」

「姐さん、よく見たら昨日の野郎じゃないっす」

「ま?」


 イバラの顔は青ざめました。一度渡した肩こりを、取り外すことはできなかったのでした。




 五十風じいさんは、かわいそうですって?

 そうでしょうか。善晴じいさんがイバラとの約束を守っていれば、わたしが妻に優しく介護してもらう未来は来なかったはずです。


 今日もイバラがしっぷを張り替えて、朝からイチャイチャしている老いぼれでございました。


 めでたしめでたし。

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